221.路傍の英傑
スノラでの事件後、私とネロエラもまた魔法生命の話を聞かされた。
大した事は一切してないけど、一応私もグレイシャのクーデターを止めるのに関わった一人だったから。
去年、ミレルの町が半壊させられたとされる事件を私は新聞の情報だけで得ていた。
自立した魔法の出現にその場にいたヴァン先生を中心にミスティ様やアルムくんが奮闘したという話が書かれていて、流石ミスティ様と全然関係ないのに誇らしげだったのを覚えてる。
丁度その時に、私のアルムくんへの評価もミスティ様に近付いている不届きものからから変わって、廊下で包帯ぐるぐるなのを大袈裟だなあ、なんて思いながらも魔法使いとしてちゃんと頑張ろうとしてる人なんだなって思っていた。
グレイシャの事件後に魔法生命について本当の顛末を教えて貰うまでは。
それは、廊下ですれ違って大袈裟だと思っていたアルムくんの包帯の真実だった。
聞かされたのは嘘のような悪夢の話。
ルクスくんが使う巨人を遥かに超える大百足。
一度歩けば地面を穿ち、撫でるように建物を壊し、目的の為に人の命を軽々と食らう常識外の怪物のお話。
まるで創作のような現実だった。
宿主と一体化するみたいな話は正直よくわからなかったけれど、一番弱いであろう状態ですらルクスくんが歯が立たなかったと聞いて顔が青ざめたのを覚えてる。
そんな怪物をミスティ様達やヴァン先生、そして現地にいた協力者含めて足止めし、そして……アルムくんが倒したと話の最後は締めくくられた。グレイシャの中にも同じような怪物がいたのだと。
でも……正直に、告白しようと思う。
それでも、私フロリア・マーマシーは魔法生命についての話を聞いた時、正しく想像できていなかった。
その脅威を、存在を。
ちょっと誇張入ってるよね、なんて思っていた。魔法使いよりちょっと強いくらいで怪物というほどじゃないんだろう、本なんかに載ってる自立した魔法の範疇だろう。そんな願望にも似た甘い感想を抱いてた。
けど違う。
その時の私に教えてやりたい。
お前みたいな下級貴族が勝手に判断を下して過小評価するなって。
お前は何様で、アルムくんを上から評価してたんだって。
実際に対峙してその偉業がようやくわかった。
ああ、今ならわかる。
こんな――こんな――!
アルムくんやミスティ様は――こんな怪物と戦ってたの――!?
「ネロエラ……逃げて……!」
『何を言っている!? フロリアは!?』
「私がこいつを……足、止めするから……!」
血統魔法によって魔獣の姿に変わったネロエラはフロリアの無謀な発言を聞き間違えてはいないかと耳を疑う。足止めなど出来るはずがない。
『ベネッタ・ニードロスの仲間、か』
一つ喋るだけで負けそうな威圧にフロリアは震えながら何とか立つ事が出来ている状態だった。
感じる恐怖はミノタウロスの鬼胎属性の影響でさらに加速する。
「早く病院に……学院にいる治癒魔導士の人も呼ばないとベネッタの腕……!」
『わかっている。わかっているが……あんなの相手に時間稼ぎは無謀だ……!』
「やるしか、ないでしょ……!」
ミノタウロスが動く。
ベネッタが倒れていた場所に向いていたミノタウロスの体がフロリアとネロエラのほうへとゆっくりと向きを変えた。
「ひっ……!」
『これっ……は……!』
正面から見る異形の姿。
巨大な角を擁する牛の頭に隆起した筋肉を持つ人型。嫌でも見上げざるを得ないその巨躯に二人の体は露骨に恐怖の反応を示す。
ベネッタを救い出した際に二人の勇気はすでに底を尽きていた。
「ど、どってこと……ない……!」
特に今自分の姿がどう見えているかわからないフロリアの恐怖は計り知れない。
どうせ見えないんだから歯でも足でも震えさせとけと、やけくそ気味にフロリアは強がった。
マーマシー家の血統魔法は簡単に言えば、自分の姿を見た人物が思う敵の姿に見せるというもの。
ゆえに今自分の姿がこの怪物には何に見えているのか全く想像がつかない。この怪物が自分の思う敵を見てどんな反応を示すのかも。
より囮に、時間稼ぎをしやすくする為に使ったものの、この怪物がどんな反応を示すかが全く予想がつかないのが恐怖を助長する要因だった。
この震えた足で逃げられるだろうかと、フロリアの脳裏に最悪のビジョンが浮かんだ時。
『お……おお……!』
フロリアの姿を見た途端、嗚咽のような声とともに牛の目から涙が零れ落ちた。
涙を流す事にも驚いたが、何の感情を持ってその涙は流れたのかがわからない。
ミノタウロスの目からは涙が止まらなかった。
体が巨大であれば涙も巨大。ミノタウロスが流す涙は雨のように石畳を濡らしていく。
『貴殿もか……! 貴殿もこちらに来ていたのか……!』
「……?」
一体自分は何に見えているのかとフロリアは混乱する。
