219.瞳に映る
「『天翼の加護』!」
即座に、ベネッタは信仰属性の強化を唱える。一瞬、ベネッタの体を銀色の魔力が包んだ。
今ベラルタを騒がしているその犯人、そして鬼胎属性渦巻く魔法生命を前にしてベネッタの精神は安定しているといっていい。肌を刺す恐怖を受けながら見事に中位に位置する補助魔法を唱えられたのだから。
『天使というやつか』
「!!」
『我が身が語られる信仰にその存在は無かったが――』
ただでさえ、ベネッタの体ほどの太さはあろう腕が血管を目立たせながら膨らむ。
それは単純な暴力の予兆。
構えられた両手斧はベネッタ目掛けて振り下ろされた。
『神の使いで……神に手を伸ばさんとする我が身に対抗するか?』
瞬間、ベラルタの街に轟音が響く。
砕かれる道。
跳ねる石片。
砕けた石材が作る土埃。
そこには一切の技など無い。
ベネッタが立っていた場所に築かれていた人間の文明が破壊される。
轟音の横で攻撃をかわしたベネッタに得意気な顔をする余裕など無い。ただただ驚愕が表情を染め上げる。
「え――?」
しかしベネッタの驚愕はその膂力に対してだけにあらず。
振動で多少バランスを崩しながらベネッタはその光景を見た。
今ミノタウロスが破壊した石畳がみるみるうちに直っていく様を。
「な、なにそれー!?」
今起きた出来事に驚いている暇も無い。
その巨大さから重量も規格外のはずの両手斧が、まるで子供が落ちていた枝を拾うかのように軽々と持ちあがる。
二撃目の予兆。
ベネッタは驚愕を頭の隅に置いて備える。
『驚愕する暇があるか?』
今度は振り下ろすのではなく斜めに。
かわした先のベネッタを切り裂くような軌道を描いて両手斧は振るわれる。
「ひ……!」
中位の強化をかけた状態でようやくかわせるその速度。
突風のような風圧が髪を巻き上げ、両手斧から微かに香る鉄臭い匂いが恐怖を煽る。
ベネッタを捉えられなかった両手斧によって再び石畳は砕け散った。
その巨体ならもっと鈍重であってほしいと誰にも届かない愚痴を零しながら、ベネッタは目の端でその砕け散った石畳を確認する。
さっきと同じように、石畳は何事も無かったように直っていく。
「また直った……! 何が――」
声の途中でベネッタは見た。
直っていく石畳に這うように蠢く奇妙な模様。
かつて『シャーフの怪奇通路』内部で見た時のような模様を。
「まさか……」
ミノタウロスはさっき自身を迷宮の支配者だと言った。
そして、ベラルタの地下にある迷宮を支配したと。
(この怪物がいる場所が『シャーフの怪奇通路』になってる――?)
だとすれば、この推測も決して突拍子の無いものじゃない。
自立した魔法は基本その場に留まる存在。
しかし、その常識はすでに【原初の巨神】の侵攻という実例が覆してる。
外からの介入が自立した魔法を動かすのはすでに去年証明された事だ。この怪物が本当に迷宮を支配しているというのなら有り得ない話じゃない。
『意外に動けるな』
「っ!」
ベネッタが二撃かわしたのを見てミノタウロスが足を踏み出す。
ミノタウロスからすれば少し距離を詰めただけだが、頭部を低くしてこちらに向かってくるその姿はベネッタに牛の突進を思わせた。
歩いただけで石畳が砕ける。
そして奇妙な模様がその箇所を這って直す。
どれだけその力を振るっても街の傷跡は奇怪な力で修復されていく。
ふと、その光景を見てベネッタは思う。
直ってるんじゃなくて、戻ってる――?
