247.手向けと呟き
私は演劇を観賞するのが好きだった。そして嫌いだった。
幕が上がると同時に広がる素晴らしい世界の幕開けに心躍り、素晴らしい世界の閉幕にいつも心を痛めた。
演劇とは人生の縮図だ。
誕生は幕開け、死は閉幕。
誇り高い魔法使いと相打てたと、隊長のハルスターは満足そうにすぐ逝った。
王家以外に従うのはごめんだとトーマスは自身の消滅を選んだ。
残ったのは私だけだった。
何年も何年も何年も何年も何年も。
何年もいた暗闇。何年もいた迷宮。
黒い天井に固い壁、何処までも続く通路と出口に辿り着く事の無い分かれ道。
同志は全て死に絶え、私と同じように亡霊として彷徨う者もいた。
先に逝った二人が間違っているとは思わない。トーマスの忠誠は知っていたし、私達を迷宮に閉じ込めるなどというふざけた結末を用意した魔法使いに対して心からの賞賛を贈れるハルスター家の誇り高さには感服する。彼女が生きていたら花束を持って交際を申し込んでいた所だ。
そんな誇り高い同志の中に――私のような者がいてもいいだろう。
死んだとわかってなお、マナリルに牙を立てる往生際の悪い輩が一人いてもいいだろう。
死という閉幕を迎えて尚、私は亡霊として壇上に立つ。
私は舞踏劇団デラルト・ジャムジャ。
かつて祖国のため、ベラルタ奇襲部隊の副隊長としてこの地に訪れたガザスの魔法使い。
たとえ頭が牛の得体の知れない怪物の甘言に乗ったとしても……私は私の閉幕を認めたくない。
怪物に聞けば私達が死んでからすでに三五〇年が経ったという。私達の作戦が失敗したことによってガザスはとっくの昔にマナリルに敗北し、国として存続していないかもしれない。
すでに肉体の無い亡霊であっても、こうして私という存在が残っているのなら私は泥臭く縋りたい。
私達を殺したマナリルの魔法使いにガザスという国があったのだと、私達の劇が生まれた祖国と私達の存在をこの大国に刻むために、私はマナリルの魔法使いに出来得る限りの死を与える。
たとえ恨まれようとも、忘れられない限り、私達の人生の幕は真に閉じる事は無いのだと――!
「凍って動けなくなるのは生者と同じなのですね……勉強になりました」
『……っ! あ……っ……!』
そう……決意を胸に私は壇上に立った。
怪物によって同志の魂を糧にして、亡霊として再びベラルタの地に立ったのだ。
視界に広がったのは生前にも見た風景。
そして目の前にいたのは戦場に立つには可憐すぎる少女。
魔力光を浴びて輝く青みがかった銀色の髪、そして端正な顔立ちは完成された美そのものだった。
神秘すら感じるその容姿に私は一瞬見惚れたことを白状しよう。
決して戦いの場に立っていいような存在ではないとすら思った。
しかし、少女がマナリルの魔法使いなのはすでに怪物から知らされていた。見惚れはしたが、躊躇はなかったと胸を張れる。
結論から言おう。私は愚かだった。
「生前はさぞ高名な魔法使いだったとお見受け致します。戦う事が出来て光栄でしたわ」
戦い?
戦いと言ったかこの少女は。
今のが戦いだと?
