233.進展の無い疲労
「ヴァン、どうだい?」
「現状やるべき事はすませられたと思います」
「そりゃ朗報だ、仮眠がとれる……」
外を見れば今日も空は相変わらずの曇り模様。
昼だというのに照明用魔石を稼働させている学院長室。
生徒達が実技の訓練に勤しんでいるであろう時間帯にオウグスとヴァンは疲れた表情で休憩している。
こんな時、南部にあるもう一方の学院とは違い、この学院が生徒の自主性を重んじる方針である事に感謝したくなる二人であった。
「王都に報告書も送ったし、ニードロス家にも連絡した……ベラルタの各区画への警戒と憲兵の新しい配置案も通達したし……シラツユ・コクナへの情報提供申請もした、シャーフと名乗る女性の調査についての再申請もしたし……とりあえず今やれる事は何とかなったかな……」
オウグスは指を順に折りながら確認し終わると、改めて一息つく。
これで問題は一つだけだな、とその大きな一つに重荷に感じながら。
「こっちも二年になった時に行われるガザスの短期留学のメンバーについてのリストアップ終わりました」
「ご苦労様だね、ヴァン。本来なら私がやるべきだから罪悪感で胸が一杯さ。昼ご飯も喉を通らない」
「そりゃ単に歳食った体に寝不足がこたえてるだけでしょうよ」
「んふふふ! 歳とるってのはやだねー、魔法のキレ以外はどんどん衰えてくよ」
ベラルタは現在緊急事態の真っ只中と言える。
だからといって学院の業務を滞らせるわけにはいかないのだ。何せこの事態が収束してもただ危機が去るだけで全てが終わるなんて事はない。どうしようもなく、時間と言うのは前に前にと進んでいく。
今はただでさえ生徒達の学年が変わる節目が近い時期。特に今の一年が二年になると外での活動が増えるのもあって学院外部との手続きが多い。本来オウグスがやるべき作業だが、目下ベラルタに潜む魔法生命のせいで王都との連絡や憲兵達の指揮で手が付けられず、ヴァンがその仕事を肩代わりしている。
「それで……? 今回は何人が候補に上がるんだい……?」
「それ今聞く必要あります?」
「そりゃ一応私が確認した体はとっとかないとね、私の仕事だし」
「ああ、そりゃそうですね……『風息』」
ソファに座るヴァンは魔法を唱え、屋内で突如吹くそよ風はヴァンの手元にあった二枚の書類をオウグスの座る学院長用の机まで見事飛ばした。
下位とはいえ攻撃魔法をコントロールしてただ紙を運ばせる"変換"のテクニックは同じ属性の人間が見れば拍手する者もいるだろう。横着極まりない魔法の使い方である事に変わりはないが。
加減を間違えるとちょっとした惨事になるので、よい子は真似しないほうが身のためである。
「今年の一年は優秀でしたから多いですよ。二十三人が候補に上がってます。行けるのが十人とガザスの推薦枠三名ですから、今年は選ぶのが大変ですね」
「今年は離脱者が少なかった上に特殊な理由ばかりだったからねぇ。リニス・アーベントは裏切りでの学籍剥奪だし、ラーディス・トラペルは領地復興での休学、亡くなったのはコリン・クトラメルとドース・ペントラだけだが……あの二人は運が悪かったですませる事ではないが、運が悪かったとしか言いようがない。相手がカンパトーレの"凶獣マーグート"だった上にもう一人はカンパトーレと常世ノ国の混血で情報の少ない夜属性持ち……よほど戦い慣れしてないとどうしようもない相手だ。普通に脱落していったのも三人しかいないから……わお、まだ五十人以上残ってるんだね。んふふふふ! 凄い凄い」
「そういえば、リニス・アーベントってどうなったんです? 学院長、一時期狙っていた記憶があるんですが」
「いや、流石に手に入らなかったよ。今はあの、ほら……若い宮廷魔法使いいるだろう? 女の子の」
「ファニア・アルキュロス?」
「そうそう。……こりゃ本格的に歳かな? まぁ、いっか。そのファニアって子が身柄引き取って、今は南部でダンロード家と共同になってある件について調査してるってさ」
「誰からそんな情報聞いたんです?」
「んふふふ。こんなのカルセシス以外から聞き出せるわけないでしょ。何の件かまでは流石に教えてくれなかったしねぇ」
情報漏洩なのでは、と言い掛けたヴァンは出かかっていた言葉を喉奥に引っ込ませた。
それほどオウグスが信頼されているのだろうとヴァンは自分を納得させる。経歴を考えれば当然の信用だ。
「んー……まぁ、妥当な面子かな……?」
