179.放埓のマレフィキウム6
「悪夢みたいな女だったわね……」
死体の円舞は終幕した。
役目を終えて野晒しになった死体は雪に降る平原に寂しさと虚無感を最後まで演出し続ける。
勝利も敗北もこの場には無い。ただマリツィアの残した後味の悪さが残るだけだった。
「遺体は後だ。ルクス達はどうしてここに? 急に城が凍ったのが見えたから何事かと思ったが……」
「そうだ、もしかしたら時間が無いかもしれない。何が起こったか僕達も把握してるわけじゃないけど、アルムにも説明するよ。城が凍ったって事は多分大まかな流れは合ってるはずだ」
事情を全く把握していないアルムにルクスは短く説明する。
スノラに来る前から不思議だった当主継承式が早く行われた理由、補佐貴族への伝令そのどちらもがトランス城に貴族を集める為、そして何者かに掌握されているカエシウス家に目を向けさせない為の事だった可能性を。
そして、舞踏会場で起こった一部始終を知ったアスタが証言する。父ノルドが脅されていた事、自分の姉グレイシャが黒幕である事を。
「……ミスティが危ないって事だな。早く行こう」
「ちょ、ま、待った!」
話が終わり、すぐさま行こうとするアルムの腕をエルミラが掴む。
「何だエルミラ」
「いや、その……」
「アルム、少し厳しい事を言おうと思う」
言いよどむエルミラとは対照的に、ルクスは落ち着いた声色だった。
エルミラと同じようにアルムを引き止めるようにしてその肩を掴んでいる。
「何だ、ルクスまで……? アスタが見た通りならミスティは今その黒幕の姉と戦っているかもしれない。いくらミスティが強いといってもマリツィアみたいな仲間がまだいる可能性だってあるし、その父親が脅されているのなら二体一の状態になっていてもおかしくない。助けに行く以外に何かする事があるのか?」
「ある」
はっきりと力強い声でルクスは断言する。
「……何だ?」
流石に納得がいかないのか、珍しくアルムはむっとした表情でルクスと向き合った。
ルクスは一瞬だけ気まずいように目を伏せるも、すぐにアルムと向き合って。
「憲兵に報告して王都に伝令。その後は応援が来るまで町に待機する」
そんな、やれる事と言うのも憚れる消極的な案をルクスは言い放った。
一瞬、ルクスの口から出た言葉とは思えずにアルムは目をぱちくりさせた。
「何を……言ってる?」
かろうじて出てきた言葉。アルムはつい手を掴んでるエルミラと、周囲にいる他の三人の表情も窺う。
気まずそうに、エルミラ達は顔を逸らした。
「そのままの通りだ。グレイシャ殿……いや、グレイシャの計画はすでに成功したと考えるべきだろう。目的はどうあれ僕の父上を含めたマナリルの貴族を百人以上を氷漬けにしてる。アスタ殿が聞いた通りその貴族達が人質なら彼女はすでに勝利した後だ。気付くのが……遅すぎた。僕達はもう敗北している」
「それが?」
「すでにグレイシャは目的を達しているから恐らくこれから大きな被害が出る事はない。百人以上の貴族の人質がいるとわかれば国も本腰を入れて動くだろう。多分西のパルセトマや南のダンロートと他の四大貴族も駆け付ける」
「だからなんだ?」
アルムを納得させるよりも、自分を納得させるよう早口になっているルクスに対して、アルムは淡々とした言葉で返す。
「ミレルの時のように僕達で解決する必要が無いって事だ。あの時は大百足が逃げ出す平民を狙っていたし、あのまま成長して手が付けられなくなるよりはと戦った。
でも今回はグレイシャが平民を狙う理由は無いと考えていい。これ以上の被害は出ないだろう。アスタ殿が聞いた話通りならグレイシャはすでに国との交渉権を手に入れている状態だ。交渉する気ならこれ以上横暴な行いをするとは思えない。交渉したい彼女としてもこれ以上被害を拡大させて戦闘を強行されるのは望むところではないだろうからね。
