232.日常は続く
「服よ」
「いや、お菓子だな」
亡霊と仮定した黒いモヤが夜に現れるようになってから三日。
街全体にはオウグスから黒いモヤは敵魔法使いの感知魔法による精神攻撃と発表され、目下の対策として夜間は出歩かないようにと指示が出された。今夜間に外出するのは調査の為に街に繰り出しているオウグスやヴァンなどの教師陣。そして調査の補助兼巡回として随伴している憲兵だけだ。
亡霊はどれだけ薄い壁やガラスでもすり抜けたりはできないようで、貼りついたりよじ登ったりが限界でオウグスの指示通り建物の中にさえいれば安全である事を確認した住人達は一先ず安心して生活している。幽霊と思っていた住人もやはりいたようで、オウグスが感知魔法による精神攻撃だと明言したおかげで――無論、詳細がわかっていないので嘘ではあるのだが――住民達は未知の黒いモヤではなく、魔法と認識し、必要以上に怯える様子も無くなった。元の生活とまではいかないが、流石ベラルタの住民と言うべきかたった三日でそれなりに落ち着いてはいる。
それは学院の生徒も同じで、魔法と明言されてからは警戒はしているものの必要以上に騒ぐようなことは無い。何より彼らは魔法使いである前に貴族。平民が落ち着いているのにばたばたとした姿を見せるのは多少なり沽券に関わるというもので普通に学院生活を過ごしている。とはいえ普段通りなのは表向きだけで、少し空気が張り付めている。それは憩いの時間でもある昼時の食堂でも同じだった。
「全然わかってないわ」
「いや、わかってなくはないと思う。エルミラの案も悪くないがタイミングを考えるとこちらのほうがいいと思うってだけの話だ」
そんな周囲の空気とは別の意味でピリピリしている二人とそれを眺める二人が食堂の一角に座っていた。普段は五人一組で見かける事が多いため、周囲の人間からして若干の違和感がある。
机を隔てて言い合っているのはアルムとエルミラの二人だった。
「これだから鈍感な男はこういう時に駄目なのよね」
「いや、今回の俺は鋭い……と思う」
「その自信の無さがすでに私の正しさを証明してるわね!」
「くっ……!」
様子から察するに劣勢なのはやはりアルムか。
アルムの隣に座るミスティとエルミラの隣に座るルクスは二人とも隣を援護するわけでもなく、二人を見守っている。
「やっぱベネッタの退院祝いは服で決まりよ! 春物の新作!」
「いや、王都とベラルタの菓子を買い集めたほうがあいつは喜ぶと思う」
というのも、言い合っている内容が援護するほどのものではなかったからである。
きっかけはアルムが退院祝いなるものがあると病院で聞いたんだが、という話を切り出してからだった。
ベネッタに贈るものはあれがいいこれがいいと色々話している間に、いつの間にか話が拗れていった。どうでもいい形に。
「お菓子だと特別感が無いでしょうよ! もうそろそろ季節の変わり目だし、ずっと病院の服を着ている所に可愛いのをどんよ!」
「いや、あいつはずっと眠っててお菓子が恋しいはずだ。そこにいつもより色とりどりなお菓子の海を用意できればそれこそ夢のようだろう」
「そろそろどっちもあげればいいって言ってあげたほうがいいかな?」
「どうでしょう……もう退院祝いに相応しいほうを決めなければいけない空気になってますからね……」
白熱する二人をよそに冷静に場を収めるタイミングを窺うミスティとルクス。
とりあえずもう少しだけ静観しようと、二人は少し冷めた紅茶を口に運びながらアルムとエルミラを眺める。
「わかってないわ! あいつ最近私が持ってるファッションカタログ見てそわそわしてるのよ! 見る? って聞くと、今までこういう事してこなかったからってちょっと恥ずかしそうにして選ぶ服が毎回ちょっとダサいのよ! だからこういう遠慮しにくい時に完璧似合う可愛いのをプレゼントしてやるのよ!」
