202.謁見2
「……」
「……」
僅かな静寂。
しかし、声は上がらずとも、謁見の間にいた者全員の心が少しざわついた。
家名が与えられる、それはつまり貴族になるという事。
平民から貴族に。それは一体何百年ぶりの出来事か。
魔法の才能によって隔てられた貴族と平民の壁。
大昔ならまだしも、歴史が才能を拾い終わったとされる今の時代にその壁が破られる時が来るなどと誰が想像しただろう。
今自分達は歴史の一ページを見届けている。ここにいる誰もがそう思った。
「いえ、その……結構です」
だからこそ、その一ページを拒否する者がいようとは誰も思わなかった。
アルムは本当にいらなそうな表情で王の提案を断る。言われて流石に驚いたのか、王も目を丸くした。
「何故だ? 遠慮は不要だ。そなたにはそれだけの功績がある」
「遠慮では無く……えっと……自分は魔法使いにはなりたいですが、貴族になりたいわけではないので……なので結構です」
アルムが喋る度に居合わせた人間は呆気にとられる。
これもまた魔法のようだった。
次第に、王の体が震え始めた。怒りかと思う者もいる中。
「はっはっはっはっは! そうかそうか! 魔法使いにはなりたいが、貴族になりたいわけではないか! あっはっはっはっはっは!」
王はアルムの発言を気に入ったのか声を上げて大笑いする。
震えは笑いの前兆だった。
王は目尻に涙が浮かぶほど笑ったかと思うと、口角を上げたまま納得したように頷く。
「そうだ、そうであったな。貴族と魔法使いは違う。その通りだ。当たり前が続くと頭が凝り固まっていかんな」
貴族だから魔法使い。魔法使いだから貴族。
それはあくまで今の常識だ。大昔、魔法の才が誰にあるかわからず、貴族と平民の境が曖昧だった頃が確かにあった。
そしてまさに、王の目の前にいるアルムはその曖昧さを持つ存在なのだ。
大昔から来たような余りに時代錯誤な存在に王は思わず笑ってしまった。
「それに貴族になっても貴族の仕事がこなせるとは思えませんし、そもそも自分は才能がありませんので……」
「ほう? この国の脅威を二度を退けて才能が無いと申すか。俺は過度の謙遜を好まないが」
「……王様、こちらからの質問を許してくださるでしょうか?」
「カルセシスと呼ぶがいい。質問も許そう」
アルムは少しだけ顔を伏せる。
もう一度見上げた時、アルムの表情は悲しげだった。
「カルセシス様……魔法を使えたのはいつ頃でしょうか?」
「……六の時には無属性魔法を一つ使えるようになった」
「嘘だよ。五歳の時だった」
「黙れオウグス」
王に睨まれると、反省している様子は無いがオウグスは両手で自分の口を押さえた。
王が答えてくれた事に礼を言ってアルムはそのまま続ける。
「自分には魔法使いの師がいます。その人は魔法使いが憧れだった自分に六歳の頃から魔法を教えてくれました。最初の方は週に一回……三年後くらいには村に住み始めて、毎日教えてくれていました」
「幸運だったな」
「はい……そんな幸運な自分でも……魔法を使えるようになったのは十四です」
この場にいる者は全て魔法使い……だからこそその意味がわかる。
十四歳は余りにも遅すぎる。普通の家ならば基本的な教育はとっくに終えていて血統魔法を継いでいい歳だ。
しかも、アルムは属性の"変換"ができない。つまりアルムは六歳から八年間かけて、無属性魔法だけを習得した事になる。普通の貴族なら血統魔法に至るまでの時間をかけて魔法使いの基本、誰でも出来る無属性魔法だけを。
その月日は残酷なほどに、才能の欠如を表していた。
「だから間違っても、才能があるとは思えません」
「……先程の謙遜というのは失言だったな。許せ。十四で無属性魔法は確かに才能があるとは言い難い。この俺が断言しよう。そなたに魔法の才能は無い」
「はい、なので――」
「だが、魔法使いの才能はある」
「……っ」
王とアルムの目が合う。
その瞳に嘘偽りはない。アルムを持ち上げる世辞もない。
"出来損ないでも夢が見れるのだと、私は期待しているよ"
王が放ったその言葉に、アルムは故郷を出る前夜に師匠に言われた言葉を思い出した。
