243.闇に浮かぶ余裕
「なに!?」
「アルム!」
「アルムくん!?」
第二寮前大通り。
学院に向かわず、ベラルタを覆う黒い天井を見上げて考察する生徒達から少し離れた場所にいたアルムの周囲が突如揺れた。
異変に気付いた時にはもう遅い。
揺れと同時に、大通りに敷かれた石畳からアルムの周囲に壁がせり上がる。
大通りを両断する二つの巨大な壁がアルムとミスティの間に出現し、互いに姿が見えなくなった。
アルムだけでなく、大通りを封鎖するように現れた巨大な壁はミスティを集まっていた生徒達からも離させた。
アルムの近くにいたグレースの声も壁の向こう側に消えていく。突如大通りを横断するような壁の出現に住民達も騒然としていた。
「アルム……!」
ミスティは壁に触れながら壁を見上げる。
壁の先から音は全く聞こえない。しかし、壁の高さは家一個分ほど。
「『流動の水面』!」
当然、魔法使いなら強化をかければ飛び越えられる高さだ。
ミスティは中位の魔法を唱えて水を纏うと、すぐに跳ぶ。
「……!?」
しかし、壁の頂点に届く前に何らかの力によってミスティは弾かれる。
「これは……!?」
何らかの力に弾かれて着地し、再び上を見上げるミスティ。
今ベラルタはミノタウロスの力によって迷宮――『シャーフの怪奇通路』と化している。
自立した魔法がもたらす不可能を強いる理。
迷宮の支配者であるミノタウロスが持つ迷宮の概念。
その二つが組み合わさり、ミスティの前にそびえ立つただの壁にも不可視の理が働いている。
――この時代の者は知る由も無い。
当時、世界改変系の中でも最弱とされたハイテレッタ家の血統魔法【空知らぬ旅】。
使用する魔力に見合わない、時間稼ぎしかできない血統魔法未満とまで揶揄されていた迷いの世界。
シャーフ・ハイテレッタが偶然"完全放出"を成功させなければ日の目など一生浴びなかったであろう希少魔法。
その魔法が今――名だたる家名が集うベラルタを混乱に陥れている。
魔法が誕生した原点。可能を不可能に変える力の一端を持って。
『殺せ……一人残らず……』
「!!」
『ベラルタの魔法使いを殺せ……我が国の勝利の為に……!』
そして魔法生命の力によって――その魔法は望まれない方向へと昇華する。
振り返るミスティの後ろには不自然に集まる黒いモヤ。
曖昧な人型だった彼らは互いを補い、一つの形へ。
かつて従っていた強者を再び蘇らせる為に魂を集結させていた。
「俺だけ分断されたのか……?」
一方、壁の向こう側ではアルムが前後の壁を観察している。
だが、自立した魔法によって独自の理が敷かれているとはいえ、壁自体はただの壁。
「破壊は……危険か……」
飛び越えるよりも破壊する案が先に出てくる辺り、少しは焦っているという事だろう。
アルムは一瞬、『光芒魔砲』を撃とうと考えるも、壁の先にいるであろうミスティやベラルタの住民達の事を考慮して自身の乱暴な案を取り下げる。
自覚している上に、以前友人にも指摘されている事だが、アルムの魔法は基本大雑把と言っていい。
魔法を使うアルム自身は繊細な魔力運用が出来るが、無属性魔法の"現実への影響力"を無理矢理上げるという戦法の都合上、細かな制御にまで気を回せないのだ。
本人の繊細な魔力運用は魔法の三工程を持続し続けるという技術に注がなければいけないため、魔法自体の制御が若干甘くなる。制御していないからこそ規格外の"現実への影響力"を出せる側面があるため、長所なのか短所なのかは一概には言えないのがまたアルムの使う無属性魔法らしい。
「ミスティの声もグレースの声も聞こえない……他の人の声も……魔法で遮られてるのか?」
一人分断されたというのに落ち着いているアルム。
街灯の光も遮られ、アルムのいる場所はほぼ暗闇だ。
しかし、この暗闇はアルムに違和感こそ与えるが恐怖は感じさせない。
(初めまして、アルム)
「……なんだ?」
壁を見つめて魔法を考察するアルムの頭上から声が降り注ぐ。
壁の先から聞こえるようにくぐもっているが、不思議と聞き取れる妙な感覚を覚える声。
アルムは真っ暗な天井を見上げるが、その先に何かいる気配はない。
隠れているのか。それともいないのか。
どっちでも同じか、とアルムは一先ず思考を置いておく。
(私は今ベラルタを拠点にしている魔法生命の宿主……二体の魔法生命を倒した君にだけは挨拶をしておきたくてね)
「アルムです。よろしく」
話の腰を折るようなわかりきった自己紹介。
空からの声は若干の苛立ちを覚えたのか少しの間だけ沈黙する。
(……君の名前は知っているよ)
「俺は名乗ったが……そちらは名乗らないのか?」
(流石に宿主だと特定されるにはまだリスクがある……この場はただの宿主という事にしておいてくれたまえ)
「そうか、挨拶しにきた割には随分一方的だな」
音が聞こえるなら舌打ちが聞こえてきたかもしれない。
声しか届けられぬとはいえ一方的な状況。
分断された壁と暗闇の中でもアルムは平静を保っている。
この余裕は何だ?
