幕間 -なりたい約束-
「お前の父親は凄いだろう? こんな魔獣もあっさりと倒してしまうんだ」
母親に手を引かれて、翡翠色の瞳をした子供は父親の自慢話を聞かされていた。
かつてのカエシウス領ニードロス管理区域にあったとある村。
五歳の頃、ベネッタは父親が討伐したという狂暴化した魔獣の死骸を見る為だけに本邸から呼び出され、馬車で一日かけて被害に遭っていた村へと辿り着いた。
お前の父親は勇敢だの、魔法使いは素晴らしいだの、ニードロス家は才能を秘めているだの、その口は自分を褒め称える言葉がいくらでも湧き出る滑稽な泉のようだった。
実際は、その村に住む平民に協力してもらって誘き出した所を魔法と罠で拘束し、農具を武器にした平民と一緒に何とか討伐したというのが真相なのだが、まるで自分一人が狂暴化した魔獣と死闘を繰り広げたかのような語り口で話は続く。
討伐した魔獣はフォルスという熊型で確かに人よりも大きく狂暴化すれば危険だが、通常時はただの草食の魔獣で普段は人間に近寄らない種だ。それにも関わらず、ベネッタの父親の脳内では普段から人を襲う獰猛な魔獣へと変換までされていた。
「……」
そんな父親がしきりに、見ろこの爪を、なんて言いながら魔獣の死骸を見せたがっている中、母親と手を繋いでいる五歳のベネッタの目に入ったのは、傷を負った二人の平民だった。
魔獣の討伐時に狂暴化した魔獣を誘き出した際にその爪で傷を負った二人だった。血の滲んだ包帯が、幼いベネッタにはとても痛々しく映った。
「ねえ、ねぇねぇ、お父様ー」
「なんだいベネッタ? 私がこの爪を華麗にかわした話が聞きたいのかな?」
「違うの。あの人達を助けてあげて? 怪我してるよ。とっても痛そうだよ」
そう言ってベネッタは指を指す。
ベネッタが指を指した方向にいた二人の平民をベネッタの父親はつまらなそうに見た。
「ああ……あれは私のような凄い魔法使いでも無理なんだよベネッタ」
「どうしてー? 魔法使いは平民さんを助けるんでしょ?」
「私は怪我は直せない。信仰属性じゃないからね」
「しんこー?」
「そう、治癒を使えるのは信仰属性だけだからね」
まだベネッタは属性について学ぶ前だった。
「それに、ああいうのは魔法使いじゃなくて治癒魔導士の役割だ」
「治癒……まどーし……?」
幼いベネッタにとっては初めて聞く名前だった。
「じゃあその治癒まどーしさん呼んであげて!」
「それは出来ないよベネッタ」
「なんでー? 治してくれるんでしょー? だって、血が出てるよ?」
ベネッタの視線は傷を負った平民の方をずっと向いていた。
そんなベネッタの視線をベネッタの父親は自分のほうに無理矢理向ける。
「治癒魔導士は年々減ってる落ち目の職業さ、みんながみんな私のように凄い魔法使いってわけじゃない。そんな普通の魔法使いが助けられなかった平民やへまして怪我をした魔法使いを助けるいわば魔法使いの事後処理係みたいな職業だからね。あまり人もいないからこんな所まで来てくれるわけがない。来ればあのくらいはすぐだろうだがね」
「少ないの?」
「ああ、なんせ治癒が出来る信仰属性は戦いになると不便ったらありゃしない属性だからとにかく人気が無い。落ち目の家にはなりたくないものさ」
自分の作戦で怪我をさせている事も棚に上げ、悪意と個人の偏見に寄った説明を娘にするベネッタの父。
そんな事よりも自分が討伐した魔獣を見てもらいたくて仕方がないとベネッタの父親は再び魔獣の死骸に駆け寄った。何度見ても誇らしいと顔をにやつかせる。なんせ……魔法使いらしい仕事をしたのは久しぶりなのだ。
「さ、そんな事よりお前の父親の勇敢さを知りたまえ。木々をかきわけ向かってくる魔獣の爪……しかし、私は怯まなかった! 爪をかわして罠に誘導し……」
「じゃあ私がなる!」
「……へ?」
「え……?」
目をきらきらと輝かせて宣言する幼いベネッタ。
嬉々として話していた父親の言葉は詰まり、ベネッタと手を繋ぎながら無言で父親の説明を聞いていた母親も思わずその口から声が漏れた。
父親は慌ててベネッタの下に駆け寄った。
「待て待て待て。ベネッタ待ちなさい。お前はニードロス家を継いでこの管理区域を統治するんだよ? 治癒魔導士じゃなくて魔法使いになるんだ」
「いやー! 決めたのー! 私ああやって怪我した人を助けたい!」
「待て待て落ち着け。言ったろう? 治癒魔導士は出来損ないの魔法使いが助け損ねた人を治す事後処理みたいなやつらだって。なったっていい事は無い」
「そんな事ないよ! だって、誰かが助けてあげられなかった人をもう一回助けてあげられるって事でしょ? 凄いよ!」
「ベネッタ、お前の父親の――」
「"ポルフォス"」
ニードロス家にとっては後継の問題。