だから今僕達貴族が国の為に出来る最善は下手に刺激せずに応援を待って情報を伝える事。舞踏会場内の情報を持ってるアスタ殿もいるし、カエシウス家からの伝令を貰っていて一連の事態に関わってる補佐貴族のネロエラにフロリアもいる。国が強行するにしても交渉を選ぶにしても僕達は危険を冒すべきじゃない」
「……」
「勿論、これは僕の予想だ。今のマリツィアみたいな仲間がまたアスタ殿やスノラの町を狙ってくる可能性がある。そうなったら待機する僕達の出番だ。これ以上の被害を抑える必要はあるし、カエシウス家の血筋を絶やさせるわけにはいかない。何より……平民まで狙うようならマナリルの貴族として最低限の姿勢は見せるべきだ」
「……」
「あの氷漬けの城を見れば起きている事態が尋常じゃないのは明白だ。だけど、だからこそ僕達は冷静に動かないといけない。他の貴族達が人質でカエシウス家までもが動けない……今アスタ殿やスノラの人達を守れるのは僕達しかいない。だからこそここで城に乗り込むのは避けるべきだ。慎重に行動しないとそれこそスノラ全体を交渉の材料にされる可能性だってある……そうだろう?」
アルムはそこまでルクスの話を静かに聞いていた。
表情の動かないアルムの顔を見て肩を掴んでいるルクスの力が無意識に強くなる。
喋り終えてルクスはアルムの言葉を待つ。待っていたのは数秒ほどだが、その数秒はルクスにはとても長い時間に思えた。無意識に、緊張からか生唾を飲み込む。
そして、静かにアルムは口を開いた。それはとても単純でルクスの話に出てこなかった一人の名前だった。
「ミスティは?」
「……っ!」
そう、ルクスは意図的にミスティの名前を出さなかった。
自分が今世界一卑怯な人間である事をルクスは自覚している。その名前を避けたところで何かが変わるわけでもないのに口にできなかったのだ。
「……残念だが……見捨てるしかない。グレイシャもミスティ殿は逃がさないだろうからね。普通に戦えばミスティ殿が勝つだろうけど、こんな事態を引き起こしたって事は恐らく何らかの勝算があるんだろう。ノルド殿のように何かで脅すのかもしれない。それこそミスティ殿のお母さんを人質にするかもしれない」
奥歯を噛む音がここまで聞こえてくるようだった。
見捨てると言ったルクスの声は震えてもいた。今ここで唾を吐きかけられても甘んじて受けるであろう罰を待っているような声色だった。
「ならあるじゃないか」
「え?」
「俺達で解決する理由、あるじゃないか。ミスティを助けられるタイミングは今しかない。応援を待っていたら確実に助からないだろうが……今俺達が動けば助けられるかもしれない」
だが、アルムはルクスを責めるような事はしない。
ただただ思った事をアルムは述べただけだった。それはルクスが意図的に省いた唯一自分達が動く理由でもある。城が氷漬けになった瞬間も舞踏会場にいたアスタがカエシウス家であるミスティとノルド、そして自分の三人だけは氷漬けになっていないと証明している。
ならば、行く理由はアルムの中で出来上がる。カエシウス家の救出というとても単純な理由が。
「駄目だ……リスクがありすぎる。あの氷漬けの城を見ただろう。カエシウス家の血統魔法は唱えられたら終わりなんだ。世界改変系の魔法の中でも"現実への影響力"が桁違いすぎる。こんな言葉を使いたくないが反則と言ってもいいだろう。唱えたら一瞬で勝負がつく……僕達が中に入って唱えられたら終わりなんだ。ここで僕らまで氷漬けにされたらそれこそ敵の思惑通りになる」
ルクスが意図的にミスティの救出を省いた理由は氷漬けの城にあった。
アルム達も目にしているカエシウス家の血統魔法。それは唱えただけで周囲を氷の世界に変える血統魔法。例え城に侵入したとして、気付かれて血統魔法を唱えられたらそれだけで終わってしまうのだ。例え死ななかったとしても、舞踏会場内の貴族のように氷漬けになったら何の意味も無い。
「それに……」
口にする事こそなかったが、ルクスは自分の、そして貴族の価値を知っている。
