236.重なる言葉
ルクスは制服のまま、シャーフはトルニアから借りていた服に着替えて街へと出た。監視はされているものの、拘束はされていないので病院に許可をとるだけでスムーズな外出だ。
病院の外に出るとシャーフは気持ちよさそうに体を伸ばすも、見上げると分厚い雲が目に入る。
生憎と、買い物日和とは言えない天気がベラルタでは続いている。
「んー……外に出たのは久しぶりですねー」
「三日くらい病院にいましたからね」
「あはは。私、怪しいですからね」
「いや、急に憲兵を見て震え出したからですよ……」
「あ、そうでした……」
久しぶりの外出で浮かれているのか、外に出なかったきっかけを忘れる事にシャーフは照れるように頬をかく。
「ささ、ルクス様急ぎましょ」
「っと、どこに行くんです?」
そんなシャーフに手を引かれ、ルクスは歩き出す。
シャーフの歩く先は一度お菓子を買ったあのパン屋の方向ではなかった。
先に歩き出したかと思えば、シャーフはすぐにルクスの横に付く。
「ルクス様の普段行ってるお店を案内して下さいよ、前は私の自由で歩きましたから」
「お菓子を買いに行くという話では?」
「お菓子だけ買いに行く必要も無いでしょう?」
それもそうか、とルクスは妙に納得してシャーフの一歩先を歩き出す。
シャーフはそんな背中に目を細めて微笑みながら、一歩後ろを幸せそうに歩き出す。
「……意外に、普通なんだな」
まるで久しぶりに見たかのような呟きをしたのはルクスだった。
病院から歩き、大通りに出ると普段アルム達と過ごすのと何ら変わりない光景が二人を待っていた。
「この時間になると安いわね」
「あの黒いのせいでお客さんが帰る時間も早くなりましたからね」
「はぁー疲れたー!」
「浴場寄ってくか?」
「酒場行く時間無くなるから今日は無し!」
三日前から正体不明の黒いモヤが夜に跋扈するようになったというのに、ベラルタの住民に暗い雰囲気は無く、いつも通りの日常を過ごしている。一部からは黒いモヤに対しての愚痴が聞こえてくるが、それは未知の存在に対する恐怖によるものではない。
慣れたのだろうか?
ルクスはつい首を振る。いくらなんでもそんなはずはない。あの黒いモヤは魔法だと発表されているはず。この街は魔法使いの卵のためにと人々が過ごしている街。魔法の脅威を最も知ると言っていい街の一つが、魔法の矛先を向けられて慣れるなんて事があるはずが無い。
「ルクス様。行きましょう?」
「え、ええ……」
大通りを少し歩いても住民達の様子は変わらない。
生徒も少し歩いているが、生徒に関わる住民達もまたいつも通りだ。
「ルクス様はよく行かれる店は無いのですか?」
シャーフはゆっくりゆっくりと嬉しそうに街を歩きながらルクスに尋ねる。
「ええ、行きつけのお店と言えるようなお店は無いですね……」
「もうすぐここに来て一年になるって話していませんでしたか?」
「そうですけど、僕のというよりは……みんなのという感じなんです。学院が終わった後は頻繁にミスティ殿の家に招待されて、自分達で買った食材を使用人の方に料理を作って頂いたり、第二寮の共有スペースを借りてお茶会したりといった感じで」
「仲がいいんですね」
「……多分、そうなんだと思います」
「それなら、自由に歩きましょうか」
自由にベラルタを散歩する。最初にやったようにただそれだけの時間が少し続いた。
普段であればルクスもエスコートをするのだろうが、シャーフの歩みはそれを望まないようにゆっくりだった。
時折、昼でも見回りをする憲兵とすれ違い、縋るようにシャーフがルクスの服の裾を掴むような事もあったが、ルクスの戻りましょうという提案にもシャーフは首を横に振った。
「あ、これ可愛いですね」
「入りますか?」
「はい!」
