プロローグ -雨中の邂逅-
スノラで起きた事件から三か月は経った頃。新年となって色々と行事も終わった頃、ルクスは第二寮近くの本屋にいた。
「お付き合いありがとうございました」
ベラルタ魔法学院は休みの日。同じ寮であるベネッタとは途中まで一緒だったが、ベネッタはエルミラとの予定があると先程本屋の前で別れて第二寮に向かっていった。
ルクスの今日の予定は一人で買い物。最近調べている事に関係する本を買いに来ていた。
求めていたジャンルの本を店主に探してもらったルクスは丁寧に頭を下げる。
買いに来たのは以前にちょっとした勘違いでアルムを尾行していた末に入った時の本屋。あの出来事をきっかけにルクスは度々この店に立ち寄るようになっていた。
「いえいえ、お役に立てて何よりです」
「それではまた来ます」
「はい、ありがとうございました」
別れ際にも礼を告げて本屋を後にする。
外は雨が降っていた。朝から決して弱くない雨音がずっと続いている。
傘はいつまで傘なんだろう、なんて考え事をしながらルクスは傘を開いて歩き始める。
普段は活気あるベラルタの町も学院が休みである事と、この雨も相まって人通りが少ない。空はどんよりとした雲に覆われていて人によっては何となく気分を落ち込ませるような雰囲気が漂うが、ルクスはこんな日も嫌いではなかった。
屋根と石畳みに落ちる雨音、道の脇に作られた細い側溝を流れる水の音にぱしゃぱしゃと少し目立つ水を跳ねるような足音が木々と調和するベラルタの静かな景観に合っていて心を穏やかにさせる。
「はあぁ……」
一つ難点を上げるとすれば今が冬という事だろうか。
わざと吐いた息は白く、コートと手袋の存在がありがたい。コートに雨の匂いが付いてしまうのが少し気がかりだが、それもまた今日という日を活動した証だ。
買った本の入った袋を濡らさないように抱きながら、ルクスは普段とは違うベラルタの風景を色々と眺めて歩く。本を濡らしたくないなら早めに帰ったほうがいいのだが、無意識にその足取りはいつもよりもゆったりとしていた。
魔法使いの卵にとってはこんな時間も重要だ。
自分の暮らす場所を好きになる事。いつも一緒にいる人を大切に思える事。そんな感情がいざ守るという時に力になる。
無論、ルクスはそんな打算的な考えで町を見ているわけではないが。
「……ん?」
だからだろうか。普段見ないような路地にも今日は視線がいった。
華やかな大通りから住宅街に向かう時にも使わないような建物と建物の間に偶然出来たスペースのような細い道だ。一応整備はされているものの、人が二人横並びで通れるくらいの幅しかない。
ベラルタは意外にこういった路地が多い。魔法使いの卵の為の町となる前の名残りが大通り以外には残っている。
「!!」
その路地を見てルクスは駆けだす。
まだ昼を過ぎたばかりだというのに、雨雲のせいですでに路地裏は薄暗い。
その薄暗さで一瞬見間違いと思ったほどだ。
「大丈夫ですか!?」
その路地には細身の女性が倒れていた。
しかも何も着ていない。
何らかの事件にあったか? このベラルタで?
考えながらもルクスは倒れている女性に駆け寄る。
女性の体は当然だが冷えていた。唇は青白く変色し始めていて、手足の指は赤い。
幸運な事にここに倒れてからそこまで時間は経っていないのか、冷え切っているという程ではない。まだ体温が感じられる。
しかし、時間が経っていないという事は周囲に女性を襲った人間がいるかもしれないという事。
周囲を警戒しながらルクスは自分の着ているコートを脱いで女性にかける。買った本の入った袋は放り出され、びしょびしょに濡れていく。
「しっかり! 大丈夫ですか!?」
傘で雨を遮り、女性の上半身を抱き起してルクスは呼び掛ける。
異性ゆえにじろじろと観察はできないものの、どうやら外傷は無いようだ。
「ん……あ……」
眠りから覚めるように、女性は目をゆっくりと開ける。
目を開けた事にとりあえずルクスはほっとする。
「わ……れた……?」
「大丈夫ですか? 喋れますか?」
ゆっくりと、女性は口を開いた。
「私……守れたの……?」
「まも……?」
女性の発する言葉の意味がルクスにはわからなかった。
誰かを何かから庇ったのだろうか? やはり何かここで事件が起きたのだろうか?
ルクスは浮かぶ疑問を振り払う。今は何が起こったのかを問い質すよりもこの女性の体を温めるのが先だ。女性がここで倒れてからそこまで時間が経っていないとはいえ冬の雨空。コートは着せたが、このままここにいれば凍死してもおかしくない。
ここから一番距離が近い設備が整っている場所をルクスは思い浮かべる。
思い浮かんだのは設備も整っていて、治癒魔導士志望の友人も確実にいるであろう場所だった。
「立てますか?」
「あな……たは……?」
「ルクスといいます。立てますか?」
言われて、女性はルクスの肩に掴まって立ち上がろうとするも思ったように力が入らないようでふるふると震え始める。
「失礼」
「きゃっ……!」
見かねたルクスは女性の上半身と両足を抱えて立ち上がる。
細身なのもあって女性は軽かった。
「掴まっててください」
ルクスは女性の意見を待たずに走り始める。
両足を抱えている方の手で器用に傘を支えて、女性の負担にならないように強化は使わずに常識的な速度で第二寮に向かう。
「……」
走るルクスの腕の中で女性は流れていくベラルタの景色をきょろきょろと見ていた。
次第に、女性の瞳が雨とは違うもので濡れていく。
「壊されてない……! 守れた……! 私……守れたんだ……! よかった……!」
景色を見て感極まる女性。
浮かべる笑顔と流れる涙がその感情が本物である事の証明だった。
「ああ、でも……雨は止んでないんだ……」
「自分の事がわかりますか?」
依然として女性の言葉はルクスには理解できない。
何か深い事情があったのかもしれないと女性の言葉を追及しようとはせず、聞くべきと思った事だけをルクスは聞く。
女性は感極まってはいるものの、混乱しているわけではないようでルクスの質問にしっかりと受け答えする。
「わかります……わかりますよ……見知らぬ紳士さん……」
「なら名前は? 言えますか?」
震える手で涙を拭い、流れる景色を見ながら女性は答える。
「シャーフ……"シャーフ・ハイテレッタ"」
広がるは空を隠す灰色の雲。
ばしゃばしゃと水を跳ねさせて走る傘の下。
晴れるような女性の笑顔がベラルタの町を愛おしそうに見つめていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
更新し始めるのは月曜日からになりますが、一先ずプロローグです。
ここからは第四部『天泣の雷光』となります。
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