239.出口無き地
「そっちに一体いるぞ!」
「はい!」
「路地に一体おります!」
「おう」
夜明け間近のベラルタの街。
夜の時間の間現れるようになった黒いモヤ、亡霊を憲兵達は剣を振るいかき消していく。
当初は得体の知れない存在に憲兵達も迂闊に手を出す事が出来なかったが、見える者なら魔法以外でも対処できるとわかってからは怖気づく事無く蔓延る亡霊を薙ぎ払う事が出来ていた。
こうして巡回ルートにいる亡霊相手に対処するのも慣れてきた頃だ。
「絶対に一人では追うなよ。君達の仕事はこのモヤの対処じゃない。あくまで街の警備だからね」
「了解です!」
全体を見ながら憲兵達に指示を飛ばすオウグス。
憲兵達が臆さず亡霊を対処できるのはこの男の存在も大きい。無論、油断しているわけではないが、国に名前を轟かせる魔法使いが後ろに控えているという安心感は気味の悪い存在への嫌悪感に勝る。
オウグスを中心に闊歩する巡回チームは今日も夜明けまで街を見回りながら宿主――憲兵にとっては敵の魔法使いという認識だが――を捜索している。
たとえ宿主が見つからずとも、何かしらの被害を抑制できているのならそれだけで意味はあると信じて。
(そろそろ始まっているかな……)
夜明けとともに行われるベネッタの移送はヴァンが担当する事となった。
黒いモヤが消え始める今頃はエルミラと合流して病院から移送の準備が行われている事だろう。
あと数分もすれば空が白む。夜明け前になると亡霊も再生しなくなるので比較的安全と言える時間と言える。
エルミラから頼まれていたお願いも学院の終わり際に仕掛け済み。
仕掛けが機能した時、教師陣に敵がいるという事になるが、今日まで探していた宿主か宿主への手掛かりを見つけられるという事でもある。
オウグスにとっては複雑だ。仕掛けが機能すれば事件は解決に進むが、それは仲間だと思っていた人間が敵である事にもなるのだから。
「直に夜明けだ。みんな今日もご苦労。交代したらすぐに休息をとれ」
だが、たとえ身内に敵がいたとしてもそれでこの事件が解決するなら安いものだ。
巡回する憲兵達は昼夜で交代しているとはいえ、未知の存在相手に少なからず精神を擦り減らしており、顔には疲労が色濃く出ている。
ただ毎夜巡回するだけならば鍛えている憲兵達がここまで疲弊することはないだろう。
「オウグス様は大丈夫なのですか? 学院と夜の巡回をかかさずなど……」
「ああ、王都からの伝令でそろそろ宮廷魔法使いが応援に来るからそれまでの辛抱さ。それに、学院ではちょこちょこサボらしてもらってるからね。学院長ってのは案外暇なもんさ。おっと……生徒には内緒にしてくれたまえよ?」
「はははは! 流石オウグス殿、抜け目ありませんな!」
心配してきた憲兵の一人におどけた様子でオウグスがそう言うと、巡回チームには笑いが起きる。
無論、仮眠の時間こそとってはいるが、サボる時間などあるはずがない。暇なわけがない。そんな事は学院での仕事を知らない憲兵達だってわかっている。
それでも気を張っている今だからこそ、オウグスが率先して作った笑っていい時間にノるのが正解なのだ。
「ははは! ……オウグス殿」
「ん? なんだ――」
憲兵内での隊長にあたる人物の笑いが止み、険しい声色でオウグスの名前を呼びながら足を止める。
その理由はオウグスにもすぐにわかった。
光を発する魔石の街灯の下。
オウグス達が亡霊と呼ぶ黒いモヤが立っていた。
(……なんだ?)
