エピローグ -雪の降らない夜-
「少し風に当たってくる」
もうすぐお開きという時間。彼はそう言って一人外に出ていった。
その背中を追いかけるのは当然だと思って私も立ち上がる。
「あんたも行くの? いいわよ、片付けは私らで先にやっちゃうから」
うとうとし始めたベネッタの頭をぽんぽんとあやすように叩きながらエルミラがそう言ってくれた。
「エルミラ……ありがとうございます」
その言葉に甘えて私は彼を追い掛ける。
……自然に渡せるでしょうか。そんな事を思いながらも私のやりたい事は決まっていた。
玄関にこっそり置いておいた私の自己満足を持って外に出る。
外の夜気が今の私にとっては心地いい。
扉を開けたその先でアルムは一人、空を仰いでいた。澄んだ空気で月と星がよく見える。けれど、アルムがその夜空に何を見ていたのかは今の私にはわからなかった。
ここに来た時には過ごしやすい気温だったマナリルももう冬の時期。吐く息は白くて暗闇によく残る。アルムはこのくらいの気温は慣れているのか寒そうにはしていなかった。
その背中が何か寂しそうで、私は声をかけるのを一瞬躊躇ってしまう。
「……アルム、長くいると冷えますよ」
「ミスティ」
意を決した私の声に彼は振り返ってくれた。それだけで嬉しかった。
寒空の下、私の名前を呼ぶ声はいつものように温かい。
「わかってる。けど、もう少しだけここにいたくて」
「うふふ、ミレルでもそんな事を言われましたね」
「あれは、その……嬉しかったから、勢いがだな……」
困ったようにアルムは頭をかいていた。かけがえの無い時間の一つだとは思っているけれど、あの日の出来事に触れるのは私も少し照れ臭い。
あの日の出来事は決して恥ずかしい事では無かったけれど、誰かに蓋を開けられるのは憚られる、そんな宝箱のような記憶だった。
「……」
「……」
少しの間、私達は無言で空を見つめていた。
正確に言えば、空を見つめていたのはアルムだけだった。私はアルムから見えないように後ろ手に持っていた自己満足をいつ出そうかと彼の横顔をちらちらと見ていたから。
何だが、その横顔が寂しげでタイミングが計れないでいる。
「ミスティは俺を恨んでないのか?」
「……え?」
寂しげな横顔が語ったのはそんな有り得ない疑問だった。
「俺はあの時、自分の為に戦った。俺の都合で俺はグレイシャを殺したんだ。俺の世界を壊されたくなくて、ミスティっていう俺の世界を作ってくれた人を殺されたくなくて……自分の世界を守りたかったから」
空に視線を向けたまま、彼はぽつぽつと語ってくれた。
「だから、ミスティの世界を守れたかというと違う。グレイシャはミスティにとってたった一人の姉で、家族で、ミスティの世界の一部だった。俺はあの時、ミスティの世界の一部を壊すってわかってた。それでも剣を投げたんだ」
それはまるで、罪の告白のようで。
「だから、ミスティには俺の世界を壊す権利がある。ミスティの世界を壊した俺に、復讐する権利がある」
その横顔は寂しかったのではなく、恐かったのだと私はようやく知る。
でもその恐怖は……私を想ってくれているからだというのが痛いほど伝わってきた。
彼は北部を、カエシウス家を、私を救ってくれたのに、そんな功績を振りかざす事は一切無くて自分の信条と行いに何処までも誠実に向き合っている。
「あの人は俺と似ていたよ……多分、俺と同じだった」
もしかしたら――グレイシャお姉様の死に様を、自分に重ねていたのかもしれない。
「……アルム、私を見てくださいますか?」
「なんだ?」
「どうぞ」
私は後ろ手に持っていた自己満足をアルムに差し出す。
首を傾げながらも彼は受け取ってくれた。ラッピングされたそれを開けてくださいまし、と促すと、アルムは丁寧に開けてくれる。
中に入っていたそれを手に取ると、アルムは不思議そうにじっと見つめていた。
「その、ま、マフラーです。あの時助けて頂いたお礼にと……」
「マフラー? あのお洒落な?」
「そ、それはちょっとわかりかねますわ……その、私が編んだものなので少々不格好かもしれませんし……」
「ミスティが? すごいな!」
私が作ったと聞くと、彼は子供のように目をキラキラさせ始めた。
感情によってころころと変わるその彼らしい姿が眩しい。
「首飾りをくれた時に仰っていたでしょう? 自分の力で得た物をあげられて誇らしいと……ですから、私も自分の力で作ったものをお渡ししたかったんです。私自身で作ったものを……」
アルムが首飾りをプレゼントしてくださった際に言っていたように、これは私の自己満足。
皆さんより先にベラルタに帰ってきてやっていた色々は何を隠そう個人的な編み物だった。
お金をかければもっといいマフラーをあげる事だって出来たのに、私はどうしても自分で作ったものを彼にあげたかった。何故かはわからなかったけれど、絶対にそうしたいと思ってしまった。
