189.砕く落雷
『エリュテマ……!? どうやって窓から――』
割れた窓から見えるのは木々の作った森の屋根。このエリュテマ達が木を登ってきたのだと理解するには十分な光景だった。
エリュテマはカンパトーレにも生息する魔獣。その姿はファルバスにも見覚えがある。
知能が高く、過剰魔力による暴走でも起こさなければ人里には降りてこない魔獣だ。木の多い山を住処とする彼らにとって木を登るなど造作も無い。
だが、ファルバスも人間とともに行動する所は見た事が無かった。ましてや人間の命令を聞く個体がいるなどと――
『だからってよお……!』
だからといって、それが脅威かと問われれば話は変わる。
驚愕はあくまで珍しさから。決して危険度に対するものではない。
『おうらあ!』
声と共に振るわれる右腕でまず二体のエリュテマを廊下に叩きつける。
残りの二体は体を低くし、共に足に食らいついた。
だが――
『通るかよ!!』
ファルバスは振り払うように足を思い切り動かし、その勢いで噛みついてきた二体も吹き飛ばす。叩きつけられた二匹のようなダメージこそ無かったものの、魔獣の咬合力でも信仰属性による獣化の壁は越えられない。
吹き飛ばされた二体もただの魔獣ではない。タンズーク家と戦闘訓練を行っている特別な四匹の内の二匹だ。空中で体勢を立て直して着地し、ファルバスを威嚇するように唸り声を上げる。
『はっはー! 流石魔法大国と言われるだけあんな! まさか魔獣と――』
ルクスと反対側の廊下に立つネロエラの姿を見てファルバスの声が止まる。
一瞬目を見開いたかと思うと、今度は納得したような表情へと変わった。その視線は明らかにネロエラの牙のような歯に向けられている。
『あー、そこまでやんなきゃいけなかったわけかよ? ずいぶん醜いな嬢ちゃん』
「――」
ずきり、とネロエラの心に言葉が突き刺さる――はずだった。
それが数日前であればきっと自分はその言葉に慌てて口元を隠しただろう。
だが、何も感じなかった。
醜い。そう言われたくなくて白紙の本にわざわざ文字を書いて会話し、胸を潰して制服をズボンにする事で男を装っていた。
自分に生えるこの牙に対する言葉と視線がとてつもなく嫌で。男として見られれば、本当の自分を見られていないような気がして視線に耐えられたから。
"綺麗な白い歯だと思うが……"
耳をすませば聞こえてくる不思議そうな声。
それは数日前に意図せず貰った宝物。きっと死に際まで忘れない、自分を助けてくれた声。
目の前の男が放つ言葉など、ネロエラにとってはどうでもよかった。
「【気高き友人】」
『あん?』
割れた窓から吹き込む寒風に混じり、銀色の魔力を帯びた声が響く。
ネロエラの同胞であるエリュテマも吠えた。その重なる声に呼応するかのように。
ネロエラが唱えたその声には決して怒りなど無い。声と共に体は魔力に包まれ、光がほどけて現れたのはエリュテマの姿をしたネロエラだった。
『おっと、どいつもこいつも獣化かよ! かっかっか!』
"ワオオオオオオ!"
ネロエラの咆哮は指示となり、唸り声を上げていたエリュテマも動き出す。
「ネロエラ! 一気に決めるぞ!」
同時にルクスも。ルクスにはネロエラとエリュテマのような連携は行えない。
しかし、ファルバスの攻撃は分散するだけでルクスにとってはありがたい。"鳴神"に魔力を吸わせながらルクスは床を蹴る。
倒すべき敵がこのファルバスだけでいいと分かった今狙うは一つ。確実に戦闘不能に出来る最後の一撃の為に。
『決めてみろやあ!!』
ファルバスは吠えた。
確かに数の利は向こうにある。だが、いくら廊下が広いといえども戦闘において小回りを利かせられるほどの広さではない。
ネロエラと呼ばれた貴族と二匹のエリュテマはただ突っ込む事くらいしかできないだろう。ならばそれに対する答えはただこの身が振るう暴力で事足りる。
"ワオオオオオ!!"
吠えるネロエラ。
その指示が二匹のエリュテマと廊下に横たわる動ける一匹にも届く。立ち上がり、そのままファルバスに向かう白い魔獣。
その牙が狙うは足だった。
ネロエラを含めた四匹の誰かがファルバスの動きに振り払われてもどれか一匹が足に牙を立て、痛みを蓄積していく。
どれか一匹が囮になって暴力を受け。その間にどれか一匹が足に噛みつく。ただそれを繰り返していた。
『しつけえ!』
魔獣であるアドバンテージはここには無い。ファルバスが怒号とともに腕を振るうとその内一匹が壁に叩きつけられて動かなくなった。最初に廊下に叩きつけられた一匹だ。一瞬起き上がろうとするもそのまま廊下に倒れ込む。
「がああああ!!」
『ぐ……お……!』
エリュテマの動きに思考を割かれ、ルクスへの対応が遅れる。致命傷にならないとはいえエリュテマの攻撃はダメージにはなっている。ただ放置するわけにはいかない。
苛立ちと僅かな痛みはストレスと隙を生み、ルクスの雷の爪はファルバスに通る。一瞬だけ、ファルバスの動きが硬直する。
"ワオオオオ!"
