幕間 -迷宮の主-
がらがらがら。
ベラルタを包む夜闇の中で、何か重い物を引き摺るような音がしていた。
『時は満ちた』
がらがらがら。
ベラルタの石畳と鉄がこすれる音が夜闇に奏でられる。
『今こそ立ち上がる時』
音と共に石畳に出来ていく血の軌跡。
それを作るのは巨大な人影だった。
魔石による街灯は貴重だ。ベラルタも大通り以外にはまだ設置されておらず、ほとんどの場所では未だ蝋燭の火による街灯に頼っている。
その火は揺らめきながら、巨大な人影の両手に持っているものを照らした。
右手には夜闇に奏でられる不快な音の正体。ベラルタの石畳に跡を残す赤い液体のついた巨大な刃物。
そしてもう片方の手には――だらんと力無く掴まれている子供の姿があった。
『許せ……許せ。見知らぬ異界の子よ。その命は決して無駄にはしない』
血の軌跡はとある場所まで来て途切れる事になる。
そこに道は無かった。
そこには道ではなく階段があったからだ。
本来は入れぬように壁で囲まれているはずの地下への階段。巨大な人影がゆっくりと、吸い込まれるように入っていく。
最後に蝋燭の火が照らしたその姿はおよそ人間と呼ぶには余りに人間離れした巨躯と、頭部を持っていた。
『決して、決してだ……!』
がん、がん、がん。
階段の一段一段を刃物が確かめるように音が響く。炎の光が届かない場所。暗い闇に巨大な人影とその人影が持つ子供の姿が消えていく。
決して入ってはいけない――入れば終わりの魔法迷宮『シャーフの怪奇通路』へと。
『我が行いは罪だ。生前の罪を重ねる愚行そのもの。だが……それでも必要なのだ。全てを終わらせる為に、我が目的を果たす為に……犠牲が必要なのだ……!』
闇の中で瞳が輝く。
その歩に一切の迷いは無い。
奥へ。奥へ。
また奥へ。
迷宮の奥底こそが自分の居場所であるかのように巨大な人影は進んでいく。
『必要なのだ――再び我が眼前に英傑を呼ぶ為に――!』
こことは違う異界の地において――迷宮とは、彼の為に作られた。
『必要なのだ――我が首に刃を突き立てるあの者のような強き英傑が!』
故に、彼が存在する迷宮とはすなわち彼の為のものだという事に他ならない。
彼がそこに息づいている……ただそれだけで迷宮は彼の支配下に置かれる。
彼がいるという事実こそが、その迷宮が彼のものであるという所有権そのもの。
かつて彼が住んでいた――生贄をよしとする最古の迷宮のように。
『ここには生贄を寄越す王はいない。ならば……行動せねばならない!
待つだけで英傑が訪れる……そんな都合のいい出来事が起こるはずがないのだから!』
その姿は牛頭人身。
脱出不可能とされる場所を住処とし、彷徨う者を殺して喰らう迷宮の怪物。
『我が名はアステ……いや、違う。我が名は……"ミノタウロス"! 来るがよい異界の英傑よ! 彼のような英傑が眼前に現れるその時まで――我が身は再び怪物となって人を喰らおう!!』
異界より訪れし彼の名はアステリオス――又の名をミノタウロス。
『どこだ……どこにいる……! 我が身を脅かす英傑はどこにいる!!』
迷いし者よ。来たれ。
相応しき者よ。恐れるな。
我が名はミノタウロス。母より賜った我が身は再び……英傑と対峙すべき時を迎えたのだ――!
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