217.異変の兆し3
「なんか、結局お茶しただけみたいになっちゃったねー」
ルクスとエルミラ、そしてベネッタの三人は病院を出る。
見上げれば鉛のような灰色の雲。遠い地平線から僅かに漏れ出る夕暮れの光が今の時間を知らせてくれる。
心なしか、ベラルタの住人は急いで帰宅し始めているように見える。二日続けて子供が失踪するという物騒な出来事が起きたのだから当然かもしれない。子供のいる家は特に気が気ではないだろう。
「あの女が来たからよ全く……結局何しに来たのか気になって仕方なかったし……」
「まぁまぁ、地下道の入り口がどこかわかるって教えて貰っただけいいじゃないか」
「そうなんだけどさ……」
結論から言えば、シャーフは地下道の入り口がどこにあるかを覚えていた。
話によれば地下道計画の主導だったハイテレッタ家に一つと後は区画ごとに一つずつあるのだという。予定ではもっと多かったが、繋げられたのはその五つだけらしい。
東の区画にある入り口はベネッタの脱出によって場所が変わっているので恐らくはシャーフの記憶と違うだろうが、これで当時の地下道についての資料をシャボリーが見つければシャーフの言動の真偽もある程度確かめられるだろう。
「うーん、シャーフさんの事ボクもう信じちゃっていいと思うんだけどなー……」
病院の方を見上げながら、ベネッタが言った。
「あんた本当に時間転移したって信じるわけ?」
「そうじゃなくてー……時間転移出来たかは置いといて、シャーフさんが本当の事言ってるんじゃないかって。だって……自分が三五〇年前の人間だって言う意味がわからないしー……」
「それは……」
そう、当然エルミラも考えてはいた。
シャーフの言葉が嘘で無かった場合の意味。自分が三五〇年前の人間だなんて口走れば怪しまれるに決まっている。ベラルタへの潜入、特定の人物への接近、どれをとってもメリットが全く無い。わざわざベラルタで倒れていた意味とは? 被害者として扱われる為だとしても、ルクスが発見したのは雨の日の路地……見つかりにくそうな場所を選んでそんな事をする意味があるだろうか?
「わ、私達じゃ思いつかないメリットがあるのかもしれないでしょ」
とはいえ、本当だとしたらあり得ないというのも事実。
どちらが有り得ないかだけを考えた時、有り得ないのは時間転移のほうだ。だとすれば、嘘だという前提で怪しむしか選択肢が無い。
「まぁ、ボクが考え無しって言われたらそれまでなんだけどさー。ルクスくんはどう思う?」
ベネッタに聞かれて、ルクスは少し目を伏せて考える。
「半信半疑ってとこかな……彼女の言葉が本当か嘘かはともかく、雨の中倒れていたのを見てしまったから僕にはどうしても被害者にしか見えない」
ルクスはそこで何かに気付いたように言葉を切った。
一旦、切り替えるように目を瞑る。
「いや……都合のいい事を言ってるね。助けたからそうとしか見えなくなってるなんて恩着せがましいし、盲目と変わらない。忘れてくれ」
「何もそこまで自虐する事無いと思うけど……」
「何か……ルクスくん責任感じてるみたい」
「いや……そんな事は、無いと思うんだけど……」
言われて、図星を突かれたような感覚にルクスは陥る。
しかし、ベネッタにそこを追及するような意図は無く歩き出した。
「ま、ボクは忘れろって言われたらしっかり忘れるけどね」
あんた本当に忘れそうね、と失礼な考えを口から出す前にベネッタが歩き出した先がミスティの家への方角ではない事にエルミラは気付く。
昨日と同じように互いの事を報告し合う予定のはずだが。
「ベネッタ? ミスティんとこ行くんでしょ、ボケた?」
「流石のボクもわかってるよー……パン屋さんにいくの、明日も尋問その二やるんでしょー。全然尋問じゃなかったからお菓子無くなっちゃたし、今のうちに買ってこうと思って」
「なら私も行くわよ」
「うん、僕も付いていくよ」
「いいよいいよー、お菓子買うだけだもん。先行っててー」
「でも……」
ベネッタは戻ってきたかと思うと一人で買いに行かせる事を躊躇うエルミラに耳打ちする。
「ルクスくんのお話聞いてあげて。ボクがいると話してくれないかもしれないから」
「ベネッタあんた……」