「いつもお茶の時間に並べたお菓子の枚数数えて誰が何枚食べられるか確認するのに、最後のほうになると我慢できなくなってさりげなく他よりちょっと多く食べるくらい食い意地が張ってるんだぞ。そんなベネッタが数日お菓子を食べれないなんて大事件だ、とびきりのを用意してあげたいだろう」
「二人ともベネッタの事嫌いなのかい?」
「ほぼ陰口に近いですが、むしろ好きでないと出ない発想ですわね……本人には聞かせられませんが」
アルムとエルミラの言い合いは思ったよりヒートアップし始め、より具体的にプレゼントを選んだ理由を力説し始めた。二人ともベネッタの事を思っての事ではあるものの、本人が聞けばどこか引っ掛かる部分があるだろう。
(ニードロス……服ダサいのか……)
(ダサいんだ……顔結構可愛いのに……)
(食い意地張ってるのは少し可愛いな……)
(今度お店教えてあげようかしら……)
なお、このヒートアップした言い合いが盗み聞きしていた一部の同期生達のベネッタへの印象を少し好意的にしていたなどとは知る由もない。
「これだから女の子の気持ちがわからない男は……」
「それは否定しないが、食べたいという気持ちは性別関係なく生き物にとって大切だ。好きなものをお預けとなれば尚更その欲を満たしてあげたいだろう」
「わかってないわね」
「そんなことは無い。今日の俺は鋭いはずだ」
むむむ、と睨み合うには微笑ましい理由で睨み合う二人。
ここらが止め時かと隣で静観していたミスティが小さく手を叩く。
「私の意見も聞いてくださいますか?」
「何ミスティ? 第三勢力参戦ってわけ?」
「ミスティといえど譲らないぞ」
「いえいえ。私はプレゼントに関してはしっかり考えて頂けた物なら大抵は嬉しいと思いますから……」
ミスティは言いながら無意識に自分の手元に視線を下ろす。
視線の先は小指に輝く指輪。プレゼントは誰に貰うのかが大事なのだとミスティは知っている。
「なので、お二人の意見はどちらも素敵だと思いますし、ベネッタもお喜びになるかと思います」
「へぇ。で、ミスティはどっちのほうがいいと思う?」
「どう思う?」
どちらの側に立っても片方は納得しなさそうな状況。
一見板挟みになっている状況だが、ミスティに困った様子は全くない。
「どちらも素敵なのでどちらもあげてはいかがでしょうか?」
ミスティの提案は先程ルクスも言っていた案だった。
しかし、すでにヒートアップした二人がそこで完璧に納得するはずもない。二人の脳内はすでに退院祝いは一つと思い込んでいる。その前提がすでに間違いではあるのだが。
「アルムが仰った退院祝いとは別に元気になられた方に贈る快復祝い、というものがございますの。ですから、退院祝いと快復祝いと二回に分けて贈ってみてはどうでしょう?
そちらのほうがベネッタも二回贈り物を貰えて喜ぶと思いませんか?」
その間違った前提が二人にある事を理解した上で、話がこじれないようにとミスティは別の案を提示する
退院祝いを一つにしなければいけないのなら、もう一つ別の形を使ってプレゼントすればいいじゃない。
そんなミスティの提案は半ば意地を張りかけていた二人にすっと受け入れられたようで。
「凄い……凄い発想だミスティ!」
「ち、近いですアルム……!」
アルムには思いつくはずもない提案に目を輝かせながら隣のミスティに乗り出すようにする。
エルミラもまた尊敬にも似た本気の感心を見せていた。
別段凄い発想でもないのだが、二人にとっては妙案だったようだ。
「天才だわ……ミスティ、あんた天才って呼ばれない?」
「え? あ、えっと……嫌味に聞こえてしまうかもしれませんが結構頻繁に……」
「そうだった! この子本当に天才だったわ!」
「そうだね。カエシウス家のミスティ殿だからね……」
静観していたルクスも自然と笑みをこぼす。
やはりこういうのが皆らしいと思いながらも、足りない空席が目に入った。
いつも読んでくださってありがとうございます。
少し忙しく更新が空いてしまって申し訳ないです……。
こういう時間書くのがやはり好きだったりもします。