225.サボり
エルミラ・ロードピスは初めて学院をサボった。
起きた時間はいつもより早かったが行く気になれず、制服に袖を通して行った先はベネッタのいる病院だった。
ベネッタに会いに行ったわけではない。ベネッタを診てくれた女性の医者にどんな状態かを聞きに行っただけだ。専門的な言葉を使わずに昨夜行われた手術が成功だった事、今は眠ってるだけだが、いつ目を覚ますかはわからないという事をエルミラは聞く。目のほうは大丈夫だと保証すると聞いて目に見えて安心した。
帰り際、説明してくれた女性の医者が"リリアン"先生と呼ばれてエルミラは立ち止まる。
すると女性の医者は恥ずかしそうに。
「似合わない名前でしょう?」
なんて照れながら笑ってる姿が可愛らしくて、ぴったりの名前だとエルミラは思った。
ふとシャーフが借りている部屋の前で足が止まったが、会う気にはなれなかった。自分がいい人間じゃないとわかっているから、何かをぶつけてしまいそうで。
少しして、学院に着いてもエルミラの足は教室には向かわなかった。向かった先は医務室。行ったことの無い植物園を探すハメになるかと思ったものの、エルミラの目的の人物はそこにいた。ベネッタに治癒魔法を施したログラだ。魔力をよほど消耗したのか、一晩経っても少し調子が悪そうにしている。
ログラもまた、ベネッタの状態についてをエルミラに説明した。治癒魔導士ならではの視点で。
曰く、助かったのは奇跡でも何でもない。幸運や奇跡という言葉を使うのは彼女に失礼だとログラはエルミラに語る。
事前に信仰属性の強化をかけていた事、やられた後、自分の致命的な傷に治癒魔法をかけていた事をログラはベネッタを見て気付いていた。
ベネッタは勝てないなりに、生き残る為の最善を尽くしていたとログラは言った。特にやられた後にかけたであろう治癒魔法が的確だったと感嘆した。治癒魔法は他人の体内には届きにくいが、自身に使う場合は話が別。誰かに治療される事を見越し、体内の致命的な傷を自分で治して延命したのだという。
それはつまり、最後まで生きる事を諦めなかったという事。
エルミラがベネッタは治癒魔導士になるのが夢なのと伝えるとそりゃ頼もしい後輩だと笑った。
最後に、ログラはエルミラも疑問に思っていた事を口にした。
「一つ気になるといえば、何で逃げなかったんだろうなとは思ったかな。彼女の状態は彼女が生きようとしていたのを物語ってるんだけど……逃げた様子も無い。傷のでき方も角度からして正面の相手にやられたものだろうし、明らかに戦ってるんだよ。僕と違って彼女は魔法生命と遭遇したこともあるし、その脅威もわかってたんだろう? だからそこだけは疑問だったかな」
ログラがそう言うと。
「そうね。逃げて欲しかった」
エルミラは悲しそうに笑って医務室を後にした。
まだ他の生徒が座学で教室にいる中、エルミラは図書館に移動する。
頼んでいた本をシャボリーから受け取る為だ。
シャボリーはエルミラが図書館についてもすぐに現れることは無かった。元からいない時も多いので大して気にはならない。
図書館は静かで、当たり前だが本の匂いがした。
そこでようやくサボったという自覚が芽生える。
とはいえ、一日サボった所でエルミラの評価が落ちるようなことは無い。ベラルタ魔法学院は実力主義。実力が伴っているのなら数日の休みは評価に関わらない。ただでさえ貴族である彼らは自分の家の問題で休むことも珍しくないのだから当然とも言える。それでもサボっていい理由にはならないのだが。
「あ」
そういえば、ログラ先生にはサボってること何も言われなかったなと今更ながらに気付く。
密かに気を遣われていた事に気付いて、何だか申し訳なくなった。鏡を見たら自分はもしかしたらひどい顔をしているのかもしれない。
きょろきょろと辺りを見回すも、図書館に自分を見つめる鏡などあるはずも無かった。あるのは本と本を置く為の本棚、本を読む為の机と椅子。この世界は本の為に作られている。司書のシャボリーの怠惰か、置かれている本がジャンルでわけられているわけでもなく、乱雑に置かれているのが少し気になるが。
ぼーっとしていると、座学が終わったのか一人の生徒が入ってきた。
見覚えのある人物のような気もしたが、本を返しに来たのかカウンターに誰もいない事を確認するとすぐに出て行ってしまった。
「ん?」
それから少しして、嗅いだことのある匂いが漂ってきた。
「ここまで堂々とサボられると注意する気も失せるな」
すると、エルミラの目の前にシャボリーが現れた。
