228.再生
「あ、ルクス様……今日はお一人なんですか?」
「ええ、少し二人は忙しくて」
シャーフが借りている部屋に入るとルクスはまず嘘をついた。
ベネッタが襲われた事についてシャーフにはまだ伝えていない。昨日いたエルミラとベネッタがいない事への反応を見ようとした。
ルクス自身、シャーフが今回の一件の犯人であるとは思っていないし、思いたくはない。だが、すでにそんな事は言ってられない段階だ。子供は二人いなくなり、ベネッタは重体。だというのに、ベラルタが手に入れている情報はフロリアとネロエラが見た魔法生命の姿と壁を作るという能力くらいなもの。
疑いたくないなどと言っていられない。言っていられないのだが……べったりとへばりつくように後ろめたさが残る。被害者で、守るべき対象だと思っている相手を疑う気持ち悪さは喉が詰まるようだ。
「そうですか。そう、ですか……」
部屋には行ってきたルクスの顔をシャーフはじっと見つめる。
「どうしました? 僕の顔に何か?」
「いえ……そ、その……」
シャーフは恥ずかしそうに手をいじると。
「今日は、その……昨日のような尋問はしないんですか?」
躊躇いがちに、ルクスにそう尋ねた。
結局、ただのお茶会のような雰囲気になってしまった昨日の尋問。どうやらシャーフはそれが痛く気に入ったようだった。尋問という言葉を体よく照れ隠しに使っているようだが、全く隠せていない。
「もしかして、気に入りましたか?」
「お、お恥ずかしながら……私が食べていたお菓子よりも数段美味しかったものでちょっと期待していました……ちょっと、だけ……」
ちょっと、と念を押すところに自分の欲望を曝け出す事へのかすかな抵抗が見える。
よほど楽しみだったのか、シャーフはため息をついていた。
「くふっ……!」
その姿がおやつをお預けされた子供のようで、ルクスは笑いをこらえきれなかった。
「る、ルクス様笑いましたか? 笑いましたよね!?」
「すいませんつい……失礼しました」
ルクスは謝罪とともにわざとらしく咳払いするも、シャーフはルクスが笑った事に少しいじけるように。
「ひどいですよ……ハイテレッタ家のような下級貴族には高級なお菓子なんて手が届かないんですから少し期待してしてもいいじゃないですか……」
今となっては気軽に手に入るような菓子も、昔は貴族の中でも栄えている家向けの嗜好品だった。当時のハイテレッタ家はダンロード領だったベラルタに住んでいる今でいう補佐貴族のような立ち位置だ。いくら貴族とはいえ当時気軽に買えるような家柄では無い。
「また持ってきますから許してください。それかまた買いに行きましょう」
「いえ、その……こんな事言っておいてどうかと思うんですけど、考えてみれば私買って貰ってる身なので、ただの我が儘のように思えてきました」
「それこそ気にしなくて大丈夫ですよ」
「ただでさえ私、怪しい人なわけですしね。ちゃんと言動は弁えて疑いをしっかり晴らしませんと」
ぺちぺちと切り替えるようにシャーフは頬を軽く叩く。
「……昨夜ベネッタが襲われました」
その光景に、何故だか嘘をつきたくなくなった。忙しいなどと言って喉に引っ掛けていた真実を口からこぼす。
不意に飛んできたルクスの言葉にシャーフは信じられなさそうに目を剥いた。
自分勝手だが、ルクス自身は口にして心が少し軽くなった。
「重体でしたが命は無事です。詳細は言えませんが、ベネッタの状態から格上の相手と戦ったと調査されてます」
流石に魔法生命の事については伏せる。
これはシャーフがこの件に関わっているいないに関わらずの機密だ。
「そうだったんですか……そうだったんですね……」
シャーフは悲しそうにそう呟いて。
「だから、今日はルクス様の元気が無いんですね」
「……え」
ルクスは予想外の言葉を向けられた。悲しそうな表情のままシャーフはじっとルクスを見つめる。
「い、いえ、僕は平気です」
「嘘。嘘です」
見透かされているようにシャーフは断言する。
もしかして、お菓子の話も彼女なりにこちらを元気づける為の話題作りだったのだろうか?
