224.空席
翌日。
当然ではあるが、アルム達が教室に行ってもベネッタはそこにいなかった。
昨夜、アルム達はベネッタの手術が成功したと聞かされて渋々ながら帰宅した。
普段ならいつも行動している五人で固まる所だが、今は三人しかいない。エルミラもまた教室にその姿が無かったからだ。
ベラルタ魔法学院の座学は学問に触れながら精神の平静を知るための時間。座学中に浮かび上がった疑問について考え、座学後に教師に質問する。この形式が魔法においては存外学習効果が高い。無論、学ぶ意思がある前提の話ではあるが。
しかし、この日は表面上は落ち着いたように見えて、三人の内心は病院で眠るベネッタと消えたエルミラの事で一杯だった。
「エルミラ……いらっしゃいませんでしたね……」
それは座学の時間が終わっても同じ。
昼になり、いつものように学院のカフェテリアに行ってもエルミラの姿は無い。
冬の寒さの中、エルミラとベネッタの二人がいないだけでアルム達が座る場所の気温が下がったような気さえする。いつもは埋まる椅子も寂しくそこにあるだけだ。
「エルミラはベネッタと特に仲が良かったからな、無理もない」
アルムは窓の外を見ながらそう言った。
相変わらずの曇り模様。雨でも降ってしまいそうな曇天だ。
「それに……この状況だからな。エルミラがいなくてよかった」
「……そうだね。アルムの言う通りだ」
学院では襲われたベネッタの話で持ち切りだった。
魔法生命に関しては伏せられているが、ベラルタ内部で生徒が襲われれば学院側が通達しないわけにはいかない。
生徒達には自立した魔法、もしくは敵の魔法使いがベラルタ内部で活動している可能性があるという内容で伝えられた。
【原初の巨神】のような件があっても自立した魔法が意思を持って動いているという発想には中々至らない。秘密裏に休戦交渉が行われている事も知らない生徒達はまたダブラマの魔法使いが潜入したんだという説、そしてスノラの一件でカンパトーレの魔法使いが北部の魔法使いを狙っているという説の二つが中心になって囁かれている。
中には、少ないながら心無い言葉も。
「まぁ、ニードロス家は歴史も浅いからな。目を付けられて不運だった」
「あの家の当主は大した魔法使いでもない。いや、死んでないって事は襲ってきたほうも大した事が無かったのかもしれないな」
「所詮カエシウス家のくっつき虫ですから。一人でどうこうなんて力があるわけないですしね」
「事あるごとに魔法儀式を断っていたしな。戦闘には自信が無いのさ。大きな家の陰に隠れているのがお似合いだ」
ベネッタが襲われたと知っても、生徒達のほとんどは自分達が襲われるなどとは思っていない。
ベラルタは一年だけでも生徒が六十人近くいる魔法使い予備軍の宝庫。その全てを相手しようなどというハイリスクな選択をする国は無いからだ。
襲われたのだとすれば、それは個別に襲われる理由があるのだと考える場合が多い。だからこそ北部の魔法使いを狙っているなどという根も葉もない噂も生まれている。
魔法使いが多くいる環境というのはそのまま安心感を与え、本来持つべき危機感を遠ざける。実地の依頼をこなす時のような緊張感は今の生徒達には無いと言っていい。
「……全く素晴らしい人達だ」
「ええ、とっても素敵な方々ですわね」
貴族用の顔を貼り付けてミスティとルクスは短く言葉をかわす。
一時の陰口がもたらす快感がカエシウス家とオルリック家の機嫌を損ねるという発想には至らないのだろうか。それとも、聞こえないとでも思っているのだろうか。
貴族はパーティのあちこちで行われる牽制塗れの雑談から有用な情報を聞き分けて交渉材料に使うような人種。幼少の頃からそういった場に繰り返し出席している四大貴族のミスティとルクスは同年代に比べてそのスキルが特に培われている。誰が何の会話をしていたかなど覚えておくのは息をするように造作も無い。噂を考察するような普通の雑談に混じって聞こえてきたベネッタの陰口を聞き分け、その陰口を喋る生徒の家名をミスティとルクスは当然のように記憶した。
口から出てきた皮肉はその数人の声を完璧に聞き分けた証明。近い未来、二人の言う素晴らしくて素敵な方々は少しばかり苦労する事になるだろう。
「勉強になるな」
「何がだい?」
アルムもまた外を見ながらぼそっと呟いた。
「自分以外の陰口はいらいらするんだなって」
普段、耳にするのは自分に対しての陰口。時には面と向かって言われる言葉もアルムにはほとんど響かない。嬉しくないとは思うものの、言っている相手に失望する事も無ければ人格を疑う事などは間違ってもない。
それは自分がこの場所にとって異分子だと知っているから。かつてルクスにも言われた事がある、貴族が集うこの場所に平民がいるという不自然さ。自分に向けられる陰口は大抵がその不自然さに対してのものだった。
貴族に擦寄る平民。運がいいだけの田舎者。底辺野郎。
そんな言葉を何度聞いた所でアルムが揺らぐことは無い。今では認めてくれる人間すら出来たのだから尚更だ。
だというのに……ベネッタの陰口は心がざわつく。
何も知らない癖にと言いたくなっている自分がいた。
結局、自分に陰口を言うような存在は、そこに身分の差など無くとも言えそうな相手を見つけてその陰口を向けるのだとアルムは言いようの無い苛つきとともに知る。