私は無意識に周囲を見渡す。
広がるはベラルタの街並みと、そこらに転がるただの残骸と化した私の人造人形。
確かに一体一体は大したことは無いただの人造人形かもしれない。だが、私が使えば話は別だ。
芸術とまで言われた二十を超える人造人形の一斉召喚と同時操作。舞踏劇団と呼ばれたのは伊達ではない。
その芸術を……目の前に立つ少女は表情一つ変えずに薙ぎ払い、使い手である私を亡霊から氷漬けのオブジェに変えた。あまつさえ私を見上げて微笑んでいる。
断言しよう。今のは戦いとは言えない。ただの片付けだ。
周囲の住民に避難を呼びかけ、住民が逃げた途端、子供が散らかした玩具を片付けるような、そんな手際で彼女は私の人造人形を全て破壊し、私自身を圧倒した。
そして私はそれに見惚れた。
見た者を虜にする水と氷の演舞。
彼女の使う魔法は私が見てきた水属性魔法のどれよりも透き通っていて、美しかった。
戦いの場に立つべきではないなどと、一瞬でも思ったのは汚点と言えよう。
『血統魔法は……使ったのですか……?』
亡霊になって感じる事の無いと思っていた寒さに震えながら私が聞くと、少女は首を小さく振った。
「お恥ずかしながら身も心も未熟でして、とある事件以来、私はある方が傍にいらっしゃらないと血統魔法が使えないのです……本気でお相手出来ず申し訳ございません」
そう言って氷の少女は申し訳なさそうに頭を深々と下げた。
それが、私のプライドを粉々に砕く鉄槌だとも気付いていない様子で。
彼女が使ったどれかが……血統魔法であってほしかった。
亡霊の身では血統魔法は使えない。
血統魔法が使えないから敗北したのだと、せめてもの慰めになるかと期待したが……目の前の少女も同条件ならば私はただ憐れなだけだ。
流石はマナリル……三五〇年経った今でも生前戦ったオルリック家のような者がうじゃうじゃいるという事か。
本気では無かったと言われては立つ瀬も無い。
『な……まえを……聞かせてほしいのですが……』
そろそろ、私が消える。
完膚なきまでの敗北。
亡霊としての決意。生前から持っていた自信。そのどちらもが目の前の少女に砕かれた。
この少女の名前だけは覚えて逝きたいという願望だった。
「申し遅れました。マナリルのミスティ・トランス・カエシウスと申します」
『カエ……』
つい、言葉を失ってしまった。
カエシウス。
今は無き国に座していた太古の王族にしてマナリルの頂点。
唯一、戦場でその家名を冠する者に遭遇した際には自主判断での撤退を許可されていた異例中の異例。
生前に出会う事は無かったが……まさか亡霊となって出会うとは。そんな存在が相手ではこの結末も仕方ない。
むしろ、最後にマナリルの頂点と戦えたのは魔法使いとして誉れだろう。
『貴殿からすれば……私の、ような、魔法使いの名前は……どうでもよいでしょうが、名乗らせ、せていただきます……ガザスの、デラルト・ジャムジャ……』
「まぁ……本でお名前は拝見しておりますわ」
『本……? 私が……?』
「はい、三五〇年前にベラルタの奇襲部隊に所属していたと記録が残っております。マナリルにも残っているくらいですから、ガザスでも伝えられているのではないでしょうか?」
何だ……。とっくに私達の名前は刻まれていたのか……。
そう考えた瞬間、体が軽くなった。
……忘れられてなかったのか。
『ガザスは……祖国は、まだあるのですか……?』
「ええ、今はマナリルの友好国として同盟を結んでおりますわ」
力関係を考えれば恐らく属国のような扱いなのだろうが……それでも祖国の名が残っている事が嬉しかった。
ああ、なんだ……ありがとう祖国。正解だ祖国。
こんな少女の姿をした化け物がいる国と事を構える必要は無い。
『ありがとう……ミスティ殿……』
「いいえ……良い旅を」
少女からの手向けの言葉を貰い、私は消滅を決意する。
しばらくはこの街の中に閉じ込められたままだろうが……もう彷徨う必要は無いと感じた。
なにより祖国と同盟を結んでいる国の住民を傷つけるなど、それこそ祖国に顔向けが出来ぬというもの。
消滅を選ぶのは私にとって当然の選択だった。
少々恐怖はあるが、私を下した彼女が旅だと言うのなら、私もこの消滅は旅だと思う事に、しよう……。
「……」
魔法によって氷漬けにしていたデラルトの消滅をミスティは目の前で見届けた。
破壊した人造人形の残骸も同時に消えていく。
ミスティが戦ったのは黒いモヤの集合体。迷宮を彷徨い続けていた亡霊。
三五〇年前にベラルタを奇襲し、シャーフによって迷宮に閉じ込められて死んでいった魔法使いの一人だった。
ミノタウロスの能力によって人格を再生されたデラルトの亡霊はミスティに敗北し、ただの黒いモヤへと戻っていった。
望めばミノタウロスの能力によって再び現れる事も出来るだろうが……もう二度と現れる事は無いだろう。
ミスティはデラルトがいた場所を見上げてから一礼すると、背後にあるアルムと分断された壁に触れる。
「アルム……」
壁に触れた手の体温も、名前を呼ぶ声も、壁の先には届かない。
それでもミスティは憂慮と恋しさの混じった声で、名前を呼んだ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
暑くなってきましたね。皆様健康にはお気をつけて。