235.夜になる前に
「タイミングを見計らってとは言ったけど、立て込んでいる時こそ、こういうのは早いほうがいい。今日の夜明けに黒いモヤが消えたら病院に向かって、住民が起き出す前に移送を終わらせようと思ってるが……大丈夫かい? ついてくるのだとすれば早い時間帯になるが」
「うん、大丈夫……」
「はい、問題ありませんわ」
図書館を後にしたミスティとエルミラはヴァンに学院長室に連れてこられ、ベネッタの移送についての段取りを確認していた。
ヴァンと同じく疲労が顔に出始めているオウグスを珍しく思いながらも二人は頷く。
「病院のほうには夜の内に話を通しておく。頃合いになったら病院に来たまえよ。まぁ、君達が来ないからといって移送を遅らせる気はないけどね。念のため移送には私が付き添う事にするから安心したまえ。じゃ、話は終わり。日が落ちる前に帰るといい。とはいっても……こう連日曇っていると日が落ちる時間もあやふやになるがね」
オウグスは窓の外を見ながらあくびをする。
空を覆う灰色を確認したと思うと、そのままカーテンを閉めた。確かに、開けていても仕方ない天気ではある。
「それでは失礼致します」
そんなオウグスに頭を下げ、ミスティは扉のほうに振り返るが。
「エルミラ?」
「……」
エルミラは何故か学院長の机の前に立ったままだった。
少し俯いているミスティが声をかけるが黙ったままで、かといって呆けているようにも見えない。
「どうした? エルミラ?」
「んあ? 何かあるのかい?」
「……」
エルミラの表情には少しの迷いがあった。
ここ数日幾度と感じた違和感。そしてむかつく女からの忠告。
その二つはエルミラに一つの可能性を示唆させた。
その可能性は盲目だった自分に差した光だったのか暗闇だったのか。しかし、おいそれと言っていい事ではない事くらいは誰でもわかる。
「その、ミスティ……私もう少し話あるから先行っててくれない?」
「話?」
だから、間違った時にせめて友人を巻き込まぬようにとエルミラは思った。
これ以上何か話す事があるのかと、オウグスとヴァンは怪訝な表情を浮かべる。
「……わかりました」
エルミラの様子から自分に聞かれたくない事だと察してミスティはオウグスとヴァンに頭を下げると部屋を出ていった。
ミスティが部屋を出ると、オウグスは机に肘をつき、身を乗り出すようにする。エルミラの様子が変なのは気付いている。話しやすいよう表情をにこやかにしていのは貴族めいた癖といえよう。
「それで、話ってなにかな?」
「その……今回のベネッタ移送の話って誰に伝わ、りますか?」
「ん?」
普段とは口調が違うエルミラに疑問を抱くオウグスとヴァン。普段は没落していても、同じ貴族として対等に立とうという気概が感じられる物怖じしない口調なのだが。心なしか歯切れも悪い。
二人は顔を見合わせるが、神妙なエルミラの様子からその点には触れること無く、ただ疑問に答える事にする。
「生徒の中では魔法生命の事を知ってる君達、君にミスティ、ルクスにアルム……後はフロリアとネロエラにも伝える事になるだろうね。後は今学院にいる教師達だ。ヴァンにシャボリーとログラ……後は平民だとベネッタを担当しているリリアンくらいかな?」
「やっぱり、教師には伝わるわよね……」
「急にどうしたんだい? 今言った通り、伝えるのは最低限の――」
俯き気味のエルミラの表情とその呟きで理解するのは充分だった。
オウグスの表情からにこやかなものは消え、真剣なものへと変わる。
「ヴァン。勤務記録」
「はい」
ヴァンもエルミラが何を言いたいのか気付いたのか、オウグスの指示に聞き返す事無く、棚のほうから書類を引っ張り出す。
「確か……片方は五年前に長期休暇をとってガザスに行ってた事があったね」
「はい、半年以上向こうに滞在しています。可能性があるとすればその時ですが……あれは元々、歴史学者の家系ですからそのくらいの滞在はおかしくありません。疑うには弱すぎます」
