19.隠し事
「これで不明瞭な者は調べ終わったな」
リニスは実技棟から出てすぐに門のほうへと早足で歩いていく。
その姿は敗北で肩を落とす敗者の者ではない。
歩きながら、取り出したメモにエルミラの名前と属性を書く。そのメモにはエルミラの他にも同期生の名前がびっしりと書かれており、その隣には使用する属性も書かれている。
「記録用の魔石でもあればいいんだが……」
メモをしまいながら、自分の家にそんな金が無いことはわかっていても口にしてしまう。
もう日も傾いている。
一日が終わる時だと思うと特に体が重くなる気がするのは自分だけだろうか。少し前まで……幼少の頃はそんな感覚無かったというのに。
……いや、果たしてこの体の重さは疲労によるものなのか。
「何を」
呟き、頭によぎる疑問を鼻で笑う。
今日は魔法儀式を二回していて魔力もぎりぎりだ。それも手伝っていつもより疲れているだけ。
普段ならばこんな世迷言が頭に浮かぶことはないと。
そう結論付けてリニスは帰路につく。
「リニス」
「………アルム」
その背中に声が掛かる。
つい、リニスは不快そうな表情を浮かべる。
だが、リニスにその自覚はない。
そして向けられたアルムにもその表情にそんな感情があるとはわからなかった。
「どうしたんだい? 本当に慰めにきてくれたのかな?」
魔法儀式をする前に互いを挑発したてきとうな言葉。
この少年なら鵜呑みにしそうだという事は朝のやり取りで何となく感じていた。
しかし、アルムは首を横に振る。
「何で、わざと負けた?」
「……どういう事かな?」
質問の意味がわからないといった表情でリニスは聞き返した。
切れ長の眼は睨むようにアルムを見据える。
リニス自身は意図していないが、その表情は敵意を剥き出しにしているようで余人を寄せ付けないような迫力だった。
負けたことをわざとと言われれば怒りを覚えるのは普通の反応だ。
自身の力や粘りがそんな不真面目なものに見えると言われれば当然である。
「エルミラの魔法……わざと防いでいなかっただろう」
「そんな事は無い。闇魔法は難しくてね、私の実力ではあれが限界だ」
「本当か?」
「ああ、何故?」
「だって、嘘をついている」
アルムは真っ直ぐな瞳をリニスに向ける。
それが自分を見透かしているようでリニスには不快だった。
そう、試合や勝負において全力で戦って敗北した者がわざとかと問われれば怒りを覚えるのは当然といえる。
しかし、その者が本当に全力で戦っていなかった場合。
そうなれば立場は逆になる。
全力で戦っていない者こそが怒りや疑問を向けられる立場になり、それに気付いた者は怒りや疑問を向けるべき立場になる。
何故わざと負けたのか。
その背景に何か裏があると思って然るべき。
アルムはリニスの敗北に魔法儀式以外の何か別の背景がある事を確信しているようだった。
「嘘じゃないよ、実は今日は昼にも別の生徒と魔法儀式をしてね。その時に思ったより疲弊した事もあって微妙なコントロールが効かなくなっていたんだ」
追及された者の選択肢は白状するか嘘を吐くか。
リニスが選んだのは後者だった。
嘘の中に真実を含ませる。昼に別の生徒と魔法儀式をやったのは本当で魔力の消費があったのは本当の事だった。
「それだけか?」
アルムは引き下がらない。何か確信を持っているかのように。
「そんなに私が負けたのが不可解かい?」
「いや、そういうわけじゃない。俺は何故そんな嘘をついているのかが気になってるんだ」
「嘘じゃないと言ったはずだが? ここの生徒は魔法の才能のある者が集まる場所だ、誰にてこずるかなどその時にならないとわからないだろう?」
「それはそうだな」
「私は自分が未熟だとわかっている。だから多く魔法儀式をして魔法を磨きたいだけだ。そして今日は計画的じゃなかった、焦るあまり自分の魔力の都合を考えていなかった予定を立ててしまったんだ。君に不快な思いをさせてしまったのならこれも私が未熟ゆえだ」
少しの苛立ちがリニスの言葉に含まれる。
それにアルムは無言で応えた。
見つめる眼は何かを待っているようにも見えたが、少しするとアルムはふう、と息を吐いた。
「そうか、それなら仕方ないな」
納得したのかアルムは追及を諦めたようで、じっとリニスを見つめていた目が逸れる。
リニスは少しほっとした。
内心の動揺を自覚していたからである。
「引き止めて悪かった。お疲れリニス」
「エルミラには言わないでくれ、負けた言い訳を勝者に聞かせたくはない」
労いの言葉をかけて実技棟に戻ろうとするアルムにリニスは軽くお願いする。
するとアルムは振り返って、
「当たり前だ。でも、俺は嘘が下手くそだから何も言わないことにする」
当然だろうと言いたげな表情で答えた。
「嘘?」
誤魔化すことを嘘だと指しているのか、とリニスは一瞬戸惑う。
勝者への気遣いを嘘と言うのはいくらなんでも潔癖すぎるとリニスは口を開きかけるが。
「そうだろう。仮に俺が吐いた嘘じゃなくても、嘘だとわかってる事を伝えるんだから」
「……!!」
言葉は喉の奥へと引き返す。
見透かすような瞳を再び向けられてリニスは理解した。
アルムは自分の言葉に納得したのではなく、真意を伝えてもらえる事を諦めたのだけなのだと。
「俺はどうも嘘以外も顔に全部出るらしいからな」
困ったような、悲しそうな、そんな表情をアルムは浮かべる。
「じゃあ、またここか寮で」
そう告げてアルムは実技棟へとゆっくり戻っていく。
あの様子なら本当に何も言わないだろう。
その背中を見送ってリニスも門へと歩いていく。
門の周りに誰もいない事を確認すると、リニスは懐から魔石を取り出した。
魔石を買う金などリニスの家にはありはしない。
そう、リニスの家には。
「――リニスです」
魔力を通して魔石が輝くと、誰かに伝えるようにリニスは名乗る。
話すのを躊躇うようにリニスは一呼吸置いた。
「一人勘づきそうな生徒が。名はアルム。はい、入学式の時の平民です」
誰かに伝えるように、アルムの名を口にした。
胸が痛い。
この報告が何を意味するかわかっているがゆえに。
話を終えるとすぐに魔石を懐にしまう。
辺りを見渡し、改めて門の近くには誰もいない事を確認して。
思い出すのは今日の朝。
いつも通りコーヒーを飲む習慣は変わらない。
何故場所を変えようなどと思ったのか、何故彼はあんな時間に降りてきたのか、何故――自分は彼に声をかけたのか。
どれか一つでも無ければこんな思いをする必要も無かっただろうに。
名残惜しむようにリニスは学院のほうに振り向く。
「悪く思わないでくれ」
誰かに、許しを請うように呟いた。
それで何かが軽くなるような事はないとわかっていても。