「その、編み物は初めてだったのでつたない部分は多々ありますし、ベラルタのお店で買えばしっかりとしたものが手に入るのですが……で、でも、ラナに習いながら編みましたし、糸はいいものを選ばせて頂きまして、その……い、色もアルムに似合う黒にしましたから……あの……」
私が今更な言い訳を並べる中、アルムは何も言わずに首にマフラーを巻き始める。
絶対にあげたかったけれど、いざ使われるとなるとこんなにも不安になるとは思っていませんでした。
プレゼントはあげた瞬間からその人の物。この数週間少し失敗してやりなおしたりして、私なりに編み上げたマフラーは私の手を離れて彼の手に渡る。
「おお……あったけぇ……!」
たったその一言で、自分の瞳がうっすらと濡れるのを感じた。
嘘の無い彼の言葉は何よりも信じられて、本当に喜んでくださっているとわかる表情が嬉しくて、だから私もしっかりと伝えたい。
「恨んでなんかいませんよ」
「え?」
「アルムが何と言おうとも、あなたは私を助けてくれました。救ってくれました。言葉だけでは伝えきれないほどの感謝が私にはあります。恨むなんてありえませんわ。
あの時あなたは私を救ってくれたんです。私の世界の一部を壊す事で、私自身を守ってくださったのです。アルムは自分の為と言うけれど、私にとってあなたは私を助けに来てくれた魔法使いでした。あなたが助けに来てくれた事を……私は一生忘れる事は無いでしょう」
「ミスティ……」
「ありがとうアルム。私を……私を助けてくれて」
もっと言いたい事はあるけれど、これが今の私の精一杯だった。ようやくしっかりと伝えられた感謝の気持ち。アルムはちゃんと受け取ってくれたのか優しく微笑んでくれた。
当たり前の感謝の言葉を伝えただけだけれど、彼がそんな表情を浮かべてくれるのが誇らしかった。
「うふふ、プレゼントというのはドキドキするものですね……ようやく渡せてほっとしています」
思ったよりも緊張していたのか、私は安堵していた。
隣に立つアルムが自分のあげたマフラーをしているのがほんの少し照れ臭い。
「あー……そうだな……」
「どうされました? も、もしやマフラーに何か不備が?」
「いや、違くて……あの実は……」
「はい?」
「俺もあるんだ」
アルムは言いにくそうに懐に手を伸ばす。
そしてマフラーを渡して満足感に浸っていた私におずおずと小さな箱を差し出してきた。
「これ……は……?」
「ほら、プレゼントの首飾り壊してしまっただろ? ミレルの事件の時に貰った褒美は二つあったから……お詫びの意味も込めてもう一度プレゼントしたくて持ってきたんだ」
「そ、そんな……あれは不可抗力ですし……!」
「でも、俺が壊したのは事実だ。プレゼントはミスティが当主になる事に対するお祝いだったし、当主になるのが決まってるなら改めてプレゼントさせてほしい」
彼の眼は真剣だった。
恐らくは、私が断れば悲しむに違いない。首飾りの時もそうだったけれど、彼はそういう人だ。
何より……もう一度プレゼントしてくれる気持ちが嬉しかった。貰った首飾りが壊れたのは仕方のない事だったけれど、それでもやっぱり首元に寂しさを感じた時があったから。
「わかりました……開けてもよろしいですか?」
「ああ」
小さな箱を空けると、そこにあるのは魔石の付いた指輪だった。そこでようやく、この小さな箱が指輪ケースだったという事に私は気付きました。
「俺の指には入らなかったけど、ミスティの指になら……ミスティ?」
「な、なんでもありませんわ」
ああ、駄目です。
嬉しい。嬉しい。嬉しくてたまらない。
きっと今、自分の頬は赤く染まっている事だろう。今が冬である事に私は心から感謝した。例え彼に気付かれたとしても、この赤く染まった頬を寒さのせいだと言い訳できる素晴らしい季節に。
このプレゼントにはお詫びと祝福以上の意味が込められていないと知っていても、小さな箱の中にあったものは私の心を自覚させるのに充分すぎる衝撃でした。
「気に入らなかったか?」
「そんな事はありません。とても、とても嬉しいです……」
「そうか。よかった……」
「……」
ほっとする彼を見る私の頭にとある我が儘がよぎってしまう。
「ミスティ?」
「アルム……お願いを一つ、聞いてくださいませんか?」
「お願い?」
自分がこんな欲張りな女だったなんて思ってもみなかった。首飾りを貰った時にはまだあった遠慮と理性的な私はもうとっくに不在のようで、恥ずかしげも無くあの時と同じ我が儘を口にした。
「アルムが……指に付けてくださいませんか?」
「俺が?」
「はい……あの時のように……あなたに付けてほしいのです」
耳の近くに自分の心臓があるのではと思うほどに鼓動が大きい。鼓動を聞く耳は熱くて仕方がない。
