200.いつもの時間
「それじゃ皆……"ハエルシース"!」
エルミラの音頭で、
「ハエルシース!」
「は、ハエルシース!」
一斉に声が上がり、皆はコップを掲げた。一人の田舎者だけが遅れてコップを掲げる。
トランス城で起きた事件から一月半が経つ。ベラルタにあるミスティの家ではアルム達が集まり、マナリルでは恒例の行事を楽しもうという所だった。
事件のごたごたで時は過ぎ、ベラルタに来て最初の年があと一月で終わろうとしている。
マナリルでは今年最後の月の初めにこの一年での出会いや幸いを祝い、あと一月で終わる今年を悔いなく楽しく過ごそうというこの時期は町ぐるみだったり村ぐるみだったりで騒いだり、個人の家でパーティを開く"ハエルシス"という行事がある。ハエルシスとは"マルタ・ハエルシス"という信仰属性の創始者の家名であり、今では行事の名前とともにこのイベント時の恒例の挨拶となっていた。
一人、その行事すらやった事無かった田舎者もいるわけだが。
「もう四日くらい過ぎちゃってるけどセーフかしら?」
「セーフだよ。この日にやらなきゃなんて決まりはないからね。流石にお店のイベントムードは無くなってるけど」
五人が囲む机にはラナの作った豪勢な料理が並べられていた。専門ではないので家庭料理の域は出ないものの、その腕前はやはり高い。事件の事後処理のごたごたで準備期間が短かった事にラナ自身は歯噛みしていた事はミスティ以外は知らないのだが。
「アルムくん、学院長に呼び出されたり王都行ってたりで忙しかったもんね」
「ああ、だが、今年はとりあえずもう行かなくてよさそうだ」
「そうなん?」
「ああ、学院長が言うにはだが……」
トランス城で起きた事件をきっかけに、アルムの名前はマナリルの貴族達に広まった。それは勿論、王都にいる宮廷魔法使いや王族にも。
未だ謎に包まれる魔法生命。依然として平民達にその情報は隠されたままだが、王城では国の脅威に一番多く関わり退けた重要な人物として定められ、今アルムは王城に出入りできる唯一の平民となっていた。トランス城でグレイシャのクーデターを食い止めた報酬として、国内事情が落ち着くであろう来年にはマナリル国王カルセシスから直接褒美を賜る事も約束されている。
平民では謁見も出来ない王族から直接褒美を賜うなど貴族でも一生に一度あればいいくらいの誉れであり、今代の家の地位を約束されるような出来事だ。それをただの平民が成し遂げた事で、学院内でアルムにいい感情を抱いていなかった貴族はさらにアルムを目の敵にするようになった。反面、ミレルの事件以降にあったアルムを密かに認める人間達からは祝福されていたりする。あいつはやるやつだと思っていたよ、などというアルムが名前も知らない貴族達から都合のいい賞賛が出始めたが、アルム自身はそのどちらも気にしていないようだった。
「私達はアルムと違って結構早めに解放されてよかったわ。何だかんだミスティが一番早かったわよね?」
「ええ、なのでお先にベラルタに戻って色々やっていました」
「色々って?」
「あ、ええと、それはですね……」
何故か返答に困っているミスティ。
ミスティの様子に疑問に思いつつもルクスが助け舟を出す。
「まぁ、僕達も大して変わらなかったけどね。僕達はカンパトーレの魔法使いと戦っただけだから。いや、だけっていうのはおかしいか……充分大変だったし……」
「そうだよー! こうして学院に通えてる状態が本当は普通なんだからー」
当然、ルクス達もカンパトーレの魔法使いファルバスとフィチーノを倒した功績が認められて勲章が送られる事となる。アルム同様、来年には授与式が行われる事も決定しており、フロリアのマーマシー家、そしてネロエラのタンズーク家含めルクス達の家名もアルムの名前と一緒にカエシウス家を救った貴族としてその評価を上げる事となった。全員が魔法学院の一年生という事で、宮廷魔法使いの間ではその肩に期待がかけられている。
「アルムの話題が大きいおかげで私達には鬱陶しいの群がってこないしね。ほんといつも通りって感じだわ」
「でも、どっから噂聞きつけたのかボクに何度も魔法儀式申し込んでくる人達がいるんだよねぇ……」
「まぁ、あんた一番弱そうに見えるもんね」
「弱くて当然なんだよー、ボク治癒魔導士になりたいんだからさー!」
娘である自分が評価されて、父がふんぞり返っているのがいらいらするとはベネッタの弁。そしてどっからも何も、この父の自慢話が交友のある貴族から漏れ、ベネッタの実力の程を確かめようとする生徒を増やしているとはベネッタは知る由も無い。
「ミスティは? カエシウス家はどんな感じ?」
「もしかすれば、皆さんよりも暇かもしれません。当然ですが、今回の事後処理にはほとんど関わらせて頂けませんから」
「ああ、そっか。領地の分配は?」
「カエシウス家の統治範囲だけはもう決まっていて、そこからは国主導です。皆さんの勲章や褒美の授与が遅れているのもそれが主な理由かと」
カエシウス家の人間が事件を起こしたという事でカエシウス家はその責任を一部問われる事となる。