「ありがとう、ございます……」
「求める褒美が無いというのなら俺がそなたに相応しいものを考えておこう。勲章も作らせる。それでよいか?」
「はい。ありがとうございます」
「では次の話に移ろう。ここからは宮廷魔法使い達も参加せよ。そしてヴァン、アルム、そなたらの情報が今最も有益だ。傅く必要は無い。立ち上がりそなたらの声を彼らにも聞かせよ」
王の声でアルムとヴァンは立ち上がる。
当然、アルムが今日呼ばれたのは褒美についてだけではない。マナリルという国にとってはこれからの話こそ本番だ。
「そなたらに何を問うか。無論、去年から我が国を脅かし始めた魔法生命とやらについてだ。ミレルでの事件の際、我が国の協力者となった女からそやつらの出自やある程度の情報は聞き及んでいる。しかし……当時は海の向こうにある常世ノ国という国の情報のほうを重要視していた傾向があった。ミレルでの事件は学院の生徒で解決できるような事態なのだと、甘く考えていた者もいるだろう。俺でさえ侮りが無かったといえば嘘になる。今一度認識を改めておきたい。ヴァン、そなたはミレルでの事件でその魔法生命と対峙しているな?」
「はい」
「当時そなたの伝令に八人の魔法使いをミレルに送った記録がある、ミレルの魔法生命を討伐する際はそなた含めて六人という報告だったが……増援の八人だけでそれを破壊する事は可能だったか?」
「まず不可能です」
ヴァンは少しの怒りを込めて断言する。ヴァンは当時の増援の数に未だに納得がいっていない。
ヴァンは風属性の使い手としてはこの国ではトップクラス。その自分が脅威を訴えてたった八人。しかもその八人には宮廷魔法使いすらいなかった。
もし大百足を倒せてなかったらと考えて当時はぞっとしていたくらいだった。
「送った八人は宮廷魔法使いに及ばずともそこそこの腕前だった。それを理解してか?」
「はい。まず間違いなく八人全員が殺されて終わりだったでしょう」
「それは言い過ぎなのでは?」
力強いヴァンの言葉に一人の声が異を唱える。
先程のボラグルという宮廷魔法使いだ。
「自分が倒した相手を過大評価して自分の価値を上げようとしているだけではないか?
当時集めた八人は自立した魔法を破壊した経験もある手練れだ。学院の学生で解決できてその者らに出来ないとは思えませんが?」
「あの時増援組んだのあんたか……なるほど納得だ。馬鹿が対応したから八人しか来なかったのか」
「……口に気を付けたまえ。いくらヴァン・アルベールといえど許せぬ侮辱もあろう」
「あんたこそ無知を晒すな。ミレルのあれを見てないやつがあれを過小評価するな」
ヴァンとボラグルの視線の間で火花が散る。
一つため息をついて、王はそれを嗜めた。
「やめよ。ヴァン、そなたほどの魔法使いが断言するという事は何か根拠があるのだろう?」
「はい、魔法生命の"現実への影響力"は並ではありません。私の血統魔法でも傷をつけて少し後退させるのが精一杯でした」
「ヴァンの血統魔法を……"完全放出"か?」
「はい。増援で来た八人は弱くは無かったのでしょうが、あの八人を合わせた所であの百足の"現実への影響力"を突破できるとは思えません」
「それは……」
ヴァンの言葉を聞いて王の顔が難しくなる。
それはヴァンの実力を知っているがゆえ。ヴァンは宮廷魔法使いでこそないが、その実力は宮廷魔法使いに匹敵、又はそれ以上と言われている。
アルベール家。それは王と同じ家名を名乗る事を許された由緒正しい家系の家だ。領地の関係で四大貴族にこそ数えられないものの、その歴史は五百年に渡り今代の当主であるヴァンの実力も高く評価されている。
「もう一つ、これはミレルの百足に限らない事ですが、魔法生命には明確な自己があるという事です」
「報告にもあったな。ミレルに現れた魔法生命には目的があったと」
「自立した魔法はいわばその場に留まる現象と言っていいでしょう。【原初の巨神】のように核さえ動かさなければただその場に影響をもたらすだけで被害は大きくならない。