ネロエラが吠える度にエリュテマ達に指示が飛ぶ。
ネロエラを含めた三匹の突進。本来なら苦にもならない体格差ではあるが、痺れた体に訪れた一瞬の硬直がその突進を有効にする。
『犬っころがああ!』
ファルバスの振るう爪がエリュテマの一匹を捉える。
白い毛皮を赤に染めながらその一匹が弱々しい声を上げて吹き飛ばされた。
だが、ネロエラと最後の一匹は同胞がやられても一瞥する事無く敵を見据える。
「ひ……! ひ……!」
ネロエラとエリュテマの突進で体勢は崩れ、ファルバスはアスタの部屋にその巨体を叩きつけられる。
アスタは恐怖しながらもその戦いを見届ける。決して部屋から出ようとはしない。
「ジャあああアあ!!」
精神を引っ張られ始めている。早く決着をつけなければとルクスは倒れるファルバスに追い打ちをかけた。さっき自分が踏みつけられかえたのと同じように倒れたファルバスに爪を振り下ろす。
そのスピードゆえか、振り下ろす爪からはばちばちと雷属性の魔力が迸る音がした。
『なめんなあ!!』
しかし、硬直の解けたファルバスにとっては倒れた体勢など関係ない。
床から弾けるように起き上がったその巨体は振り下ろされた雷の爪をかわす。ルクスの攻撃によって与えられたのはぴっ、と薄皮を割いたかすり傷程度。
『な――!』
一瞬、得意気な顏になりかけたがその表情は次の瞬間歪む。
立ち上がったその瞬間、再び足に噛みつく一頭の魔獣。明確に狩りとは違う動き。急所である喉元など目にも暮れずに白い魔獣はただただその足を狙い続ける。
『しつけえんだよ!!』
ファルバスは噛みつかれた足ごと、噛みついたエリュテマを壁に叩きつけた。
それでも足に噛みついたエリュテマはその牙を離さない。ただただ鬱陶しく、寝る際に聞こえてくる虫の音のようにその存在を蓄積させていく。
エリュテマの苦し気な声こそ漏れるが、その牙はいまだ足に食い込んだままだった。
『ぎ……! てめえが本体か!!』
"グルルルウ!"
今足に噛みついているのがネロエラだとファルバスは気付く。その牙は他のエリュテマよりも深くファルバスの肉に食い込んでいたからだった。
ネロエラがエリュテマに姿を変えているのもまた血統魔法。歴史に差こそあれどその"現実への影響力"は普通の魔獣の牙よりもファルバスに届きやすい。
ファルバスに痛みを感じさせるほどにその牙が足に食い込んだ瞬間、もう一度ネロエラは壁にその体を叩きつけられる。壁がひび割れるほどの衝撃がネロエラの体を襲い、ネロエラはようやく足から離れた。
『魔獣に紛れるなんて同じ信仰の割には随分弱気な魔法だな!! え!?』
倒れるネロエラ目掛けて、床ごと頭蓋を割らんと太い足を上げるファルバス。
弱気と言われたその声だけにでも否定の声を上げたかったが、そんな余裕は無かった。
だが、ネロエラは現実もわかっている。自分の魔法とエリュテマではこれが精一杯。この場の戦いに自分だけが力不足。
なら、やるべき事は勝利ではない。自分がやるべきは余裕を作る事。正面から戦うしか出来なかった強者の道をほんの少しだけ広がるように。
「ガアあアアあ!」
『ぐ……あああああ!』
振り上げたその足を横から黄色い閃光が穿つ。
ネロエラがファルバスにもたらすノイズがルクスに部位を狙う余裕を与える。
一目見て、ネロエラは自分では勝てないと判断できた。そして自分達の存在が有効なのは多少なりともファルバスが後手に回る奇襲直後のみ。長く戦えば取るに足らない放置されてもおかしくないほどに戦力差があった。
ならば……足を引っ張ろう。
自分達の存在が戦力だと判断されている間にひたすらに精神を乱す。それだけを目的にネロエラはこの数分にも満たない時間に全力を注いだ。
結果、自分とエリュテマの犠牲で買えたのは敵一人の足一本。安い買い物だとネロエラは笑った。
『ごの……!』
噛みつかれ続けた足に追い打ちをかるように雷の爪が貫き、ファルバスは再びバランスを崩す。
度重なる足への攻撃がもたらした二度目の転倒。ルクスはその隙を見逃さない。
「アずた! 窓ヲ!!」
「!!」
倒れたファルバスの巨体を無理矢理ひきずり、ルクスはアスタに指示を出す。
窓のほうにその巨体を引き摺ろうとするルクス。その意図は見ていてアスタにもわかった。
「『水流の渦』!」
水属性の中位魔法をアスタは唱える。水の渦は部屋の窓を割り、ルクスはそのまま力任せにファルバスを外に放り投げた。
『馬鹿が……!』
