250.譲れない二発
「ちょっと……大丈夫なの?」
「左腕が持ってかれただけだ」
「……体バウンドしてたけど?」
「動ければ問題ねえんだよ」
灰の壁の先にいるヴァンを見てシャボリーは憐れむような視線を送る。
気まぐれは元同僚のそんな姿を見たからか、シャボリーはヴァンの問いに答えた。
「私が宿している魔法生命は困ったものでね。元の世界で自分を殺したような強者を求めている。だから教えてやったんだよ、魔法生命の存在を知っていて、尚且つこの街で警戒すべき人物、学院長にヴァン、カエシウスの次女、そして……魔法生命の天敵の平民の四人をね」
「四人だけ?」
ヴァンはエルミラのほうに視線を送った。エルミラだけでなく、ヴァンの頭にはもう一人ルクスの姿も思い浮かぶ。
シャボリーもヴァンの視線の動きに気付くと、小馬鹿にしたような表情で笑った。
「おいおい、冗談だろう。ミレルで起きた出来事はダブラマからある程度情報を貰っているし、スノラでの出来事も国からの情報で私は把握している。宿主のままの大百足からすら逃げた小娘が彼の御眼鏡に適うわけないだろう。オルリックの子はその場で戦ったというからまだましだが……まるで相手になっていなかったと聞いている。いくら魔法生命の存在を知っているからとそんな連中を彼に紹介するわけにはいくまいよ」
「……っ!」
シャボリーに無造作に苦い記憶を引っ張りだされてエルミラの表情が少し歪む。
「だから四人しか紹介できなかったんだ。魔法生命と相対していなくても魔法使いとしての技量が高い学院長、経歴に加えて一体化した大百足と直接戦ったヴァン、マナリル一の才と評され、同じく大百足と戦い、更には紅葉とも戦ったカエシウスの次女、そして……そのどちらも破壊したアルム。私とて心苦しかったよ、彼の求めるものを満足に教えてやれない自分にね」
否定できない自分がいる事にエルミラは悔しそうに歯を食いしばる。
自分はシャボリーの言う通り魔法生命とまともに相対した事が無い。そして山で大百足が出現したその時、自分は恐怖で動けなくなっていた。あの時の自分の情けなさを考えれば、シャボリーから自分への評価は妥当だと言える。自分は確かに何も出来なかった子供だろう。
だが――ルクスへの評価だけは受け入れられない。
エルミラの脳裏に自分を庇って残ったルクスの背中が遠くなっていく光景が蘇る。
胸に押し寄せた情けなさと同時に、あの背中がどれだけ自分に頼もしく映っただろうか。
彼が、どれだけの恐怖を押し殺してあれに立ち向かったか――!
たとえルクスがあの場で敗北したのだとしても、あの姿を見ていない者にそんな連中、と雑な一括りをされたのがエルミラは許せなかった。
「やっぱ目が曇ったのはお前だなシャボリー」
自分の評価が正しいと信じて語るシャボリーをヴァンは笑った。
灰で遮られた向こうでゆっくりと風が動く。ヴァンの声を聞いているからか、シャボリーは気付いていない。
「私が間違っていると?」
「ああ、お前は手に入れた情報だけ見て人そのものを見てない。その場その場で起きた出来事だけを見て、そこにある人の覚悟やその出来事を経て起きる成長を踏まえていない。俺に教師の仕事を押し付けるべきじゃなかったなシャボリー。もっと教師として生徒を見てれば……そんなアホでも選べるような人選をせずに、お前の宿す魔法生命が望む相手を紹介できただろうに」
「言うじゃないかヴァン、私ごときにその有様でよく吠える」
「四人だけと言ってる割にベネッタも狙ったみたいだが……ベネッタもお前の言う有象無象か?」
「彼女は宿主を判別できる特殊な魔法を使えるようだからね。私が宿主とバレるには少々面倒なタイミングだったから狙ったに過ぎない。彼女自体は彼と戦うに値しないさ」
「本当に、そうだったか?」
見透かすようなヴァンの声。
シャボリーの表情に無表情ながら苛立ちが浮かぶ。
そう、特殊な魔法を持っているだけの有象無象……のはず。
だが、ベネッタを狙ったあの夜のミノタウロスはいつもと違っていた。助けが入って止めを刺せなかった、そう言いながらも満足そうな彼の声色が不思議だった。
魔法生命と人間は違う。互いの価値観は共有できないと思っていたシャボリーは改めて考える。
しかし、考えてもミノタウロスが何故あの少女を認めたのかシャボリーにはわからない。
ベネッタは魔法生命の存在こそ知っているものの、本人は治癒魔導士志望の弱小貴族。危険人物として挙げる際には一考にすら値しない実力しか持っていない。ミノタウロスの求める英傑とは程遠い者のはず。
……そのはずが何故、彼はベネッタを気に入ったのか。
自分はヴァンの言う通り――何かが見えていなかったのか?
