222.暗い病室
「ベネッタ!!」
壊れるような勢いで安病室の扉は開かれた。
中にいる患者の名前を呼んだのはエルミラだった。流石に遅すぎるとミスティの家から出てベネッタを探しに行こうとした所、ベネッタの事を伝えに来たネロエラと丁度遭遇し、ミスティの家に集まっていたアルム達は病院に急行したのである。
ミスティの家から病院までの距離はアルム達にとっては大した事無かったが、エルミラの息は絶え絶えだった。まるでベラルタ中を走り回ったかのように。
「エルミラ……ミスティ様……」
扉を開けてまずアルム達を迎えたのはフロリアだった。
アルム達を見て眉尻が下がった表情が一層辛そうになる。
「ベネッ……タ……」
エルミラの声がか細くなり、顔は蒼白となる。
ベッドにはベネッタが寝かされていた。
ベッドの脇には学院の治癒魔導士の先生がいるが、その姿はアルム達の目には入らなかった。
外傷はすでに治癒魔法によって治されていたのだろう。大きな傷は一か所を除いて見られない。それでも……目や体に巻かれた包帯と、引き裂かれたような制服と包帯、そして今も治癒魔法をかけ続けられている形のおかしい右腕が凄惨さを物語る。
「ベネッタ……」
「そんな……」
さっきまで一緒に歩いていたとは思えない友人の惨状がルクスをただ立ち尽くさせる。家でベネッタの分の紅茶を用意していたミスティも信じられなさそうに口を押さえ、無意識にアルムに寄り添う。
「……ベネッタ」
アルムの口からも名前が零れた。名前しか声に出来なかった。
「あ……うあ……」
先程、ベネッタと別れた時の記憶が後悔となってエルミラに蘇る。
「私の、せい……! 私があの時……一緒に付いてけば、こんな……!」
「違うよ」
「違う」
否定の声はルクスとアルムのものだった。
それ以上は言わず、アルムは病室の中にいるフロリアと、後ろにいるネロエラを交互に見る。
「フロリア、ネロエラ……何があったか知ってるなら教えてくれ」
「えっと……」
「……」
フロリアとネロエラはベッドの脇にいる治癒魔導士の先生のほうを見る。
魔法生命についての情報はまだ一般的には公開されてない。
「話して構わないよ」
穏やかな声は治癒魔導士の先生のものだった。
普段は学院の医務室と植物園の二つを管理している"ログラ・モートラ"。【原初の巨神】の侵攻後、五十以上あったアルムの傷をベネッタと共に治した治癒魔導士でもある。
普段はその垂れ目も相まって柔らかい雰囲気の教師なのだが、今は額に汗を浮かべながらベネッタの右腕に治癒魔法を使い続けている。
「この面々が揃って話すのを躊躇うって事は……魔法生命とやらの話だろう?」
「ログラ先生……ご存知でしたのですか?」
「学院に所属してる教師八人は例外でね。特に二年や三年の担当は実地でマナリルの色々な所に行くし、他国にもいったりするから自然と情報収集しやすいし、生徒を守る為にもって事でオウグス様から知らされてるんだよ」
なるほど、とフロリアは頷く。
魔法生命の事を知っているのなら隠す理由も無い。
駆け付けたのは戦いが終わった後でさほど多くは語れないものの、フロリアはアルム達に見た事全てを話した。
「牛の頭で理知的な喋り方……魔法生命しか有り得ないだろうね」
「もしかして……ここ二日の子供の失踪もその魔法生命の仕業なのでしょうか……?」
「そう思った方がいいだろうな。百足みたいに食う為か、紅葉のように人質か、目的まではわからないが……」
アルム達が話す中、エルミラはただ黙って治療されるベネッタの右腕を見つめている。
ログラもまたその視線に応えるように治癒魔法を再び使う。
「……右腕……元に戻る?」
「戻すさ」
普段、ログラはほとんどの生徒と交流したりしない。生徒の担当ではないため医務室に来る怪我した生徒や植物園に来る物好きな生徒とくらいしか会話しないからだ。
それでもマナリルで選ばれた学院の教師。これ以上生徒を不安にさせない為に普段とは違う強い語気で断言した。
「ただ……」
命がどうなるかは話が別とは言えなかった。自分の体ならばともかく、他人の体内に魔法は届きにくい。確実に助かると断言するには魔法以外の医学が必要だ。
