181.放埓のマレフィキウム8
「あなたは……お父様と一緒にいた……!」
『ええ、いい夜ね。ミスティ様?』
分厚い氷で満足に外すら見れない舞踏会場内で紅葉は月すら思わずそう言い放った。
一片の敬いなど無い馬鹿にしたような呼び方。紅葉の声は父親の私室で聞いた時よりも人を見下したような笑いが混じっていた。
「それに……これは……!」
しかし、目の前で起きている事態を考えればそんな事はどうでもよかった。
ミスティにとって最も重要なのは蘇ってくる数か月前のミレルでの記憶だった。
【異界伝承】
一般には公にはなっていないが、今もミレルで暮らす友人シラツユが使っていた魔法。
霊脈から取り出し、魔法使いに植え付けられた異界の生命。それを召喚のようにこの世に呼び出す呪文。
それを今、自らの姉が唱えた。そして呼び出した魔法と一体化した。
当然姉は常世ノ国の出身などではない。紛れもなくマナリルで生まれた人間だ。
曰く、ミレルの大百足は魔法使いの人格を乗っ取っていたという。現にアルムが大百足を破壊した後に見つかった大百足を宿した人物は今もシラツユと一緒にミレルで暮らしている。だとすれば……もしかすれば姉も魔法生命に人格を乗っ取られているのだろうか?
『御免あそばせ、あなたが期待しているような事は起きていないわ』
一抹の期待を見透かされたように紅葉はくすりと笑った。しかし、先程とは違ってその声にグレイシャの声は混じっていない。
『ねえ、グレイシャ?』
口元を隠していた扇をパチンと紅葉は閉じる。
「ええ、紅葉。言ったでしょう? あの子、とってもとっても家族にあまーい子だって」
聞き間違えるはずが無い――それは紛れもなくグレイシャの声だった。
再び、扇が広がり口元を隠す。
『ああ、本当ね。グレイシャ。でも私は家族思いの子は嫌いではないわ』
再度、扇が閉じる。
「ええ、私もよ紅葉」
再び扇が開く。
まるで人格を切り替えるスイッチのように。
『あなた、あの百足と戦った一人でしょう?』
「!!」
あの、というのは間違いなくただの百足を指す言葉ではないだろう。
ミスティとて予想はしていたが、目の前にいる紅葉はミレルを襲ったあの大百足と関係のある存在であるようだった。
『安心なさい。私はあの百足のような巨体も無ければ、人を好んで喰らう嗜好も持っていない、とても安全で人間と共生できる存在よ』
「……そうは見えませんが」
『まずはあなた達にお礼を言いたかったの。【原初の巨神】の計画後、私達から離反したあの女を倒してくれた事にね。あれと私は同郷だけど……あの女はどうにも私達と同じ場所を目指していなかったようだから』
くすくすと笑う紅葉は本当に大百足が死んだ事を喜んでいるように見えた。
それよりもミスティが気になったのは私達という言葉。それが今一体化しているだろうグレイシャを指す言葉なのか、それとも別の仲間を指しているのか。
シラツユは言っていた。常世ノ国で霊脈から取り出された魔法生命は二十はいると。大百足だけでも町一つが壊滅し、この紅葉という女はグレイシャとともに百以上いる貴族達を人質に取っている。一つが関わるだけでもこんな事態を引き起こす存在があと十数体、そしてその十数体が徒党を組んでいるのであれば余りにも危険すぎる。
「……あなたは……人間では、ないですね?」
『見てわかる……ああ、そうでした。この世界にはいないのでしたね』
ミスティの視線が額にある事を察した紅葉は扇を口元からどける。
「!!」
同時に、ミスティの目が驚愕で見開かれる。
壇上に立っていた紅葉が浮遊したのだ。何の魔法を唱える事無く、自分の手足を動かす事と同じく、浮遊する事が当たり前であるかのように。
そして六つの球体が紅葉の背後に現れた。その球体は黒く輝きながら輪を描くように回転し始める。
「そ、そんな事が――!」
『初めましてマナリルの人間達。私はかつて人に乞われ、やがて恐れと悪意を抱いた人々が生み出した……人の隣に在りて人ならざる者。天上を衝く二の角こそ"鬼"と呼ばれる証にして魔の結晶。
同胞の為、我が夢の為、そして――この世界で最も尊き我が友人グレイシャの願いを叶える為、今ここにその力を振るいましょう』
背後に浮遊する球体と紅葉の手に持つ扇も黒く輝き始める。
『「私は私の為にあなたをここで殺す」』
「……っ!」
宣言するは紅葉とグレイシャの重なる声。それは紅葉とグレイシャどちらもが望む結末。
