187.野蛮な信仰
「『月の信徒』!」
城門前広間での戦いとほぼ同時刻。トランス城カエシウス家居住区画で魔法の文言をファルバスは唱える。
銀色の魔力が体を走り、ファルバスは口角を挙げて床を蹴った。同時に対面するルクスもそれに反応する。
結果、ルクスとファルバスは真正面から激突する。乱れ撃ち合う拳と蹴撃。ルクスの纏う雷属性が撃ち込む度に稲光を走らせる。
ルクスが拳を防げば雷属性の魔力がファルバスの体に走り、逆にファルバスがルクスの蹴りを腕で受け止めればまた電撃のような痛みが走る。
互いに訓練を受けた者同士の格闘戦だが、組み合う度にファルバスには雷属性の魔力が流れ込む。
「おいおいおいおいおい! こういうのは苦手かよ!」
「……っ!」
共に訓練を受けた者同士の格闘戦ではあるものの、戦闘経験の差か動きでは押され始めるルクス。雷属性がもたらす痛みなど物ともせずにファルバスは攻撃を叩きこむ。鼻や鳩尾などを拳で狙いながら手刀で首、蹴りや踏みつけで足を、隙が出来れば陰部まで容赦なく。様々なバリエーションで急所や動きの致命になりやすい箇所を狙ってきていた。
決してファルバスが痛みを感じないわけではない。ルクスが自身の属性の恩恵を得ているようにファルバスもまた自分の属性の恩恵を受けているのだ。
「そおらあああ!!」
「ぐ……!」
寸での所で拳を見切ったかと思えば、胸倉を掴まれてルクスは壁に叩きつけられるも咄嗟に受け身を取り、すぐに構えた。
胸倉を掴まれている間も当然雷属性の魔力はファルバスへと流れ込み、投げた後にファルバスは手の痛みを紛らわすように手をぶらぶらさせる。
「ベラルタに入った時に学んだつもりだったが、人を見た目や印象だけで判断するのは本当によくないな……! 信仰属性とは……!」
ファルバスが身に纏う銀色の魔力。ルクスはその魔力光をよく知っている。それは友人であるベネッタが魔法を使う際と同じ魔力光。
「かっかっか! 気にすんな! よく言われるからよ!」
笑いながらファルバスはルクスに拳を振るう。ルクスは横に跳んでかわすも、後ろにあった壁がバゴオッ! と音を立ててひび割れた。
「だがよぉ! 信仰ってのは何も崇高である必要はねえ!」
その攻撃がかわされたからといってファルバスが怯む要素は存在しない。魔法使いを相手にすれば回避は当然。回避できなくともただ拳の一撃で魔法使いが倒れる事などほとんど無い。そのまま死ねば万々歳というだけの話だ。
ファルバスは言う。
「自分を! 何かを! 信じれる何かがあるのなら必ずそこには信仰が生まれる!
例えそれが何であれな! なあ、ガキの頃に拾った長めの枝を特別だと思った事はねえか男の子!?」
「初めて川で拾った……平たい石なら覚えがあるかな!」
ファルバスの猛攻をルクスはいなす。
元々雷属性は迎撃に向いた属性。先程のような乱打戦は避け、ファルバスの突進をかわしながら隙を狙うも、壁と床を蹴って身軽に動くファルバスの動きを予測できない。
「かっかっか! そうそう! そういうのだ!」
「が……!」
ファルバスは壁を蹴って跳び、空中で回転した勢いそのままに踵をルクスに振り下ろす。
両腕で受け止めても骨まで響くような衝撃がルクスの表情に苦悶の色を浮かばせた。
「信仰とは絶対を信じる事……それがただの枝であれ石ころであれ、特別だと信じる心がその存在を押し上げる。信仰属性ってのはどの人間でも持つ感情の動きを元に生まれた属性だ」
「ごっ……!」
振り下ろした踵と反対の足でルクスの顔面を蹴って距離をとる。信仰属性は攻撃力に長けた属性ではない。痛みこそあるもののその一撃は致命にはならなかった。
蹴られた頬がじんじんと痛むのを感じながら、跳んだファルバスに向かって飛び込みながら追撃する。
狙うは着地時。空中で滅茶苦茶な動きを見せたファルバスはしなやかに体を捻り、獣のように手足を使って床に着地する、
「だからこそ、かてえ」
「!!」
四つ足の獣のような着地すらも攻撃への布石だった。
飛び込んでくるルクスに向けてファルバスもまた躊躇いなく飛び込んでくる。予期していなかった突進にルクスは対応する事が出来ず、ファルバスの頭突きがもろに額にぶつけられる。
「ぐ……あ……!」
「そんでなんでもありだ! それが人間だろ!? そこらの石だろうと神だろうと関係ねえ! ただの石ころに神がいると信じるやつもいりゃあ、神なんてどこにもいねえと鼻で笑うやつもいる! おもしれえよなおい!」
