197.初雪のフォークロア8
「ごめんー……エルミラのを全部治したら魔力無くなっちゃうからこれが限界……」
「充分よ。ありがと」
トランス城城門前広間。
エルミラとフロリアの治療を終えてベネッタは意識を失ったフロリアの横に座り込む。
エルミラは痛みの薄まった腕を動かそうと試みるも、骨折までは治っておらず痛みを感じてすぐに動かすのを止める。
「ルクス達は大丈夫かしら?」
「アスタくんが付いてるし、大丈夫じゃないかなー?」
「どっちにしろ……もう待ってる事しか出来ないわね」
「……うん」
二人は心配そうにトランス城を見つめる。作戦通りならすでにアルムが戦っているはずだ。戦っているはずが、トランス城から何も音がしない事が不気味だった。
紅葉の出現で舞踏会場全てが彼女の領域になっている事など二人は知るはずも無い。
(何故だ……! 何故合図が無い……!?)
そんな中、エルミラ達から少し離れて縛られている黒い体は思考を取り戻していた。
フィチーノ・キイチの体は人工の夜で包まれている。魔法使いを制した後は口を塞ぐのが一般的なのだが、その包まれた夜のせいでエルミラ達はフィチーノの実体の部位がわからなかったのだ。念のため動けぬように縛ってはいるものの、どこを縛っているのか手応えからはわからず、エルミラ達もすぐに対応できる距離を保つしか無いという状況だった。
エルミラの血統魔法を受け、焦げ臭いまま気絶していると思われていたフィチーノの意識は縛られたそのすぐ後に覚醒する事になる。本来なら数時間は気絶したままのダメージを受けているが、自分に課せられた最後の役割の為に彼は自分の意識をたたき起こした。
(どうしたグレイシャ・トランス・カエシウス……!)
盤石では無かったのか。今頃胸にある通信用の魔石が第二段階が終了した合図に点滅するはず。トランス城制圧から余りにも時間がかかりすぎている。
(まさか……失敗、したのか? そんなはずはない……グレイシャを倒せる魔法使いなどもう残っているはずがない……!)
フィチーノの頭に不安がよぎる。周りからは見えない彼の目はずっと胸にある魔石を見つめていた。
(覚悟は、しておくべきか……!)
万が一失敗したのだとしたら相当な痛手だ。このような絶好の状況でトランス城を制圧できる機会は訪れないだろう。
失敗したのなら、違う形で魔石が光る。フィチーノが雇われたきっかけその美学。それを発揮する為の連絡が来る手筈だ。
そう彼には一つだけ……まだやれる事が残っている。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
もう死ぬのは嫌だ。
紅葉の思考が久しく感じていなかった感情に塗りつぶされる。
同じ魔法生命にならともかく、こんな――こんな人間にこの私が恐怖しているだなんて!
『嫌だ』
精神の乱れが魔法に現れる。
後五十はいたかと思った人型の魔力体が次々に霧散していった。人型の魔力体は消える前にアルムを襲おうとするも、そんな状態の両手がアルムに届くはずも無い。虫でも払うように鏡の剣を払うと、その一撃でただの魔力へと変わっていった。
『嫌だ……!』
嫌だ。私は、なるんだ……!
この地を都に。グレイシャを王に。そしてこの私が――
「変わるわ紅葉」
(!!)
