195.初雪のフォークロア6
いつも読んでくださってありがとうございます。
このまま第三部を駆け抜けようと思います。
「異界……!」
アルムは思い出す。ミレルの町を壊滅させた魔法生命の存在を。
「あの百足の仲間か……!」
『人聞きの悪い。彼女は同類ではあれど仲間なんかじゃないわ。私達の目的を無視し、自分の目的を選んで離反した裏切り者よ』
紅葉の背後にある六つの玉の一つが光る。
間違いなく何かの予兆。アルムは展開した五枚の魔鏡を操りながら距離をとる。
『【呪怒・四条天雷】』
球体は黄色に輝き、紅葉から黒い雷が放たれる。
雷属性とは思えない魔力光である事に驚くものの、アルムは冷静に魔鏡を盾にして雷を弾き落とす。
音を立てて魔鏡に弾かれた黒い雷は壁に跳ね返るが、氷漬けとなった壁はびくともしない。カエシウス家の血統魔法の"現実への影響力"はこんなものでは砕けない。
「くっ……!」
だが、アルムの展開する鏡は違う。跳ね返す事は出来た。しかし、黒い雷の"現実への影響力"に敵わず、五枚の内一枚が砕け散る。ばらばらと砕けた魔鏡は魔力となって霧散していく。
『あら、大層な造形してる割に脆いのね』
くすくすと笑う紅葉。
『ああ、ですけど気にすることはありません。この世界は平民に魔法の才が無いと聞きました。魔法を使えているのですから、あなたにはほんのちょっとは才能があるのでしょうね』
「何が言いたい?」
『そのほんのちょっとの才能で勘違いしてしまったのですね。自分には何かを助けられる力があると』
紅葉の背後に浮かぶ六つの玉の内の一つが再び輝いた。
『【呪怒・二条風害】』
「!!」
扇を振る動作でアルムはその場から跳んで離れる。
黒い色の付いた烈風がアルムのいた場所を薙ぎ払い、操作の追い付かなかった魔鏡はいとも簡単に砕け散る。
『二枚目』
「今度は風……いや……!」
黒い雷に黒い風。いとも簡単に二属性を操って見せる紅葉。
しかし、どちらの魔力光も黒である事の違和感がアルムに紅葉の属性の正体を気付かせる。
「あの百足と同じ……鬼胎属性ってやつか……!」
『あらあら、どうやら勘はいいご様子。その通り、私が操る魔力はこの世界で鬼胎属性と呼ばれるもの。私の背後に司るのは私という人生が見た人間が恐れるものその再現』
紅葉の体がゆっくりと浮遊する。
魔法も使わず浮遊するその姿に馬鹿な、とつい声が漏れた。
『【呪怒・京内人心】』
「!!」
紅葉の背後の六つの玉が黒く輝く。
唱えた声と共に舞踏会場内に現れたのはアルムと同じくらいの大きさをした黒い人型の何か。
一人。二人。三人四人五人六人――舞踏会場を埋め尽くす勢いでその黒い人型は次々と増えていく。
『人は恐怖に名前をつけて自分が理解できる所にまで落とそうとする。天からの裁きに雷と、大気の怒りに嵐と、名前をつけて理解した気になって恐怖を和らげようとする……それは最も身近にある恐怖もまた例外ではない』
黒い人型の動きは決して対応できないスピードではない。それでも増え続けるその数はアルムにとっての脅威となる。どんな効果をもたらすかわからない。触れただけでミスティを害する何かがあるかもしれない。そんな恐れが黒い人型を近付けさせないようにとアルムを動かす。
押し寄せる黒い人型から逃げるように会場を走り、魔鏡を操って動きを遮り、時には魔鏡をぶつけて吹き飛ばす。
『人が人の不幸を願う心。人が人に災厄を望む意思。天ではなく、同じ世界で生きる隣人がもたらすそれに、人々は"呪い"という名を付けて遠ざけた』
無意識に、ミスティにこの光景を見せないようにとミスティの顔を胸に押し付ける。
見下す紅葉の表情は恍惚としていて、グレイシャの施した血化粧がその表情によく似合っていた。
『最もありふれたあなた達の敵。それは人という生き物そのもの。言葉の通じぬ異国の人、遠方に住む見知らぬ名前、同じ町に住む隣人に楽しい時を過ごす友人、そして血で繋がる家族……上っ面にどんな関係性があったとしても、人の心というのは理解できず、覗く事も出来ない闇……自分しか見る事の出来ないエゴ』
「こんな黒塗りで人の心を再現したつもりか……!」
『その腕の中の子もグレイシャの持つエゴに敗れた……さて、ちっぽけな正義感をふりかざしているあなたはどうかしらね?』
黒い人型の魔力体は単純な突進を繰り返す。何かを掴むように手を伸ばし、ひたすらにアルムを走らせる。三枚の魔鏡ではその勢いを抑えられない、いや、例え五枚揃っていたとしても無理だったであろう。
「ちっ……!」
アルムの舌打ちは自身の未熟さに対してだった。ミスティを抱えている今、アルムのとれる魔法の選択肢は少ない。
ミスティがいるいないに関わらず、"充填"と"変換"を上乗せする時間の無い『光芒魔砲』は使えない。【天星魔砲】も論外だ。ミスティを抱えた状態では威力を制御できない『幻獣刻印』も使えるはずもない。その爪は紅葉に届く前にミスティを引き裂いてしまうだろう
