幕間 -暗き世界-
『思ったよりも……力が戻らぬな』
暗い。冥い。闇い。
地の底のように暗いここは我が身が置かれていた迷宮のようだ。
違うのは、我が身の声は間違いなく一人の人間には届いているという事だろう。
(だから言ったろう。ここの住民はそんなに柔ではない。見ず知らずの生徒の為にと日々を過ごせるお人好しばかりだ。自分達の身に何が起こってもという覚悟まである。あの亡霊も昨夜はよかっただろうけど、もう家から出る人間はいなくなるからだろうから更に効果は落ちるだろう)
『そのようだ。我が身はやはり人間を侮っている』
それは生前恐れられた経験が生んだ油断というべきか。二度目の生だというのに我が身の未熟さに反吐が出る。
(そも……わざわざ子供を狙うなどという回りくどい事をする必要は無いだろう?
君が姿を現せば老若男女問わず恐怖を抱かざるを得ないだろうに)
『それで生み出る恐怖は一つだけだ。我が身の巨躯に対しての恐れだけでは神には届かぬ。身の回りで起こる不可解な事象、正体不明の存在、強者の敗北、様々な方向から人間の心に別種の恐怖を生み出し、そのどれもが我が身という一つの個体が行っていたという事実が、ここの住民が抱く恐怖を束ねて昇華させるのだ』
そう、怪物では届かぬのだ。
我が身を形作る鬼胎属性の魔力は未だ神どころか完全体にすら届いていない。
今度こそ、我が身は怪物で終わるわけにはいかない。
一度目の生で我が身が怪物に甘んじた。
それでも困ることなど無いと迷宮でただ生贄を貪るまでに堕落した。
『我が身は諦めたのだ。周囲の声に流され、怪物で終わる命を選んだ……最も大切な者に応える事も無く、我が身を殺しに来た運命にすら悲しみを浮かばせた。それは終わってみれば、悲しき生き方だったのだと後悔しなかった日は無い』
(最も大切な者って……時折私の頭の中に流れてくる女の人かい?)
『我が身の記憶が見えるのか? 宿主よ』
(記憶なんて綺麗で詳細なものじゃない。ただ知らない綺麗な人をたまに思い浮かべている時があるんだよ、これは君の知り合いだろう?)
ついに人格の侵食が始まったという事か。
それはつまり、我が身の"現実への影響力"とやらが上がっているという事。この地の迷宮を支配した事で霊脈の恩恵を得られ始めた事も影響しているに違いない。
――宿主の人格を乗っ取ってしまうのは正直気が引けるというのが本音である。
宿主は目的こそ共通していないとはいえ、互いの目的を共有し、目指してきたいわば同胞。
出来る事ならば人格の侵食など止めたい所だが……こればかりは我が身の意思ではどうする事もできぬ事。そして宿主さえもそれを望んでいない。
我らの核をその身に宿し、我らの名前を知るという事は精神という毒を受け入れる行為に等しい。
この宿主には二個目の精神を受け入れられる器は無く、その上――この宿主はあろう事か人格を乗っ取られる事を承知で我が身を受け入れた。
紅葉の宿主のような同調率の高い例外や生きた人間以外が宿主になった例外はあれど、人格が乗っ取られると承知で我ら魔法生命を受け入れたのはこの宿主くらいなものだろう。
正直、宿主の目的について我が身は聞かされても理解できなかったが……彼女が望んでいるのなら叶えてやるべきであろう。
『ははは、そうか……貴殿も綺麗だと思うか』
(嬉しそうだね。脳に響くからやめてほしいというのが本音だが)
『すまない。我が身にとって世界一美しい者だが……よもや他者からの賞賛がこれほど嬉しいものとは思わなかった』
(そりゃ褒めた甲斐がある)
興味の無さを隠さないのもこの宿主らしいと言えるだろう。
しかし、先程の賞賛が嘘で無い事はわかっている。それくらいはわかるほどの付き合いだ。
『貴殿の目的も、もうすぐ叶うな』
(それは喜ばしい。だが……君の目的が達成されなければ私の本来の目的は達成されないんだ。頑張ってくれないと困るよ)
『承知。我が身の為、我が宿主の為……貴殿の言う通り、回りくどいのはここまでとするべきだ』
予想より収穫は少なかったが下準備は終わったと言える。
無垢なる子供の犠牲。
強者に位置する魔法使いの卵の襲撃。
街を跋扈する亡霊。
恐怖を煽る異常はばら撒いた。
後は住民が抱くであろういつもの生活を望む祈りと覚悟を日常とともに侵食し、拠り所を無くすのみ。
(糸のほうは私の事情だからな。私が何とかする。君はただ……君の目的を達成する事だけを考えたまえ)
『言われずとも。すでに掌握は完了している。数日の内に事を運ぶとしよう』
(危険人物は四人。覚えているかい?)
『無論。道化師に風使いと氷の姫、そして――我らの天敵』
(上出来だ。では私は楽しみに待っているとするよ)
宿主の意識がこちらから表側に行った気配がする。
ただの人間として仮面を被るというのも楽ではないな。宿主よ。
では……我が身も我が身の目的の為、やるべき事の為に魔力を貯めておくとしよう。
『さあ、ベラルタの住人達――そなたらを我が身の世界へと招待しよう』
それは出口も空も見つからない空間。
我が身を幽閉する為に作られた概念。
人の手によって作り出された、日常から怪物を引き剥がす為の異界。
恨むのなら――迷宮などという牢獄を作った者を恨みたまえ。
いつも読んでくださってありがとうございます。ここで一区切りとなります。
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明日は更新休みになります。八月前半には終わせられるでしょうか……?頑張ります。