怪物の目にも違う姿に映る自分の血統魔法への信頼は上がったものの、どういう類の勘違いをしているのか全く予測できない。
『なんたる幸運……! いや、運命というべきか! 例え異界の地にあろうとも我々はこうなる定めなのだな! 我が首を斬られた時は貴殿が来た事を呪ったが……今はこの巡り合わせを故郷の神々に感謝せねばなるまい!!』
フロリアとネロエラを置いてけぼりにしてミノタウロスは感情のまま捲し立てる。
二人が出来るのはその会話をただ聞く事だけだった。
一体誰と勘違いしているのか。
再会を喜ぶこの怪物の敵とは一体どんな存在なのか。
それがわかるのはミノタウロスだけだった。
『貴殿がいるのならこの世界で英傑を探すまでも無い! 再戦といこう我が運命! 貴殿を打倒し、我が身の神話をここで新生させる!! この世界で語られるは……いや、待て……』
突如、ミノタウロスの声に冷静さが戻った。
人間のような感涙は収まり、ただ恐怖をもたらす怪物の姿に戻る。
『違う。貴殿がここにいるわけがない。そうだ……彼は殺される事こそあれど敗北するような男ではないだろう』
一人で勘違いを正すその姿に理知を感じる。
勘弁してよねとフロリアは諦めにも似た笑いを浮かべた。
本の中の怪物のようにただ力のまま襲うような存在であればどれだけよかったか。
『名乗れ。我が運命の姿をした者よ』
「……」
元々囮の為にと使った血統魔法。ばれたのなら意味はない。
フロリアは言葉のまま血統魔法を解除する。
「ふ、フロリア・マーマシー……あなたが戦っていたベネッタと同じ……学院の生徒よ」
『何故その姿を知っている? 我が身を殺した運命の姿を』
「私の魔法はそういう魔法なの……あなたに私がどんな姿に見えてるのか……私にもわからないのよね」
『ハハハハハハハハ! 面白い。我が運命の姿まで見る事が出来るとは……今宵はいい夜だ』
そう言いながらミノタウロスの視線はネロエラが背にのせたベネッタのほうに向く。
間違いなく脆弱な人間だった。
ただの一撃で死に体となった、本来なら敵にもなるはずのない弱者。
武器を使わずとも捻じり殺せそうな路傍の石だと思った相手。
『そなたは……決して我が身が求めた英傑では無い』
転ぶきっかけになるはずもない路傍の石に自分は膝をつかされた。
果たしてこの少女は本当に石だったのか?
起きた事実に敬意を払い、重い足音を立ててミノタウロスは背を向ける。
『だが――あの母と子にとって貴殿は確かに英雄だった』
歩いた先にあるパン屋に手を出す事は無く、一瞥だけをして通り過ぎる。
ミノタウロスは手放しの賞賛をベネッタに残し、その場を去っていった。
一体どこに行ったのか、夜の闇に溶けていくようにその姿は消えていく。
怪物の姿は消え、ベネッタの戦う意志が途切れたように、ちゃりんと音を立ててベネッタの手首に巻かれた十字架が石畳に落ちた。
「は……はぁああああ……」
ぺたんと怪物が去った直後、その場にへたりこむフロリア。
冬だというのに冷や汗が止まらない。
何故見逃して貰えたのか。そんな事はどうでもいい。汗すらも生きている喜びのような気がしてフロリアは嬉しかった。
『フロリア、安心している所悪いが早く病院に……』
「……先、行ってくれる?」
『な、何故だフロリア? どういうわけか、ここには戦闘の跡すら無い。こ、腰が抜けた事なら気にしなくていい。私の背中に……』
「その……」
フロリアは言いにくそうに。
「安心しちゃって……おしっこ、漏らしたの。恥ずかしいから先行ってて……」
対してネロエラは。
『そんな事は知っている。わ、私の魔法は知っているだろう。狼型のエリュテムになるんだ、本物ほどじゃないが嗅覚も上がっているのだからすぐに気付く。気にしないから乗るといい』
言われて、怒りを訴えるようにフロリアはネロエラを睨みつけた。
「同性とはいえもう少しデリカシー持ってよね。私が気にするの」
『す、すまない』
「ん?」
へたり込んだフロリアはネロエラの足下に落ちていた十字架に気付く。
十字架はベネッタの血で赤く染まっていた。
「これ……ベネッタの?」
『そ、そうだろう』
赤く染まった十字架を見てフロリアはベネッタのほうに自然と視線が動く。
「あなた……一人であれと戦ってたの?」
それは信じられないような、讃えるような、複雑な視線だった。
わかりきった質問に、すでに意識を失っているベネッタから当然答えは返ってこない。
『さあ、早く行こう』
「うん……」
フロリアはハンカチでその十字架を包み、魔獣となっているネロエラの背中に遠慮がちに乗る。
血塗れのベネッタを極力揺らさないよう急ぎながら慎重に、二人は病院へと向かっていった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなりますので、今日はもう一本短い幕間を更新します。