204.縁のある名前
「へぇ。ニードロス領地決まったんだ?」
「決まったけどぉ……」
「領地持ちになれたんならよかったじゃない」
「領地持ちになったのはいいけど、なんかボクが継がなきゃいけないみたいな空気になり始めてて……そういう状況になるのは困るんだよー……」
「贅沢な悩みねぇ……」
「エルミラからしたらそうだろうけどー……」
第二寮の共有スペース。
すっかりアルム達の雑談の場と化したその片隅でエルミラとベネッタが雑談と窓に落ちる雨を見ながら紅茶とお菓子をつまんでいる。休日なので二人とも制服ではなく私服。エルミラは黒のタートルネックにグレーのコートを羽織り、ベネッタは白のセーターとパンツで、ファーの付いたベージュのケープコートを椅子にかけている。
そして並ぶお菓子は第二寮から少し距離のある第四寮の近くにあるパン屋のものだ。
「治癒魔導士になったら領地継げないの?」
「形式上は大丈夫だけど、王城か病院のどちらかに勤める事になるだろうから領地まで手回すの無理だよー……」
「そりゃそうか。あ、これ当たりだわ……練り込まれてる果物の酸味がいいわよ」
「あーん」
「はい、あーん」
催促するベネッタの口にエルミラはクッキーを突っ込む。
何となく故郷にいた馬に餌付けした事を思い出した。
「ほんとだー、おいひー」
「やっぱこの店のお菓子美味しいわね、パン屋なのにこっちのが買っちゃってるけど……去年見つけといてよかったわ」
「あのパン屋さんに男の子いるでしょー?」
「いるわね。たまにお店手伝ってるちっちゃい子」
「お菓子のほうはあの子がアイデア出してるんだってー」
「うそ?」
「ほんとー。完全にオリジナルなわけじゃないらしいけど、王都のお店とか見に行ってるんだってー」
「へぇ、流石ベラルタ生まれって感じ……凄いわね……」
「ねー」
ぽつぽつと、窓に雨が落ちる音の中繰り広げられる他愛の無い雑談。
紅茶の湯気を揺らしながらエルミラはカップを口に運ぶ。
「んー……やっぱミスティがいないと紅茶が物足りなくなるわね」
「えー? エルミラが淹れたやつもおいしいよー?」
「そりゃどうも」
「ミスティ今どの辺かなー?」
「フロリアが無駄に連れまわしてないならもう帰ってくる頃じゃない?」
ミスティは今フロリアと共に領地の決まったタンズーク家に招待されている。
タンズーク家は魔獣エリュテムと共存する特殊な家系であり、他の家を置く理由が無かったので比較的早く決定されて領地の整備が進んでいる。スノラで戦ってくれた礼をとミスティが話を切り出すと是非家に来て挨拶してほしいという事で、ネロエラが交友を深めていたフロリアと共に北部に出立したのだった。
余談ではあるが、ミスティが来るのを知らなかったフロリアは馬車の待合所でミスティと出くわした瞬間奇声を上げてしまったらしい。
「アルムくんは明日帰ってくるんだっけ?」
「って言ってたわね。まぁ、スノラの件での褒美と話聞かれるだけだろうから普通に帰ってくるんじゃない?」
「でもよかったー……アルムくん、ようやく普通に認められて」
「この国で唯一あいつら倒してるんだもの。そりゃ珍しい平民から扱いも変わるわ。目撃者も大勢いてもう隠せないでしょうし」
「そもそも何でアルムくんって隠されてたのー?」
「……さぁ? 【原初の巨神】の時は安全の為って説明されたけど……実際はどっかの貴族の嫉妬じゃない? 平民なんかにーっていう嫌な奴いくらでもいそうじゃない」
その時、ばたーん! と勢いよく第二寮の扉が開いた。
会話だけが響いていた共有スペースに突如割って入るような大きな音にエルミラはクッキーを口に入れる途中で固まり、ベネッタはびくっと体を震わせる。
「んあ!?」
「ええ!?」
「はぁ……! はぁ……! エルミラ……! ベネッタ……!」
二人が扉のほうを見れば息を荒らげたルクスがいた。
走ってきたのか靴とズボンの裾がびちょびちょで傘で雨を防ぎきれなかったのか、髪も濡れている。
しかし、二人が驚いたのはルクスのその姿ではない。
ルクスが両手に抱えているコートを羽織っているだけの半裸の女性を見ての声だった。