扉が再び、勢いよく開かれる。
「ログラ様! 準備が整いました!」
入ってきたのはシャーフを助けた日にシャーフを診てくれた女性の医師であり、今はシャーフの部屋も提供してくれている女性だった。ルクスはぺこりと会釈する。
「よし、僕も立ち会うよ」
「勿論です。よろしくお願いいたします」
ログラと女性の医者はベネッタを車輪のついたベッドを押して運んでいく、自然とエルミラも一緒になってベッドを押していた。
揺れるベッドの上でも、ベネッタは目を覚まさない。
ベネッタが何処に連れて行かれるかなど、言われずとも想像がついた。
アルム達も運ばれていくベネッタを見送る。
恐らくはこれから行われるであろう手術。その成功を祈りながら。
見送りは短かった。小さい病院というのもあるが、目的地はベネッタが寝かされていた部屋を出てすぐの廊下の突き当たりの部屋であり、その部屋にエルミラだけが入れず廊下に取り残される。
エルミラはしばらくその部屋の扉を見つめたと思うと、元の病室に戻ってきた。
「エルミラ……」
ふらふらと戻ってきたエルミラに心配そうに声を掛けるミスティ。
エルミラは深呼吸してその声に応える。蝋燭の明かりしかない病室がさらに暗くなった気がした。
「大丈夫……私は大丈夫よミスティ」
今やるべき事は考える事。心配する事でも悲しむ事でも無い。
理性で感情に蓋できたと思い込んでエルミラは椅子に座る。
「……何故ベネッタを狙った?」
病室の扉のほうを見ながらアルムが疑問を口にする。
「何でって……あの子が核見れるからでしょ。当たり前の事聞かないでよ」
言った後で、苛立ちを声に乗せてしまった事をエルミラは後悔した。
今のは八つ当たりだった。
「エルミラ……」
「……ごめんアルム」
「大丈夫だ、気にしてない」
けれど、少し納得はしていなかった。
友達があんな状態だというのにミスティやルクスと違ってアルムの表情はほとんど変わっていない事に靄のような苛立ちが残る。
フロリアやネロエラでさえ悲痛な表情を浮かべてるというのに。
「でも、アルムの言う通りどうやって知ったのかは重要だ。ベネッタの血統魔法が魔法生命の核を見れるって知ってるのは僕達とヴァン先生、それにシラツユ殿とラーディスくらいのはずだから」
「そうですわね。血統魔法ですから国王や宮廷魔法使いの方々にも話せないでしょうし……」
部屋の端で、私達は聞いてよかったのだろうかとフロリアとネロエラが顔を見合わせていたが、秘密にしようと合図するかのように唇の前で人差し指を立てる。
「あ、いや、すまん。そこもそうなんだが……」
真剣な表情で悩むミスティとルクスに申し訳なさそうにするアルム。
どういう事かとルクスとミスティはアルムの言葉を待った。
「俺が言いたいのは、タイミングだ」
「どういう意味ですの?」
「子供の失踪も魔法生命の仕業だと仮定しての話なんだが……何故最初にベネッタを狙わなかったんだと思って」
なるほど、とルクスが頷く。
「確かに……核を見られるのが不都合なら子供を攫う事件を起こす前にベネッタを狙ったほうがリスクが低い……何で二人攫った後にベネッタを狙ったんだ……?」
「えっと……ベネッタを狙うタイミングが無かった、とか……?」
フロリアがおずおずと小さく手を挙げてそう言うと、ミスティがふるふると首を横に振る。
「それでしたらベネッタを狙えるタイミングを待ってから子供を攫い始めればいいだけですわ」
「あ、そうか……そうですよね……」
「ああ、ベネッタが血統魔法を使わないと踏んでた可能性も無くは無いが……そうだとしたら今日狙う理由だって無いはずだ」
「ですから考えられる可能性は二つ」
ミスティが二本指を立てるとアルムは頷く。
「どうしても、二日前に子供を攫い始めないといけなかったか……」
「ベネッタが核を見れる事を……魔法生命か宿主がここ二日で知ったか、だ」
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