放り投げられたファルバスはルクスの選択に笑みをこぼす。
いくらトランス城が大きいとはいえ、獣化しているファルバスがそのまま地面に叩きつけられて死ぬなんて事はあり得ない。
外に放り出された所で下は山。獣化の血統魔法を持つファルバスにとって山は主戦場。戦いにくかった室内よりはよっぽど自分の魔法を活かす事ができる。いくら足にダメージを負っているとはいえ山に降りればむしろ有利と言える。
『いいのかよ!? 城ん中より山の方がよっぽど戦いやすいぜおい!』
「それはよかった」
『!!』
ファルバスを追うようにルクスもまた窓から跳んだ。
だが、驚愕は追いかけてきた事に対してではない。
ファルバスは見た。ルクスの体から、さっきまで纏っていた獣を模した雷の魔力が消える所を。
「ところで……無事に着地できると、本気で思っているのかい?」
さっきまで引っ張られていた精神と声が元に戻る。
ファルバスを外に出したその目的。
それは勝負を決める一撃を繰り出す為。
纏っていた魔力が消えた理由。
それは最後の一撃に全ての魔力を注ぐ為。
山での戦いになどなるはずがない。その一撃はルクスが見せていなかった魔法使いの切り札なのだから。
「最後だ。さっきの問いに答えようファルバス・マーグート」
届かないものに手を伸ばす事を馬鹿にするか。
ルクスは最後に敵への手向けとして、その問いに対する答えを口にする。
「馬鹿にするつもりなんてない。僕はただ――君達が許せないだけだ」
体に迸る魔力。
手の平には黄色の雫。
天に捧げるその所作は積み重なる歴史への敬意の証。
「【雷光の巨人】!!」
今――雷の巨人が飛来する――!
『あ……んだそりゃ――!』
落下するファルバスの上に影がかかる。
ルクスが天に捧げた雫は魔力の渦へと変わり、その渦から現れるは十メートルを超える甲冑姿の巨人。
それは血統魔法によって体の膨れ上がったファルバスですら子供に見えるほどの体格差。
六百年続くオルリック家の歴史その結晶。その巨体で全てを砕く雷の顕現。
渦から現れた雷の巨人もまた、窓から飛び出たルクスとファルバスと同じように落下する。
そう、先に落下しているファルバス目掛けて――!
『くそ……くそ! くそおおおお!!』
「さよならだファルバス・マーグート。僕は何度でも、その信仰を打ち砕こう」
空中でかわす事も出来ないファルバスに巨人は雷の剣を振り下ろす。
その巨体のもたらす力はファルバスの血統魔法の"現実への影響力"を容易く超えて。
『が……ぼ……!』
轟音とともに山に落ちる姿はさながら落雷。
その巨体はファルバスを巻き込んで山に降り、巨人の持つ剣もまた山の斜面に叩きつけられ、ファルバスの血統魔法はその一撃で砕かれる。
「あ……が……」
巨人の一撃によって陥没した山の斜面にファルバスは埋まるように倒れる。血統魔法は消えて膨れ上がった体は元の姿に。
焦点のあっていない目で手を何かに伸ばそうとするも、伸ばそうとした手も意識を手放したとともに力無く地面に落ちた。
「あぐ……!」
そして落ちてきたルクスは巨人がその手で受け止める。
意識を失わないギリギリの魔力量。すぐにこの【雷光の巨人】も消えてしまうだろう。当然舞踏会場に行く事など出来るはずも無い。
だが、ルクスはそれで構わなかった。
「さあ片付けたぞ……!」
巨人の手の平に寝そべりながらルクスは城に向けて声を上げる。
それは誰への問い掛けか。そんなものは決まっている。
「手筈通りだ……! よく我慢してくれた……!」
荒い息遣いながらも力強くアスタの部屋に届くルクスの声。アスタは急いで隠し通路のある部分の床を外す。
それを見るネロエラも血を流す口元に笑みを浮かべた。
「僕らに構うな! 可能性があるのは君だ……君だけなんだ! 僕に博打をさせた罪は重いぞ!」
隠し通路から飛び出すどこにもいなかった一つの影。
唯一、ファルバスの攻撃に巻き込まれなかったエリュテマがその先を先導する。
「勝ってこい!! アルム!!」
スノラの町にまで届きそうなルクスの声。
その声に背中を押されて今――隠し通路から飛び出したアルムは城を駆ける。
自分の為。戦ってくれた皆の為。そして、大切な友人を救う為に。
いつも読んでくださってありがとうございます。
いつもより遅い時間になりましたが、城内側決着です。最後は城外になりましたけど。
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