「あんた何してんの!?」
「ルクスくんのえっちー!」
「誤解だが、今はえっちでいい! 雨の中倒れてたんだ! 力を貸してくれ!」
「た、倒れてた!?」
ベネッタは何を想像したのか恥ずかしそうに顔を赤らめるも、ルクスに言われてすぐに真剣な表情へと変わる。
椅子にかけていた自分のコートを手に取り、ルクスに駆け寄った。
「エルミラ部屋貸して! 早く体をあっためないと! あったかそうな服とタオル!」
ベネッタはエルミラに指示を出しながら濡れているルクスのコートを剥ぎ取って自分のコートをかける。
「わかった! あ、あっためるならここで火出したほうがいい!?」
「走って燃え移ったら危ないから無し! 部屋でお願い!」
「そりゃそうよね! ルクスこっち!」
「ルクスくんそのまま運んで! ゆっくり!」
「治癒魔法で何とかなったりしないかい?」
「治癒魔法は外傷しか治せないからとにかくあっためるしか……あったかい飲み物と、後は甘いものを食べさせられたらいいんだけどー……」
ルクスの両腕に抱えられる女性は意識が無い。勿論、食べ物はおろか、飲み物すらも飲めそうになかった。
「部屋に着いたらルクスくんはお医者さん呼びに行って!」
「わ、わかった!」
女子寮に入るのを気まずく思いながらもルクスは女性をエルミラの部屋に預けてすぐに学院近くにある小さな病院の医者を呼びに行った。
三十分ほどして、ルクスは第二寮に女性の医者を連れて戻ってきた。
「少し衰弱しておりますが、特に問題はありませんね。どなたか存じませんが迅速な保温処置をしたおかげでしょう」
「でへへ……」
「きもい笑いかたしないでよ……」
ルクスが医者を呼びに行っている間、エルミラとベネッタは女性をあっため続けた。
意識はずっと戻らないままだが、今は落ち着いているのかエルミラのベッドの上に横たわっている。心なしか、来た時より血色もよくなっている気がした。
「このまま体温が下がらないように汗などかき始めたら拭いて頂いて、新しい毛布や服を着せてあげてください。起きたら温かい飲み物と消化のいい食事をとらせてあげればすぐに回復すると思います。後日風邪を引いてしまわれるようでしたらまたお訪ね下さい」
「ありがとうございます」
「それでは失礼致します」
診察を終えると医者は部屋から出ていった。
ようやく安心できたのか、ルクスは壁によっかかり、エルミラとベネッタはベッドの横に置いた椅子に座る。
「迷惑かけてすまない二人とも……ベネッタが第二寮に行くと話してたから治癒で何とかしてもらえるかとつい第二寮に……」
「ううん、治癒は出来ないけど、一階にお風呂もあるし病院よりずっと近いから正解だよー」
「ま、人助けなら仕方ないわね」
「人助けはそうなんだけど……ちょっとこの人、気になるんだ……」
ルクスがそう呟くと、エルミラとベネッタはばっと勢いよくルクスの方を見る。
「き、気になるって何が……?」
「その、この人見つけた時はうっすら起きてたんだ。少しだけ質問して……名前を聞いたら家名を名乗ったんだよ」
そういう事か、と納得するエルミラとそれを薄ら笑いを浮かべて見るベネッタ。
ベネッタが小突かれるのは当然だった。
「貴族って事? 一年でこんな顔見た事ないから……普段顔合わさない三年とかかしら?」
「三年生少ないもんねー」
「それが……」
「ん?」
「ルクスくんー?」
言うべきかどうか少しだけ迷う。
第二寮に来るまでに聞いたベッドの上で眠る女性の名前。
それはもしかすれば虚言の可能性もあるものだったが……ここまでしてくれた二人に今更隠し事をする無いかとルクスは語る。
「何よ。言いなさいよ」
「ああ……シャーフ……シャーフ・ハイテレッタと名乗ったんだ」
「ん? それって……」
「シャー……フ……」
エルミラとベネッタの視線が自然と下に。
二人の視線は見えるはずのない地下、エルミラとベネッタにとって少しだけ縁のあるその場所に向けられる。
二人は思い出す。
【原初の巨神】侵攻時にベネッタが戦った迷宮――『シャーフの怪奇通路』の名を。
いつも読んでくださってありがとうございます。
雑談書いてる時が楽しかったりします。