気怠そうにしているが、今日はその目の下に隈は無い。手には匂いの元であろうコーヒーを持っていた。
飲まなくても目が覚めるようだった。
「サボってるんじゃなくて、建設的な休憩をしてるのよ」
「物は言いようだな……まぁ、昨夜あんな事があったんだ。今日くらいはいいだろう」
シャボリーもやはりベネッタの事を知っているようだった。
図書館にかかりきりとはいえ、ベラルタ魔法学院の教師なのだから当然だ。
「彼女は大丈夫なのか?」
「ええ、治療は成功したって今詳しく聞いてきた」
「そうではなく、病院に置いておいて大丈夫なのかという意味だ」
シャボリーは本の貸し借りを記録するカウンターにカップを置き、近くに置かれている本を手に取りながらそう言った。
「彼女は狙われたんだろう? 助かったのはめでたい事だが、生きているという事は再度狙われるんじゃないのか?」
助かった事に安心していたが、言われてみればその通りだった。
昨日アルム達と話した通り、ベネッタには狙われた理由がある。ベネッタのいる病院を襲わないという保証はない。
「まぁ、今すぐにということは無いだろうが頃合いを見て移動させたほうがいいだろう。そうだな……学院の医務室なら最低限の設備もある、ログラもいるから大抵の事態には対応できる、オウグスもヴァンもいるし、いざとなれば生徒だって戦力だ。流石にここを襲う馬鹿はいまい。ベラルタの病院は腕はいいが、それでも平民だ。私達の領域の問題には対応できないからな」
「そうね……学院長に言っておくわ」
「それがいい。せっかく助かった命なんだから助かるべきだ」
言いながら、シャボリーはエルミラに本を差し出した。
「頼まれてた本だ。当時の地下道建設について書かれてる。当時地図は機密扱いだったから地図は載っていないが……まぁ、記述で我慢したまえ」
「もう見つけたの? 時間かかるって言ってたのに……」
エルミラが意外そうな表情で言うと、シャボリーは得意気な表情を浮かべる。
「私は生徒思いの先生だからな。それくらいはしてやるさ」
「生徒思いって……碌に顔出さないじゃないのよ」
「君達がここに顔を出しに来るのを待ってるのさ。生徒の自主性を育てる為に敢えてね」
「それこそ物は言いようね」
「ははは」
「……?」
ふと、何か違和感をエルミラは感じた。
何が違和感に感じたのかまではわからなかった。
「何だ? まさか一冊じゃ不満だったなどと言う気じゃないだろうね?」
「いくら私でも流石に無いわ。助かった。ありがとう」
礼を言った後、話題を変えるがてらエルミラは気になっていた事を質問する。
「そういえば、シャボリー先生って何で図書館にこもってるの? 研究系?」
「ああ、教師になったのも図書館を使うためさ。宮廷魔法使いは無理だったからな」
「何の研究?」
「歴史だな。とりわけ、昔の信仰についてだ」
「属性?」
「信心のほうだ。これが面白くてね、神とやらを信仰していた時代は興味深い。天使や悪魔なんてものも同じように信じられていて、魔法は彼らのものだったなんて話も出てくるくらいだ」
嬉々として語るシャボリー。
その表情は今までに見たことが無いほど生き生きとしている。
魔法使いには研究色が強い者も多い。魔法使いとしての役割よりも魔法のルーツや過去の在り方などに興味を示して好奇心のままにその人生を捧げる者や、自立した魔法は破壊すべきではないと主張して反魔法組織に属する極端な者もいるくらいだ。
「信じてるの?」
エルミラが聞くと、シャボリーは鼻で笑う。
「この時代にかい? まぁ、信じる人間は否定しないがね。魔法使いの私に信じろと言うのは無理な話だ。ああいった幻を形にするのが私達魔法使いだからね。そういうものに縋る人の在り方や当時の背景に興味があるだけだ。過去の事を調べるには過去を伝えてくれる本っていうものが必要だったのさ。昔の人間がここにいて私に教えてくれるはずがないからね」
「……そうね」
昔の人間がここにいるはずがない。
聞いて、エルミラはシャーフの事を思い出した。そう、普通に考えればいるはずがないのに。
「エルミラ」
「あらルクス」
聞き慣れた声のしたほうを見ると、図書館にルクスとアルム、ミスティが入ってきていた。いつも会っているはずのアルム達が何故だか少し懐かしい。
なんでもないような声を装ってエルミラは声に応える。
「アルムもミスティも……どしたの?」
「どしたの? じゃありませんわ……もう……」
いつも読んでくださってありがとうございます。
進みが遅くて申し訳ないです。今週ちょっと頑張れればと思います。