180.放埓のマレフィキウム7
「『水流の渦』」
「『水流の渦』」
同じ魔法を放つミスティとグレイシャ。
二人の間で水の渦が衝突する。踊る為だった広場はすでに魔法のぶつかり合う戦場へと姿を変えていた。
同じ魔法同士で衝突するも、僅かにミスティのほうが勢いは上だった。
「『水の針』」
「『水の針』」
再び同じ魔法がぶつかり合う。グレイシャにまでは届かないまでも、ミスティの魔法がグレイシャの魔法に勢いこそ殺されるものの、グレイシャが放つ同じ魔法を砕いていく。
同じ魔法を二度使い、二度ともミスティの魔法に軍配が上がった。僅かではあるもののミスティの魔法のほうが"現実への影響力"が高い証拠である。
「『氷龍の吐息』」
「『氾濫の水壁』」
ミスティは手を中空に掲げて魔法を唱えた。ミスティが放つ中位の水属性攻撃魔法。
対して、グレイシャも同じように手を中空に掲げた。しかし、グレイシャが選択したのは防御の魔法。グレイシャの姿を隠すようにグレイシャの頭上から水が降り注ぎ、ミスティから放たれた吹雪のような魔法から使い手を守る。
結果、防御魔法は完全に凍り付いたが、その防御魔法が砕けると中のグレイシャには傷一つ無い。
「ああ、寒い。あんまり冷えると体に悪いわね」
「そうですねグレイシャお姉様……私も温かいミルクティーを飲みたいですわ」
「ふふ、ミスティったら成長してもまだ子供ね」
「あなたのような幼稚な方に言われるとは心外です」
いがみ合う姉妹の会話。
グレイシャは前と変わらず、ミスティは冷たく。両者の意識に違いこそあれど、その姿は敵対しているにも関わらず自然だった。
「……ミスティ………」
二人の近くにいる父はその戦いに介入する事はできない。ミスティを援護するような事があれば、妻であるセルレアに何が起こるかわからないからだ。
自分と妻セルレアにかけられた呪法という得体の知れない魔法をノルドはよく知らない。知っているのは常世ノ国の魔法という事と、かけた使い手を裏切った場合に発動するという事だけ。裏切れば発動するという条件を知っていながら何処からが裏切りなのかはかけられた本人には全くわからないのだ。
それこそ呪法の恐ろしい部分の一つでもある。どこからが裏切りと見なされるか判断がつかない為、命令には完全に従順。手抜きすらも裏切りにあたるのかと、疑心暗鬼に陥って反逆する気も起きなくなってしまう。
だからこそ、この数か月ノルドは胃を痛め、罪悪感に苛まれながらもグレイシャが指示した通りに全てをやってきた。それが国に対する裏切り、多くの人間を危険に晒す事だとわかっていても、眠り続けている妻の命を捨てられなかったのだ。
そして今も――ただ地面に膝をついている。
「幼稚? 私が?」
「ええ、数百年前にあったラフマーヌ王国の復活……その理由が自分が王族になりたいなんて……幼稚以外の何物でもないと思いますが?」
「意外ね、あなたが人の夢を笑うような子だとは思わなかったわ」
「普通ならどんな夢だろうと笑う事はありません。しかし、その夢の為に、これだけの人を巻き込んでいるのが幼稚だと言っているのです」
自分の後ろにある数多の氷像。氷像の中にいるのはマナリルの貴族達。
そんな命を盾にして自分のやりたい事を夢と言う。そんなグレイシャがミスティには許せなかった。
「あなたのそれはただの我が儘です」
「我が儘……結構じゃない? 自分の為に他人を犠牲にするのが幼稚? 私からすれば自分を殺す愚者の言い分よ」
「……」