「じゃ、後でねー」
「あ、ちょ……」
自分の事をエルミラの頭から振り払わせるようにベネッタは走っていってしまう。
あっという間に走って行ってしまったその背中を二人は見送る事しか出来なかった。
「……じゃあ、任せましょ」
「いいのかい?」
「ええ、行きましょ」
ベネッタの気遣いを受け取らないわけにもいかず、エルミラはミスティの家へと歩き出す。ルクスもまたそれに付いていくように歩き出した。
「何か疲れたわ」
「気が張ってるのかもしれないね。まだ二日とはいえ慣れない見張り役なんてしてるわけだし……エルミラは色々調べてくれたみたいだし」
「私だって疑いたいわけじゃないのよ? でも、わからないままにしとくのが嫌なだけ」
今まで私達わからないものと戦ってきたんだから。とは言えなかった。わからないと言いつつもシャーフを頭ごなしに敵と見なしているようで……結局ベネッタの血統魔法でシャーフを見てもらう事も今日はしなかった。
疑っているとはいえ、シャーフが悪い人間には見えないのはエルミラも同じ。ベネッタの事あんまり言えないなと思いながら、エルミラはつい肩越しで後ろに見える病院を見てしまう。
病院からミスティの家までは歩いて二十分ほど。どちらも学院から比較的近い為、そこまで距離は無い。ミスティの家まで後半分まで来たところで。
「責任、って言われて少し驚いたんだ」
ルクスは先ほどベネッタに言われた話を掘り返した。
「さっきの話?」
「うん。少し考えたんだけど……もっと、くだらない事なのかもしれないなって」
「くだらないって?」
なんでもないようにエルミラは返す。深刻そうに受け止めれば、曇った空も相まって暗くなりそうな気がして。
「僕はもしかしたら……シャーフさんが敵だった時、助けた自分が間違いになる事が怖いのかもしれないって」
「はぁ?」
「はは、正直な反応ありがとう」
呆れたようなエルミラの反応をルクスは予想していたのか、小さく笑う。
「助けた彼女が敵だったら、この町に何か被害をもたらしたら……今起きてる子供の失踪にもし、シャーフさんが関わっていたんだとしたら……それはあの日彼女を助けた僕の過ちなんじゃないかって。だから僕は彼女が何者なのか明らかにするのが怖いのかもしれない」
だから、責任という言葉に少しだけ心臓が跳ねた。
「僕はあの日、当たり前に彼女を助けたけど……それが間違いになってほしくないのかもしれない」
助ける、という事は誰かの道を変える出来事なのだと自覚させられたような気がして。
「当たり前だと思っていた事が……間違いだったと、わかるのが多分怖いんだ」
それは幼い頃から貴族として、魔法使いとして、人を助ける事こそが当たり前だと思っていたからこその恐怖。まるで自分の芯に斧を入れられるような。
助ける相手が悪人だったら?
今まで考えなかったわけではない。ただ、実際に直面しなければ想像が出来なかっただけで。
「案外ルクスって馬鹿よね」
そんなルクスの恐怖をエルミラは一声で一蹴する。
「それ……あんたが間違えたんじゃなくて、助けた相手が間違えてるだけじゃない」
「え……?」
そんな事もわかんないのか、と呆れるようにエルミラはため息を吐く。
やれやれとエルミラは両手を上に向けて首を振った。
「そんなの助けた奴が勝手に悪い事してるだけでしょーが。それであんたのやった事が間違いになる事なんて無いわよ。雨の中倒れた女の人を助けて責めるやつがどこにいんのよ? むしろ無視したやつのほうが責められるじゃないの」
「…………言われてみれば……そうなのかな?」
それとこれとはまた話が少し違う気もするが、エルミラの堂々とした様子もあって納得してしまうルクス。
深刻そうな雰囲気など犬に食わせる勢いでエルミラは続けた。
「だからシャーフがもし敵だったとしても別にルクスのせいじゃない。敵だったらあんたに助けられなくても何かやったでしょうよ。だからあんたの考えは的外れもいいとこ、とんだ勘違い、考え過ぎてむしろ馬鹿になってるわ」
「ははは、いつにも増して滅茶苦茶言うね」
「没落貴族にこれだけ言われるような馬鹿を言い出したそれこそ自分のせいよ。全く……真面目に聞いて損したわ」