「だね。私だってガザスには一年くらい行っていた事がある……」
「もう片方は?」
「帰郷期間以外では三年前です。彼の祖父が倒れたのでその時に一月ほどの休暇をとってます。資産関係で揉めていたのは確認済みです」
「そっちは白かな。とはいえ……もう片方が黒いわけでもない」
わざと、具体的な名前を出さずに会話するオウグスとヴァン。
エルミラが疑っている相手を考えれば当然といえる。ベラルタ魔法学院に配属されるには魔法使いとしての能力だけでなく、精神鑑定の面接もある選ばれるまでが非常に難解なポジションであり、必然宮廷魔法使いと同じように国からの信頼も厚い。
それを根拠も無く同じ教師同士で疑うなど、誰も見ていなかったとしてもあってはならない。
そう、エルミラの抱く違和感が疑わせたのは一人の教師だった。
「君の懸念は確かにあり得なくはない。だが、私達は立場上疑えない……いや、現時点では疑ってはいけない。私達はいわば魔法使いの育成という任務を課せられた部隊のような者だからね」
「そう、ですよね……」
「私とヴァンに至ってはもう八年以上の付き合いでもある。流石に私情も含まれてしまうものさ」
オウグスの言葉がそのままエルミラが躊躇った理由でもあった。
ベラルタ魔法学院が教育機関でオウグス主導で上下関係が緩くとも、ここは魔法使いによって構成されたマナリルの組織の一つ。オウグスにとっては部下に、ヴァンにとっては同僚を信頼していないと明言するわけにはいかないのだ。ましてや他に怪しい人物がいる中で。
まさか、オウグスとヴァンに何か違和感を感じるから身内を疑ってください、とは流石のエルミラにも言いにくかった。こうして察してもらった事にさえ少しの罪悪感すらある。
「けど」
「けど?」
「ベラルタ魔法学院の教師を統括する身として、私にはそういった疑いを晴らさなければいけない義務があるかなぁ? 生徒に私達教師を信頼してもらうために必要な事だと思うんだよ、生徒の君もそう思うだろ?」
「……え? えっと、そんな感じでいいの?」
もっともらしい理由を言うオウグス。
それは若干苦しくもあったが、エルミラの意見を聞くための建前というやつだろう。
貴族社会に限らず建前は大切だ。息苦しくしたりもするが、自由にするものでもある。今回は後者といえよう。
この話を切り出すのにそれなりに覚悟というものをしたのだが、そんな建前がさらっと出てくるのは予想外でエルミラは少し拍子抜けしてしまう。
「それで……信頼のために私達にどうしてほしい? とはいえ、根拠が無いから出来る事は多くない。私達は君からの疑いを晴らす為の間接的な事くらいしか出来ないと思ってくれたまえ」
「それなら……一つだけ、お願いが」
エルミラはたった一つ。簡単な事をオウグスとヴァンにお願いする。
それは本当に何でもない事で、オウグスとヴァンがやる事はほとんど何も変わらないと言っていいお願いだった。
「それくらいお安い御用だとも。だろ? ヴァン?」
「話を通してきます」
亡霊と呼ぶ黒いモヤが出てくるまで時間が無い。憲兵との巡回前に済ませなければとヴァンは急いで部屋を出た。
ばたん! と強く扉が閉まる音が響く。
「……何となく君のやろうとしている事はわかったけど、無理はしないように。逃げるのは別に恥じゃない」
「わかってますけど……根拠が無い今、こうするしかないと思うんです」
「ま、そこはヴァンが協力してくれるだろうさ。あの子は何だかんだ生徒思いだからね」
「それにしても……結構怒鳴られる覚悟してたんだけど……何かあっさりね」
案外、普通に受け入れてもらえて安心したのかエルミラの口調はいつもの様子に戻る。
しかし、何故根拠の無い自分の疑惑を聞いて貰えたのかは謎のようだ。
「んふふふ。実際……ベラルタ魔法学院の教師を疑うなんて大問題だ。何か根拠があるわけじゃないんだろう?」
「う……ま、まぁ……」