「私達人間は自分の為に生きている。そして諦める為に自分を犠牲になんて私には出来っこない。私は私の為に。人の為になんてただのまやかしよ。私達のあるべき姿は他人は二の次にして自分を大切にする事……でもね、ここにいる貴族達だって私は殺したいわけじゃないのよ? あくまで私の目的の為に必要だったから……仕方なく、仕方なく人質にしただけだもの……お母様も含めてね」
仕方なく、そう言いながらグレイシャは笑みを浮かべていた。
その笑みは自分の計画が滞りなく進んだ事に対する喜びか。それとも人質を好きに出来る立場がもたらす加虐心からか。
どちらにせよ、その笑みは仕方なくという人間の表情ではない。家族ですら、自分の目的の為ならば他人との扱いを変えないとグレイシャは語っている。
「私は他人を軽んじているわけじゃないし、無駄に傷つけたいわけでもない。あくまで自分を大切にしているだけ。そして自分を大切にする為なら他人の生死なんてどうでもいいわ」
「それが貴族に生まれた人間の声ですか……お姉様……!」
「それもまた私にとってはどうでもいい事。私は貴族ではなくラフマーヌの王族……マナリルの貴族としての在り方なんて知った事じゃないもの。私の願いは王族である自分になる事、私の王国を取り戻す事、そして……あなたという人間を殺す事」
「私……?」
「この三つが今すぐ何の犠牲も無く叶うなら……この場にいる人質なんて一人もいらないわ。でも、そんな都合のいい事は起きないなんてわかってる……私の都合よく事が運んでくれるなら……まず十六年前、あなたが生まれてこない事を私は願うもの」
グレイシャがミスティの事を語る時だけ、グレイシャの表情に笑みは無かった。
グレイシャが本気で自分を憎んでいるという事がその瞳から、表情から伝わってくる。
それなのに、自分には優しい姉の記憶しかない。殺したいと目の前で語る姉と記憶の中にいる優しい姉。余りにも違いすぎてミスティの心がほんの少しだけ揺れる。
「だから仕方なく……ここで人質を殺す事も吝かではないわ。それであなたが大人しく私に殺されてくれるならね」
「……」
「でも、私にはわかるわ。私はあなたの姉だから。忌々しいけど、私はあなたという人間をどうしようもなく知っている」
グレイシャの瞳もまた冷たいものへと変わる。血の繋がりを示すように、二人の表情は似ていた。敵意を露にしたその表情はどちらも氷のよう。
「あなたはここにいる氷像を一体ずつ割ろうとも私を殺す事を躊躇わない」
「流石は腐っても私のお姉様でしょうか」
一瞬揺らいだ姉への感情をミスティは強引に貴族という皮を使って取り繕う。
「殺されれば苦しみましょう、悩みましょう。それでもここでこの場にいる人間を人質にされても私は止まる事はありません。私は誇り高きマナリルの貴族カエシウス家の次女、そしてこの国を守る者。あなたがどんな手を取ろうとも、私はここであなたを倒す事を選びます。マナリルの未来の為……あなたをここで生かしておくわけにはいきません」
それがこの国の頂点として生まれた自分の、力持つ者の役目。
重荷を背負う覚悟を、雪原を一人で歩く覚悟をミスティはすでにしている。
今貴族としてやるべき事、それはグレイシャに嬲り殺される事ではなく、国に仇なすグレイシャという敵を討つ事に他ならない。
その為ならば、例え家族を人質に取られてもグレイシャに剣を向けるとミスティは改めて決意する。
「やっぱり、あなたってひどい人ね」
「お互い様です」
そして、ミスティには退く理由も無い。
この場で戦えば間違いなく勝つのは自分。驕るわけでもなく、ミスティは自分がグレイシャより魔法使いとしての才能が上回っていると理解している。数度の攻防からもそれは一目瞭然だ。
ここでグレイシャを倒してしまえば氷像にいた貴族達も解放される。例え先程連絡した仲間がいるとしても、百人以上の貴族は解放されれば諦めるしかないだろう。