そして、今ここに一緒にいない友人が自分の中でどれほどの存在になっているのかも。
「ちょっと、いいかしら?」
「ん?」
いつもより暗い雰囲気のアルム達にその声はかけられた。
「グレース?」
意外な人物に募っていた苛立ちを一瞬忘れる。
大きな眼鏡が印象的な女子生徒グレースだった。相変わらず眼鏡の奥には隈が出来ている。
「ええ、こんにちは。初めましてカエシウス殿、オルリック殿。アルムくんとお話しする時間を頂いてもいいですか?」
「初めましてエルトロイ家のグレースさんですよね?」
笑い掛けるミスティに少しびくっとするグレース。
「私達は外したほうがよろしいでしょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ちょっと聞きたい事があっただけなので……というよりも知っていれば皆さんにもお聞きしたいんですけど」
「僕達にかい?」
「はい。昨日フロリア・マーマシーが帰ってきているはずなんですが……姿が見えなくて、知っているかなと」
「グレース、フロリアと知り合いだったのか?」
「ええ、今日お土産渡すみたいな事言ってたのに一向に姿が見えないから。朝来たらそこら中ニードロスが襲われたみたいな噂ばっかだから何か関係あるかなって、どうなの?」
グレースが聞くと、アルムはミスティとルクスと交互に目配せする。
魔法生命の事を伏せて教えようという確認だ。
「何よその意味深なアイコンタクト……?」
「いや、何でもない。関係あるも何もフロリアとネロエラがその襲われたベネッタを見つけたんだ。それで憲兵とか学院長に話を聞かれてるんだと思う」
「ああ、そういえばタンズークの新しい領地に行くって……二人とも無事なの?」
「それは大丈夫だ。二人とも怪我は無かった」
「そう、ならいいわ。ありがと。では、お二人ともお邪魔しました」
「あの……つかぬ事をお聞きしますが何故アルムに聞きにこられたのですか?」
聞きたい事を聞き、二人に頭を下げてグレースがその場を去ろうと一歩下がったその瞬間、ミスティが首を傾げた。
再び、びくっとグレースの体が震えた。まるで怯えているかのように。
「……朝から生徒の噂を聞くと昨夜ニードロスが襲われたという話は共通しているのですが、内容が眉唾というか……あまり正確には思えなかった上にフロリアが巻き込まれたみたいな話を全く聞けなかったので。ニードロスの友人のアルムくんなら昨日の事を知っているかと思いまして」
「そういう事だったのですね」
「だから決してアルムくんとどうこうなりたいとか、お近づきになりたいとかは全く無いです。知り合いというのも変なくらい普段は喋りませんし、私の趣味とも外れてます。私が知り合いが少ないので聞ける人間が少ないのと、曖昧な事は言わなそうな人柄でしたので一番都合がよかっただけです。はい。本当です。他意はありません。信じてください」
「は、はぁ……? そんなに念を押されなくても疑ったりはしませんが……?」
「ふぅ……それでは失礼します」
ミスティとしては何て事無い疑問だったのだが、グレースにとっては危険を感じたようで普段より少し早口になる。
必死な弁明を終え、グレースはほっとしながらそそくさと去って行く。
「あ、そうだ。アルムくん、お節介かもだけどエルミラなら図書館にいたわよ」
「本当か?」
「ええ」
去り際に残したグレースのお節介はエルミラを心配していたアルム達にはありがたかった。
アルムはグレースの背中に礼を言った。
「ありがとうグレース」
「いいえ、こちらこそ」
「じゃあまた」
「ええ、また」
短くグレースとの別れの言葉を交わすとアルムの視線が図書館のほうに向く。
「エルミラ……ずっと図書館にいたのか?」
「心配ですし……会っていきましょうか」
「そうだね。僕は終わった後のシャーフさんの見張りの話も少ししておきたいし」
アルム達はエルミラの場所を聞くや否や立ち上がる。
すでに昼は終えているので、ここにいる理由もあるわけじゃない。昼時はいつも時間一杯まで五人でここで喋っているから、たとえ二人がいなくてもいつものように過ごしていたかっただけだった。
「ニードロスってあの馬鹿そうなやつだろ? まともに魔法使えるとも思えないし、生きてるだけ儲けたよな」
アルム達が座っていた場所から少し離れたカフェテリアの出口近くで、その生徒の声は聞こえてきた。
喋る生徒はどうやらアルム達が近付いてきた事に気付いていないようで、アルム達が出口近くまで歩いてきてもその声は潜む気配が無い。
その生徒の正面に座る友人らしき話し相手だけが、アルムとその後ろを歩くミスティとルクスに気付いて相槌も打たずに慌てて閉じる。
「それとも命乞いとかしたのかね、顔はそこそこだったから……」
「ここにエルミラがいなくてよかったな」
「え? いっ……」
その喋る背中に、アルムが不意に声をかける。
「いたら多分殺されてたぞ」
それは友人に対する謂れの無い言葉を聞いた苛立ちがさせたのか。
普段はしない脅しのような忠告を残して、アルムはその場を後にした。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ようやく中盤といったとこでしょうか。お付き合い頂ければ幸いです。