カエシウス家が掌握された中、オルリック家の長男であるルクスまで敵の手に落ちればマナリルの魔法使いとしての脅威はかなり落ちる。ただでさえカエシウスが落ちた事でカンパトーレが黙っていないのは想像に難くない。加えてオルリック家まで落ちたとなれば、ダブラマの動きも活性化するだろう。
エルミラ達もオルリック家ほどの重要度は無いにせよ、次世代の魔法使いの卵。今は数人、そしてカエシウス家のアスタが生き残ったという事実がマナリルにとって何よりの朗報なのだ。不幸中の幸いと言うべきか、ルクス達が会場を抜け出した事でこの事態が収束すればマナリルを建て直せるギリギリの所にいる。それを……再び城に入って台無しにするのは余りに無謀。
当然ルクスとてミスティを助けたくないわけではない。
だが、この状況になった段階ですでに手遅れなのだ。マナリルの貴族として、この場は退くのが正解だと自分の理性が言っている。それがルクスが導き出し、アルムの所に来る道中、エルミラ達にも聞かせた結論だった。
「じゃあ俺一人で行くよ」
「な……!」
それでも、アルムが意思を曲げる事は無かった。
「アスタ、お前が逃げ出せたって事は道はあるんだよな?」
「は、はい……地下水路から隠し通路を上ってトランス城に……」
「なら、行き方だけ教えてくれ。後はルクス達が守ってくれる」
「駄目だ!!」
余りに普通の声色なアルムとは対照的にルクスは声を荒げた。
近くにいたエルミラだけでなく、後ろにいるネロエラとフロリアもびくっと体を震わせる。
「言っただろう。終わりなんだ。いくら君が入っても血統魔法を唱えられたら終わりなんだよ」
「それはそれで仕方ない。その時は頼む」
「……っ!」
余りに勝手な言葉にルクスはアルムの胸倉を掴んだ。
早口ながら今まで冷静に説明をしていたルクスが感情のままに行動する。普段の穏やかさは今どこにも無い。
対して、アルムはそれに大きな反応を示すことも無かった。
「言っただろう! 無駄なんだ! 君が行ったところで無理なんだ! 血統魔法を唱えられたらそれで終わりなんだよ! 僕達はもう負けてるんだ! ミレルの百足みたいな魔法生命でもない限り逃れられない!! ただの人間が行った所であの城みたいに氷漬けにされて終わりなんだ!! カエシウス家はオルリック家ですら霞む千年続く貴族だ!! 血統魔法の現実への影響力も並じゃない!! それを……それを……!」
ルクスはいくら怒鳴ってもただ見つめ返してくるアルムに悲痛な表情へと変わる。
この先だけは、例え頭に血が上っていたとしても言えなかった。
「僕からこれ以上友人を奪うのか……君は……!」
最後に出たのは絞り出すような声だった。
助けに行けない理由をいくら並べても、友人を見捨てるという結論を出した自分がいる事には変わりない。
状況を理解し、行くべきではないと結論付けた理性を、躊躇いなく助けに行くと言い切るアルムへの怒りとミスティを助けに行くと言えない自分の罪悪感がぐちゃぐちゃに踏み荒らす。そして、残ったのは二人も友人を失いたくないと言う祈りにも似た言葉だった。
「無駄でもいい」
「……え?」
「無理でもいい」
アルムは胸倉を掴んでいるルクスの手をゆっくりと外していく。
「俺を心配してくれるのは嬉しいよルクス。俺はつくづくいい友人を持ったと思う。でも俺は勝手な人間だ。それにとてもひどいやつだ。正直言って、あの城で氷漬けになってる貴族達を助けようって気は無い。そりゃ助かるに越した事は無いけど……今俺はミスティを助けられればそれでいいくらいに思ってる。だからそんなひどいやつの心配なんてしなくていいんだ」
一つ、また一つ。ルクスの指をアルムは外していく。
「でも駄目なんだ。俺はここで無理とか無謀とか、そんな理由で諦めちゃいけないんだよ。俺はずっと……無理と無謀の上にいる。魔法使いになりたいと叫んだ時からずっと、ずっと」
無理。無謀。