グレイシャさえ倒せば全ての状況が好転するのだ。血統魔法と言う切り札が互いに通用しない今、後は純粋な魔法での勝負になる。ミスティはマナリル一の貴族カエシウス家の頂点。いくら姉が優秀だとしても敗北する事はあり得ない。
「ああ、本当にいらいらする……」
そう。普通の勝負ならばあり得ない。
「ああ、やっぱり奪いたい……あなたから……全てを――!」
そう。グレイシャとの勝負であれば、有り得ない。
「ええ、ええ……やりましょう」
まるで誰かと会話でもするかのようにグレイシャは頷く。
「きっと、きっと素敵だわ!!」
一人で喋るグレイシャがぐるんとミスティのほうに向く。
その瞳に映っているのはミスティという人間の死。
自分の望んだ全てが叶う、そんな夢の中にいるような笑顔をグレイシャは浮かべた。
「【異界伝承】」
「――」
ミスティは衝撃で自身の反応を声にすらする事が出来なかった。
グレイシャの声が氷の世界に響く。
幻臭か。氷の世界に似合わない土の匂い。
幻聴か。風も無いのに聞こえる山の騒めき。
幻視か。在るはずの無い、鮮やかに舞う紅い落葉。
否――顔を見せるは呪いの故郷。
「【第六天姫・鬼女紅葉】」
重なる声はただ二つ。歴史ではなく憎悪の声。
唱え切ってもその場に大きな変化は現れない。
グレイシャと重なり合うように誰かがそこにはいた事以外は。
グレイシャの後ろに立つ人物は両腕をゆっくりと挙げていく。たおやかに流れる長い袖は血のように綺麗な紅色だった。
左手に持つ紺色の扇を広げ、右手は何かを誘うような官能的な指の動きをしてグレイシャの顎を撫でている。とろんとした瞳に変わるグレイシャの後ろからその人物は現れた。
「あれは――」
それは父ノルドの傍らにいた使用人モミジ。しかし、その醸し出す雰囲気と服装は使用人のものではない。
裏地の白い紅色の服と黒い帯。服に落ちる長い黒髪は美しさをその人物の映えさせ、唇に塗られた口紅を真っ白な肌が強調している。まるで幻想の住人のような美しさがあった。
彼女の着る服が着物と呼ばれる民族服だとミスティは知る由も無かったが、ミレルの一件で出会ったシラツユの兄や敵だったマキビの服装とどこか似た雰囲気を感じさせる。
『ああ……素敵よ。グレイシャ』
「ええ、あなたも。紅葉」
そして二人は互いの名を呼びながら口づけをする。
一瞬、ミスティには何が起きているのかはわからなかった。しかしすぐに異変に気付く。
黒い魔力の輝きが一瞬目を眩ました。二つの影は重なり合って一つに。ミスティの前で真の姿を披露する。
光が収まり、そこにいたのはグレイシャともモミジとも言えない人物だった。
髪は黒と白銀が混じり合い、白かったドレスは染められたような紅色のドレスに。左手には紅葉が持っていた扇が握られていた。共通している真っ白な肌はそのまま髪とドレスの色彩を映えさせる。
しかし、額だけには見覚えの無いものがあった。
額には禍々しい二本の紅い角が生えている。もう隠す必要が無いと主張するかのように堂々と、その角は天に向かって伸びていた。
『本当に……私達って相性がよすぎますわ』
左手に持つ紺色の扇が口元を隠す。
その扇の下に隠れた口からはグレイシャとモミジ。どちらの声もが混ざったような声が聞こえてきた。
そう。ミスティは目の前で何が起きたのかをもうとっくに知っている。
これこそが常世ノ国で生まれた魔法生命の姿。彼らは宿主との融合によって、その真の力を解放する。
いつも読んでくださってありがとうございます。
異界から再びです。
明日の更新で一区切りとなりますが、都合により一区切り時恒例の幕間と一緒の更新はもしかしたら出来ないかもしれません。