でもやつらは違う……俺達が相手にしたミレルの大百足は悪意も矜持もありました。その個体の目的や行動理念があり、霊脈から魔力を汲み上げてこの国を破壊するという計画まで立てていた。ゆえに魔法使いを雇うなどの行動もとれます。カンパトーレのマキビにダブラマの密偵、そしてあろう事かマナリルの魔法使いであるヴァレノも引き込んでいた。
そして何より自分達も宿主となっている人間の姿をとれる点があまりに危険です。ただの怪物がマナリルに攻め込んでくるというのならいくらでも対策ができるでしょう……ですが、やつらはまず人として動いてくる。これは今までにない脅威かと思います」
「人と同じように動く魔法、か……」
「今までにない脅威、で誤魔化すのはやめなよヴァン」
笑みを浮かべながら話に割って入るオウグス。
しかし、その目は笑っていない。
大袈裟な動きをしながらカーペットの中央に立って視線を集める。
「はっきり言おう。この国は旧い。国境近くに実力の高い魔法使いの家を置いてマナリルの防衛が成立していたのは敵が魔法使いだけで動くのを想定しているからだ。心地よく残る国同士の戦争に勝ってきた歴史が余韻になって今を酔わせている。今までの常識で魔法生命も測ってしまっているのさ。さっきカルセシスも言った通り侮っているんだ。だからミレルの増援のように甘く見積もるような事態も起きる。この場はそんな認識を改める場なんだろう?」
オウグスの視線は先程ヴァンの声に異を唱えたボラグルの方へ。
その視線に誘導されるように他の者の目も一瞬だけボラグルに集まる。
「【原初の巨神】の一件で思い知ったよねぇ? たった五人のダブラマの密偵にマナリルは崩されかけた。数人で一人の魔法使いと戦う事を想定するような才能しかない連中にだ。運がよかったから防げはしたものの、間違いなくあの事件は内部に侵入して魔法を暴れさせればマナリルが崩れると、そんな可能性を示した。時代は変わったんだ、それをまず認めなければならないんじゃないのかな?」
それは他国にとっても、魔法生命達にとっても朗報だった。
まだ戦い方があると周辺の国は気付き、魔法生命達はマナリルを崩せるという確信を得る。
オウグスが全てを語らずともそれが何を意味するかは明白だった。
マナリルを崩したい他国と内部に侵入して暴れる事が容易な魔法生命。
【原初の巨神】での事件によって崩れかけたマナリルの姿がこの二つを繋げたのだ。
「……その件で今日は客を呼んである」
「んふ? 客?」
「前に出よ」
「はい、カルセシス陛下」
並んでいる六人の内の一人、スレンダーラインの白いドレスを着た褐色の肌に桃色の髪をした女性がカーペットの方に出てくる。心なしか同じようにカーペットに並んでいた人の視線が厳しくなったような気がした。
その女性はアルムの隣まで歩いてくるとまずカルセシスに礼をする。
アルムが、この人は? という視線をヴァンに向けるとヴァンも小さく首を横に振った。オウグスは首を傾げている。
「お久しぶりです。アルム様」
「え?」
女性の方はアルムのほうを知っているのか、王に頭を下げた後アルムのほうを向いてにっこりと笑った。
アルムのほうに会った覚えはない。元々アルムは顔と名前の両方が無ければ人の事を覚えられないので、よくある事ではあるのだが。
「スノラの時以来ですわね。グレイシャ様の事件の解決、お見事でした。祖国ではあなたの話で持ち切りですよ」
「スノラにいた人ですか……? 祖国……」
まるでここが祖国ではないような言い方。
そしてスノラで会った人物。
アルムの顔が険しくなっていく。隣で笑うその人物が誰かわかってしまったがゆえに。
会話もした。自己紹介もした。それでも――アルムはこの女性の本当の顔を知れるはずが無い。
何故ならその会話も自己紹介も全て、死体越しで行われていたのだから。
「まさか……! マリツィア・リオネッタか……!?」
「はい正解ですアルム様。言ったでしょう? お久しぶりです、と」
女性はスノラで死体を操っていたダブラマの魔法使い。
ダブラマ王家直属組織ネヴァンの第四位マリツィア・リオネッタだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
もうちょっと謁見の間での会話が続きます。