184.広間の攻防
"『悪戯影劇』"
トランス城正門前広間。
唱える声は聞こえるものの、依然としてフィチーノの表情は読めない。
黒い影のようになっているフィチーノから伸びるように無数の黒い腕がエルミラに向かって伸びていく。
「きもっ!」
唱えられた魔法を見てエルミラはつい受けた印象を口にする。
何で私が戦うやつこんなんばっかなのよ、と内心で愚痴を零しながら。
「『火蜥蜴の剣』!」
エルミラは魔法を唱え、炎の剣をその黒い腕目掛けて放った。
ごうっ! という燃え上がる音は白い雪を裂いて突き進む。
「っ……!」
しかし、その炎の剣は刺さるその瞬間、数本の黒い腕と共に消え去った。
相殺したわけではない。エルミラは目の前で起こるその現象の答えを知っている。
「この感じ……! 闇属性じゃなくて夜属性か……!」
"ほう?"
エルミラは忌々しそうに舌打ちするが、自身の属性を知っている事にフィチーノからはどこか感心めいた声が上がる。
"マナリルでは見ない属性と聞いていたが……"
「お陰様でね! そこそこ経験があるのよ!」
そう、エルミラは同じ属性の相手と戦っている。
【原初の巨神】侵攻の際にマナリルを裏切っていたスパイにして、エルミラと戦った貴族リニス・アーベント。彼女もまた夜属性の使い手だった。
感謝などするはずもないが、夜属性が初見ならもっと慌てふためいただろう。その時の経験から夜属性の特性は把握している。光の性質を持つ魔法は唱えられない。
「出し惜しみは無し――!」
それならとエルミラの体を赤い魔力が纏った。
どれだけ強力な魔法を唱えてもあの属性の前では光の性質を持ってる時点で関係が無い。それならば光の性質を持っておらず、なおかつ自分の使える中で最も強力なものを唱える。先の経験からエルミラがこの魔法を唱えるのは必然だった。
「【暴走舞踏灰姫】!」
雪のヴェールを裂き、広間に響く魔法の合唱。
積み重なった血筋の記録が魔法となって顕現する。
今着ているドレスのさらにその上、灰のドレスがエルミラを着飾る。灰のヒールをかつんと鳴らし、荒々しい姫の登場を周囲に知らせた。
"なんだ……? 血統魔法……?"
姿の変わったエルミラをフィチーノは警戒する。
火属性にしては余りに地味。そして赤い魔力光を放っているわけでもない。
そして夜属性と知っていながら唱えたという事は、夜属性の魔法に対して何らかの効果があるという事を想定しながらフィチーノは次の魔法を唱えた。
"『乱鴉影劇』"
鴉の鳴き声。翼の羽ばたく音。
黒一色のフィチーノの体から鳥の形をした影が飛び立つ。フィチーノの体と同じように翼を羽ばたかせる鳥の詳細はわからない。しかし、その鳥達は自分の存在をアピールするかのように、がーがー、と鳴いて一斉にエルミラに襲い掛かった。
「舐めるな!!」
エルミラは向かってくる影のほうに腕を横一線に払う。
同時に、灰の手袋はその形を崩して鴉の影のほうに飛んでいき、触れた瞬間に爆発を起こした。
爆発に巻き込まれたフィチーノの魔法は当然、その爆発とともに破壊される。フィチーノが使ったのは夜属性の中位魔法。その"現実への影響力"はエルミラの血統魔法には遠く及ばない。
"ぬ……!"
爆風でフィチーノは顔を歪めた。しかし、その様子はエルミラからはわからない。
「そこ!」
今魔法を迎撃したのと同じように、エルミラは手袋のあるもう片方の腕を払うと手袋の形をしていた灰は爆風で怯むフィチーノ目掛けて飛んでいく。
"くっ……!"
フィチーノの体は溶けるようにその床に戻る。影のあるべき形のように。
理屈はどうあれ、結果エルミラの飛ばした灰をフィチーノはかわした。フィチーノはそのまま這うように床からトランス城の門の壁までを泳ぐように移動する。
(かわした……! てことは実体はある……!)
その挙動を見てエルミラは確信する。
フィチーノの姿は黒い影のようなままだ。その状態が一体何なのかはエルミラにも想像つかない。しかし、今かわしたという事は少なくとも危機は感じるという事。顏すらわからない得体の知れない相手から、現実に倒せる相手としてエルミラの中で輪郭を帯びていく。
"『鷹狩影劇』!"
フィチーノからぬるっと、巨大な鳥の影が現れる。
先程のような群体ではないたった一羽。先程の鴉とは比べ物にならない大きさで翼をはためかせるが――
"ぬ――!"