怒ったようなエルミラの口調にルクスは頭をかく。
これ以上何か言うとまた怒られてしまいそうな雰囲気だったが、これだけは伝えとこうと口を開いた。
「ありがとう、エルミラ。情けない事聞かせてすまない」
「情けないとは思ってないわ。ちょっと考えすぎなだけでしょ。ルクスって肩の力入るとそうなるじゃない」
「そうかな?」
「そうよ。あなたが何でそうなるかまでは……私にはわからないけどね」
「ありがとうございました」
「こちらこそー。戸締りしっかりしてくださいねー」
「また来てくださいね」
「うん、また来るねー」
ルクスとエルミラと別れ、パン屋でお菓子を買い終わったベネッタ。
扉を出る直前まで店内の店主と店を手伝う息子に手を振って後にする。
「ふんふふーん」
袋を鞄に入れながら鼻歌なんぞ歌うベネッタ。
明日用のお菓子を買いにくという判断が今日店に出したばかりの新作お菓子にベネッタをありつかせたのである。アルムとミスティの分もしっかり買っていい買い物が出来たと御機嫌だ。
「おっと、もう夜だ……」
この通りには大通りのような魔石の街灯は無く、古くからある蝋燭を立てるタイプのものだけだ。それを知ってかもう人通りはほとんど無い。ベネッタが寄ったパン屋も閉める直前だったので、ベネッタが買い物し終わるや否や店じまいとなっていた。
僅かに町に届いていた夕陽の橙色の明かりも消えている。町はすでに夜に包まれていた。
「いっそげいっそげ」
ベネッタは小走りでミスティの家に向かう。
互いの事を報告し合う、なんて名目で昨日も集まっているが、ベネッタはみんなで集まれるからという理由で行っているだけに過ぎない。実際報告するならシャーフを見張るほうとマリツィアを見張るほうの一人ずつが会えばいいわけで、それでも全員がミスティの家に行くのは少なからず自分と同じ思いが他の四人にもあるのだろうとベネッタは勝手に信じている。そっちのほうが嬉しいからだ。
石畳を蹴る足音は軽快で、跳ねるようだった。
「あ、にゃんこ」
人通りが無い中、呑気に石畳の上で丸まってる猫に目が止まる。
星の光も雲で遮られていて、今日は一層暗い。光る猫の目さえも目立っている。
「あ……いっちゃった……」
ベネッタが猫の横を通り過ぎようとすると、猫は立ち上がって路地の方に走っていってしまった。
ぺたぺたと肉球が石畳を踏む音でさえ響きそうなほど静まり返っている。
はぁ、と白い息を吐く音も、ベネッタの足音も、声も、漂うように色濃く残る。
「っていうか……」
つい、きょろきょろと辺りを見回す。
古い町に、取り残されているかのようにベネッタは一人だった。
寂しいという感情よりも先に――疑問が浮かぶ。
「なんかー……」
静か、すぎるような――?
「考えすぎかな……?」
一人だから恐くなるのかもとベネッタが足を速めようとしたその時。
『そなたが、ベネッタ・ニードロスか?』
背後からの問いに、肯定の声で答えるより先にベネッタは振り返る。
「え? そう――」
声の主を目の当たりにした瞬間、声は最後まで出なかった。
その声の主の姿は、人型ではあっても人間では無かったから。
『一夜で出会えるとは何たる幸運……これも天命と言うべきか』
その姿は一言でいえば怪物だった。
牛のような頭に湾曲した角。頭部から下は人型だったが、その巨大さが人間である事を否定する。ベネッタの三倍はあろうかという巨体は人間の町という場所に存在するだけで異質さを感じさせた。
隆起した筋肉の目立つ腕。そして手には見たことも無い巨大な両手斧が握られており、時折石畳に当たって鈍い金属音を響かせる。
「あ……なた……」
瞬時にベネッタは理解する。
その牛の頭を持つ巨躯の正体を。
『我が名はミノタウロス。悪く思うな、"糸"になり得る者よ。我らが望みを叶える為――その命、断ち切りに参上した』
ミレルで目にした大百足と同一の存在。
目の前の怪物は魔法生命と呼ばれる――マナリルの敵であるという事を。
いつも読んでくださってありがとうございます。
感想、ブックマーク、評価してくださってる方にも感謝を。皆さんの応援のおかげで第四部もまた話が動くとこまで書く事が出来ました。