210.名誉の記録
シャーフ・ハイテレッタ。
創暦一三五三年。ダンロード領であったベラルタを狙ったガザスによる奇襲作戦からベラルタを防衛し切ったマナリルの英傑である。
当時行われていたマナリル・ガザス戦争において戦力の差から追い詰められていたガザスはベラルタを拠点にし、王都アンブロシアへ電撃作戦をかける事で劣勢を覆そうとガザスの有力な魔法使いを中心とした奇襲部隊を編成。
当時のベラルタはベラルタ魔法学院も設立されていなかった為に非常に重要度が低く、周囲の領地にはマナリルの有力な魔法使いが多数配置されており、その目を掻い潜ってベラルタを襲うメリットが無いと、警戒の薄さを狙われて作戦が実行される。
当時の領主ヴァルレーナ・ダンロードの不在に加え、数日続く豪雨により奇襲部隊は周囲の領地で目撃報告すら無く奇襲部隊のダンロード領への到着を許してしまう事となる。
ベラルタにいた魔法使いはハイテレッタ家主導で行われていた地下道建設の為の非戦闘部隊"ストレンジ"のシャーフ・ハイテレッタを含めた五名の下級貴族のみ。
対してガザスの奇襲部隊は『無骸』の異名で知られるハルスター家の"クレア・ハルスター"を隊長に置き、ガザス王家から『番犬』の名を授けられていた"トーマス・クレグラス"、当時マナリルでその家名を急速に広め始めていた今の四大貴族オルリック家と数度ぶつかりながら生還した『舞踏劇団』"デラルト・ジャムジャ"など、マナリルにも名が知れる程の実力を持つ魔法使いを含めた三〇名の魔法使いで構成されていた。
ベラルタ地下道建設部隊ストレンジに所属していた"ダムス・グリッパー"の感知魔法によって奇襲部隊の接近を奇襲作戦決行前に察知。
ストレンジに所属する五名の魔法使いは住民へ避難要請後、一時間もせずに虐殺と町の占領をされてもおかしくない戦力差の中、建設中で情報の無い地下道と複雑なベラルタの路地構造を活かし、ゲリラ戦に持ち込む事で数時間奮戦。
住民の避難を終えるまで持ち堪えるも、ストレンジの魔法使いは次々と戦死する事となる。
そんな状況の中、シャーフ・ハイテレッタは自身の死の直前に血統魔法を暴走させる事によってガザスの奇襲部隊全員を迷宮化させた地下に幽閉し、そのまま奇襲部隊は脱出できずに全滅。
迎撃に当たった地下道建設部隊ストレンジの生存者は、ゲリラ戦の合間に感知魔法によって敵部隊の情報を収集し、シャーフ・ハイテレッタの血統魔法暴走直前に情報を届ける為ベラルタを発ったダムス・グリッパーのみ。
二十四歳という若さでベラルタを守る為に血統魔法を暴走させた機転と死の直前に決断するその勇気が讃えられ、シャーフ・ハイテレッタにはマナリル最高位の勲章であるマナリル名誉勲章が王家より授与された。
ガザスの奇襲部隊を幽閉したハイテレッタ家の血統魔法は自立した魔法となって今もベラルタの地下に迷宮となって存在しており、迎撃に当たった部隊の名前にちなんで『シャーフの怪奇通路』という名でベラルタの住民に知られている。
「……って事らしいけど」
「……思ってた数十倍凄い人だねー」
エルミラとベネッタは開いた本に書いてあった文章を読み終わると、互いに顔を見合わせる。
アルム達がオウグスへシャーフについて報告している間、エルミラとベネッタは図書館でシャーフの名前について調べていた。
「昨日話した時のイメージからは想像もつかないわね」
「ボクみたいな微妙な貴族かと思ってたー」
「……あんた自分の事微妙な貴族だと思ってんの? 同期生に殺されるわよ」
「なんでー!?」
ベネッタの疑問は無視してエルミラの視線は本に戻る。
「最後の記憶だっていう創暦と自己紹介の時に言ってた年齢が享年とも一緒だし……」
「本当に昔のベラルタから来たって事かなー……?」
「でも本に書いてあるって事は調べれば誰でもわかる情報って事でもあるわよね」
「確かにそっかー……でも、どうしようエルミラ」
「何よ?」
「アルムくんじゃないけど、ちょっとドキドキし始めてるボクがいるよー……!」
「あっそう……」
若干面倒なテンションになり始めたベネッタをてきとうにあしらいながらエルミラは呆れたようなため息をつく。
だが実際、エルミラもあり得ないと否定しにくくはなってきた。
確かに昨日シャーフが語っていた事は本で調べればわかる事でもある。だが、そのわかる事をシャーフは隠してもいたのである。
シャーフが最後に所属してたであろう部隊はこの本にも書いてあるストレンジという部隊だろう。こういった本に部隊名が明記されているにも関わらず、シャーフは機密だと言って部隊名を言うのを拒んだ。根拠と言えるほどの事ではないが、そんな何気ない部分がうっすらとリアリティを感じさせる。
「シャボリー先生ー! 他にあるー!?」
エルミラは本棚の方に向かって大声で名前を呼ぶ。
本棚の陰からぬるっと丸いメガネの奥に目に隈を作り、くすんだ金色の髪を後ろに纏めている三十代くらいの女性が姿を現す。
「……いくら他に人がいないからといって大声は出すもんじゃないな。殺すぞ?」
女性はエルミラを寝不足のような目で睨みながら舌打ちする。
「ご、ごめんなさい……」
「ここでやってはいけない事を三つ、普段図書館を利用しない君達に教えよう。必要以上の声量を出す事、私に逆らう事、そして本を大切にしない事だ。後に言った事ほど罪は重いからな」