パチンと扇が閉じた音が鳴る。
いつの間にか、体の主導権が入れ替わった。
先程魔力を温存する為にと意識の裏に引っ込んだグレイシャが表層に現れる。その変化にアルムも気付いた。
「こいつは……私が殺さないといけないみたい」
グレイシャが表層に現れたと同時に、黒い人型の魔力体も完全に消失した。
この男に恐怖や害心を煽っても無駄だと悟る。腕に抱えられるミスティも震えていなかった。さっきまでならともかく、人型の魔力体が今ミスティに触れた所で何の効果も与えられないだろう。それほどに、アルムの声は力強かった。
ならばこいつを殺せばミスティはまた落ちるだろう。
ミスティの全てを奪う為、グレイシャはアルムに殺意を向ける。
「……さっきから聞きたかったんだが」
「なにかしら?」
「あんたの首飾り……見覚えがある。俺がミスティにプレゼントしたのによく似てるな」
アルムの腕の中でびくっとミスティの体が震えた。
グレイシャは見せびらかすように、胸元にある首飾りの魔石を指差す。
魔石はグレイシャの魔力に反応して淡く光っていた。
「ええ、今年は首元を飾るのが流行ってるもの」
「らしいな」
「素敵でしょう?」
「ああ、あんたが付けていなきゃな」
その会話だけでも二人の世界は交わらない。
グレイシャが掲げるのがミスティに対しての報復ならば、アルムは報恩。
許容は無く、敵対する道しかない二つの世界は互いに殺意を眼差しに込める。
「『召喚・氷剣の騎士』!」
「召喚――!」
瞬きと共に氷で象られた騎士が四体現れる。
召喚魔法は構築速度が早い魔法。グレイシャほどの魔法使いが使うとなればその速度は人間が瞬きするほどの時間で充分。その造形の精度はいわずもがな。主を守る氷の騎士は芸術的な甲冑を揺らしてアルムに突撃する。
「はあああ!!」
向かってきた一体を鏡の剣で縦に割る。
例えグレイシャの召喚の精度が高くてもそれは氷。"現実への影響力"が引きあがったアルムの剣の前に核ごと氷の騎士は砕かれる。
二体目も同じ。次に突っ込んできた氷の騎士が振るった氷の剣はしゃがんだアルムの頭上をかすり、その腕を鏡の剣によって斬られる。武器の無くなった氷の騎士の頭をとばしてアルムは三体目を視界に入れた。
「『流神ノ尾』」
「!!」
三体目の後ろから聞こえてきた魔法の声にアルムは鏡の剣を正面に構える。三体目の氷の騎士の胴体から、爬虫類の尾のような巨大な剣がアルム目掛けて突き進む。
「ぐっ……この、威力……!」
「あ、アルム……!」
鏡の剣を構えた事で防ぐ事は出来た。しかし、アルムの体を串刺しにする勢いで突き進むその巨大な剣は鏡の剣で受け止めても尚止まらなかった。地面も凍り付いているせいで踏ん張りも効きにくく、アルムはただ押されていく。
鏡の剣を持つ右腕から血が噴き出す。血はアルムの魔力を帯びてかすかに白く輝いていた。
この魔法はいつか滝の霊脈でマキビが使っていたもの。常世ノ国の魔法であるはずなのに、間違いなくマキビが使うよりも"現実への影響力"が高かった。
「四体目――!」
『流神ノ尾』に押されて動きを制限されているアルムの横から召喚によって現れた四体目の氷の騎士が剣を振りかぶる。
「一緒に、壊れてろ!」
受け止めていた巨大な水の剣をアルムは鏡の剣で無理矢理弾いて軌道を変えた。その切っ先が向かうは四体目の氷の騎士。そのまま巨大な水の剣に巻き込まれ、奇襲の為に胴を貫かれた三体目と同じように四体目は無残にただの氷へと散っていった。
「『海の抱擁』」
グレイシャは次々に魔法を唱える。
ミスティの顔によって死角になっている左方向から聞き覚えのある魔法の声がした。水によって動きを封じるミスティの得意魔法一つ。
体を無理矢理回転させ、左方向に鏡の剣を振るう。向かってきていた水の球体に鏡の剣が突き刺さり、その球体は破壊された。
「『十三の氷柱』!」
次々と魔法を唱えるグレイシャ。
その構築速度は発生が早い雷属性を持つルクスを超える。グレイシャから目を離していいのは本当に瞬きの時だけ。その瞬きの間にすでに魔法の構築は終わっている。
「あなたさえいなければ――今頃!」
放たれる十三の氷塊。
グレイシャは無意識にアルムの腕の中にいるミスティを狙いながら叫ぶ。
「私の妹を落とせたのに!!」
「誰が……星だ!」
壇上に舞台の主役のように立つグレイシャ。
向かってくる鋭い氷塊を叩き落としながらアルムは進む。
「その子に決まっているでしょう! ずっと頭上で輝く私の星! その光で私達全てを霞ませる! 国を売って紅葉の力を借りてようやく……全てを持つ才能をようやく落とせた! ようやく地に落とせたのに!」
「何が星だ! 目見開いてちゃんと見ろ! あんたの妹だろうが!」