「続きは嵐の中で考えるんだな」
「!!」
よぎった疑念を突如巻き起こった風が中断させる。
ゴウッ!! と烈風が吹き荒れ、ヴァンはシャボリーを嵐の中に閉じ込めた。
会話の間、密かに操作していたヴァンの血統魔法が光の衣を破らんと緑色の魔力光を迸らせる。
アルベール家の血統魔法【風声響く理想郷】の真髄は風属性にも関わらず高い攻撃力を有する"現実への影響力"ではない。
そよ風から嵐までをただ一つの魔法でこなせる極端な強弱の変化、敵には刃と枷となり、自身と味方には盾と翼にもなる状況を選ばない万能性こそ真髄。
ヴァンの見た目にそぐわない絹糸を扱うような繊細さが、血統魔法をシャボリーに気付かれないそよ風から嵐へと一気に変貌させた。
「エルミラ!!」
「任せて!」
ヴァンが声を荒げる意味をエルミラは感じ取る。
壁として展開させていた灰全てをヴァンの血統魔法が作りだす嵐の中へと。
吹き荒れる嵐に灰を乗せ、中で動く光の衣へと容赦なく注ぎ込む。
嵐に入る前に制御できていない灰が少し爆発を起こすが、出来得る限り制御しようとエルミラは灰の動きに集中する。
自分がこの場で一緒に待ち伏せした意味、それは足りない火力を補うため。
エルミラの血統魔法の効力を把握していなかったとはいえ、シャボリーがヴァンの血統魔法には迷わず突進し、エルミラの血統魔法には躊躇ったその理由。それは火属性の特徴である高い攻撃力を警戒したからに他ならない。
生物の脅威ゆえの風属性では届かない、防御の上から捻じ伏せるような"現実への影響力"。
属性の基本知識を魔法使いであるシャボリーが知らないはずがない。本を好み、知識と情報を第一とするシャボリーの性格がエルミラの血統魔法を警戒させた。
その警戒した血統魔法を今、ヴァンの助けを借りてエルミラは容赦なくシャボリーへとぶつけていく――!
「ぐ……おお……!」
「あああああああ!!」
嵐の中で轟く烈風と爆発音。血統魔法の制御に汗をかくエルミラとヴァン。
嵐の外から見えるのは暴れる光の衣とその光の衣近くでの爆発だけ。中からも外は見えないだろう。
二つの血統魔法を合わせたこの攻撃がシャボリーの防御を貫いている事を信じてエルミラとヴァンは操り続ける。
共に繊細な制御を要求される血統魔法。中の見えない状況がさらに精神を擦り減らす。
嵐の中の灰色が全て爆発したその瞬間。
「【暴走舞踏灰姫】!」
魔力をつぎ込み、エルミラは再び血統魔法を展開する。
血統魔法の連続使用による魔力の消費と制御する精神の疲労を省みず、ここで倒すと言う覚悟を持って。
灰のドレスを今度は少しだけ手元に残し、残りの灰を嵐の中に注ぎ込む。
再び嵐の中で起こり始める爆発。
だが、光の衣は未だ消えることはない。
「魔力切れ狙いに切り替えたか……!?」
元々シャボリーの血統魔法は防御魔法。
一つの可能性にヴァンは舌打ちする。
嵐に閉じ込め、その中で爆破する灰をぶつける。状況こそ有利だが、有効な攻撃を与えられている証拠があるわけではない。
視界も悪く、エルミラの操る灰の爆発はシャボリーに当たっていないものもある。
だが、これ以上に有効な攻撃があるともヴァンは思えなかった。生半可な魔法では自分の血統魔法と合わせるなんて芸当は出来ない。二つの血統魔法が有する"現実への影響力"だからこそ作り出せた一方的な状況。ここで止めを刺せなければ少なくとも二回血統魔法を使ったエルミラは魔力切れになるに違いない。
吹き荒れる嵐と爆発の中、輝き続ける光がこんなにも憎たらしい。あの白い光が見える間はシャボリーの意識がある証明。
嵐の中にある灰もあとわずか。
早く消えろと光を睨みながらヴァンは願う。
「ヴァン先生!」
嵐の中を睨むヴァンにエルミラ呼び掛ける。
「なんだ!?」
「あいつに一発……いや、二発お見舞いさせて!」
「あん――!?」
「ぬっ……! ぐぅ……あ……!」
ヴァンの血統魔法が作り出す嵐の中、シャボリーは光の衣と魔法生命の外皮によって爆発に耐えていた。
緑の魔力光と飛び交う灰のせいで嵐の中から外は見えにくい。という事は、外側からも中の詳細はわからないという事だ。光の衣が目印になっているとはいえ、嵐の中シャボリー本体を狙うのは至難の業。狙いの荒い攻撃では、守りを固めているシャボリーに決定打を与えられない。
