213.異変の兆し2
ルクスとベネッタの笑いの波が落ち着くと、ベラルタでの散歩は再開された。
ただの散歩というには複雑な、三五〇年前にここにいたと言うシャーフの為の散歩だ。
無論、誰もがアルムのようにシャーフの話に目を輝かせるわけがない。魔法を使える幻を現実にする者でも……いや、だからこそ信じられない。現実にできるからこそ、何を出来ないかが色濃く浮き上がってくるのだ。
今こうしているのも意地の悪い言い方をすれば三五〇年前の人間だと名乗るシャーフにボロを出させる為だと言っていいだろう。
そう、本来ならありえないはず。
「大通りから外れた途端複雑になるのは変わらないですね、王都に行く前にここで宿をとる方は大抵夜に飲み屋さんに行くと迷うんですよね。だから飲み屋さんの周りの人達はすっかり案内上手になっちゃって……これってベラルタあるあるだったんですけど、今はどうなんですか?」
「ここら辺の建物はちょっと変わりましたね。丁度ここに細長い家があって、私達はノッポ家って呼んでたんですけど今はこんなに新しくて立派な……。……新しすぎるような気がしますけど……最近建て替えたんでしょうか?」
「ここにダムスに誘われて来たワインのお店があって……すごいんですよ、もう渋くて渋くて。王都に近いのに何でこんなまずいもの運んでこれるんだろうって二人で大笑いしていました」
だが、散歩を続けている内にあり得ないという否定から半信半疑にまで三人の中で変化が起きていた。
あまりにも、話にリアリティがありすぎたのだ。
ロードピス家の当主の話もそうだったが、その語り口からはどこぞで調べた知識を披露するような感じが全く無い。
行く先々で淀みなく話すそのエピソードの数々が嘘だとすればこの女はとんだペテン師と言えるだろう。
差異を確認できる話といえば新しすぎると言った建物くらい。ルクス達が歩いているのは第一寮を通り過ぎて第四寮のある西の区画。【原初の巨神】が降らせた木の雨によって一部の建物が建て直されていた場所だった。
ベラルタを歩くのが楽しいのか、シャーフはいつの間にか一番前を歩いていて少し複雑な路地に入っても迷う様子も無い。
「エルミラー……これ本当に……」
「……私もちょっと信じ始めてるわ」
路地を抜け、比較的広い通りに出た。
通りかかる憲兵に頭を下げながらエルミラとベネッタはこそこそと小声で信じ始めている自身の心情を話し合う。
まさか、
まさかね?
なんて声が二人の表情から聞こえてくるようだ。
「あー!」
「わ、な、なに?」
「ここまだパン屋さんじゃないですか! 外観は全然違いますけど!」
今日一番のテンションでシャーフは店を指差す。記憶と違うベラルタを歩いた中で同じ立地に同じ物を扱うお店があるのは確かに嬉しい偶然だろう。
その店からは食欲をそそらせるパンの香りが漂ってきている。散歩によっていい具合に小腹を空かせる体にはより魅力的だ。
「ああ、あそこね。今の私達のお気に入りよ」
「そうそうー、お菓子がおいしいのー」
「パン屋だけど……お菓子なのかい?」
「パンも美味しいけど、焼き菓子系が最近きてるのよ」
「そうなのー!」
パン屋なのにという至極真っ当なルクスの疑問。答えるエルミラとベネッタは最近ここの焼き菓子を買ってお茶をするのが定番になっているだけに言葉に少し熱がこもっていた。
「そ、そうなんだね……」
二人とも甘い物が好きなだけに目が真剣で自然と気圧される。
シャーフもその話を聞いて目を輝かせていた。
「買ってく?」
「あ、いえ、お金が無いので……」
「そんぐらい奢るっての。ねぇ、ルクス?」
「来ると思った。まぁ、当然そのつもりだよ」
「で、ですが……」
「甘えときなさい甘えときなさい。なんせルクス様はオルリック家だから。私達下級貴族と違ってお金持ってるからパンとお菓子奢るなんて余裕よ余裕」
シャーフが遠慮しないようになんでもない事のように語るエルミラ。
「ルクス様! ボクの分とか奢ってくれませんかー!?」
「いいよ、エルミラとベネッタには一緒になって助けてくれた借りもあるし」
「やたー!」
シャーフに遠慮させないよう働きかけるどころか自分自身が遠慮のないベネッタは無邪気に喜ぶ。
いい意味でルクスの扱いが少し雑な二人にシャーフはくすくすと笑った。
ルクスが奢ってくれると言うやいなやベネッタはパン屋の中に入っていった。からんからんと扉に付いているドアチャイムと店の中から元気な入店の挨拶が聞こえてくる。
「ごめんなさい。お言葉に甘えていいですか? 誘惑に抗えそうになくてですね……」
「あはは。ええ、元からそのつもりでしたからどうぞ」
「ありがとうございますルクス様」
シャーフはルクスに頭を下げて、ベネッタに続いてパン屋の扉に手を伸ばす。
「半分出す?」
「大丈夫だよ。エルミラの言った通りオルリック家は上級貴族さ。このくらいはさせてくれよ」
「そう? ならいいけど」