そこでようやくミスティは姉が操られているという一抹の希望を捨てた。
「【呪怒・四条天雷】」
紅葉が開いた扇をミスティに向けた瞬間、背後の球体が黄色に輝き、黒い雷がミスティに降り注ぐ。
「……何も聞こえなくなったな」
"あの鬼が出てきているのだろう。あの鬼やその同胞が出てくる場所は一種の結界となり、世界改変系の魔法と酷似した現象を引き起こす。魔法生命とはよく言ったもの……ミレルの百足とは違う方向性で"現実への影響力"が高いのだよ"
凍ったトランス城のメインエントランスホールには一人の男と一つの影がいた。
舞踏会場と同じくらい大きく、氷漬けになってもそこここに施されているラフマーヌの装飾は美しいままだ。少なくとも、芸術的価値のわからない男がこの場を独占するには余りに勿体ない。
男はファルバス。影はフィチーノ。共にグレイシャに雇われたカンパトーレの魔法使いだ。血統魔法に巻き込まれないように地下水路に身を潜め、いつでも城に侵入できるようにアスタの使う隠し通路の位置を把握しながら待機し、ドースとコリンを殺害した実行犯でもある。
作戦成功時のカンパトーレとの連絡役も兼ねており、マナリルの貴族を人質にするという第一段階の作戦を終えて今はグレイシャの命令通り待機していた。
「なあ、旦那。何でいっつもあの鬼さんの事名前で呼ばねえんだ?」
その内の一人、ファルバスが近くで氷像となっている使用人の顔を暇そうに覗き込みながら問う。氷像となった使用人の氷像は自分が凍っている事など知る由も無い表情だった。
"貴様も名を呼ぶなよ。特に今はな。下手すれば精神を持ってかれるぞ"
「……姫様は?」
"あの方は特殊だ。あの鬼の話ではカエシウス家の者は親和性が高いとの事だが……どうだか。父親を見るにただあの方があの鬼と親和性が高いだけに見えるがな"
「ほーん……」
どうでもよさそうなファルバスにフィチーノは呆れたようにため息を吐く。尤も、影となっている彼の表情を読み取れるのは誰もいないのが。
「魔法生命ってのが何なのかは何となくわかったんだけどよ、結局あの人らって何なんだ? 今までカンパトーレと全く交流の無かったダブラマの魔法使いとも繋がり持ってるし、かと思えば姫様みたいな元マナリルの貴族さんまで一緒って、もう国同士の関係ごっちゃになってね?」
"……あいつらの前では国同士のいざこざなど関係ないという事だ。突如、理外の力を持つ者達が現れ、都合のいい事にマナリルに敵意を持っている集団だった。
我らカンパトーレにとってはそれで充分。我らは傭兵国家カンパトーレ。金を積み、自国への攻撃でなければ手を貸すのが我が国の貴族の仕事だ。例えそこにダブラマがいようと関係が無いのは貴様とて理解しているだろう"
ファルバスはうーんと唸りながら天井を仰ぐ。
「でもよ旦那……ダブラマのあのマリツィアってやつ……絶妙にあの鬼さんと距離とってなかったか? 通信用の魔石が付いてたドレス届けに来る時だってあの鬼さんが姫様と一緒にいなかったタイミングだろ?」
"そうだな"
「ミレルの時もダブラマは魔法使いをどうでもいいのを一人しか付けなかったって話だし……ダブラマの奴ら、マナリルを攻撃できる機会だってのに消極的すぎねえか?」
"奴らは【原初の巨神】の時に数少ない魔法使いを利用されて失っているからな。少し懐疑的なのだろう。カンパトーレとてあいつらを完全に信用しているわけではない。だから後続の魔法使いは本国で待機しているだろう?"
「かっかっか! 俺らは捨て駒ってか!」
"カンパトーレの貴族となったからにはそれもまた当然。だからこそ腕のある者しか貴族でいられ――"
「旦那?」
フィチーノの声が急に止まる。影となっていて表情は読めないが、耳をすませているようだった。
その様子を見てファルバスはにやりと笑う。
「こりゃまじで来たか? 旦那?」
"そうだな。どうやら死地に飛び込む覚悟を持っているのは我々だけではないらしい"
瞬間、エントランスホールの扉の外から轟音がホールの中にまで響く。
ドドドドドド!! と聞こえてくる小刻みな爆発。そして広間で待っている馬車の馬達の悲鳴のような嘶き。
明確な攻撃の意志を持って、舞踏会場から抜け出した彼らがトランス城に帰ってきた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切りの幕間は明日更新します。