「き、肝に銘じておきます」
「わかればいいんだ。図書館とは人の世を雄弁に語りながらも俗世から最も離れた本の城。私はここの管理人であり、ここにある本は私の子供同然。普段利用しない上に騒ぐような生徒のヒエラルキーは害虫のちょっと上程度の位置付けだと知るといい」
「一応ボク達の学年担当なんだから生徒に対する愛情をもうちょっとだけ持ってほしい……」
「何か言ったかな? ん?」
「何も言ってませんー……」
"シャボリー・マピソロ"はヴァンと同じくベラルタ魔法学院の一学年担当の教師である。
とはいっても担当というのはほぼお飾り状態で、本が好きで図書館の司書兼管理人が楽しくて仕方ないという個人的な理由で一学年担当の仕事をヴァンにほぼ丸投げしている。
実際地上三階まである図書館に蔵書されている本の管理から図書館内の掃除、新しい本の申請など様々な仕事を一人でこなしており、学院にとってはかかせない存在だ。しかも本が好きだからという理由だけでそれをこなしてしまうから恐ろしい。
一応教師である自覚もあるようで、ルールを守って図書館に来る生徒にはしっかり教師として接しており、魔法についてアドバイスするなど図書館を利用する生徒からは優しいともっぱらの評判である。ちなみに図書館を頻繁に利用するアルムとも仲がよかったりする。
「"ベラルタの歴史"、"失われた家名 -マナリルの栄光-"、"マナリル名誉魔法使い魔法大全第二巻"、"魔法の奥には ~マナリルの隠された謎~"……シャーフ・ハイテレッタについての情報が色々と載っているのはこの四冊かな。最後の"魔法の奥には"のシリーズは文量が多い割には雑な噂ばかりを集めている印象だから実質三冊といっていいだろう」
シャボリーはこちらまで歩いてくるとすでに本を探し終えていたのか、エルミラとベネッタの前に本を四冊差し出した。どれもシャーフについて載っている本だ。
「流石! ありがとう!」
「静かにと言ったはずだけど? 殺されたいのかな?」
「ごめんなさい……」
エルミラの謝罪に舌打ちするシャボリー。
言動は物騒だが、エルミラとベネッタの前に並べられた本を探してくれたのを見るに、本を読もうとする意志にはしっかりと応えてくれるのがわかる。
「それにしても……シャーフなんて魔法使い調べてどうするのかな? 確かにマナリルの魔法使いでも英傑とされる魔法使いだけどね。言っておくけど、『シャーフの怪奇通路』に入ろうなんて思わない事だ。あそこは出れなくなっても責任がとれない」
シャボリーは持ってきた本をぺらぺらとめくりながら二人に忠告する。
エルミラは無意識にベネッタのほうをちらっと見た。ベネッタは心なしか気まずそうにしている。もう一回入ってますとは言えまい。
「わかってるわよ。入る気は無いけど、ちょっと変な事言う人を助けちゃって……」
「変な事?」
「そう……その人このシャーフ・ハイテレッタを名乗ってて……信じているわけじゃないけど、一応調べとこうかと」
エルミラの話にシャボリーの頁をめくる動きがぴたりと止まる。
「……それは確かに変だな。ハイテレッタ家はシャーフが死んで血統魔法が途絶えたはずだからハイテレッタ家を名乗るだけでも変だっていうのに」
「ああ、やっぱシャーフって人が最後なんだ……確かにハイテレッタ家なんて聞かないもんね……」
「過去の人間が現代にというのは夢のある話だとは思うけど……まぁ、時間移動は無いと言っていいよ」
「そうよね……」
それはエルミラにもわかっている。
時間移動は魔法世界における不可能の代名詞。
今になって急に可能になったと言われて信じるはずもない。
「まぁ、私には関係ないな。ほら、それ持って出ていきな」
「え?」
「うるさいやつをこの図書館に置いておくほど私は優しくないんでね。二回も大声上げる馬鹿を居座らせたくないんだよ」
「ば――!」
「ん? さっきルールを教えたはずだけど……私に逆らうのかな? ん?」
「ぐっ……!」
「貸し出しを許すんだからむしろ慈悲深い。ほらルールはルールだ。出てった出てった」
しっしっ、と害虫を追っ払うようなジェスチャーをするシャボリー。
エルミラとベネッタは持ってきてもらった本を持って立ち上がる。
「次は大声を上げないようないい子になってから訪れたまえ、この図書館はいつでも本を読む人間なら歓迎するぞ。私が本を読んでない時は特にな」
「この不良教師……」
「失敬だな。これでヴァンの手が回らない時とかは仕事してるよ」
一割くらい、とボソッと付け加えた小声をエルミラは聞き逃さない。
「ま、私がヴァンに仕事押し付けるのは半分嫌がらせもあるからな」
「嫌がらせって、嫌いなの?」
「ああ、嫌いだね」
「何でですー?」
ベネッタが問うと、シャボリーは当然だろう? とでも言いたげな顔を浮かべた。
「煙草吸ってるから。あいつが来ると本に匂いが付くんだよ」
舌打ちと共に語られた愚痴に苦笑いを浮かべてエルミラとベネッタは図書館を後にする。
明日以降ちゃんと静かないい子になったらまた来るといい、そう言ってシャボリーは図書館から出ていくエルミラとベネッタに向けて手をひらひらと振っていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日はもう一本短いのを更新します。