そんなのは当たり前。それを理由に自分の本当にやりたい事を諦めるというのなら――自分はここに立っていない事をアルムは知っている。
「今ミスティを見捨てたら俺はもう駄目なんだ。城にいる貴族を見捨てるよりも、スノラに住む平民を見捨てるよりも……目の前でミスティを見捨てる事だけは出来ない。
俺はきっと……ミスティや皆みたいな人を助けたくて魔法使いを目指したから」
スノラに来て、アスタのように悩む貴族と出会ってから考えていた自分の原点。
何故魔法使いになりたいのか。誰を助けたいのか。
ミスティという友人の危機に直面して、アルムはようやく憧れを抱いた日の事を思い出す。
思い出して、アルムは自分で自分を笑った。
何て子供じみた憧れをずっと追いかけていたのだろう。何て勝手な、勝手すぎる子供の夢。
自分には何もないと、この町で自覚してからようやくアルムは原点に立ち戻っていた。
きっかけはきっと魔法使いと出会うよりも、もっと原始的な願い。
身近な人が危機になってようやく思い出した――聞けば誰もが笑うであろう理想論。
「だから……俺は俺の為にもここで退くわけにはいかない。ここで退いたら俺という人間は終わってしまう。もう二度と、言えなくなってしまう」
博愛も迫害も、そして善悪さえも、アルムという人間を呑み込むには至らない。
彼という人間が死ぬのは何も無いと、空っぽだと思っていた自分の中に唯一ある憧れが消えた時。
例え子供じみた憧れだとしても、子供の夢だと馬鹿にされても、これだけは捨てるわけにはいかない。
それはアルムという人間の証明だから。
「俺は、魔法使いになるんだから」
ルクスの指を全て自分から外し、憧れを自覚してアルムは改めて宣言する。
その宣言は信念に見えたかと思えばただの我が儘にも見えた。誰かの為かと思えば、自分の為のようにも聞こえるそんな不思議なものだった。
「エルミラ、離してくれ」
「……」
「頼む」
「……はぁ……私達ってこういう時だけはアルムに負けるわよね。ルクス」
大きなため息を諦めたような表情をエルミラは浮かべた。アルムの腕を未だ掴んではいるものの、その力は緩んでいて振り払えばそれだけでほどけそうだ。
「……」
「どうする? 多分殺すくらいしないと止まらないわよ?」
エルミラはルクスに問い掛けるもルクスは呆然と立っているだけだった。いくら理屈を並べた所でアルムは止められないと悟って。
周囲の奇異の目も他人からの蔑みも平然と受け入れる彼は自分の中にある確固たるものにだけは決して背を向けない事をルクスは入学式の時から知っていたのだから。
「ベネッタ、力づくでアルム止めてみる?」
「まっさかー。こういう時のアルムくんは止められないでしょー?」
「ははは、確かに。お二人は?」
エルミラに問われて、フロリアとネロエラは顔を見合わせて頷いた。
最初こそいがみ合っていた二人だが、ここでは同じ止められないという結論を出す。
「はいアルム」
エルミラ自身もアルムを止める気はもう無い。この場にいる全員の意見を聞くとエルミラは掴んでいた手を離した。
「待ってくれ」
エルミラが手を離し、自由になった背中が動き出す前にルクスはアルムを呼び止めた。
アルムはルクスの声に応えるように肩越しに視線を送る。
「何だ?」
「どうしても行くんだね?」
「ああ」
「なら聞いてほしい。みんなでだ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
昨日更新できなくて申し訳ありません。
『ちょっとした小ネタ』
ダブラマの魔法使いは数が少なく、ネヴァンの一位から五位の少数精鋭+王家と宮廷魔法使いの数家で保っている国です。
作中でもアルムを襲ったトイ、ニコ、サニやルクスと戦ったトナ、【原初の巨神】の核を地下に運んだトゴなどが出てきますが数字名を持ってる人間は一対一の戦闘を期待されていません。数が名前になっているのは自分達には数が必要という意味が込められています。