ゆっくり歩いていたと思えば、時折目に止まった店に惹かれて立ち止まるシャーフ。
入る店は家具や装飾品、服など、当初の理由である紅茶に合うお菓子とは関係ない。
しかし、今は自由に歩く時間。当初の目的に縛られるなど自由とは程遠い。
ルクスもまた入る事を提案し、シャーフはそれを受け入れてルクスの後に続いて店に入って行った。
「これは西部の木材を使っていて、私がデザインしました」
「すごい! うう、自分の部屋があれば……まずお金が無いですけど……」
シャーフは商品を一通り眺めると、決まって店員に商品の事と店員自身の事を聞いて話すを繰り返していた。
家具屋の店主兼デザイナーは自身の商品を誇らしげに語る。
「妻にこのイヤリング見せたら好評でつい多めに在庫を……」
「もしかして私今惚気られてます?」
装飾品の店では店主の妻が気に入った商品を多く注文しすぎてしまった話を。
「娘さん可愛いですか?」
「ええ、そりゃもう……だけど、やんちゃなのよね。手がかかるっていうの? 産んだ時は女の子だからもうちょっと大人しくなると思ったんだけど全然ね」
「あはは! 女の子だってやんちゃですよ。子供ですから」
「ほんと……あら、美人だとやっぱ帽子も似合うわね」
「美人だなんてそんな……あ、ルクス様どうです? 似合います?」
帽子屋では店主の娘さんの話を聞いていた。
入る店はこれで何件目になるだろうか。
シャーフは店主の女性と話しながらニット帽を試着するとルクスに見せてきた。その表情は雑談と買い物を楽しむ普通の女性そのもの。
楽しそうにするシャーフに水を差すようで気は引けたが、外を見てからルクスは伝えなければいけない事を伝える。
「似合っていますけど、シャーフさん……そろそろ菓子のほうを買いに行かないと戻る時間が無くなります」
「あ、そうでした!」
忘れてたんですね、と少し呆れるルクスを他所にシャーフは店員に頭を下げる。
「冷やかしみたいになってごめんなさい」
「いえいえ、またのお越しをお待ちしてますよ。今度は娘がいる時にいらしてね」
「ありがとうございます……でも、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
店主の声に寂しそうにそう答えると、シャーフはニット帽を返してルクスとともに店を出た。
店を出ると、病院を出た頃よりも暗くなっていて、すでに照明用の魔石が輝き始めていた。とはいっても、まだ夜には時間がある。大通りはすでに人が少なくなっていたが、黒いモヤの姿はまだ無い。
「……こうやって、街の人達とお話しするのが趣味だったんです」
ぽつり。
大通りから逸れてとある路地に入ると、シャーフはそう呟いた。
ルクスがシャーフのほうに目をやるとシャーフは続ける。
「みんなには庶民貴族やら平民貴族やら言われていたんですよ。貴族っぽくないとかも言われて、私がドレスなんか着てると街の人達が珍しそうに見るんです。あんた本当に貴族だったんだな、とか言われちゃって。ひどくありませんか?」
「それほど、シャーフさんが身近だったんですよ。少なくともシャーフさんにとってはいい事だったんじゃないですか?」
「あはは。実は言うと嬉しかったりしました」
ルクスにはわからない感覚。しかし、それでもシャーフの表情は雄弁に語る。
その時間が幸せだったのだと、先程立ち寄った店の人達と同じ顔をしていたから。
「懐かしいなあ……」
シャーフは俯く。
「懐かしいって……思っちゃったんですよね……」
「……!」
呟くようなシャーフの声に遅れてルクスもその意味に気付いた。
懐かしい。それは過去に心が惹かれるゆえに起こる感情の動き。
それは心地のいい記憶の再生。自分が生きてきた道を感じ、自分の立つ場所を見つめる時間。
だが、三五〇年後の世界を見た彼女にとっての意味とは?