「妹でなんてあってほしくない! その子がいるだけで私はずっと……その子の姉と呼ばれ続ける! ゆっくりと私という人間が殺される! そんな世界は耐えられない! 私は私! グレイシャ・トランス・カエシウスなんだから!」
「グレイシャ……お姉様……」
アルムの耳元で聞こえるか細いミスティの……姉を呼ぶ声。
「全てを持つその子にはわからない! 劣っている者の悩みなんて! 地べたに這いつくばるのがどれほど困難か! 這いつくばる姿すら誰にも見られないのがどれほどの苦しみか! ただ空に浮かんでる星には!!」
「馬鹿だなあんた……! 大馬鹿だ……!」
十三の氷塊全てを叩き落としながらアルムは呟く。
グレイシャの叫びを聞いて尚、アルムは揺らがない。
「『凄絶の氷滝』!」
アルムが叩き落とした十三の氷塊を全て束ねても敵わない大きさの氷塊がアルムの頭上に出現する。
その氷塊は槍のような切っ先をアルムのほうに向けていて、グレイシャの合図でその質量を持って襲い掛かった。
「俺も同じだったよ。平民だった俺にとって魔法使いになる人達はずっと特別な存在だと思っていた」
ずん、と氷塊は鈍く重い音を立てて舞踏会場に落下する。その切っ先は一人の人間を肉塊にする為に刃物のように鋭かったが――切っ先にいた人間は決して砕けない。
ひび割れる氷塊。そのひびは氷塊全体に行き渡り、氷塊の中から変わらぬ姿で男は姿を現す。
「でも違うんだよ。グレイシャ・トランス・カエシウス。ここに来て、とある貴族の羨望を見て俺は違うと知れた。どんなに誰かが特別に見えていても、自分と同じように何かを抱えているんだ。何かを持っていても、いや、持っているからこそ悩む人もいるんだ。そうだ……どんな人間だって悩みがあるんだ。苦しむ時があるんだ。誰も空なんかにいやしない。人は誰だって隣にいるんだよ。
あんたはただ見なかっただけだ。ミスティの輝きだけを見て空に浮かぶ星だと勘違いした」
「知った口を――!」
「もう一度よく見てみろ! ここにいるのは星なんかじゃない! 俺達と同じ場所に立ってる女の子だ! そうじゃなきゃ、あんな風に泣くものか!!」
「『堕ちた氷姫の咆哮』!」
ミスティを倒した水属性の上位魔法をグレイシャは唱えた。
氷が舞い、真っ白な風となって吹雪のように吹き荒れる。吹雪と違うのは吹き荒れるのは雪ではなく氷の刃という事。
血統魔法に等しい"現実への影響力"を持つ魔法を前にしてアルムは迷わず鏡の剣を振りかぶる。
「それがどうした! その子が悩んでいようが何だろうが……私を照らす事に変わりはない! 私を殺す事に変わりはない! あなたのような平民に何を言われようとも……私はその子の全てを奪う! 誇りも! 命も! 生きた痕跡も! そして今立ちはだかるあなたという友人も!」
「それは無理だ」
ぞっとするような静かな声でアルムは鏡の剣を勢いよく振り下ろす。
瞬間、風が斬れた音がした。
開ける視界。裂けた吹雪。吹き荒れていた氷の刃は力を失い地に落ちる。上位魔法すら容易く切り裂くその鏡の剣への疑問が湧き出る前に、吹雪によって遮られた視線が再び交差する。
「あんたがミスティの敵である限り……俺はあんたを許さない。 俺だけはあんたの世界に呑まれない。俺だけはずっと、あんたの敵として生き続ける。俺の命だけはあんたにやるわけにはいかない。俺の世界を――壊させない」
炯々たる眼光がアルムの世界を力強く語る。
二人の会話は決して説得などではなく、ただの意思表明。
好き勝手に互いの主張をぶつけただけの意味無き会話。意味など無くともしなくてはならない自己の噴出だった。
「それなら……この世界からも生き残ってみるといい!!」
「お姉様! それだけはおやめください!!」
アルムが殺されると言う恐怖からミスティは顔を振り向き、姉に願う。しかし、ミスティの声が今更グレイシャに届くわけも無かった。
すでにグレイシャの頭からは魔力の温存という選択肢は消えている。後先にあるかもしれない不測の事態などもうどうでもいい。
今グレイシャの中に在るのはミスティへの憎悪とアルムへの苛立ち。そのどちらをも消す為に今――グレイシャは千年続く歴史の結晶を唱えた。
「【白姫降臨】!!」
たった一つの異物を氷の世界に閉じ込める為に、再びその血統魔法は唱えられた。
静謐からは程遠く、業火のような使い手の声が重なった声と共に響き渡る。しかし、その合唱は鍵となって血筋の中にある歴史を引き出し、氷の世界を再びここに顕現させる。
「あ……あ……」
かちかちと歯を鳴らすのはミスティ。
変化は一瞬だった。
ミスティを抱えて戦っていたアルムは凍り付き、周囲の貴族と同じように氷像と化していた。唱えた前と寸分変わらぬ体勢でアルムは凍り付いており、抱えられたミスティにその体温は伝わらない。
「はぁ……はぁ……」
……終わった?