ファルバスは笑ってルクスに追撃する。
「信じるやつが大勢いりゃあ神ってやつもまだこの世界で信じられてたかもな!」
「『鳴神ノ爪』!」
ルクスが唱えたのは突っ込んでくるファルバスへのカウンター。
頭突きされて一瞬ぐらつきながらもその右腕に猛獣の爪を象った雷を"放出"する。
発生の早い雷属性の特性をルクスは熟知している。数度の攻撃を強化だけで耐え、単調な攻撃が来るタイミングを見極めていた。
「『夜光の恩寵』!」
振るわれる雷の爪に強化だけで防ぐのは不可能と一瞬で判断し、ファルバスも魔法を唱える。
ファルバスの周囲を銀色の球体のようなものが包もうとするが遅い。
"放出"される防御魔法に割り込むように雷の爪はめり込み、勢いのままに振るわれる。バキバキバキ、と防御魔法を砕く音と共に今度はファルバスが壁に叩きつけられた。
「――っつ!?」
防御魔法によって衝撃は抑えられているものの、その"現実への影響力"はルクスが使う魔法の中でも屈指の物。その身に受けた痛みで初めてファルバスの表情が歪む。
「『雷光の矢』!」
即座に魔法を唱えて追撃するルクス。
巨大な雷の矢が壁に叩きつけられたファルバスへと放たれる。
「やるなぁ、おい!」
口の端に血をつけながらも、ファルバスの表情は笑顔に変わった。
強化は未だファルバスの身体能力を上げている。ファルバスは横に跳んで雷の矢をかわした。
放たれた雷の矢はファルバスのいた壁を砕く。長い廊下だが、壁にある扉は二つしか無い。穴の向こうには誰の部屋かわからない空間が見える。
横に跳んだファルバスはルクスとの間に十分な距離を取った。こうなればただ魔法を放った所でファルバスに有効なダメージを与えられない。ルクスは廊下を駆けて接近する。今度はさっきのようなファルバスの滅茶苦茶な動きに翻弄されないように警戒を強めて。
「さっきの爪はマナリルの魔法じゃあねえなあ!? 貪欲で結構!」
再び両者は激突する。
ファルバスは接近戦に自信があるのか、ルクスの拳を回避しようせずに受け止める。受け止めるだけでも雷属性の魔力は流れて痛みへと変わるというのに。
「それはどうも……! 君と違って信仰するものなんてないけどね!」
「はっ! そりゃあんたが気付いてねえだけだ! 例えばあんた……あの魔法、ただ強いだけで使ったりしてるわけじゃねえだろ?」
「!!」
見透かすような言葉にルクスは驚愕を露にする。
ファルバスの言う通り、あれはルクスが母から教わった常世ノ国の魔法。他の魔法と同じただの戦闘の手段かと問われれば縦に頷く事はできない。
「おっと貶してるとか馬鹿にしてるとかじゃあねえよ? さっき撃ってきた矢みたいのに比べてやたら"現実への影響力"がのってたように見えたからな、信仰属性の防御ごと強化された俺を吹っ飛ばすなんて並じゃ……ねえ!」
ファルバスは喋りながらルクスを雑に蹴り飛ばす。ダメージを与えようというわけでもない、ただ距離をとる為だけのような動き。
「そういうのもまた信仰だ。言ったろ? 信じられる何かがあれば信仰ってのは生まれちまう。だから自由でかてえんだ。人は何かを信じるだけでそいつを変質させちまう。それは魔法も例外じゃあねえ。いや、どっちかっつーと魔法が最たるもんか」
軽薄そうな喋り方と見た目からは想像もつかないほどに、ファルバスは自分の属性に対して確固たる解釈を持っていた。堂々と語るその姿は自分の言葉を一片も疑っていない。
それは例え魔法の才があっても得難い強み。魔法使いに必要な強靭な精神力が目の前の敵には間違いなくある。
「なるほど、否定はできないな。確かにあの魔法がただの魔法とは言い難い」
「だろ? 俺はそういう勘だけはあんのよ」
「僕だけ見抜かれるのは癪だな。逆に問おう。さっきから語る君の言う信仰……君が信じるものはなんだい?」
ルクスの問いにファルバスは笑みを浮かべる。
「んなもん決まってる」
声とともに瞳に銀色の魔力が灯ったのをルクスは見た。
「この世で最も信じられるのは――自分だろうがよ!」
雑に蹴り飛ばされ、ファルバスが距離をとった理由にようやく気付く。
自分とファルバスの間に出来た距離は決して仕切り直しなどでは無く。
「【月狂の使徒】!」
止めを刺す魔法を唱える為のものだと。
それは合唱と呼ぶには余りに野蛮で、余りに自由。月明かりの指揮の下、吠えるような笑い声は魔法の形となって一つとなった。