彼女は生きてきた道を思い出すには遠すぎる空白を現実に見た。
路地を抜けて人通りの多い場所へと抜ける。
ベラルタを歩く人々は夜に向けて帰宅していた。
変わっていないと思っていた街並みは記憶の中と違っていて、その誰もがシャーフの見知った顔では無い。
見知らぬ故郷を眺めながら、シャーフは確かな事実を口にする。
「あーあ……ちょっと認めたくなかったんですけど……私、死んでるんですね。本当に、死んでるんですね」
それは最初にベラルタを散策した時には認めたくなかった事実。
何故外に出なかったのか。憲兵を見て何かに恐怖したからでも、自分が怪しい人物だったからでもない。
シャーフは単純に、自分が死んでいるという事実から目を逸らしてただけだった。
腰に手を当てて、納得したように頷くシャーフ。
ルクスはそんなシャーフを横目に見ることしかできない。
「でも、よかったです」
「え?」
「だって、死んだって事は私は逃げる事無く、この街の為に戦えたって証明ですから」
「――――」
自分を死者と自覚して尚、後悔の無い表情。
横目に見るシャーフの清々しい顔に、ルクスは絶句した。
つい生唾を呑み込む。
どうして重なるのか。
似ていない。似ていないのに。
そう――似ていないはずなのに。
「……後悔、していませんか?」
だから、似ていないと証明する為に――ルクスは同じ質問を投げかけた。
何て後ろ向きな理由なんだろうと、自分でも恥ずかしくなる。
「後悔ですか?」
「逃げていれば……ハイテレッタ家は滅びなかったかも。今でもあなたの家名はあったかもしれません。それでも……後悔していませんか?」
侮辱のような前提を持ち出して何を聞いているんだと、ルクスは問いながら思う。
けれど、彼は投げかけるしかなかった。
かつて、大切な人にしたのとは真逆のようで同じ質問を。
「していません」
シャーフは断言する。その声と表情に迷いなく。
「逃げていれば……もっと、別の何かを守れていたとしても?」
「……水底まで煌く湖」
ルクスの問いに、シャーフは道行く人を眺め続けながらそう言った。
子供連れ親子に夫婦、友人同士に同僚、親が待つ家に走る子供――その誰もが今、生きてこの街で暮らしている。
細部は違えど、シャーフが生きていた時のような街並みの中で。
「花の色彩溢れる山、夜も輝く黄金の都、ワインが出る泉に永久に減らないお菓子の町。海底にある綺麗な珊瑚に囲まれた人魚の国――何があったかわからない私の未来」
シャーフは道行く人々から横に立つルクスに視線を移す。
そこに立つのは自分の後輩。ベラルタ魔法学院の制服を着た魔法使いの卵。
この国を、この街を守る――人々を守る超越者。
「幻想よりも家名よりも、そして私自身の未来よりも、私はあの時――この街の今を守りたかったんです。たとえ、ガザスに占領されたベラルタをマナリルが楽々取り返すことができていたとしても、私が命を懸けて守った意味なんて無かったのだとしても、後悔はありません。私はこの街が好きで、私のためにこの街を守りたかった。ここは……私の"故郷"ですから」
たとえ思い出した記憶と今立つ自分の間に何も無い空白があったとしても、彼女は断言する。
あの時の自分の選択は間違っていなかった。後悔など無かったと。ここは自分の故郷だからとシャーフは語る。
「故郷……」
大切な人は逃げてきた。隣にいる人は逃げなかった。
それでも、後悔は無いと言い切る表情は全く同じものだった。
――ああ、何て当たり前の事に気付かなかったのだろう。
シャーフ・ハイテレッタ。この人は怪しい人でも、倒れていた被害者でも無くて……紛れも無い魔法使いだったのだ。
「そう……なんですね」
「あ、えっと……生意気言ってごめんなさい。何がどうなってるのかはわかりませんが、死んだのにこうやって守れたかどうかわかったから偉そうに言えるだけなのかもですけど……」
少し照れがちに、シャーフは頬をかく。
「……死んだ母が、同じような事を言っていました」
「え?」
「自分のやってきた事に、後悔は無いと」
「ルクス様……?」
「迷いなく言い切れるのが、羨ましかった」
迷いなく言い切れる眩しさを前に寂寥感を覚えながらもルクスは前に歩き出す。
「さあ、急ぎましょう。早く買わないと夜になってしまいますから」
「……はい」
そんなルクスについていくように、シャーフもまた歩き出した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
減っていく可能性もありますが、先程ブックマーク7000件に到達していた事を確認しました!ありがとうございます!
いつも読んでくださる方に支えられてこの作品は続いております。これからも白の平民魔法使いをよろしくお願い致します。