183.ほんの少しの余裕
「本当にここは凍り付いていないんですね」
トランス城アスタ私室。
ルクスはアスタの部屋に繋がっている隠し通路の入り口から頭だけを出して周囲を確認する。ぱっと見た時に城は完全に凍り付いているように見えるが、アスタの部屋は何事も無いようだった。
「か、家族の居住区画は凍っていないようなんです……多分人質になっているお母様がいるからだと思うのですが……」
ルクスは部屋の窓を試しに少しだけ開けてみる。窓もある程度凍って入るのか、途中までしか開かない。冷えた空気が少し流れ込むだけだったが、ルクスは窓を開けたまま窓から離れた。
「……もしかしたら、仲間の侵入経路を確保する為という意味もあるかもしれませんね」
「え?」
「グレイシャの仲間は地下水路か隠し通路に潜んでいたのかもしれません。アスタ殿が隠し通路の存在を知っているという事は勿論グレイシャも別の隠し通路があるのは知っているでしょう?」
「あ……」
言われてみればとアスタは当たり前すぎる考えに至らなかった事に少し恥ずかしくなる。
そう。隠し通路は緊急時の逃亡経路なのでカエシウス家の家族全員が把握している場所もある。この区画が凍っていない理由は簡単だ。単純にグレイシャの知る隠し通路から仲間を城に入れられるように、もしくは巻き込まないように逃がす為だろう。
「ご、ごめんなさい……そんな初歩的な考えにも至れず……」
「いえ、ここが何の変化も無いという事はお母様にも自由に手が出せるという意味もあると思います。アスタ殿の言う理由も含まれていると思いますよ。では手筈通りお願いしていいですか?」
「は、はい!」
アスタが隠し通路から出てくるのを確認して、ルクスは部屋の外を出る。氷漬けになっている今の城のイメージとは裏腹に当たり前のように扉は開いた。
氷の張っていない豪華な廊下がルクスを迎える。ルクスの邸宅も四大貴族に恥じない大きさではあるものの、この広い廊下に比べれば記憶の中にある廊下が何の変哲も無いものに見えてくる。
「流石はトランス城……」
幼少から貴族として鍛え上げられた審美眼が無意識に壁や天井の装飾に視線を巡らせてしまう。
芸術的価値という点だけで評価するのなら今な無き国ラフマーヌの芸術が残るトランス城の美しさは王城をも凌ぐだろう。
「あ? こっちは本当に一人だぁ?」
そんな芸術的価値の高い廊下に似合わない口調の声がルクスの耳に届く。
ついでに言えば、その声の持ち主本人がすでにルクスから見える所に立っている。腕を組み、廊下を通せん坊するように立っている姿から察するに舞踏会場への道はその男が立っている後ろにある階段から行けるのだろう。廊下を反対に進んだ先にも階段はあり、そちらから下りる手もあるが、舞踏会場への方向は同じなのでどちらにせよルクスはこの男とかち合うことになる。
「あんたがオルリック家の長男か?」
「如何にも」
ルクスは答えながらちらっと廊下の窓から外を見た。廊下の窓からは山に生える木々が見渡せる。山の傾斜に生えているからか、それともトランス城の巧みな設計か、山に生える木の高さは二階の窓にまでぎりぎり届いていないようで、窓から見える光景はさながら山を隠す森の屋根だった。
「おいおいおいおいおい、お前……いかれてんのか?」
「なにがだい?」
「この城氷漬けにしちまうような魔法使い相手をあんた一人でどうにかできるわきゃねえだろ? もっと仲間連れてくるとかしてこいよ!」
「……何人連れてこようが唱えられたら終わりだろう?」
「だからって敵わない相手に一人でやられに来るんじゃ意味ねえだろうが! 玄関の奴らといい、あんたら姫様倒しに来たんじゃねえのか!? それともあの会場から抜け出したのはあんたと門のとこにいる二人だけだってのか!?」
「二人……」
ルクスはファルバスの言葉を聞いてわざとらしく少し考えるような仕草を取る。
どうやら完全に気付かれてはいないようだと内心で少し安心する。
「まぁ、抜け出した人はもう少しいたんだが……そこは各自の都合があるからね。仕方ないさ」
