231.歪な目的
「感知魔法?」
黒いモヤの襲撃から一夜明け、学院長室にベネッタを除いたアルム達四人は集まった。
議題は勿論、ベラルタに突如現れた黒いモヤについて。しかし、黒いモヤについて真っ先に意見を出したのはアルム達ではなく、同じく学院長室に来ていたマリツィアだった。
「はい、間違いないかと」
「あの黒いモヤが感知魔法……? 俄かには信じられないけどねぇ……」
オウグスは疑いの目で壁際に立つマリツィアを睨むようにして見る。
というのも、黒いモヤについてオウグスが疑ったのはマリツィアだからだった。明確な確証があるわけではない、しかし、オウグスも昨日見た黒いモヤはとある存在を想起させており、元々信用していない事に加え、情報として手に入れているマリツィアの魔法がどうしても犯人の候補に挙げてしまう。
「仰りたい事はわかりますわ。あの黒いモヤが何かを想像された方は私の魔法を疑うでしょう。何を隠そう、感知魔法という推測も私の魔法と仕組みが酷似していると予測しての事ですので」
それはマリツィア自身もわかっていたようで、自分から疑うのも無理はないと口にする。
それよりも自分の魔法についてをさらっと暴露するマリツィアに部屋にいた者は驚いた。
「マリツィアさん、いいのですか? その、いくら休戦中とはいえ……」
「状況が変わりましたので仕方ありません。自分の魔法を開示しなければ疑われてしまいますし……今マナリルに疑われて魔法生命についての情報を共有できないほうが祖国にとって問題です。幸い、開示しても大した弱みは無い魔法ですので」
それは祖国を思っての事か、それとも自身の魔法に対する自信の表れか。
マリツィア自身は気にしないように振舞っているが、たとえどちらだったとしてもリオネッタ家としては痛手になる事は明白だった。魔法がばれて戦闘に支障が無い事と、情報を開示して問題ないかどうかは別問題。
マリツィアはダブラマの第四位。しかもリオネッタ家はマリツィアの代になって頭角を現した情報の無い家系。その気になればマナリルの利権の一つや二つは奪い取れるくらいの価値はある情報だ。
「私の魔法は死体を操り、その死体の魔法まで行使する事が可能ですが……それは死体の記録を読み取っているからでございます」
「記録?」
マリツィアが顔を向けていたオウグスよりも興味津々な表情でオウグスの座る机の前に立っていたアルムが聞き返す。
その様子にくすっと隣でミスティが笑い、後ろのルクスも呆れたような笑いを浮かべた。
「ええ、詳細な説明は少し長くなるので省きますが……人間の経験というものは肉体と精神のどちらにも蓄積されます。私の魔法は肉体の記録から魔法の情報を読み取り、それを再生するのです。死体を操る事が出来るのはその記録を読み取る過程で死体を支配しているからであって本質ではありません。この死体を支配する事を私の家系は"身体汚染"と呼びます」
「魔法使いの体は魔法を覚えてるって事か?」
アルムが聞くとマリツィアはふるふると小さく首を横に振る。
「覚えているのではなく、情報として残っているのです。覚えているのは記録ではなく記憶ですね」
「……何が違うんだ?」
「主観的に辿れるのが記憶なのですが……そうですね、筋力トレーニングとして腕立て伏せを五十回した日があったとしますでしょう? 腕立て伏せをした自分を思い出すのが記憶で、ノートにただ腕立て伏せを五十回したという情報を記すだけが記録です」
「ああ、なるほど……なんとなくわかるな……」
感覚的にだが、マリツィアの説明を理解するアルム。昨夜、血統魔法についてをミスティに聞いた後というのもあって興味深そうに頷いている。オウグスもまた同じように。
「ふむふむ……それは確かに感知魔法の領分だ……それで? あの黒いモヤも君の操る死体のように何らかの記録を読み取っているというわけだ? 一体何の記録だっていうんだい?」
