211.異変の兆し
「馬車からも見えましたが、大通りは色々な店が並んでおりますね」
「ああ、俺はほとんど使った事無いが……」
ベラルタ中央の大通り。
アルムとミスティはベラルタを見学するマリツィアに付いて町を散策していた。
散策とは言うもののアルムとミスティにとっては見慣れた大通り。マリツィアという爆弾を抱えている点を除けばただの散歩に近い。
ベラルタはすっかり冬。嫌でも厚着をせざる得ない季節だ。最近までマフラーと手袋だけで勝負していたアルムでさえ最近買った灰色のトレンチコートを着込んでいる。ミスティはラナが選んだ白のダッフルコート、マリツィアはヴァンから支給された黒のチェスターコートを上に着ていた。
最近は雲の多い日が続いていて、日の光が少ない天気が一層寒さを助長する。心なしか、普段活気ある住民達の雰囲気も少しだけ暗いような気がした。
「アルム様は普段どのようにお過ごしなのですか?」
「普段か……大抵ミスティ達と一緒にいるからな。その時の雰囲気によって何するか変わるな」
「……御学友と仲がよろしいようですね」
「ああ、皆よくしてくれている」
アルムとマリツィアが並んで話す中、ミスティは二人の一歩後ろを付いて歩いていた。後ろを歩いていると余計にマリツィアの付けているであろう香水の香りが鼻につく。
マリツィアがアルムを気に入っているのは明白。現に今もアルムの腕に絡みつくように腕を組んでいる。ダブラマの魔法使いとはいえマリツィアは他国からの客人だ。ならば最低限の機嫌は取らねばならないとミスティはほんの少し距離をとった。
それが例え弟を狙った魔法使いであったとしても割り切らなければいけない。
「食事はどうなさっているのですか? 色々お店が並んでいて目移りしてしまいますね」
「それもその時によるな……皆で何か食べる時もあるし、一人だとてきとうにすませるし」
「まぁ、食事を健康の基本ですからてきとうにだなんていけません。私が滞在している間だけでも何か作って差し上げましょうか?」
「いや、それは遠慮しておく。マリツィアは料理出来るんだな」
「はい、料理は得意ですから」
「……」
目の前の光景にもやもやとしながらもミスティはただ静かにマリツィアの行動に目を配る。
一歩引いてその光景を眺めているのは何もマリツィアの機嫌取りだけではない。グレイシャのヘッドドレスに魔石を仕込んでいたという話を聞いて今回も何かするのではとその一挙一動を観察する為でもあった。
ミスティが見ている限り現時点で魔法を使う気配は無い。何か魔石を仕込んでいる素振りも無い。
気になるのはアルムの腕に執拗に胸を押し付けている事くらい。同性だからこそその行動がわざとだというのがわかりやすい。
気に入っているとはいえ、見学という目的の中でこんな事をするのは何故か。
(狙いはアルム……?)
マリツィアの目的がアルムである可能性にミスティは気付き始める。
しかし、その可能性に確証を持てるかと言われると自信が無かった。
オウグスとヴァンからの話によれば、マリツィアのベラルタ見学はマナリルとダブラマの休戦条件の一つ。
つまりはダブラマという国そのものが出した条件だ。オウグスやヴァンといった名だたる魔法使い、そしてマナリルの未来を担うであろう学院の生徒の情報を差し置いてダブラマがアルムを求めているというのは少し現実感が無い。
アルムは確かにその功績を持って自身の価値を知らしめた。だが、その一人の為にダブラマがマナリルに休戦を持ち掛けるほどに動くだろうか?
もし動くのだとしたら――
(私達の知らない何かをダブラマは知っているのでしょうか……?)