「尻尾撒いて逃げ出したパターンかよ……あー……くっそ……一人か……仕方ねえ……」
ファルバスは頭をぼりぼりとかきながら不満そうな声を漏らす。
「一人じゃ不満かい? マナリルの四大貴族の一人、ルクス・オルリックが相手だよ」
「不満に決まってるだろうが! 俺は――」
「『雷鳴一夜』」
「!!」
ファルバスが言葉を言い終わる前に、ルクスは魔法を唱えて体に雷の魔力が迸らせる。
「そりゃあの鬼さんの国の――!」
強化魔法によって上がった身体能力でルクスは廊下の床を蹴り、ファルバスに接近して膝蹴りをくりだすが、ファルバスは驚愕しながらも持ち前の反応速度で横に跳んだ。
「おや、どいてしまっていいのかい?」
膝蹴りの勢いのまま、ファルバスが通せん坊していた廊下の先にルクスは立っていいる。ファルバスがどいた今、そのまま走れば階段まで行けてしまうだろう。
膝蹴りをかわし、床に膝をつけるファルバスを挑発するような静かな笑みをルクスは浮かべていた。
「く……く……くか……かっかっかっか! かっかっかっかっかっかっかっかっか!!」
そのルクスの笑みを見てファルバスも心底楽しそうな笑い声を上げる。
「おいおい、何だよ! 四大貴族だなんて言うから礼儀正しいお坊ちゃんだと思ってたら……堂々とした今の不意打ち! 最高だあんた!!」
「不意打ちじゃない。ちゃんと名乗ってから仕掛けただろう? 作法には乗っ取っていると思うが?」
「そうだそうだ! 悪い悪い! 今のは勝手に愚痴ってた俺が悪いな! かっかっか!」
ファルバスは楽しそうに立ち上がる。
今までの軽薄そうな態度とは打って変わり、その笑みはまるで獲物を見定めたかのように鋭かった。
「悪かったルクス・オルリック。名乗られたのに名乗り返さないのは俺の国カンパトーレの流儀にも反していた。どうか許せ」
「やはりカンパトーレか……」
マリツィアのような他国の魔法使いが関わっていた事から、その存在をルクスも予期していた。
国と平民を守る。それが貴族の在り方だ。しかし、ただ戦いたい、敵を下したいと貴族の道から外れた願望を持つ魔法使いは一定数存在する。そんな貴族の道をから外れた魔法使い達を他国からも受け入れて貴族とし、カンパトーレと敵対しない様々な戦いや依頼に派遣して国の財政を成り立たせている国――それがカンパトーレである。
すぐにも破綻しそうな国の形ではあるものの、他国の魔法使いを集めた結果、カンパトーレは資源が乏しい小国にも関わらず一気に強力な戦力を持つ国として台頭し、今はマナリル侵攻の為にガザスと小競り合いを続けている国として平民の間でも知る者は多い。マナリル東部はガザスと隣接している為、ルクスの耳には特に名前が入ってくる国の名前だった。
「ああ、そうだ……地下水路に来た奴らは雑魚すぎてがっかりしてたが……あんたは一味違いそうだ! せっかく魔法大国に来たんだからあんたみてえな魔法使いと戦わねえとなあ!!」
「まだ魔法使いじゃない。ただの卵だよ」
「どっちでもいいさ。戦いの際に必ず名乗るのがカンパトーレの作法でな。ペントラ家のデブには名乗るのはもったいなかったが……あんたに名乗れる事には心から感謝しよう!」
強い敵を心から望む歓喜に満ちた声。
ファルバスの瞳は笑い声とともに金色に輝く。
「俺の名は"ファルバス・マーグート"! カンパトーレに所属する有象無象の魔法使い! あんたみたいなエリートは初めてだ! 俺は意外にグルメなんでな! 存分に楽しませてくれよ!?」
そんな自己紹介にルクスは怯むことなく小さくため息をつく。
「悪いけど、楽しむ余裕はこちらには無いよ」
「ああ、いいさ。そっちの事情もわかってる。あんたが死ねばここも終わりだもんなぁ? 気合い入れてけエリートさんよ」
「終わり、か」
「あん?」
ルクスが呟きながら小さく笑う。その笑みにファルバスは妙な余裕を感じてた。
「それは……どうだろうね」
いつも読んでくださってありがとうございます。
第三部も終盤です。頑張りたいと思います。