「はい、恐らくは『シャーフの怪奇通路』の記録を読み取っているかと思われます」
「んん? 地下迷宮を読み取って黒いモヤは話が繋がらないと思わないかい?」
「いいえ、繋がりますわ。あの黒いモヤは恐らく三五〇年前に『シャーフの怪奇通路』で亡くなったガザスの奇襲部隊……つまりは当時の魔法使いの"幽霊"でしょうから」
耳を疑うような単語を当たり前のように出すマリツィア。
それを聞いてぎょっとした顔でミスティにエルミラ、そしてルクスの首が自然とマリツィアのほうに向く。
そんな三人を見て、マリツィアは何かに気付いたように手をポンと叩いた。
「申し訳ございません。あそこまで行くと幽霊というよりは亡霊と呼んだほうが正しいでしょう」
「いや、そこじゃないわよ!?」
ずれた訂正をするマリツィアにエルミラをツッコみを光らせるが、マリツィアのほうは、では一体何処なのでしょうと言いたげに首を傾げた。
「ああ……だから俺は見えなかったのか……」
エルミラにツッコみを入れられているマリツィアだけでなく、アルムもまた納得するように腕を組む。
当然のように幽霊と言う存在を受け入れている人間がいる事にエルミラは混乱し始めた。
「こっちは何か納得してる! え、待って? これ私がおかしいの!?」
「いや、僕も普通に混乱してる……幽霊がいる前提で話されてる事に」
「はい、私も……」
呆然とするルクスとミスティという混乱仲間がいる事にエルミラは自分を落ち着かせる。
三人とは違い、当たり前に受け入れているアルムにミスティが不思議そうに聞く。
「アルムはの黒いモヤが見えなかったようですが……何故そんな納得を……?」
「二、三年前だったかな……俺にはまだ幽霊は見えないと言われた事があるんだ」
「まず何で……いや、もういいわ……ちょっと疲れたわ……」
色々とツッコみを入れたかったが、昨夜黒いモヤに魔法を使い続けた事に加え、この短い時間で常識をかき回された事で一気に疲労を感じたエルミラはツッコみを諦める。
「学院長はどう思われます?」
「半信半疑って所かなぁ? けど、ミレルの時の協力者からの情報だと、そもそも魔法生命が違う世界で生きていた命だったって話だろう? 魔法生命なんてものがいるなら幽霊やらもあり得なくはないのかなとは思うね」
オウグスの意見を聞いて幽霊というマリツィアの意見に対して懐疑的だった三人は何処となく腑に落ちる。
確かに、ミレルの一件の際にミスティ達も魔法生命についての話はシラツユから聞かされている。
異界から来た伝承の存在。
魔法として蘇った別種の生命。
そんな常識外の存在がいるのなら幽霊の一つや二つは驚くような事ではないのかもしれない。
あり得るかもと思い始めたエルミラは自分の腕を温めるように手で擦る。
「やばいわ……幽霊だと思ったら途端に恐くなってきた……」
「とはいっても、常世ノ国でも降霊という魔法体系によるものだという情報しか掴んでおりませんので自然発生するかどうかについてはまだ議論の余地があるかと思われます。ダブラマでも一部の魔法使いしか研究していない分野ですし……今回の黒いモヤはあくまで魔法生命の能力によって生み出された可能性が高いのではないかと」
「なにそれ。慰め?」
「ただの補足ですのでお気になさらず」
「何にせよ、今の所マリツィア殿しか具体的な予測は立てられていない。正体が何かは置いておいて一先ずは亡霊と仮定しよう。朝日で消えていったのもそれっぽいといえばそれっぽいしねぇ」
若干険悪な空気が流れかけるも、そんな空気はどこ吹く空とオウグスは黒いモヤに仮の名前としてマリツィアの推測した存在の名前を付ける。
「マリツィア殿の予想通りなら……私の頭には怪しい人物が一人思い浮かんでいるんだけど……どうだい? ルクス、エルミラ?」
「……」
オウグスは真剣な表情で二人に問う。普段のわざとらしい笑顔は無い。
誰の事を言っているのかは言うまでもない。ルクスが助け、今二人が監視中のシャーフ・ハイテレッタと名乗る女性だ。