どうか断らないで欲しいと、心の中で祈りながら彼を見つめる時間の一瞬一瞬が孤独な夜のように長かった。
「ああ、わかった。ミスティがそう言うなら」
二度目だったからか、それとも私の我が儘を汲み取ってくださったのか、彼は今度は快諾してくれた。そして小さな箱から指輪を慎重にとる。
私が内心の喜びを隠せないまま両手を差し出すと、彼は困ったように私に聞いてきた。
「……どこに付ければいいんだ?」
「そこはアルムが選んでくださいませ」
「そうか。多分ぴったりのとこがいいよな……落ちるのは嫌だし……」
悩みながら、アルムは私の手をとって指をまじまじと見つめてくる。
逃げ出したくなるほどに恥ずかしかったけれど、それ以上に触れる手の温もりが嬉しくて、上がりそうになる口角を必死に抑えた。
「ああ、意外に小さいなこれ……じゃあここで」
そう言って彼は左手の小指に、プレゼントの指輪を通してくれた。
「安心してくれ。左手の薬指が結婚指輪って事くらいは俺も知ってるんだ。だからそれ以外に……ミスティ?」
彼の付けてくれた指輪がたまらなく嬉しくて、私は左手の小指を右手で優しく握る。
涙が出そうになって、握った両手で不自然に顔を隠した。
きっと彼は、左小指に指輪を付ける意味が今私が抱く想いの成就だという事を知らないだろう。それでも、彼が付けてくれたそれだけで都合よく運命なのだと感じてしまう。
胸が苦しい。
ずっと考えないようにしてた。
目を背けていた。
向き合わないようにしていた。
でも……もう我慢したくありません。もう我慢できません。この想いはきっと自覚しなければいけない大切なものでした。
「ありがとうございます……ありがとうございます、アルム……」
「そうか、喜んでくれてよかった」
せめて言葉にはしないようにと、感謝の言葉で誤魔化した。
よかった。そう言って微笑む彼は私の想いに気付いていないようだった。
プレゼントを私に渡せたからか、彼の視線は空に戻った。
「ベラルタは雪降らないのかな……俺はここで見る雪は初めてだから少し期待してるんだが……」
「……アルム、私もベラルタで見るのは初めてになりますわ」
「え? あ、そ、そうか……!」
「うふふ、アルムったらおかしいですわ」
「そうだ、皆学院に入ってここに来たんだもんな……そりゃそうだ……」
今日の空には雲も無く、雪が降る気配は全く無い。
ベラルタの初雪はきっと……何でもない日に降るのだろう。
静かな夜の中、彼に抱く想いだけが私の心に雪のように積もっていく。
ごめんなさいアルム。私とっても我が儘な女だったみたいです。
殺されかけているわけでもない平和な夜なのに願ってしまう。
その指で私の髪を撫でて欲しいのです。
その声で私に囁いて欲しいのです。
その腕で強く抱きしめて欲しいのです。
その瞳で、私を見て欲しいのです。
こんな私を……あなたははしたない女だと思うでしょうか?
「……俺ここに来てよかったよ」
「……私もです」
もっと我が儘なのは、こうして手を伸ばさないと届かない距離も心地いいと思っている私がいる事。
あなたと話すだけで胸が鳴る。
あなたが微笑むだけで温かい。
あなたが隣にいるだけで、時間が経つのも忘れてしまう。
もどかしさに嬉しさを感じる距離の中、時間を止めてと祈ってもあなたとの時間が過ぎていく。
これはきっと、遠い未来にどんな技術が出来たとしても敵わない――私だけの時間旅行。
「そろそろ戻ろうか、ミスティ」
私はきっと忘れない。
何て美しい、手を伸ばす事すら出来ぬ可惜夜。
ずっとずっと、終わらなければいいと本気で思った冬の夜。
私はもう、一人で雪原を歩くことは無いでしょう。
私の傍には私を助けてくれる魔法使いがいる事を知ったから。
「はい、アルム」
初めまして好きな人。
――私、あなたに恋をしました。
第三部『初雪のフォークロア』完結となります。
お話はまだ続きますが、第三部は全体の中でも一つの区切りでしたので一つの終着点を書くことが出来て幸せです。ここまで書いてこれたのも読んでくれた皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
第三部完結という事で、ブックマークをしていない方、下にある☆マークでの応援をした事無いよ、という方はこれをきっかけに応援して頂けると嬉しいです。
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予告通り、次の更新からは要望のあった魔法の設定か後日談のような番外をいくつか書こうと思います。
それが一通り終わったら第四部の更新を開始したいと考えています。まだお話は終わっておりませんのでお付き合い頂ければ幸いです。
これからも白の平民魔法使いをよろしくお願い致します。