アルムの切り札で残された選択肢はこの対人用の『永久魔鏡』のみ。紅葉と名乗るあの女が大百足と同じ魔法生命ならば、普通の魔法使いと違って通常の無属性魔法は容易く弾かれてしまうに違いない。その額から天に向かって伸びている二本の角が少なくとも紅葉は普通の人間でない事を示している。先程声が切り替わったようにグレイシャになったとしてもそれは同じだろう。
「くっ……!」
『うふふ、いつまでもつかしらね?』
アルムは三枚の魔鏡を操作して向かってくる人型の黒い魔力体を自分から遠ざける。魔鏡を人型の魔力体にぶつけてみるも、それだけでは破壊する事はできず、アルムは両手を伸ばして殺到する人型の魔力体からただ逃げるしか出来ない。
三枚の盾の精密操作に加えて、ミスティを庇いながら逃げ続ける事が不可能なのはこの光景を見ているものなら誰にでもわかる事だった。数十体の黒い人型の魔力体は舞踏会場に出来上がっている氷像の間をを軽やかにすり抜けて逃げるアルムだけを追い掛けている。
黒い人型の魔力体は何かを飛ばしてくるわけでもなく、その魔力体自体に特別な能力があるわけでもない。ただひたすらに人型の魔力体が対象に執着し、追いかけ続ける。そんな単純な魔法にアルムは追い詰められていく。
そんなアルムを滑稽な見世物でも見ているかのように紅葉は笑った。
『その子もがっかりしてるでしょうね……助けに来てくれたのがあなたみたいな何にもない平民だった事に』
だが、紅葉の馬鹿にするような言葉などアルムには響かない。アルムが考えるのはこの場をどう打開できるかという事だけだった。
魔力切れまで耐える?
不可能だ。このままでは魔力はともかく体力がもたないだろう。
ルクス達が来るのを待つ?
これも不可能。すでにルクス達は城を守る魔法使いと戦って魔力は限界にきている。
現実的ではない打開策を頭に浮かべる中、正面に回ってきた人型の魔力体を防ぐ為に魔鏡を操って盾にする。
目の前に飛んできた魔鏡。そこに映るのは自分と――その腕で震える大切な友人。
「違う……!」
アルムはぎりっ、っと歯を鳴らす。
逃げるしかないこの状況がそうさせたのか。一瞬でも後ろ向きな考えが浮かんだ自分をアルムは恥じる。
「違う……!」
自分は何を言っている。
消極的で後ろ向き。なんて自分らしくない考え。
お前は何のためにここに来たのだと自分自身に問い掛ける。
逃げる為か? 違う。
耐える為か? 違う。
腕の中で震える大切な友人を助ける為では無かったのか。自分の中に答えを出してここに来たのではなかったのか。
自分がここに来た事で、胸の中にいる友人は確かにその命を繋いでいる。
何故一瞬でも疑った。何故一瞬でも迷った。自分が動いた事で生まれた目の前の現実を誇ろうとせずに何故今後ろを見ようとしたのか。
「俺は馬鹿か」
紅葉は人の心はエゴだと言った。ああ、その通りだとアルムは笑う。
誰かを助ける。
それは他者の運命を捻じ曲げる最も独善的な行為。
誰かを害する。
それは他者の運命を捻じ曲げる最も独善的な行為。
自身の行いはきっと、敵対している紅葉とグレイシャと本質的には同じものなのだろう。
ならば――何を迷うことがあるのか。
どちらも同じエゴだというのなら、ミスティを殺す……そんなエゴを突き通させてなるものか。
これは証明だ。
自分の心を突き通す事で、自身の歩んできた道にも、導き出した答えにもきっと――間違いなど無かったのだと――!
「救う……!」
アルムの視線は紅葉とその意識の裏にいるグレイシャへ。
「守る……!」
やるべき事は決まっている。目の前の敵がいる限り、震える友人に安らぎは訪れない。
「……戦う……!」
魔法使いとは魔法を駆使して戦い、守り、救う超越者。
自分は一体何の為にそれを目指した?
「決まっている……! 自分の為に!!」
閉じた蓋を破壊して決壊する無色の魔力。
人型の黒い魔力体を抑えていた三枚の魔鏡は突如同時に割れた。
アルムに宿る尋常を超えた魔力が体内から周囲にまで迸る。
可視化するまでに至った無色の魔力は光を発し、アルムの中にある魔法の形を作り変えていく。
「"放出領域固定"――!」
新しい形を掴んで今――魔法は変革する――。
「【一振りの鏡】」
アルムの体から迸っていた魔力が収束する。
何処からか、それは雫のように静かに降ってきた。
見てくれは細長く、それでいて鋭利な魔力の結晶。
降ってくるそれは鏡。落ちてくる間、その表面には舞踏会場の風景が映り込んでいた。
降ってきたそれをアルムは強く、確かに掴み取る。
その動作によって、ようやくその魔法が何を模しているのかを紅葉は理解した。
『……剣?』
その魔法は紛れも無く――アルムの敵を討つ為に現れた剣だった。