「疑っている人物だけじゃなくて家名の名誉にも関わる事だから外でそんな事はしないようにと、本来なら時間一杯説教するところかなぁ。もし疑った相手が潔白だったら領地も金も無い没落貴族なんてもう二度と再興の機会が訪れなくなってもおかしくない」
「うう……じゃあ、その、何でそんなあっさり私の話聞いてくれたの?」
自分の浅慮さを突きつけられながらもエルミラは問う。
オウグスは重要な話が終わったからか背もたれに体を預ける。相変わらず、その役職と周囲の調度品には似合わない古びた木製の椅子と机だ。
「君に言われるまで候補にも入れていなかったし、現段階では考慮もしていなかった。私達からすれば何ら怪しい点は無い。けど……現段階で私達はマリツィアの推測通り、あの黒いモヤを『怪奇通路』が関わっているという方針で動いている。だとすれば……怪しいとまではいかずとも、完全に無関係とは言い難くなってくるんだよこれが」
「なんでよ?」
まるで察しないほうがおかしいかのように、オウグスは首を傾げた。
「何でって、君は学院の案内とかしっかり見そうなタイプだと思ったけどねぇ……ほら、入学前に新入生徒に配ったやつあっただろう?」
「見たけど……何か関係あるの?」
「施設案内見なかったかい? 地上三階に地下立ち入り禁止って。何故立ち入り禁止なのかはもうわかるだろう?
図書館の地下には『シャーフの怪奇通路』の入り口があるんだよ」
「浮かない顔をしてますね、ルクス様」
「そうですか? いつも通りだと思いますが」
病院の一室では、シャーフとルクスが向かい合って座っていた。
二人が挟む丸机の上にはガラスのティーポットと二つのカップ、その中にはお世辞にも美味しいとは言えない紅茶。カップに注がれた紅茶はその冷めつつあるが、どちらのカップも余り減っていない。
「この紅茶の味のせいかもしれません。普段友人に淹れてもらってる有難みがわかるので教訓にしておきます」
一口、ルクスはカップを口に運ぶ。口に含んだ紅茶は明らかに渋い。
今日紅茶を淹れたのはルクスだった。
演技かもしれないが、シャーフが数日前に行われた尋問という名のお茶会を気に入ったようだったので、今日はせめて紅茶でもというルクスの気遣いが完全に仇となった。
せっかくの紅茶もこの味ではお茶会という名の拷問であろう。
ルクスは四大貴族の長男。紅茶の淹れ方など上手いはずもない。同じく四大貴族であるミスティが上手いのはそれが彼女の趣味だからである。
「そんなことないですよ。これもこれで……」
励ますかのように、シャーフもカップを口に運ぶ。
渋さを誤魔化すように唇がむにむにと動いていた。
「まぁ、その……リピートするかと言われましたら……」
「はは、でしょう?」
「あの時のワインを思い出します……」
今日ルクスはそのまま病院に来てしまったので紅茶に合うお菓子も無い。
つい、カップを持っていないシャーフの左手が机の上に伸びかける。
手の伸ばそうとした先には求めるお菓子も、比べる思い出も無い。
「……ルクス様!」
「は……い!?」
シャーフはルクスの名前を呼んだかと思うと再びカップを口に運び、今度は勢いよく底が見えるほどにカップを傾け、渋い紅茶をぐいっと飲み干す。
突然の行動にルクスは止める間も無かった。
「ふう……う……」
「む、無理して飲まないで大丈夫ですよ。こんな紅茶を淹れてしまった自分が言う事ではないかもしれませんが……」
「ルクス様。やはり紅茶にはお菓子が必要だと思います。この紅茶もお菓子があればもしかしたら化けるかもしれません。マリアージュというやつです」
「は、はぁ……?」
何が言いたいのだろうかと、ルクスが曖昧な返事をすると。
「ですから買いに行きましょう! この淹れてくださった紅茶に合うお菓子!」
シャーフは満面の笑顔で、そんな提案をするのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
正直施設設定出した時はここまで続けられると思っていませんでした。