249.揺れていたい
マピソロ家は歴史の長い家系ではない。
そもそもが歴史学者の家系。研究に没頭し、その成果で生計を立てる領地も持たないタイプの貴族だった。
歴史を調査する上で、基本的には残された資料や文献から情報を手に入れるが……マピソロ家の歴史調査は考古学の分野にも手が伸びる。必然フィールドワークが多くなるマピソロ家だったが、研究に没頭し、戦闘に不慣れなために魔獣の多い区域の調査が難しいという壁に当たる事となる。
国から重要視されていなかったマピソロ家に護衛を雇うような予算が割かれる事は当然ない。
そこで生み出されたのがマピソロ家の血統魔法だった。
その光の衣は魔獣の爪や牙を遮る防御魔法であり、闇の中でも調査を進める為の星明かり。
自分のエゴ。譲れないものの主張。血統魔法の誕生は得てしてそんなものなのだが、マピソロ家の血統魔法はさらに独善的といえよう。
国を守る為には使われない。民を守る為にも使われない。ただ自分の家系の在り方にだけ使われる、自分を救うだけの血統魔法。そんな魔法を持った家系の地位が上がる事は無かったが――シャボリー・マピソロの誕生によってマピソロ家の在り方は変わる事となる。
「はひゃ!」
シャボリーは地を駆ける。
無謀にも見えるただの突進。
全身を纏う光の衣はヴァンの纏っている風を裂く。
ブオオ! という風圧を無理矢理押し退ける巨大な光の玉。互いの魔法の"現実への影響力"をぶつけるだけの単純な力比べ。
真正面からの血統魔法の激突が衝撃波となって周囲に炸裂する。
「ぬぐ……!」
ただ突進してくるシャボリーにヴァンは風を束ねてシャボリーの勢いを止めようとする。
マピソロ家は家系自体の歴史こそ古いものの、血統魔法が重ねた年月は二百年程度。
いくら風属性魔法の攻撃力が低くとも、まともにぶつかればヴァンの纏う風が上回るところだが――
「そんな風で光は遮れまいよ」
束ねた風の壁を引き裂きながら走るのは光の獣。
魔法自体の"現実への影響力"は劣っていても、使い手の膂力が強引に魔法の法則を破壊する。
シャボリーの特異体質が可能にする防御魔法を盾にした強行突破。
魔獣の魔力変換によってシャボリーは身体を強化し、決して歴史では埋められない差を強引に埋めていた。
その戦法は決して戦闘を不得手とする家系の戦法ではなく、先代のマピソロ家当主であれば血統魔法の練度の低さもあって成立しなかったであろう。
しかし、今代は違う。
魔法使いとしての才を持ち、人ならざる力を持った者が誕生した。
シャボリーの魔法のセンスと特異体質。二つがあわさることで、身を守る為だけに作られたはずの血統魔法が障害を切り開く剣と盾へと昇華されていた。
魔法生命の外皮もあり、光の衣の上からではシャボリーに有効な攻撃は与えられないほどに。
「存外楽かと思えば……"完全放出"していないな。これで私を止められると思ったのなら心外だ」
「!!」
抑揚のない声で風の壁をシャボリーは突破する。
風によって縛られていたシャボリーの速度は風の壁を突破したとともに元に戻り、ヴァンとの距離を一気に詰める。
「防御するのをおすすめするよ」
走った勢いのままシャボリーの片足が跳ね上がる。
狙いはヴァンの腹部。
シャボリーの足は弧を描き、光の軌跡を作りながら繰り出された。
シャボリーに張り巡らされた魔力は女性の細足を鈍器への変貌を遂げさせている。見た目を遥かに超えた破壊力がこもる一撃をヴァンは片腕で受け止める。
「が……っ……!」
ボギ、とわかりやすいくらいに骨が折れた音がヴァンの左腕から鳴り響く。
当然、シャボリーの右足の勢いが腕の骨を犠牲にした程度で止まるはずがない。
シャボリーはそのまま右足を振り抜き、ヴァンの体を軽々と吹き飛ばした。
ヴァンの体は勢いを殺すまで石畳を跳ね、やがて石畳を滑るようにして止まる。
「ヴァン先生!」
「ふむ、流石に腕だけで受け止めるなどという都合のいい展開は無いか。防御用に少し風を手元に残していたのは流石だなヴァン。少しだけ勢いを殺された」
シャボリーは感心しながら振り抜いた足をゆっくりと、優雅に地に降ろす。
張り付くような光の衣を纏った足はその動作だけで一種の美しさを感じさせる。
知らぬ者が見ればヴァンを吹き飛ばしたのは光の衣によって強化されたからだと思う者もいるだろう。しかし、それはとんだ見当違い。シャボリーの血統魔法はあくまで防御魔法であり、強化のような補助効果は無い。
決して小柄ではないヴァンの肉体を十メートル以上吹き飛ばしたのは紛れも無くシャボリーの身体能力だった。
「だが、君が同僚相手にここまで動揺する男だというのは少し情けなさを感じるよ。血統魔法を使ってこの体たらくとは……危険人物として挙げたのは買い被りだったかな?」