ベネッタの父親は何とかベネッタに考え直させようと口を開いた時、ずっと無言で話を聞いていたベネッタの母親が静かに名前を呼んだ。ベネッタの父親の名前だ。
「な、なんだい? 私の可愛い可愛い"レトラーシャ"?」
「あの怪我した方々に、少し労いの言葉をかけてあげてはどうです? あなたの力がこの魔獣を討伐したのでしょうが……ほんの少し、ほんの少しだけ彼らのような平民の協力もあったのでしょう?」
レトラーシャと呼ばれたベネッタの母親は人差し指と親指の間に小さな空間を作るジェスチャーを見せた。
「ま、まぁ、少しな。ほんの少し彼らが手伝ったのは認めよう」
「ええ勿論ですとも。ですけど……ほんの少しの働きでも、目上の者に気遣われれば平民は気分がよくなりますし、あなたの好感度だって上がります。管理する区域の平民に支持されればきっとニードロス家にとってもプラスになるはずだと思いますわ」
にこっと笑い掛けるレトラーシャにポルフォスは鼻を伸ばす。
一目で、本来の上下関係がわかる構図だった。
「それもそうだな。よし、ここはひとつこのポルフォス様が声をかけてやろう」
「それでこそです」
「よし、では行ってくる」
意気揚々とポルフォスが怪我をした平民のほうに歩いていくと、レトラーシャは手を繋いでいる自分の娘ベネッタと視線を合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。
「ベネッタ、治癒魔導士になりたいの?」
「うん! だって……怪我してる人痛そうだもん」
「魔法使いじゃなくて?」
「うん、だって治癒まどーしは少ないんでしょ? じゃあ私がなって皆の怪我を治すよ! 怪我してる人がいるのは悲しいよ。だからお母様が怪我した時だって任せて!」
「そう……そうなの……優しい子ね……」
レトラーシャは愛おしそうに、ベネッタの髪を撫でながら微笑む。
「それなら……あなたにこれを渡しておくわ」
「プレゼント?」
「ええ、初めてなりたいものが出来たあなたにプレゼントよ」
「きれー!」
そう言って、レトラーシャはチェーンのついた十字架を取り出した。
プレゼントと聞いてベネッタの広げた手の平に十字架を置くと、レトラーシャは優しくその十字架をベネッタに握らせる。
「でもベネッタ。これを私から貰っても……絶対に治癒魔導士にならなきゃとは思わないで?」
「……なんでー?」
「あなたはまだ小さいわ。ふふ、私が食べてしまえるくらいにね。だから……これから他にもいーっぱいなりたいものが出てくるかもしれない。魔法使いだけじゃない、お菓子が好きだからお菓子屋さんになりたくなるかもしれないし、お絵かきが好きだから画家さんにだってなりたくなるかもしれない。あなたはまだ小さくて色んな、色んななりたいものになりたいって言えるのよ。……だから、今から絶対治癒魔導士になるなんて思わないで、もっと色々なものを見て、知って、成長した後にもう一度……治癒魔導士になりたいって思えたのなら、この十字架を付けてあげて」
十字架を握ったベネッタの手の上を包むようにレトラーシャは握る。
「十字架はね。昔、神様を信じる道具だったそうよ」
「信じる……?」
「そう。だから大きくなってもう一度治癒魔導士になりたいと思ったらこの十字架を付けて……神様の代わりに今日のあなたを信じてあげて。未来のあなたが、自分の選んだ道を正しく信じられるように。あなたが真っ直ぐ自分の選んだ道を進んでいけるように」
「私、今日の事覚えてるよー?」
「ええ、だからこれはお母さんの我が儘。ベネッタに私の我が儘を聞いてほしいの。あなたが今日なりたかったものをお母さんに後押しさせてくれる?」
「うん、ありがとうお母様! 大切にするね!」
「ええ約束」
「うん約束!」
その約束はどれに対してのものだったのか。笑うベネッタに瞳を濡らしてレトラーシャは抱きしめた。
それは現実から意識を手放したベネッタの遠い記憶。
自分のなりたいものを知った初めての日。
ボク覚えてるよ。
怪我をした平民と抱きしめてくれたお母様の温もり。
そして、かけてくれた優しい言葉。
ボク、覚えてるよ。
大切にしてるよ、あの日の約束。
ごめんね。十字架のほうは少し赤く汚しちゃったけど――でも、大切にしてるよ。お母様。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りになりますので、ちょっと極端ですが明日は更新お休みになります。感想を頂けたら感想の返信だけは行いたいと思います。
『ちょっとした小ネタ』
この後ベネッタは治癒魔導士をこき下ろし始めるお父様を嫌い始め、一人称すら同じなのが嫌になってボクに変えます。