「ならそこから学院長が選んでおいてください」
候補者のリストに目を通すと、引き出しに書類をしまう。古い木の音が机から鳴った。
書類をしまうとオウグスは背もたれに身を預ける。
「……」
「……」
そこに生まれる疲労から来る沈黙。
二人は少しの間目を閉じていたかと思うと、
「きついね」
「ええ」
誰かが聞けば弱音ともとれる発言と同意が沈黙を破った。
二人の交わす短いやり取りは、疲労が表に出始めた自分達の事ではない。話はベラルタの状況についてに戻っていた。
「……ベネッタへの襲撃が痛手すぎます。後手後手に回るしかないのは情報が無い以上仕方ないですが……今回は先手どころかいきなり奥の手を狙われた気分です」
「事実、奥の手だったからねぇ。現状、宿主と魔法生命を明確に区別して核を判断できるのは魔法生命と接触した経験のあるベネッタだけだ。こればかりは……魔法生命の仕業だとこちらが判断する前にベネッタを狙った相手を褒めるしかない」
この三日間、憲兵と共にベラルタを調査しても宿主らしき人物が出てこない。
今二人が抱えている最大の問題であり、ベラルタで起きている事全てを解決する為の手段。
大百足のように転移魔法を使った形跡も無ければ、グレイシャのように家の特権を使った様子も無い。【原初の巨神】の時のように商人に扮して姿をくらました人間も確認されていない。
宿主がいるという確証はベラルタで起こる被害と異常な出来事のみ。この三日間、魔法生命に関するであろう動きが全く無いのも見つからない原因ではあるが、まるで煙を追い掛けているように宿主についてを掴めていなかった。
ヴァンは成果の無さに苛立ちを感じたのかぼさぼさの髪を乱暴にかく。その表情は苛立ちと言うよりは何かに納得していないようで。
「ですが、どこからベネッタについて漏れたのか……知ってるのは俺と学院長、生徒では魔法生命に関わったミスティ達くらいなはずなんですが……」
「ニードロス家は歴史も浅いから血統魔法の情報なんて広まるはずも無いからねぇ……それに血統魔法の情報があったとしても、魔法生命の核を見れるかどうかなんて判断がつくはずない」
「そこなんですよね……一体今回の魔法生命はどうやってベネッタの情報を入手したのか……」
「いるのは間違いない……だが、姿が見えない……」
まるで、【原初の巨神】侵攻時に核を探した時のような状況――
「こうなると……やはり思ってしまうね」
オウグスは視線を下に向ける。
それが何を意味するかはヴァンも当然わかったようで。
「その可能性は当然ありますが、『怪奇通路』は調査しようが無いです……生徒全員に迷宮をどうにか歩き回れる血統魔法があるか聞いて回るわけにもいかんでしょうよ」
「んふふふ! そりゃそうだ!」
マリツィアの話もあり、宿主が『シャーフの怪奇通路』に潜んでいる可能性があるのはわかっている。それでも調査できない以上は可能性から除外するしかない。
オウグスもすでにその可能性を見越して報告書には迷宮を調査できる宮廷魔法使いが必要だという旨を記して送ってある。後はその到着がいつになるか――
「あのシャーフって女の人は?」
「特に怪しい動きは無いですね……一番手っとり早く調べるのはベネッタが目覚める事なんですが……」
「ああ、そういえば……ベネッタを病院から学院の医務室に移動させるべきだって話がエルミラからあったね……」
思い出したようにオウグスが呟く。
「担当してるリリアンとログラの許可って出た?」
「はい、昨日の検査後に出ました」
「なら、タイミングを見計らってベネッタを移動させようか。移動中は私かヴァンが警護する事にしよう……今のとこ病院が襲撃される気配はないが、移動中に二度目の襲撃が無いとは言い切れないからねぇ。学院の医務室にいれば少なくとも外部の人間は手出しできないから宿主にどうこうされる事は無くなる」
「ならエルミラには自分から伝えておきます」
「お願いするよ」
ようやく本当に報告し合うべき事が済んだのか、二人の間には再び沈黙が流れた。
夜が近付けば二人は再び黒いモヤ――亡霊が跋扈する街に繰り出して調査を再開する事になる。
「……ふう……普通に戦うよりも疲れます」
「んふふ。 守るものが近いとね、そうなるもんさ。それでもどんな形であれ、今を守るしかないんだよ、私達魔法使いはね」
いつも読んでくださってありがとうございます。
夜に更新できないので今日はこの時間帯です。