動かない――!
先程城内に戻ろうとした時のようにフィチーノの体が、魔法が。何者かによって拘束されている。
"この――!"
「『炎竜の吐息』!」
影のように床に張り付いたまま動かないフィチーノ相手にエルミラは魔法を唱える。拘束されているフィチーノに確実に当てるべく速度のある魔法を選んだ。
勢いよく、噴き出すようにエルミラの拳から放たれた炎は降ってくる雪を裂き、フィチーノに命中する。
"無駄だ……!"
「ちっ!」
しかし、フィチーノの体に当たった瞬間、放たれた炎はまたしても消滅した。
今の魔法はさっき同様、フィチーノが一体何なのかを暴く為の確認だ。エルミラとて予想はしていたが、やはりあの体に当たった瞬間光の性質を持つ自分の魔法は消えた。となればあの黒い影のような体はやはり魔法と考えていい。
「問題は……」
あの体が血統魔法によるものか。はたまた別の魔法によるものか。
エルミラはすでに自分の手札を晒している。いや、属性の相性を前に晒さざるを得なかった。相手にいまだ切り札があるのなら早く使って全貌を掴みたい。
"こそこそとやってくれる……!"
拘束が解け、フィチーノの使った魔法が再び翼を羽ばたかせる。
飛び上がった巨大な鳥はそのまま空中を旋回し始める。
「おっと、そういう魔法ってわけね……!」
先程の鴉の群体のようにこちらに向かってくる様子も無い。あれは捜しているのだ。
この場に隠れていた自分の仲間を。先程からフィチーノを苛立たせている動きを拘束する魔法の使い手を。
「フロリア!」
ならばそんな悠長な事をしてられないように、目の前の情報量を増やす。
時間差で城内に突入する予定で広間近くの木の陰で息を潜めていたフロリアがエルミラの声に応じて広間に躍り出た。
「はいはい、美人のフロリアですよ!」
"――!?"
あっさりと、隠れていた仲間が姿を現した事にフィチーノは驚愕するも、すぐに上空を旋回していた鳥を真っ逆さまに現れたフロリア目掛けて向かわせる。
元から見つけた標的目掛けて上空から攻撃する魔法だ。使い手の目にもなるのはあくまで副次的なものにすぎない。
「あいつにはちゃんと実体がある! 手っ取り早く二人で畳み掛けるわよ!」
「お任せあれ!」
フロリアに向かう影の鷹に灰を向かわせてエルミラが迎撃する。
「やっぱり……!」
リニスの時も思っていたが、夜属性は闇属性同様、妙な性質を持っているからか攻撃力という点では他の属性より劣っている。属性の性質によって消されないエルミラの血統魔法ならば破壊するのは容易かった。
ならば、フィチーノのあの影のような体が血統魔法でなければ充分に通用する可能性が高い。実体があるとわかり、フィチーノに残る脅威は血統魔法のみ。ならば血統魔法を使っていない今、畳み掛けない理由は無い――!
「エルミラ!」
「え、なに!?」
身をかがめて爆風をさけながら、フロリアは声と共に目一杯手を伸ばす。
エルミラはわけもわからず、その手をぎゅっと掴んだ。そしてフロリアはエルミラを自分のほうに思いっきり抱き寄せる。
「わっと……!」
「私の事は気にせずやって」
フロリアはエルミラを抱き寄せると、耳元でぼそっとエルミラに一言伝えてすぐに離れた。
エルミラがどういう意味か考える間も無く、フロリアはどこからか仮面を取り出す。
「さあさあ! マナリルで二番目に美しいマーマシー家の長女フロリアの登場! ダンスの誘いはお断り! サインは後でね? まぁ、あなたにはあげないけどさ!」
仮面を掲げ、てきとうな事を言い並べる姿はさながら道化師。
挑発じみた言葉と共に浮かべる笑顔はふと、静かに真顔に戻る。
喋るフロリアの一挙一動に目をつられ、その場にいる者はフロリアの掲げる仮面が黒い魔力を纏っていた事に気付かなかった。
「【誇り無き敵】」
仮面を付けるとともに、フロリアの口から重なる声が響く。
城門前で奏でられるは二曲目の魔法の合唱。
マーマシー家の歴史の声々はこの場にいる全ての耳に溶けていく。
"なんだ……?"
「え――?」
一度の瞬きの後、エルミラとフィチーノは同時に驚く事になる。
何故なら――フロリアの姿はフィチーノにはエルミラに。エルミラにはフィチーノに見えるようになっていた。