調査の結果、呪法という魔法の痕跡も見つかり、ノルドがやった事は首謀者であるグレイシャに脅迫された事によって起こした行動であると認められたものの、補佐貴族の跡取りが二人命を落としている事、そしてカンパトーレの魔法使いを招き入れている事から北部の領地のほとんどが没収。ペントラ家とクトラメル家には賠償金が命じられた。
カエシウス家の魔法使いの家系としての重要性はマナリルもわかっている為没落することこそ無かったが、その影響力は以前ほどではなくなった。上級貴族から一般の貴族の待遇に落ち着いた程度ですんだのはカエシウス家もまた被害者であるからだろう。アスタが今回の件の解決に関わったのも考慮されたと見られている。
そして、今回の出来事から上級貴族が敵の手に落ちただけで多数の貴族が敵の思い通りになってしまう危険性が説かれ、補佐貴族の制度は解体される事となる。
カエシウス家から取り上げた領地は国によって再編され、選考された貴族に割り当てられる事となり、フロリアとネロエラは今回の功績の一つとしてその領地問題に関わる事が決まって日々忙しない毎日を送っている。
「ミスティ殿は一番の被害者だったのに残念だったね」
「いえ……これでよかったんだと思います。元王族なんて過去をいつまでもくっ付けて身の丈に合わない権力を持ってしまっていたのかもしれません。今はもうカエシウス家はマナリルの貴族。そして私はただのマナリルの貴族ミスティ・トランス・カエシウスなんですから」
ミスティはそう言いながら微笑む。
「だから今、ほんの少し楽な気持ちです」
「……ミスティ殿がそう言えるのならよかった」
同じ四大貴族の重圧を知っているからか。その微笑みは強がりからでは無く、本物だったとルクスは安心する。
「とりあえず皆落ち着けてよかったねー、アルムくん」
「ああ、帰って来れてほっとしてる。慣れない環境は少しストレスになるんだと学んだよ」
「慣れないってあんた……数か月前までここだってその慣れない環境だったでしょうよ」
エルミラに言われ、料理を皿にとろうとするアルムの手がぴたっと止まった。
「そうか、言われてみればそうだな……最初は余りに故郷と違って違和感あった」
「そうでしょうよ」
「何か懐かしいな。衛兵が歩いているだけで違いを思い知らされたもんだ……」
数か月前、来たばかりの頃は心が追いついておらず、故郷とベラルタを比較していた自分をアルムは遠い過去のように語る。
「まぁ、でも……皆がいるからかな。今はちょっとほっとしている」
そういえばアルムってこういう人だったと四人は思い知る。
自分の思った事を口にするその素直さと誤魔化しが効かない声は久しぶりに聞くには眩しかった。ただでさえ最近は殺伐とした事実確認の機会が多かっただけにより四人の中に響く。
「おお……おいしい……シャクシャクしてる……」
そんな事は露知らず、アルムはラナの作った玉ねぎの多く入ったグラタンに舌鼓を打った。机にはレモンバターのチキンやポットパイ、スノラから運ばせた魚介の蒸し焼きにケーキとまだまだアルムの知らない料理が並んでいる。
こほん、とエルミラは狼狽えた自分の空気を変えるべくわざとらしく咳払いをした。
「そ、そういえば当主の件はどうなったの?」
露骨な話題変えではあるが、皆が気になりながらも聞けなかった事だった。アルム達の視線がミスティに移る。
「はい、予定通り私が継承しますが……今すぐにではなく、やはり卒業後にとの事です。今回の当主継承式はグレイシャお姉様の都合で企てられたものでしたから」
「でもミスティが継承するんだー」
ベネッタが喜びながらそう言うとミスティは頷く。
「ええ、それに今回の件で自分には非難の声が集まるからとお父様が……お父様なりに責任もとりたいようです。私が継承するのはどれだけ早くてもそういう声が落ち着いてからにしようと仰ってました。大変でしょうけど、自分はそうしなければ償えないと……」
「そっか……じゃあもしかしたら私のほうが先に当主になって領地治めてるかもね?」
「うふふ、その時はどうか新米当主にご教授くださいませ?」
暗い雰囲気にさせたくなかったのか、八重歯を見せて笑うエルミラ。その心遣いに応えるように、ミスティもまた笑い返しながら珍しくおどけて返していた。
「ああ、結局ミスティのお父さんには挨拶できなかったなあ……お礼の伝言は受け取ったけど、どんな人だったんだろうか」
「アルムくん門前払いされちゃったもんね。でも、ボク達も遠目から見ただけで挨拶なんて出来てないよー。結局ルクスくんだけじゃない? ほら、あの嫌味言った時のー」
「あ、ちょっ……」
「嫌味? ルクスが?」
「お父様に?」
普通にそれ言っちゃうんだね、と聞かせる気の無い呟きを零しながら、注がれる興味の視線と目を合わせないようにルクスは自分の両目を手で覆った。
アルムとミスティに追及されるルクスという珍しい構図を見てエルミラとベネッタが笑う。
その話題をきっかけに、五人の話題は徐々に事件に関するものから他愛の無いものへと変わっていった。
弾む会話の中でミスティは実感する。今いるこの場所こそが、殺されかけたあの時自分が望んだ日常なのだと。
そんな五人の時間を過ごしながら夜は更けていく。こうして過ごす時間を何よりも早く感じながら。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ベラルタに戻ってきました。