マリツィアの言う通り、『シャーフの怪奇通路』の記録を読み取っているのだとしたら、関連性のある人物はシャーフを名乗るその女性しかいない。あまりに露骨すぎる気もするが、一先ず疑うのは自然と言える。
「私は正直そうかもって思ってるけど……」
エルミラはルクスのほうをちらっと見る。
「僕は彼女は無関係かと思います」
「ほう? 根拠は?」
言い切るルクスにオウグスは微笑する。
「黒いモヤが現れた時、彼女は怯えていました。顔色も悪く、あの様子を演技とは思えません。シャーフさんを担当してくださってるリリアン先生にも確認をとって頂いて構いません」
「それが無関係の証明になるかい?」
「ならないと言うのなら、関係ある証明にもならないかと思いますが」
オウグスとルクスの視線がぶつかる。
ルクスの声に何か喜びを感じたのか、オウグスの口角が上がる。
「んふふ。確かに。それで彼女の正体については何か聞き出せたのかな?」
「……僕には彼女が嘘を言っているようには見えません。なので、有り得ないと思うと同時に、本当に当時のシャーフ・ハイテレッタなのかもと思い始めています」
「なるほど、普段なら興味深いと言いつつも聞き流してしまいそうな意見だ。でも、そうだな……先程のマリツィア殿の推測を当てにしている今となっては、関係あるという結論に達してしまいそうになるがね?」
「!!」
そう、先程までならシャーフの一件はただの与太話と捉えるような話だが……昨夜の黒いモヤが三五〇年前に『シャーフの怪奇通路』で死んだ幽霊だと仮定した時、有り得るかもしれない話に変わってくる。当時のシャーフ・ハイテレッタが何らかの方法で幽霊のように現れたのではと考えてもおかしくはない。
そして、魔法生命の宿主として――ベラルタに潜んで何かを行っているのかもしれないと。
「どうだろう? ルクス?」
ルクスはオウグスの問いに答えられない。
本来なら同意すればいいだけの話。確かにあり得るかもしれません、と。
だが、ルクスにはそれが出来なかった。シャーフを宿主だと、ベラルタを恐怖に陥れている犯人だと嘘でも思う事が出来なくなっていた。
これはエルミラに相談した時に自分で言った盲目なのか? それともただ情が湧いたのか?
それとも――記憶の中にいる人と彼女が似た事を言っていたからか――?
ルクスは自分が何を持って答えるべきなのかを逡巡する。
「状況的に彼女は無関係でしょう」
そんな迷うルクスに意外な所から助け船が出される。
「何故そう思うんだい? マリツィア殿?」
声はマリツィアのものだった。
「というよりも、君は会った事があるのかな?」
「はい、シャーフと名乗る女性がどんな方かとご挨拶に行きましたが……感知魔法で探っても特におかしな様子は見られませんでしたし、私は何故ベネッタ様が狙われたのかは存じませんが、彼女がベネッタ様を狙ったのだとすれば同じ病院にいるにも関わらず行動を起こしていないのは不自然かと思います。昨夜の黒いモヤに乗じれば事を起こすのは造作も無かったでしょうし」
「ふぅん……まぁ、もっともらしい意見ではあるけど……ただベネッタが病院にいるの知らなかっただけという線もあるよねぇ?」
「魔法生命の宿主ならベネッタ様が大怪我をした事はおわかりのはず。当然怪我の状態が軽度で無い事も理解しているでしょうし、病院にいるかどうかは予想がつくはずですわ」
「んふふ。それはそうだねぇ……確かに、状況的には不自然といえるか……とはいえ、疑いが晴れるかどうかは別だね、病院近くには憲兵を多く配置する事にしよう。ルクスとエルミラは引き続き王都に連れて行くまでは監視を続けてくれたまえ」
「……わかったわ」
「わかり、ました……」
オウグスの指示に応えながらも、ルクスの視線はついマリツィアのほうに向いてしまう。
(シャーフさんをかばった……? 何故……?)
