242.道化師
「本当に私の魔法ってばれてないのかねぇ……」
牛頭人身の怪物ミノタウロスを前にしてオウグスはぼやく。
国に秘匿するように命令を受けている自身の血統魔法。見せていいのは王族と殺す者と死ぬ相手だけ。
だが、秘匿されているからといって決して万能なわけではない。オウグスの魔法が秘匿されているその理由はどんな属性、魔法を扱う相手でも平等に対抗できる切り札ではあるが、"現実への影響力"が及ばない相手や魔法以外に対しては一切の効果が無い特徴がある。
ため息をつきながらオウグスは怪物の巨躯を見上げる。
【原初の巨神】の時といい、目の前の怪物といい……何故ベラルタを襲う魔法生命は巨大で、絶大で、苛立たしいまでに人を見下しているのだろうか。
「こちらに避難を!」
「急いで!」
憲兵はオウグスの指示に従い、周囲の住民に声をかけ避難を促す。
「ひっ……ひっ……!」
「掴まって!」
避難する住民の中にはミノタウロスの姿を見て腰を抜かすものもいるが、ベラルタの住民は助け合いながらこの場を離れていく。
子供にミノタウロスを見せないように抱く母親に老婆を背負う青年、嘶く馬を宥める御者まで、住民はミノタウロスの姿を見ながらも恐怖で立ち止まる者は少ない。
『よい街だ』
「そうだろう?」
何故か、ミノタウロスはその避難を少しの間待っていたが、避難が終わるまで待つというわけではないらしい。
住民を眺めていたその瞳がミノタウロスの正面にいるオウグスを捉えた。
「こちらとしてはありがたいが……住民を逃がしていいのかい? 君達魔法生命は人を食べるって話を聞いたんだけどねぇ?」
『否定はしないが、優先順位というものがある。それにこの者達はいずれ我が身を信仰するやもせぬ者達……徒に命を奪おうとは思わぬ』
人を食べる事は否定しないのかと、改めて魔法生命の危険度を認識するオウグス。
オウグス自体、魔法生命は初見ではあるがアルムやシラツユからの報告によって情報は仕入れている。
だが……やはり目の前にすると威圧感というものが違う。
存在そのものが鬼胎属性の魔力であるがゆえに、相対しているだけで恐怖を煽る。
逃げるならまだしも、未熟な魔法使いならばこうして真正面から立ち向かうのも難しかろう。
『とはいえ……巻き込まぬようにする理由も無い。我が身の目的は神に至る事。そのためにもまずは我が身の敵となる存在、我が身の英傑になり得る者をこの手で屠らねばならぬからな』
オウグスの姿を見据えながらも堂々とした殺害予告。
ミノタウロスが両手斧を掲げた。
自立した魔法にも似た理不尽な存在が今動く――!
『おおおおおお!!』
雄叫びと共に振り下ろされる一撃。
オウグスは大袈裟なほど後ろに繰り返し跳んでそれを躱す。
距離で言えば十メートル程。
だが、その一撃がもたらす破壊力を見ればオウグスの判断は正しかったと誰もが頷く事だう。
その一撃はただミノタウロスの膂力によって振るわれた。
地響きのような轟音。振るわれた両手斧によって石畳は硝子のように破壊され、周囲には石畳が破壊された事によって散った石礫が周囲の壁に突き刺さる。
その光景を目の前にしてふと、子供に蹂躙される蟻を想起した。
「んふふふ、私とした事が縁起でもない」
そう、この怪物の前では自分は蟻。
想起した映像を見てオウグスは自嘲する。
「さて、もうすでにおかしな状況だねぇ……」
敷かれた石畳を破壊するほどの轟音。石礫が壁にぶつかる衝撃。あっさりと砕け散る窓。
この怪物はたった一撃で周囲の街並みを破壊した。
だが、怪物がもたらしたその破壊の痕跡が徐々に戻っていく。
破壊された瞬間から現れた奇怪な紋様が破壊された箇所を這いまわり、まるでそうなるのが当たり前ように石礫は石畳に、割れた窓はひび一つ無い姿に。
街の景観は通りに刺さる両手斧以外の全てが元に戻っていた。
一体これはなんだ――?
『周囲が気になるか。道化師よ』
石畳の下に突き刺さった両手斧を持ち上げながらミノタウロスはオウグスに語りかける。
怪物が巨大であれば武器である両手斧も巨大。
振り回すだけで周囲の家屋を瓦礫に変えられそうだが、そんな隙ある事をするはずもなく、ミノタウロスはオウグスに語りかけながらも隙の無い構えを見せる。
両手斧が通りから離れた瞬間、その箇所にもまた奇怪な紋様が這いまわり、これにて周囲は見事――ミノタウロスが一撃を振るう前の状態に戻っていた。
『改めて自己紹介しよう。我が身の名はミノタウロス。全ての迷宮を支配する者。この街の地下に存在する迷宮を掌握し、我が身の力を持ってこの街をその迷宮に変貌させてもらった』
「おいおい……魔法生命ってのはみんなこんな滅茶苦茶なのかい……?」
口ぶりからして迷宮と言う条件はつくのだろうが、自立した魔法を支配するなど聞いた事が無い。
自立した魔法はいわば世界の片隅に生まれる独自の理。核と本体を破壊する以外に事態を収束させる手段の無い一種の災害。魔法使いの三つの役割の中で唯一、被害が無ければ放置を選ぶほうが平和なケースのある障害だ。
本来、破壊ですら容易ではない。ましてやそれを掌握するなどと!