エルミラの血統魔法が途切れればヴァンの血統魔法は力づくで突破できる。周囲で鳴り続ける爆破の音と衝撃が止んだ時が反撃の合図。
「無駄な……足掻きだったな……!」
狙い通り、しばらくして爆破の音と衝撃は止んだ。
緑の魔力光のせいで依然として視界は悪いものの、目の端で飛び交う灰色は無い。
風だけとなった攻撃を光の衣で受けながら、風の薄い場所をシャボリーは見つける。ヴァンの血統魔法は無限に風を生み出せる魔法というわけではない。唱えた際に操れる風の総量は決まっており、攻撃に転じれば、閉じ込める為に使っていた風の壁は薄くなる。
災害として見れば変わらず吹き荒れる嵐だが、魔法として見れば間違いなく穴となっている魔力光が薄い部分をシャボリーは見つけた。
「ヴァン……今度は右腕を貰うとしよう」
魔力を身体能力に変え、人間とは思えない膂力でシャボリーはその穴に突進した。
二つの血統魔法を耐えきったシャボリーは魔力こそ減ってはいるものの、未だその強化された身体能力に影響はない。
シャボリーを逃がすまいと吹き荒れる逆風を強引に引き裂き、嵐の中を踏破する。
自身に纏わりついていた風を振り払い、嵐を抜けて軽い体となったシャボリーを待っていたのは――
「やっぱね。あんたならそこから出てくると思ったわ」
「なっ……!?」
「ルクスの分よ」
灰の手袋を纏ったエルミラの拳だった。
「ご……ぼばっ……!」
嵐を抜け、脅威から逃れたと一瞬緩んだシャボリーの頬にエルミラの拳が突き刺さる。
ただの拳では無い。頬に突き刺さったその瞬間、拳に纏っていた灰は容赦なく爆発した。
いくら魔獣の身体能力を持ち、魔法生命の外皮があるとはいえ、人間では一溜まりも無い衝撃がシャボリーの頬の皮膚を裂きながら脳を揺らす。
そう、嵐の中、魔法としての穴に見えたそれは、エルミラの指示でヴァンがわざと風の壁を薄くした場所。シャボリーが出てくる場所を誘導する為の罠だった。
エルミラはシャボリーにヴァンのおまけ扱いされている間、ずっとその戦い方を見ていた。
確立されている攻撃の動き。ヴァンに対しての強行突破はただ力押しだったのではなく、力押しが有効だと判断したからであり、エルミラが作った血統魔法による灰の壁を前に止まったのは知識から来る警戒心。荒く見える動きの中、垣間見えるのは自分の持つ知識と情報を元にはじき出している合理的な戦闘スタイル。そんなシャボリーが、血統魔法に耐えきって疲弊した中、風の壁が薄くなった部分を見逃すはずがないとエルミラは確信していた。
見逃すはずがないからこそ、動きを読むことができる。逆に、自分を見下しているシャボリーが自分の動きを読むわけがないとも。
結果、エルミラの拳は無防備なシャボリーの頬に突き刺さった。
血統魔法を二つ合わせても届かなかった決定打が、シャボリーの思考の隙を縫って今届く。
(ま……ずい……!)
魔法生命の外皮が何とか意識だけはシャボリーに残す。
しかし、光の衣で自身を守っていた時とは違い、無防備な頬に突き刺さった爆発が影響無いはずがなく、シャボリーは爆発の勢いのまま石畳に放り出される。
「……ご……の……!」
この衝撃を受けてなお戦う意志を失っていないのは流石魔法使いというべきか。
揺れる視界の中シャボリーは立ち上がろうとするが。
「起きなくていいわよ。すぐ寝ることになるんだから」
「っ!」
横にはすでに追撃する為、距離を詰めたエルミラの姿。
久しく受けた痛みと揺れる視界がシャボリーの反応を鈍くする。
見上げた先にはエルミラの冷たい瞳。そして灰のヒールを纏う持ちあがった右足――!
「ま――!」
「これはベネッタの分よ!!」
容赦なく、エルミラはシャボリーの胸目掛けて灰のヒールで踏みつける。
踏みつけた瞬間、灰のヒールが起こした爆発は光の衣の防御も貫くシャボリーへの止めの一撃。
周囲に響き渡る轟音と、力無く倒れるシャボリーの体がその威力を物語る。
絶対に与えたかった二発を叩き込み、エルミラは灰のヒールが無くなった右足をシャボリーから離した。
「あんたみたいな見る目無い女……一緒に踊るまでもないわね」
決着は突然に。
魔力の消耗で息切れする呼吸の中、意識の途切れたシャボリーにエルミラはそう吐き捨てた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
遅くなりましたが、今日はもう一本更新します。