ルクスは困惑しながらマリツィアを見ると、マリツィアはにこっとただルクスの視線に笑い返してくる。その笑顔から真意は全くわからない。
「それで、マリツィア殿? あれが君の言う通り亡霊だったとして、何が目的だったんだと思うかな? 触れられると凍えたような状態になるくらいしかわかっていなくてね」
「そこまでは流石に……」
「あ、それについてなのですが……」
議題は黒いモヤの行動について。
マリツィアも言葉を詰まらせる中、ミスティが手を挙げる。
「なんだい?」
「私ではなく、アルムが気付いた事があるようなんですの」
ミスティはそう言って隣のアルムを見る。
「アルム? 君はあの黒いモヤが見えなかったんだろ?」
「黒いモヤは見えなくても、追われる側の逃げ方で追っている側の意図はある程度わかります」
「ほう? 自信満々だねぇ?」
「はい、狩りは得意分野なので」
追っている者と追われる者。その二つが揃えばアルムにとってそれは狩りに等しい。
宣言した通り、獲物の動きから捕食者の意図を読み取るのは得意中の得意だった。
「それで? 何に気付いたんだい?」
「子供を優先して狙っていた事です」
「子供?」
オウグスが聞き返すと、アルムは頷く。
「正確には、見えない人だったのかもしれません。街の様子を見ていると、子供は俺と同じように皆の言う黒いモヤが見えないようでしたから」
「何故そう思ったんだい?」
「逃げ方です。街を観察していると、恐がりながらも余裕そうに逃げている人と必死に逃げている人で別れていました。子連れの人はほぼ例外なく必死で、何かから子供を庇うような動きが多かった。追い付いた親よりも子供を狙っていたからだと思います」
「……随分嬉しくない情報だねぇ」
数日前から失踪させられているのも子供。
突如現れた亡霊に狙われるのも子供。
オウグスに子供はいないが、舌打ちするには十分な胸糞悪さだった。
「それに、それは目的じゃなくて傾向だよ。子供を優先して狙うというのは確かに守る上で重要な情報だ。感謝しよう……だが、私が知りたいのは魔法生命があの亡霊を使って何がしたかったかの予想だからね」
「そうですわね。現状魔法生命がベラルタで何をしているのかが見えてきません。被害数で比べるのは余りしたくありませんが、ミレルやスノラの件と比べれば被害は小規模と言わざるを得ませんし……」
「いえ、目的ならはっきりしてると思います」
オウグスとマリツィアが思考を巡らせようとしたその時、アルムはそれを遮るように断言する。
「君は魔法生命が何をしようとしているのかすでにわかってるって言うのかい?」
「はい、気付いたのは昨夜の町の様子を見てですが」
アルムには昨夜街を襲った亡霊は見えていない。
だというのに、亡霊と交戦していたミスティ達すらも気付かなかった魔法生命の目的がすでにわかっているという。
「昨夜街を見ていると、逃げる人達は皆恐がっていました。ただでさえ子供の失踪が続いて住んでいる人達は不安になっていて学院の生徒が襲われたという話も広まれば落ち着いてはいられない。そこに、自分達も襲い始める正体不明の存在まで現れた。しかも子供には見えないから子供がいつ襲われるかもわからない。立て続けに起こる事件に今、街の人達が平静でいられるわけがない……昨夜自分達を襲った黒いモヤがまた現れるんじゃないか、今夜は子供が攫われるんじゃないかと思っていてもおかしくない」
それは魔法生命を二度破壊し、その魔力に触れ続けたアルムだからこそ気付く……今ベラルタに潜んでいる魔法生命の目的。
「子供を狙っているのは、子供を失うのが大人の恐怖を煽るものだと知っているからだ。子供という存在を失う事を想像するのが親や大人にとってどれほど恐ろしい事かわかっている。ベラルタは特に生徒という子供の為に住んでる人達が日々を過ごしてくれている街……そんな街で他人の子供が襲われる事を平気でいられる人間はきっと少ない。子供がいる人達は勿論、子供がいない人達も次は隣のあの子が、いや、向かいの子が……そんな恐怖を抱いて日々を過ごし始めるようになる。その感情が、あいつらの力になる」
大百足も、紅葉も、主なる目的は違えど自然とそれを求め、体現していた。
そう。忘れるはずがない。出会った魔法生命はどちらも――人間の抱く恐怖によってその力を行使していた事。鬼胎属性と呼ばれる恐怖を力にする魔力の持ち主であった事を。
「この魔法生命は子供の命が欲しかったわけでも、亡霊とやらを使って住民をどうこうしようとしたかったわけじゃない。ここに住む人々全てに恐怖を抱かせようとしてるんだ、ベラルタを恐怖の餌場にする為に」
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日はもう一本短い幕間を更新します。