190.初雪のフォークロア
『あら、もう終わってしまったかしら?』
「まさか、あの子がこれで終わるはずがないわ」
トランス城舞踏会場。
ルクスやエルミラ達が敵と遭遇した頃、舞踏会城内では紅葉の放った黒い雷がミスティ目掛けて降り注いでいた。
普通の人間であればとっくに死んでいるような魔法の嵐は止むも、グレイシャの声はミスティの生存を一片たりとも疑っていない。
そんなグレイシャの声の通り、氷の破片が舞う煙の中から水晶のような輝きを纏ってミスティは飛び出した。
水属性の強化魔法『雪花の輝鎧』。水晶のような強固な氷の鎧を纏うその魔法は所々が欠けているものの、降り注ぐ黒い雷からミスティを守っていた。
(浮いているのは今の雷とは無関係……)
浮遊するグレイシャをミスティは見上げる。
魔法名を唱えずに浮遊を行使しているのは一見魔法のルールから外れているように見えるが、ミスティはすでに彼女らがどんな存在かを知っている。
魔法生命。異界から現れたとされる新しい魔法の形。ただの生き物ではなく一つの魔法だと考えればおかしくはない。
魔法というのはその魔法が持つ属性や形、そして性質を現実にもたらす現象だ。剣の形をしていれば現実にある剣と同じようにその魔法は物を斬ったり刺したりできる力を持つ。
紅葉は自らを鬼と言っていた。勿論ミスティには知る由も無い生き物だが、この鬼という生き物は浮く事が当たり前の生き物という事なのだろう。手足を動かすのと同じようにそれが鬼という生物の当たり前の機能であり、鬼の魔法である紅葉は自身の"現実への影響力"で自由に浮遊する事ができるという事だ。
(自在に動けると考えたほうが自然でしょうか)
ただその場で浮くだけなんて間抜けな話も無いだろう。機動力は約束されていると考えていい。
そして紅葉はグレイシャと一体化している。例え普段は離れていても自分の姉だ。姉が優秀な魔法使いである事をミスティは知っている。ミレルで遭遇した大百足と同じ異質な存在に加えてグレイシャという魔法使い。そのどちらの能力も持つ相手と一人で戦わなければいけないなどあまりに無謀だ。
(それでも――)
それでも、退く事は出来ない。
他の貴族では、例え駆け付けた所でこの舞台会場にある百以上の氷像と同じ末路を辿るだけ。今の時点ですでにマナリルにとっては絶望的な痛手だ。トランス城奪還の為の人員の動かし方によってはマナリルの貴族は崩壊する。
だから自分がやらなければいけない。一瞬で命を凍らせるカエシウス家の血統魔法――その影響を受けないカエシウス家の自分が。
「『水渦乱舞』!」
『【呪怒・東京災火】』
ミスティの周囲に現れる四つの水の渦。渦巻く水流が槍のように変化し、紅葉へと放たれる。
同時に紅葉もまた黒い雷を放った時のように唱えた。背後にある六つの球体の一つが赤く光り、モミジが手に持つ扇を風を起こすように扇ぐと、黒い炎がその水の渦に向かって放たれ、四つあった水の渦全てを燃やし、そのまま蒸発させていく。
「今度は火ですか……!」
紅葉はさっき雷を放ったかと思えば今度は火を繰り出した。
属性を二つ使えるのかとミスティは戦慄する。確かにマナリルの歴史に前例が無いわけではないが、それでも千五百年以上続く魔法の歴史で二例しか記録が残っていない存在だ。
ミレルの大百足のような怪物といい、目の前の鬼という属性を二つ使える生き物といい、そんな存在が当たり前のように存在する異界とは一体どれだけ熾烈な世界だというのか。
『終わりではないわよ』
「!!」
黒い炎は水の渦を蒸発させるが、紅葉の言葉通りそこで終わりではない。ミスティの放った魔法を破壊するとその黒い炎はミスティを燃やすべく向かってくる。紅葉が扇を動かしている所を見ると使い手が操作する系統の魔法らしい。
「『流神ノ尾』」
「――っ」
切り替わったのか聞こえてくるのは姉グレイシャの声。
現れたのは水で作られた爬虫類の尾のような巨大な剣。鱗まで忠実に作り上げられた魔法はまさに芸術。見惚れてしまうがごとき造形にミスティは息を呑む。
振り下ろされる巨大な尾と向かってくる黒い炎。そのどちらもがミスティの命を奪える凶器であると理解しながら。
「"放出領域固定"」
しかし、その凶器すらも玩具に見せるのがカエシウス家の歴史。
「【白姫降臨】」
氷の世界に重なる静謐な合唱。旋律は氷に跳ねて唄のように響く。
唱えられるはカエシウス家の血統魔法。
変化は一瞬だった。
振り下ろされた巨大な尾と黒い炎、そして紅葉の姿はミスティが血統魔法を唱えた瞬間、氷のオブジェへと変わる。その姿こそが今この場に相応しい姿であるかのように。
少しして、出来上がった氷のオブジェはパキパキと割れるような音を立ててその形を崩していく。
ただ一つを除いては。
『……グレイシャのとは雰囲気が違うわね』
巨大な水の尾と黒い炎はただの氷と魔力となって霧散した。
しかし、同じように凍り付いた紅葉はそうはいかない。砕ける音とともに紅葉の体からは氷だけが崩れ落ち、着物に残る氷を紅葉は手で払う。
『まるで自分の魔法を地獄だとでも思っているみたい』
そして馬鹿にするような笑みを浮かべてミスティにそう言った。
『ある意味、グレイシャのほうが血統魔法をコントロールはできているのかしら……あなたが使うと、本当にひどい魔法ね』
「……」
ミスティは無言で返す。
そんなミスティを紅葉はにやついた目で見下していた。
目の前の女は血統魔法など理解しているはずがない。そうわかっていてもその言葉はミスティの心をざらつかせる。
その吐息は毒。
甘ったるい吐息は毒煙となって無遠慮に、隙間からミスティの中に入ってくる。
『氷しか無い。死しか無い……まるで正解が一つだと思い込んでるような、世間知らずな子供みたい』
くすくすと笑う声は呪いだった。
理解からは遠いはずの異界の生命。例え本質を知らない空っぽなものだとしても、その呪いの声はミスティの在り方をほんの少しだけ陰らせる。
ミスティの使う血統魔法。それは貴族として、魔法使いとして――何かを守るべき人間が持つべきではない死であると。
『ああ、でも……そういう子好きよ私』
好き。
そんな肯定のはずの言葉すら、この女が吐いた瞬間に受け入れがたい意味に変わったような気がした。
いつも読んでくださってありがとうございます。
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