「元気の無い人の顔ってわかりやすいんですよ、それは何百年経っても同じみたいです」
そう言ってにこっとシャーフは笑った。
遠く、それでいて忘れない声がルクスの頭に再生される。
"嘘ですよ。元気の無い人の顔はすごくわかりやすいんですから"
……何故だろうか。
全く似ていない声が重なる。強がりを決して見逃さない大切な人の声が。全部見抜いているわけじゃないけれど、それでも一番に気付いてくれた人に。
「何か、ご友人に話せない事なら私に話してみてください。これでもルクス様よりお姉さんです。二十四歳のお姉さんですから」
「ありがとうございます。お気持ちだけ、受け取っておきます」
振り払うように、或いは拒絶するかのように貼り付けた顔でシャーフに応えた。
自分が本調子じゃないのはベネッタが怪我したせいだけではないとルクスは自覚している。
ただ、今更ながらに気付いただけなのだ。もしかすれば、自分は真っ直ぐ進める人間ではないのかもしれないという事に。
そんな当たり前な事はわかっていたつもりだった。何せ――自分は入学式のあの日に一度大きな間違いを犯している。だから……間違いたくなくて迷うのだ。
「飲み物でも持ってきましょうか。温かい飲み物がいいですよね」
「はい、お願い……して……?」
「シャーフさん?」
ルクスが立ち上がろうとすると、妙な所でシャーフの声が途切れる。
見れば、シャーフの様子が明らかに変わっていた。
さっきまで元気の無いルクスの力になろうと自信満々に宣言し、大きく見えていた存在が、困惑とともにただ恐怖に怯える少女のように。
「あ、れ……?」
「シャーフさん!?」
ルクスはシャーフに駆け寄って背中を擦る。それがどれほどの力になっているかはわからない。
震える体に蒼白になる顔色。シャーフはかちかちと小さく歯を鳴らしながら体を抱く。
「なに……? 私……何に……!」
それが寒さによるものではないのは明白だった。それはベラルタを散策した際に憲兵を見た時と同じ、まるで何かに怯えるような。シャーフは寒さと錯覚したのか、ベッドに置かれた毛布を手に取る。
「なんだ……?」
耳をすませば、何故だか窓の外が騒がしい。
曇る空で隠れているが外はとっくに夕暮れの頃。街灯が点く時間。闇夜の訪れはすぐそこだった。
ルクスは窓に駆け寄って外を見る。
怯えるシャーフの代わりに、誰かが悲鳴を上げた。
「冗談やめてよ……!」
病院を出たエルミラは学院に辿り着いていない。
それどころか今立ち止まってしまっている。
声は曇りの空に向けられた。光を閉ざす雲をこんなにも憎む日が来ようとは。
険しい表情を浮かべながら学院に向かう大通りの真ん中に立っていた。
「なに……なによこれ……!」
「な、なんだぁ!?」
騒ぐ平民の声。穏やかなはずの帰路が恐怖に侵され、住民は皆駆け足になっていた。急いで店じまいをして鍵をかける店もある。
住民がそれを見て浮かべる表情はほとんどが恐怖だった。魔法使いの卵が住み、魔法使いの卵の為ならと人生を捧げる彼らでも今の状況で落ち着く事はできなかった。
「なによこれ……! 頭が牛の怪物って話じゃなかったの……? なんなのよ、これ……!」
今でさえ後手後手で対応するしかないというのに、一夜訪れる度に状況が変わっていく事に苛立ちを覚える。
冬の寒さとは確実に違う悪寒が爪や牙のように背筋に走った。
気のせいだと思いたい光景。エルミラは確かに魔法使いの卵だが、その卵を持ってしても理解しがたい現実。
それは訪れる闇に紛れて突如――這い出るように現れた。
ゆらゆらと揺れて。
うっすらとした形。
煙のようで、しかし、煙とは違う悪いモノ。
何がと問われても説明できない。理解できない。
何故なら這い出てきているのは、あえて言葉にするなら人型をした黒いモヤ。そのモヤは下から這い出るように現れて……奇妙な声とともに、ただ近くにいる人達に一直線に向かっていく。
『ココ……カ……セ……』
「いやああああ!!」
まるで――生者を憎む亡霊のように。
いつも読んでくださってありがとうございます。
雨が凄いですね。皆さんも健康面のほうはお気を付け下さい。