「あんた……!」
薄ら笑うシャボリーにエルミラは怒りを覚える。
「何を怒るエルミラ? 魔法使いというのはどんな時でも平静であるべきだろう? その実力を損なわないために必要なことだ。感情に揺れるようであれば、ふふ、今のヴァンのようになってしまうぞ」
「……魔法使いはどんな時でも平静であるべき、ってのは確かにそうかもしれない」
「そうだろう?」
「けど!」
エルミラは拳を握った。
「人間としては……揺れるヴァン先生のようになりたいわ。あんたよりもね」
美しく立つシャボリー。地面に転がるヴァン。
二人を比較してエルミラは明確にヴァンのようになりたいと言い放つ。
確かに魔法使いとして感情に振り回されるのは実力を出すうえでは不確定要素になり得るだろう。シャボリーとヴァンの構図を見れば魔法使いとして正しいのはもしかしたらシャボリーなのかもしれない。
だが。それでも――自分達は持つべき感情はその心に持つべきなのだとエルミラは信じている。
感情とは自分を突き動かす原動力。自分を立ち向かわせてる怒りが不要なものだとは思いたくなかった。
聞いたシャボリーは不思議そうに首を傾げて。
「ふむ、人間としての魅力がこの場の勝敗に関係あるのかい?」
「あんたに理解されなくてもいいわよ」
ここまで直接言ってもわかりあえない人間性。
それはシャボリーだからか。それとも宿主だからか。シャボリーという人間を知らないエルミラにはわからない。
「【暴走舞踏灰姫】!」
エルミラが唱える闇を裂く合唱。
二人の血統魔法の激突を見てエルミラは灰のドレスをその身に纏う。
カッ、と石畳に灰のヒールが気味好く鳴った。
(似てる……!)
ヴァンとシャボリーの一幕を見てエルミラが思い出したのは友人の魔法だった。
原理こそ違うが、そのごり押しとも言える戦法はアルムの『幻獣刻印』。
過剰魔力によって暴走した架空の魔獣を再現する獣化魔法。
「ほう、灰のドレスとは……ふふふ、見すぼらしくていいじゃないか。御機嫌麗しゅうお嬢様。ダンスのお誘いでもしたほうがよろしいかな?」
「お生憎様。そんな悪趣味に光ってる服を着てるようじゃ私に釣り合わないわ」
「片や光、片や灰……悪趣味なのはどちらかな?」
横目でちらっとシャボリーはヴァンを見る。
起き上がろうとしているヴァンを見て再び、シャボリーは地を蹴った。
単調で単純。しかし、効果的。
他者の身体には"現実への影響力"が及びにくい。治癒魔導士が他者の体内を治療しにくいように、強化を阻害できる魔法系統が呪詛魔法だけのように生物はそこにありながらも他者の干渉を受けにくい本人だけの現実。だからこそ、シャボリーの戦法は驚異的なものとなる。
強化でないがゆえに呪詛魔法でも止まらず、魔獣と同じ魔力運用をしているがために、口を封じて魔法を唱えられなくても止まらない特異な魔法使いの形。
「ミノタウロスには悪いが……ヴァンはこのまま私が止めを刺すとしよう」
遠くで戦う魔法生命に謝罪しながらシャボリーはヴァンへと向かう。
「散れ!」
「む」
しかし、突進しようとしていたシャボリーは急に止まった。
原因は勿論エルミラの血統魔法。
ヴァンとシャボリーの間に撒かれた灰がシャボリーを躊躇させる。
「ドレスはただの基準点か……火属性で感知系という事は無いだろうが……」
ヴァンの血統魔法と違ってシャボリーはエルミラの血統魔法を見たことがない。
風属性と違って火属性は攻撃としての"現実への影響力"が高い上に、魔法使いとしての歴史はロードピス家のほうが上なのだ。
自分の戦法が単純にして強力だと理解しているが、だからといって盲信もしていない。見知らぬ魔法相手に先程のようにただ突っ込むなど、そこらの魔獣ですらやらないであろう。
「御自慢の身体能力で突っ込んだらどう?」
出来得る限りのわざとらしい笑みと人差し指の動きでエルミラは挑発する。
数度見たことのあるアルムの『幻獣刻印』。その戦法と似ているシャボリーに対して、エルミラは周囲に血統魔法の灰を散布する事でその動きを封じていた。
アルムの『幻獣刻印』は制御ができない。もし自分ならばどう対処するだろう、と戯れのような思考が役に立つ。
「ふふふ、有象無象が随分調子に乗るじゃないか」
シャボリーの顔にも笑みが浮かぶ。
実に攻撃的な笑みを浮かべる二人の間に声が届く。
「誰を……有象無象だって言ってるんだ? シャボリー?」
ぷらんと垂れた左腕をおさえながら、ヴァンが立ち上がる。
揺れる心はそのまま。しかし、その目に戦意は消えていない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日は一区切りになりますので短い幕間含めの二回更新です。