「『聖撃』!」
思考できたのはそこまで。
距離を詰めたミノタウロス向けてベネッタは二本の指を向ける。
その指から銀の魔力が放たれた。
『無駄だ』
しかし、ミノタウロスがただ手の平を掲げるだけでその魔力は弾かれた。
相手は魔法生命。その"現実への影響力"は下位の魔法などものともしない。
ベネッタは魔法生命の存在を知ってこそいるものの、その肉体に攻撃したのは初めてだった。
しかし、すぐに自分の攻撃魔法の無意味さを実感する。
「【魔握の銀瞳】!」
『む……?』
袖の下から晒される手首の十字架に銀色の光が灯る。
重なる声がベラルタの街に響き渡り、ベネッタの翡翠の瞳は銀色に塗り替えられた。
ベネッタの変化に一瞬、ミノタウロスは警戒の顔を見せる。
『血統魔法というやつか。その目……"邪視"の類か?』
いや、と。
ミノタウロスは怪物の姿からは想像もつかない冷静さをもって知識と情報を整理する。
『それが"糸"か』
「――!」
せめて情報を。銀の瞳が映すのは魔力ある命。
魔法使いの卵が集まるベラルタでベネッタの瞳は多くの魔力を映すも、魔力で誰かを判別できるわけではない。
今判別できるのは一際巨大な魔力を持つアルムと普通の視界にも入っているミノタウロスの存在。
(見えない……! 百足みたいな核が無い――!)
かつてミレルで見た魔法生命とその宿主。
大百足は宿主の魔力と大百足自身の核の魔力の二つが見えた。シラツユにもシラツユ自身と核の二つが見えた。
だが――どちらも無い。
目の前のミノタウロスには宿主の魔力も核も無い。
それはつまり宿主が核を保有しているという事。
宿主が――ベラルタのどこかにいる――!
「どこ……!」
このベラルタで一体何処に潜んでいるのか。
ベラルタは今二日続けて起きた子供の失踪事件で憲兵達が巡回している。
見知らぬ魔法使いがいようものならすぐにわかるはず。
潜んでいたとしてもこの瞳で暴く。
甘く見るなとベネッタはミノタウロスが次の動きを見せる前に核の在り処を探す。自立した魔法の核は探せないが、魔法生命は魔法であって生命。その核をこの瞳で捉えられるのはすでに経験が物語っている。
「え……?」
見つけた。
あっさりと。
間違いない。すでに見た事があるからこそわかる大百足や白い龍と似た、人間とは違う魔力の形。
見つけたけど……この場所は――。
『して……その瞳は我が身を止められるのか?』
「!!」
一瞬、核の場所に気を取られてベネッタの反応が遅れる。
油断していたわけではない。両手斧の動きには注意を払っていた。
だが、ミノタウロスは詰めた距離をさらに一歩踏み出し、ただその腕を振るったのである。
広げた手の平は天蓋のように。ベネッタを潰すように叩きつけられ、両手斧とは違う素早い挙動がベネッタの回避を間に合わせない。
「『守護の加護』!」
『薄い』
防御魔法を展開するも、遅れた反応をフォローできる一瞬の時間しか稼げず、ミノタウロスの親指がベネッタの腕を掠る。
「あ……く……!」
ただそれだけ。たった一本の指の膂力によってミノタウロスの爪がベネッタの腕の皮膚を制服ごと削ぐ。
本来なら痛みによって恐怖は加速する。
しかし、痛みの恐怖よりも自分の得た情報の衝撃がベネッタに精神を保たせた。
(伝え、っないと……!)
自分の瞳が見た核の場所を誰かに、誰かに伝えなければ。
ここで自分が死んだら犠牲者がもっと増える。
例えこの怪物の周囲が『シャーフの怪奇通路』と同じ性質を持っていて、今から迷宮を作られたとして自分ならきっと抜け出せる。
この瞳は魔力のある命を見るだけで誰か判別できるわけじゃない。
でも一つ、確実に誰かわかる魔力がある。
瞳に映る一際巨大な魔力。
脅威に直面しているベネッタにとってそれは希望の光にも似ていた。
急いで走れ。そして伝えろ。
核さえわかればきっと、きっと。
こんな怪物でも倒してくれると信じられるアルムくんの下に――!
「掃除は朝にしたっていいのよ?」
「朝は仕込みがあるから駄目だよママ。それにいつもこの時間にやってるんだし」
「わかったわ。じゃあママと一緒に急いでやりましょうか」
通りの向こうから声がした。
「―-っっ!」
……ベネッタと怪物の動きが止まる。
自然と、双方の目は声のする方向に視線を送った。
二人の瞳が見るは通りの奥に見えるパン屋の前。
その扉から、仲睦まじい会話をしながら母親と子供が出てくる。
ベネッタがさっき話していた――パン屋の母子が――!
『今宵の、無垢なる犠牲は決まったな』
「駄目!!」
例え多少の礼節を持っていても、例え話が通じると思っていたとしても。
目の前にいるはマナリルの敵。
怪物は――怪物たる由縁を示す声を発した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
昨日予期せず更新できなかったので明日二回更新します。