釣られて止まったオウグスは妙な気配をその亡霊から感じる。
他の亡霊は人間を求めるように動いているのに……その黒いモヤはただ立っているだけだった。誘蛾灯の集まる虫のようにそこから動かない。
そして何より不気味なのは、夜明けが近く、他の黒いモヤを見かけなくなり始めたというのに、今になってただ一体だけがそこに残っている事。
今まで遭遇した亡霊が人の形をしただけのモヤならば、街灯の下に立つその亡霊はまるで黒いモヤを装った人間に思える。
「オウグス殿、私が……」
「いや、あれは僕がやろう」
「お、オウグス殿が?」
経験から来る予感がオウグスを憲兵達の前に出させる。
ここ数日の巡回中、オウグスは不測の事態に備えて魔力を温存している。そのオウグスがやるという事はあの亡霊は不測の事態だというのだろうかと憲兵達に緊張が走った。
街灯の下に立つ亡霊――黒いモヤに一体何の違いを感じたのか。
動き? 形? オウグスの後ろで亡霊を見る憲兵には今まで散らしてきた黒いモヤと同じに見える。
しかし、どれだけ同じに見えたとしても優先されるはオウグスの第六感。
オウグスは王の側近を務めた事もある歴戦の魔法使い。根拠が勘であったとしても彼が異変を感じるならばそれは充分に異変と断ずる理由となる。
『見つ……た……』
「!!」
街灯の下に立つ亡霊の、人で言えば手に当たる部分が動く。
その手はオウグスを指差すように向けられていた。
『……マナ……使いを…………』
ただそれだけでその亡霊は他の亡霊と同じように霧散していく。攻撃もせず消えたという事は夜明けが来たという事だろう。オウグスが手を下す事も無く、街灯の下から亡霊は消えていった。
今、魔石の街灯の下にはただベラルタの街並みが広がっている。
だが、やはり思う所があるのか亡霊が消えた街灯の下をオウグスはじっと見つめ続けていた。
「声が……だからといって何を意味するんだろうねぇ……?」
気になるのは声。
その声は今まで対処してきた亡霊とは違い、クリアだった。今まで言葉にもならぬ呻き声しか聞いてこなかったというのに、何か言葉を紡ごうとしていたような気配を感じる。
指を指されたような動きをされたが、オウグスの体に特に変化が起きた様子はない。
一体今のは何だったのか?
(変化しているのか? それとも……)
考えた所で答えは出ない。
しかし、心に留めておくべき出来事だろう。
この三日変化の無かった亡霊に起きた初めての変化だ。
もう夜明けだ。学院に戻ったら――
「お、オウグス殿……」
「今度は……。……?」
「これは……朝日を拝めそうになさそうですぞ……」
思考の途中で呼び掛けられ、オウグスは声をかけてきた隊長のほうに目をやる。しかし、隊長はオウグスのほうを見ておらず、何かを諦めたような表情で上を向いていた。
他の憲兵達を見れば、憲兵達も上を見上げている。
そんなに朝が待ち遠しかったのかと、オウグスも視線が上を向いた。
「おいおい……冗談はやめてくれたまえ……」
何故気付かなかった?
それとも今こうなったのか?
空を見上げたオウグスは苦笑いを浮かべる。
そこには灰色の雲も無く、眩しい朝も無く、そして広がる空も無い。
あるのはただ黒一色のみ。
いつの間にか、空を拒むような黒い天蓋がベラルタを覆っていた。
「た、隊長! オウグス殿!」
「エンケル!」
上の光景に驚いていたも束の間、東の城門の警備をしていたはずの憲兵が息を荒げながら走ってきている。
急いで報告すべき事があったという事だろう。確かに見上げた光景は急いで報告すべき事案だ。
「この空……空といっていいのかわからんがこの件だろう? 私達も今気づいた所だ」
「違います! いえ、この空も異常と言えば異常なのですが!」
「これでなければ何だ? これ以上のトラブルがあるか?」
「はい!」
空が見えなくなる以上のトラブルとは?
断言するエンケルに顔を見合わせる憲兵達。
彼ら全員に疑問が湧き上がる前にエンケルは報告すべき異常を口にする。
「城門に突如謎の壁が出現……ベラルタが、ベラルタが封鎖されました!!」
「な、なんだと!?」
報告を受けた隊長を始め、巡回チームの憲兵達に広がる動揺。そして閉じ込められた恐怖。
エンケルの報告で、オウグスの頭には数日前に聞かされた言葉が蘇る。
"ここに住む人々全てに恐怖を抱かせようとしてるんだ。ベラルタを恐怖の餌場にする為に"
「アルム……君、鋭いねぇ……」
苦い顔で、生徒の慧眼に賞賛を贈るオウグス。
家畜を逃がす農家などいるはずがない。
餌場を管理しない管理者がいるはずもない。
魔法生命が主に持つ鬼胎属性は人間の生み出す恐怖で増幅される。
恐怖を生み出す人間を閉じ込めるのは余りに理に適っているといっていい。
「狼狽えるな! まずは他の城門の状況も確認する! 悪いが、もう少し働いてもらう必要がありそうだ」
憲兵達に指示を出しながらもオウグスは悟る。
今この時からが、ベラルタを恐怖に陥れんとする魔法生命との戦いの本番だという事に。
【異界伝承】
それは空耳だったか。
重く、地底から響くような声が聞こえる気がした。
何処かで、呪いの産声が上がる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
もう少しです。頑張ります。