アルムはただ単純に感想を言葉にしただけに過ぎなかったのだが、宿主と名乗る声の主には少しばかり警戒を強めさせた。
(最初に言っておこう。君が出来る事は何も無い)
ゆえに本題を突きつける事にした。
(君の魔法はすでに把握している。【原初の巨神】や魔法生命をも破壊する魔力の砲撃……私達にとっては実に脅威だ、それを放たれれば私が宿している魔法生命も今のままでは生存は難しい。しかし……君はその魔法で罪の無い住民が傷ついても仕方ないと割り切れる性格ではない)
「む……それは確かにそうだな」
正直に頷いてしまうアルム。
確かに今しがたその可能性を考慮して魔法を使わなかったが、エルミラがこの場にいれば、何馬鹿正直に認めてんのよ、とはたかれる事だろう。
(そこで……私達は君への対抗策として放置を選ぶ事にした)
「放置?」
(そう。私の身に宿る魔法生命が君を蹂躙する力を持つまで、君をこの環境に放置する。街から恐怖を吸い上げ、この街にいる君以外の危険人物を全て葬り、彼が"完全体"になったその時に……私達は君にとどめを刺す。彼が支配する迷宮と暗闇によって疲弊した君をね。言うなれば最後のデザートというやつだ)
「なるほど……それで俺だけ隔離されたってわけか……」
(ああ、壁を破壊したければ魔法を使うといい……もっとも……その環境で住民を傷つけずに壁を破壊できるかは難しいだろうがね。破壊したとしても、こちらには次の壁をプレゼントする用意もできているから安心したまえ)
アルムに降り注ぐ声の目的は釘をさす事。
自らが宿す魔法生命の目的のため、そして自分の目的のため。
目的の一番の障害は魔法生命を二体葬ったこの少年である事は言うまでもない。
ただの平民、無属性魔法しか使えない、そんな評価は声の主にとっては無意味だ。少年の功績はそんなマイナスのレッテルで低く見ていいものではない。
少なくとも、彼には魔法生命を破壊する力がある。ならばその対策を講じるのは当然。
なにより……自らが宿す魔法生命にはそれが出来るだけの力があった。迷宮を操り、街の人間を疑似的に人質にしてこの少年を隔離する力が。
(つまり、君は何もできない。私が宿す魔法生命が完全体になった際には私も彼も姿を見せることになろうが……その時まで君はこの環境で満足な精神でいられるかな?)
「……」
(私からの挨拶はこんなところだ。それでは、ベラルタの全てが私達に下ったその時にまた会おう)
「一つ聞いてもいいか?」
(何かな? 挨拶のついでだ。答えてやろうじゃないか)
「危険人物ってのは誰の事を言ってるんだ?」
この状況でする質問にしては少しおかしな質問だと宿主は感じる。
そんな事を知って何になる?
(学院長オウグス・ラヴァーギュ、風の使い手ヴァン・アルベール、水属性の頂点カエシウス家の次女ミスティ・トランス・カエシウス……そして君の四人だ。困った事に私が宿す魔法生命は強者との戦いを求めていてね、私が教えたこの四人とはどうしても戦うらしい)
「……四人だけ?」
(ああ、私が調べた結果……私達の脅威になり得るのはこの四人だけだったからね)
そう、魔法生命に対抗し得る可能性があるのはこの四人だけ。
血統魔法が秘匿されており、底が見えないオウグス、その功績をマナリルに轟かせており、魔法生命との戦闘経験もあるヴァン、同じく魔法生命との戦闘経験があり、天才と評されるミスティ・トランス・カエシウス、そして魔法生命を二体撃破した天敵アルム。
宿主が調べた結果、魔法使いの卵が集うこの街でも、魔法生命に対抗できる実力を持っているのはこの四人だけだった。他は戦力をぶつけるまでもない者達ばかり。
「ふふ……」
(?)
だが――
「はははははははははははははは!!」
アルムは笑う。
黒い天井に届かんばかりの笑い声。
我慢できない、とばかりに続く笑いが宿主を苛立たせる。
(何だね?)
「いや、笑ってすまなかった……だけど嘗めすぎだよ、見知らぬ宿主。たった四人、たった四人か……はは、随分驕ってるな?」
黒い天井に向かって笑いをかみ殺すような笑いを向ける。
宿主にはアルムの言葉の意味がわからなかった。
自分の調査に間違いは無い。
自分は公開されている記録を閲覧できる権限を持っている。それどころか、以前に魔法生命が関わった事件に関する情報までもが流れてくる立ち位置なのだ。
何が驕っているというのか。
わかったような口を利く少年に募るのは苛立ちだった。
別の状況で遭遇する時、この少年は素直で、無害な、少し表情が無愛想なだけの生徒だったのに。
「俺が忠告するというのも変な話だが……忠告しておこう見知らぬ宿主。あんたの言う危険人物は絶対に四人でおさまらない。少なくとも、あんたはこの事態に動いてる人間は全員マークするべきだったんだ」
"その忠告……ありがたく受け取っておくとするよ"
はったりかそれとも負け惜しみというやつだろう。
最後の質問の結果がこの会話ならこれ以上は時間の無駄というものだろう。
てきとうな返事を返して、自分がやるべき障害の排除のために、接触を終わろうとしたその時。
「俺を警戒するなら……せめてもう一人、危険人物として数えておくべきだったな」
暗闇の中で、アルムは笑みを浮かべる。
「調べたのなら知らないはずないだろう?
ルクス・オルリック――あいつは俺と引き分けた男だぞ」
戯言を。
あれは四大の家名を持つがまだ卵――未熟な少年など脅威足り得ない。
知っていて当然。あの決闘は引き分けでは無く敗北だった事も。
嘲るようにアルムを笑って、宿主は完全にアルムとの接触を断った。
いつも読んでくださってありがとうございます。
珍しい時間の更新ですが読んでやってください。