大百足と紅葉、二回襲撃されていながら魔法生命についての情報がほとんど無いマナリルの弱さ、そしてマナリルという貴族が多い国だから起きてしまっているアルムという平民を認めない、知ろうとしない貴族達の風潮がミスティの思考を根拠の無い予測で留めてしまう。
そして思い返してみれば……自分はアルムの事をよく知らないという事にミスティは気付く。
知っているのはベラルタに来てからのアルムだけ。
アルムはベラルタに来てよかったと言っていた。だが、時々故郷を懐かしんでいる事もミスティは知っている。
けれど、彼が懐かしむその故郷での出来事を……ほとんど知らなかった。
何故そんな無属性魔法が使えるのか、どうやってあなたという人が育ったのかを。
「ミスティ」
「……」
「ミスティ」
「は、はい!」
今まさに考えていた人の声でミスティは我に返る。
いつの間にか、アルムはミスティの隣まで下がってきていた。反対側にいるマリツィアもミスティの様子を窺っている。
「大丈夫か? 体調でも悪いのか?」
「い、いえ、なんでもありませんわ。少し考え事をしていまして……申し訳ありません」
「本当か……? 無理しているなら家まで送るぞ?」
「ええミスティ様。私の事はお気になさらず」
心配そうなアルムの隣で貼りついたような笑顔を浮かべるマリツィア。
子供の頃から幾度と見た本心を隠す貴族の顔だった。
「いいえ、ご心配なく」
ミスティもまた貼りつけた笑顔をマリツィアに向ける。
目的がどうであれマリツィアから目を離すわけにはいかない。そして何より二人きりにするのが嫌という私情があった。
「それでアルム、どうなさいましたの?」
「ああ、ここら辺で『シャーフの怪奇通路』の入り口はあるかなと」
「怪奇通路の……?」
「マリツィアが見てみたいって言うんだ」
「マリツィアさんが?」
「はい、あのような話を聞いた後ですからせっかくなのでと。自立した魔法なので意図的ではないにしろ、ベラルタの防衛も担っている場所ですから……祖国でも参考にできるかと」
マリツィアの目的自体を疑い始めているミスティにとってはそれらしい言葉にしか聞こえなかった。
だが、確かにシャーフの方が気にならないと言えば嘘でもある。
ミスティ自身、ルクスが助けたシャーフという女性が過去の人間だと信じているわけでもないが、わざわざ名前を使っているという事は無関係ではないのかもしれないと付近を調べたいとも思っていた。
「それでしたら……ここから少し南に行った所に一つあるはずですわ。教えて頂いた際に調べましたので」
「おお、流石ミスティ」
「流石なんて……アルムも調べればすぐにわかりますわ」
「いや、その……俺はどうも道がな……」
「ふふ、知っております。ベラルタは大通り以外は少し複雑ですから仕方ありませんわ」
入り口自体は『シャーフの怪奇通路』を知っていればわかりやすい。
アルムに言った通り少し調べればわかる場所なのでマリツィアの希望通り、ミスティはここから一番近い入り口へと案内した。
「ここですわ」
案内したその場所は行き止まりで不自然に壁に囲まれていた。壁の前には木製の立て札も固定されており、入り口には近付けないようになっている。無論、魔法使いであれば侵入は容易だろうが、基本的に入るメリットは無い。ダブラマがやったように【原初の巨神】を動かした時のような状況を除けばの話だが。
「あなたの国が利用したので、去年から入り口付近も憲兵の巡回区域にはなりましたが……正直外からでは壁しか見えませんので、あまり面白い場所ではないと思います」
「立て札以外はただの行き止まりって感じだな。壁の向こうに地下への入り口があるんだよな?」
「ええ、階段があるらしいですが、私も見たことはありませんね」
「へぇ……」
アルムも【原初の巨神】の核の隠し場所だったという事は知っていたものの、実際にその場所を見たのは初めてだった。
ミスティの声を聞きながらアルムはまじまじと壁を見る。この先に自立した魔法に繋がる入り口があるのかと。
「……アルム?」
「ん?」
「ちょっと入ってみたいとか思っておりませんよね?」
「うぐ……」
図星だった。
目と鼻の先に魔法があると知っていては興味が先行してしまう。昨日シャーフという女性からあんな話を聞いたのだから尚更だった。
「絶対にいけませんからね?」
「わかってる。流石に立ち入り禁止のとこに入ったりはしない」
「約束できますか?」
「ああ、流石に帰ってこれないのは勘弁だからな。俺も命は惜しい」
横でそんな会話は繰り広げられている中、マリツィアはアルムのように壁を見つめるわけではなく、きょろきょろと辺りを見ていた。
「……ミスティ様」
「はい? どうされました?」
「ここから病院は近かったりしますでしょうか?」
「いいえ? 病院は第一寮の先にあるのでここから歩くと一時間近くかかりますが……どこかお怪我でもされたのですか? それとも病気でも?」
何故入り口に案内された後にそんな事を聞くのかミスティは不思議だった。
何かを企んでいるような表情でも無く、愛想を振りまいていたさっきとは違う真剣な表情で周囲を観察するようにしている。
「私……魔法の関係上、とある匂いに敏感なのです」
そう言ってマリツィアはしゃがみ込んだ。敷かれた石畳に指でそっと触れる。
「匂い……ですか?」
「何のだ?」
指を石畳から離し、マリツィアが立ち上がる。
「この場所、血の匂いが致します。それも新しい」
いつも読んでくださってありがとうございます。
第一部以来のベラルタでの事件ですね。