少し声のトーンを落として話す微笑ましい後ろの会話を聞きながらシャーフはパン屋の扉を開く。
「いらっしゃいませー!」
開けると、彼女を出迎えたのはシャーフの胸辺りの身長しか無い男の子だった。
「ず、ずいぶん小さい店主さんですね?」
「あ、いや、その子はお店手伝ってる店主さんの子供だから……」
シャーフの買ったパン数個とエルミラとベネッタが選ぶクッキーの詰め合わせと一押しの新作を三人分の会計をルクスがすます。
エルミラとベネッタが最近よく来るため、店主さんと店を手伝っている男の子と少し世間話をすると四人は店を出た。
「ありがとうございましたー!」
「また来るわ」
「またねー!」
元気な男の子の声にエルミラとベネッタは手を振って四人は店を後にする。
少し温かい紙袋を抱えるシャーフは目に見えて上機嫌だ。
「ありがとうございますルクス様。ただでさえお世話になってるのに買ってもらってしまって……」
「気にしないでください。それに、僕の友人もしっかり奢られているので」
「「ありがとうございまーす!」」
示し合わせたかのように声を揃えて笑顔のエルミラとベネッタ。きっと次のお茶会に想いを馳せているのだろう。
パンは第二寮に帰ってからね、と話していたその時。
「どうもー」
「お疲れ様です」
前から歩いてきた二人の憲兵にルクスとエルミラ、そしてベネッタは会釈する。憲兵のほうもまたルクス達と同じように返してくれた。
生徒が巡回中の憲兵に会釈するのはここベラルタでは普通の光景なのだが、二人の憲兵の顔が少し険しかった事がエルミラは気にかかる。
「あ……」
そんな中、シャーフはささっと歩いてくる憲兵から離れるようにルクスに寄りながら服を掴んだ。
「どうしました?」
「あ、い、いえ……ごめんなさい……」
かちゃかちゃと憲兵が腰に差す剣が揺れる音が遠ざかっていく。
シャーフはそれを肩越しに確認するとようやくルクスから離れた。
「……どうしたのかしら?」
「ただの憲兵さんだけどー……?」
魔法使いだったというのなら平民の兵も見たことがあるはず。
通りかかった憲兵は二人。確かに少し表情は険しくて気にかかったものの、振り返って見てみてもおかしな様子は無い。
だというのに、シャーフはさっきまでの明るい様子がすっかり無くなり意気消沈としていた。
「ひ――!」
また少し、第二寮に帰るように歩いていると前から歩いてきた二人の憲兵を見てまたもやシャーフは悲鳴に近い声を上げた。
今度は憲兵からしっかり目を逸らして両手でルクスにしがみつく。パンの袋を離してしまうが、落ちる寸前にルクスが袋をキャッチする。
「シャーフ……さん?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
何度か謝りながらも離れないシャーフ。
シャーフの様子のおかしさに後ろで見ていたエルミラが動いた。
「ルクス、ちょっと落ち着かせてきて」
「だ、大丈夫です……ごめんなさい……」
「そんな震えて大丈夫なわけないでしょ。いいから」
「落ち着かせてきてって……エルミラは?」
「ちょっと話聞いてくる。そこら辺で待ってて」
おかしいと感じたのは何もシャーフの様子だけではなかった。
まだ夕暮れには少し早い時間帯だというのに、それにしては見回りの憲兵が多い。ここ西の区画は今使われてない第四寮の立つ区画で、生徒の姿ははほとんど見えない。それにも関わらず少し歩いただけで二度も巡回の憲兵とすれ違うなど夜の大通りのような警戒具合だ。
「ベネッタ」
「うんー」
シャーフを任せてエルミラとベネッタはすれ違った憲兵の背中を追い掛けた。
肩越しに後ろを見ると、ルクスはしっかりシャーフの手をとって比較的人の通らないであろう路地のほうに入っていく。
「ちょっといい?」
「は、はい。何でしょう?」
すれ違ったばかりの学院の生徒が声を掛けてきた事に少し驚いている。
すれ違っていた時に見えた険しい表情も生徒や住民と話す時は直すように務めているのか、精一杯にこやかにしているようだった。
「何かあったの? 何か今日、憲兵が多いように感じて」
「ああ……」
憲兵二人は答えていいものかと確認するように顔を見合わせる。
学院の生徒だからだろうか、片方の憲兵がが頷くと聞かれた憲兵は少しかがんで口元に手をあてる。他の住民に聞こえないようにする為か、憲兵は小声でエルミラとベネッタに憲兵が増えた理由、ベラルタで何があったかを話した。
理由を聞いたエルミラとベネッタの表情がすれ違った時の憲兵のように少し厳しいものに変わる。
「子供が……失踪した?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日6/20は更新しますが、6/21は更新できません。
序盤は特に進みを遅くしたくないのですが、今週は難しく……。スピードが戻りそうな来週まで気長にお待ち頂ければと思います……。