まるで信じられないかのように、グレイシャの表情には驚きがあった。
「そう……そうよ……」
当然だ。
そうだ。慌てる事など無かった。
カエシウスの血統魔法は他と一線を画す千年級の魔法。この血統魔法さえ唱えてしまえばどれだけ意味の分からない相手だろうと終わりなのだ。
何をほっとしているのだろうか。
これが当然の結末なのだ。当たり前の結果なのだ。少し無属性魔法を使えるだけの平民が逃れる術はない。
「全く……驚かせてくれるわ……」
(流石だわグレイシャ……! それでこそ私の素敵な人よ!)
アルムが氷漬けになった事で安心したのか、意識の裏にいた紅葉の上機嫌な声が聞こえてくる。
ミスティを落とした時とは違う達成感がこみあげてくる。自身の目的に立ちはだかった最後の障害を突破した充足感がグレイシャを高揚させた。作戦を淡々とこなすだけでは手に入らなかったであろう感情にグレイシャはつい笑顔を浮かべる。
アルムが駆け付けた事で一度は戻ったミスティの心もこれで完璧に折れて砕け散るだろう。
(私達の勝ちよグレイシャ!)
「ええ、ええ!」
そう、これで完全に勝利した。
私達は――
「言っただろう。壊させないと」
――そんな二つの喜びを粉々に砕く声がする。
「な……な……!」
「アル……ム……」
「ば、馬鹿な……」
驚愕の声はここにいる全ての者から聞こえてきた。アルムが抱えているミスティ、相対するグレイシャ、会場の隅に立ち尽くすノルド。カエシウス家の人間全てがその異常に絶句する。
「さあ、生き残ったぞ。グレイシャ・トランス・カエシウス」
割れるような音を立て、アルムを氷漬けにしていた氷だけが砕け散った。氷像となっていたアルムは再びその体温を取り戻してグレイシャに一歩近付く。
腕から落ちる血が魔力で白く輝き、軌跡を残しながらアルムの世界がグレイシャににじり寄る。
(何なの……何なのこいつは……!)
「そんな馬鹿な事があるはずが……今唱えたのは……カエシウス家の……!」
再び動き出した恐怖に紅葉の声が慄く。
目の前で一部始終を見ていたグレイシャにも何が起こったのかがわからなかった。
一体何が起きた?
そう考える前に、グレイシャは鏡の剣に映るアルムの姿を見た。さっき紅葉が気にしていた、こちらの姿が映り込まない正体不明の魔法の鏡。そして、床に滴る魔力を帯びて光る血。
「まさか……その血……そして鏡は……!」
魔法の強さを決めるのは"現実への影響力"。
無属性魔法は属性を持たず、それゆえに中途半端な在り方を持つ魔法。
魔法になりきれない魔力。魔力になりきれない魔法。
完結しないたった一つの魔力と魔法の形。
魔法になりきれない魔力が魔法として現実に"放出"する事が出来るのなら……逆は?
魔力になり切れない魔法が、魔力として人間の体を流れる事も可能ではないか?
そして絶えずその曖昧な魔力を体に巡らす事が出来たなら――アルムは果たしてただの人間のままだろうか?
「自分を……魔法にしたの……? 紅葉と一体化している私と同じように……?」
「ああ、そうだ。魔法生命なんて存在がいるのなら……出来ないはずが無い。そしてこの剣は俺の"現実への影響力"を底上げした」
【一振りの鏡】という魔法の正体。それは手の平で掴める形をしていながら世界改変系と呼ばれる使い手の世界を現実にする魔法。
絶えず魔力を循環させ、使い手を魔法に変えながら鏡の剣そのものと鏡の剣に映る自分の"現実への影響力"を強化し続けるだけの剣。
「あなたは……一体誰だ……?」
ミスティにしか執着していなかった女の心の底からの呟き。
そんな女の問いにアルムは短く宣言する。
「アルム。お前を倒す魔法使いだ」
そう、目の前にいるは歴史を刻み、伝統を積み重ねる魔法世界に突如現れた異分子。
魔力という最も原始的な武器を持って乗り込んできた蛮族。
閉ざされた原初の扉をその武器でこじ開けた平民の魔法使い。
今を以て決着はついた。
グレイシャと紅葉。共に命は奪われておらず一体化するその体も五体満足。
それでも二人は今この瞬間に、目の前にいるアルムという男に敗北した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
長くて時間かかりました。ギリギリ今日なので許してください……。