しかし……この元に戻った街並みこそが怪物の言葉が真実である証明。
この場が自立した魔法――『シャーフの怪奇通路』と変貌しているのならば周囲が再生したのも納得がいく。
自立した魔法は、核を破壊しない限り再生する。
何よりここはベラルタ魔法学院。魔法使いが多数集まるこの地は勿論、地下に霊脈が存在する。自立した魔法が再生するための魔力など一瞬で吸い上げる事が出来るだろう。
(打開策が無さすぎるねぇ……)
オウグスは当然諦めたわけではないが、知識がそう結論付けざるを得ない。
この街が迷宮に変貌したというのなら、その性質も当然この街に反映されているという事だろう。
それはつまり……街を出るには『シャーフの怪奇通路』を攻略しろという事。
入れば終わりと評される魔法迷宮。
核の捜査すら不可能と放置せざるを得なかった自立した魔法を今更どう攻略しろというのか。
住民の避難すら満足にできない状況と知ってオウグスは内心で呪詛を吐く。
状況を打開するための方法は二つ。
『シャーフの怪奇通路』の核を破壊するか、ミノタウロスを正面から倒すかだ。
『文句であればこの迷宮を作り上げた使い手に言うがいい。もっとも……使い手の記録だけは我が身でも読み取れなかったがな』
「記録を読み取る……やっぱあの亡霊も君の仕業ってことかなぁ?」
『無論。我が身は迷宮の支配者……迷宮を彷徨う魂など支配出来て当然。この街の恐怖を糧とするため、夜は亡霊共を蔓延らせた。亡霊共は命を奪わずとも精気を削ぐ……恐怖を抱くには充分過ぎる存在だ』
オウグスはマリツィアの推測を思い出す。
答え合わせをしてみればやはりあの推測は正しかったという事か。
ならば流石にマリツィアが宿主という事は無いだろう。いくら魔法生命の力が絶大といっても、あの時点でわざわざ手の内を晒す理由があるとは思えない。
「んふ……んふふふふふふ!」
自分の持つ情報と手札ではどうしようもできない状況。
あまりに役に立たない自分に笑いがこみ上げるオウグス。
この私が。この僕が。
まさか魔法使いとして役に立たない状況になるなど自分を知る連中は思いもしなかっただろう。
こんな感覚は何十年ぶりだろうか。
いつまで経っても魔法が使えるようにならなかった子供時代をオウグスは思い出す。
練習というやれる事をするしか無かった日々。手応えの感じられない毎日を周囲と比べて子供ながらに思った。
ああ――自分は何て滑稽なんだろうと。
「しかし! 元を辿ればそれがラヴァーギュ家の原点! んふふふふ!」
飼われていながら野良犬のように泥臭く。
高価な服を纏っても滑稽に。
笑われて愚者となり。
そして――王の隣に相応しき役割を。
それこそ宮廷道化師の家系を元にするラヴァーギュ家の誇り。
必要が無いからこそ、やれる事だってある。
元宮廷魔法使い、ベラルタ魔法学院学院長。
そんな肩書を忘れ、オウグスは情けない大人への階段を駆け下る気でプライドを捨てる。
『気でも触れたか? ……いや』
「初心に戻らせてくれてありがとう。お礼に見せよう……さあ、曲芸の時間だ。僕の魔法をとくとご覧あれ」
笑いの仮面を浮かべ、動きに無駄を織り交ぜ、思考は常に最適解を。
目の前の観客のためにオウグスは舞う。
さあ、無駄で情けない……大人の時間の始まりだ。
「『愚かで賢い道化師』」
『む……?』
唱えたオウグスの隣にオウグスのシルエットが現れた。
影のように全身黒塗りで、意味の無い動きを繰り返す魔法の分身。
オウグスが笑みを浮かべながらミノタウロスを見据えているにも関わらず、隣の分身はじっとしていられないのかと文句をつけたくなるような動きを繰り返す。
あれが分身だとすれば果たして意味があるのかと、苦言を呈したくなるような不出来な身代わりがオウグスの隣に現れる。
しっかりと本体からも分身からも伸びている影がちゃんと実体があるとアピールしているようだった。
「さあさあ、先の見えない愚行の時間だ。この街のトップがやれる最善の手段が人頼みとは……うーん、最高に最低だ。たまらなく情けない」
そう、オウグスのやれる事は事態が好転するまでこの怪物と戦う事のみ。
ベラルタに住む住民の一時的な安全のため、この事態を解決しようと奔走する者達の動きを邪魔させないため、この街を指揮する役割を捨て、ただの魔法使いとして魔法生命と対峙する。
この魔法生命を倒せる可能性のある者の到着、宿主の撃破、自立した魔法の核の破壊――なんだっていい。
オウグスの頭に浮かぶは魔法生命の存在を知る一人の部下と数人の生徒の顔。
彼らの能力と功績ならば必ず状況を好転させると信じて道化師は怪物と対峙する。
怪物と対峙する道化師。あからさまな前座の構図にオウグスはほくそ笑む。
主役のキャスティングが誰かすらもわからない無鉄砲な劇の開幕。
人頼みの別の言い方が信頼なのだと気付くには、彼は色々な汚れを知る大人になりすぎていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
八月中には四部は終わらせる事が出来そうです。