177.放埓のマレフィキウム4
「あ、アルム……さん……どうして……?」
「いや、あんだけ騒ぎになったら誰でも……ただでさえトランス城が凍ってて何事かと思っていた所だったからな」
アルムはアスタの体を自分に寄せる。
不意打ちで一人倒したものの、未だ挟まれている形なのは変わらない。
「第一段階は終了したはずですが……」
マリツィアは来るはずのない救援に笑みが消える。
確かに会場から出た貴族がいるという報告はグレイシャからうけているが、それにしては駆け付けるのが早すぎる。
「まぁ、いいでしょう」
その顔にはすぐに微笑みが戻った。
同時に、アルムの魔法を受けたドースの死体ががくがくと立ち上がる。
「おい動きが人間じゃないぞ……なんだこいつら……」
「う、後ろにいる二人は補佐貴族の方の遺体です……それをあの女が操っているようで……」
「遺体……?」
安心したのか、アスタはアルムの服をぎゅっと掴みながらマリツィアについてわかっている情報を短く伝えた。
アルムは何か思う所があったのか睨むように目を細めた。
「……随分変わった魔法だな」
「あら、この素晴らしさがお分かりになりませんか?」
「遺体本人が生前にこうして扱われる事に賛同したならいいと思うが……」
「私の下に届いた時にはすでに死体だったもので、本人の意思は伝え聞いておりません」
「なら少し悪趣味だな。命を糧にしないでただ弄んでいるようにしか思えん」
「そうでしょうか?」
マリツィアが首を傾げると同時に、ドースの体が地を蹴る。
「『永久魔鏡』」
アルムの周囲に五枚の魔鏡が展開される。
こちらに向かってきたドースの体を魔境の一枚が阻んだ。体が勢いよくぶつかった音がアルムの後方から聞こえてくる。
「アスタ、背中に掴まれ」
アルムはしゃがんでアスタに耳打ちする。
「え?」
「早く」
「は、はい!」
急かされ、アルムに背負われる形でアスタは掴まる。
「『強化』『抵抗』『防護』」
アスタが掴まった事を確認すると、アルムはすぐさま強化の補助魔法を自分にかけて体を反転させる。視線の先はまだ動きを見せていないコリンの体。
「は、はや――!」
アスタは背中の上でアルムの魔法の構築速度に驚愕する。そして魔法を唱えてからの自然な動きにも。強化の効果が現れるその瞬間に動き出すその姿は魔法戦に慣れている事の証明だった。
「『光の尖刃』」
「『準備』」
コリンが光属性の魔法を放つ。突如輝く光属性の閃光は普通なら敵の目を眩ますだろうが、すでにアルムは補助魔法の『防護』の効果によって対策している。
軌道の読みやすい魔法を強化で上がった身体能力でかわしながら、次に使う魔法の"現実への影響力"を強化する魔法をアルムは唱えた。
「『魔弾』」
右腕に展開される五つの白い魔力の弾。
振るった右腕とともにコリンの体目掛けて放たれる。
「あ……!」
しかし、相手も棒立ちなわけではない。コリンの体は上に跳んで五つの弾を難なくかわす。
その跳躍力はまるで強化をかけた魔法使いのようであまりに身軽だ。
「上でよかったのか?」
かわされた事に驚く事も無く、アルムは左手を動かす。その動きに呼応するのは周囲に展開された五つの魔鏡。
アルムによって操作された魔鏡は空中で身動きがとれないコリンの体に勢いよく衝突して地面に叩きつける。さらには追い打ちをかけるようにもう一枚が地面に叩きつけられたコリンの体目掛けて突っ込んだ。
「す、すごい……」
魔法自体に目立った強さが見られるわけではない。
だが、この短いやり取りでもわかるアルムの容赦のなさと次の攻撃に移る淀みの無さが訓練などには無い経験を感じさせる。
「さて、死体相手にどうやって戦えばいいんだか……」
「え? そ、そんな……」
地面に叩きつけられたコリンの体は先程のドースの体のようにぎこちない動きで立ち上がる。よろよろと声も上げずに立ち上がるその姿はただ不気味だ。
「私の魔法の素晴らしさがわかって頂けたでしょうか?」
マリツィアの顔には笑みが戻っている。余裕からか、アルムに攻撃を仕掛けようという様子も無い。
ただマリツィアの仕草と言葉に応えるように、ドースの体とコリンの体は動き出す。
「ちっ……!」
魔鏡を操作して接近戦に持ち込もうとする二つの体をアルムは阻む。こちらも強化をかけているとはいえ、アスタをかばいながらの接近戦は余りにも分が悪い。
五枚の魔鏡を動かし、勢いよく衝突させて戦闘不能にしようとするも、二体の動きは止まらない。アルムの攻撃によって体のどこかが歪になったとしても出鱈目な動きを繰り返す。それこそ不慣れな傀儡子が操るマリオネットのように。
意思を感じさせないぶらぶらと揺れる手。棒のように地を蹴る足。ぐりんと無理矢理に曲げた首。虚ろな瞳だけがアルムとアスタを捉えて離さない。
「命を豪華に」
その光景をマリツィアは微笑みを携えて見つめる。
「体は瀟洒に」
満足そうに、恍惚とした表情を浮かべて。
「魂に穢れを。それこそが私の魔法のモットーでございます」
繰り広げられるは死体の円舞。
自身のコレクションが輝く様をマリツィアは瞳に焼き付けている。
――各地に存在する人格を失って尚動き続ける死者の伝承の数々。
それは命無き死体に見る死への恐怖。或いは歪んだ不死への幻想。そこに魔法が生まれるのは必然だった。
マリツィアの瞳に輝くは黒い魔力光。人々の恐怖を糧にする鬼胎属性の魔力がそこには渦巻いている。
「しかし……この方は一体どなたなのでしょう?」
目の前でアスタを庇いながら戦う魔法使いの正体がマリツィアには掴めなかった。
グレイシャの計画の第一段階、マナリルの貴族を人質として確保する事。それが完了したと言っているのだから間違いは無いだろう。マリツィアは今でこそただの協力者でここにいるのも契約を交わしたからだが、グレイシャの計画が成就した後は祖国との連絡役として選ばれる事になる。そんな自分をグレイシャが騙したとは思えない。実際、会場から出たオルリック家と他数名の貴族については報告を貰ってる。
では目の前の男は?
この国の重鎮であるカエシウス家に招待されながら会場に行かなかった者がいる?
そこまで考えて、直前でリストから外された平民がいるという話を思い出す。関連して、マナリルで起きたミレルの事件に平民が関わっていたという話も。
「もしかして……ミレルの一件に関わっていた平民の御方でしょうか?」
マリツィアの声と共に、コリンとドースの体の動きがぴたっと止まった。
出鱈目な動きを繰り返していた二つの体はもはやボロボロで腕や足は外から見ても折れている事がわかる。
「……そうだが?」
アルムはマリツィアのほうに目を向ける。
統制しているのはやはりこの女なのだろうかと。
"それにしては……"
しかし、何かが引っ掛かていた。
アルムが肯定すると、マリツィアの顔がまあ、とわざとらしく驚く。
「なるほどなるほど……無属性しか使わないのはそういう事でしたか……噂になっていたベラルタ魔法学院の平民……珍しい事もある程度にしか考えておりませんでしたが、ここまで動ける方とは……なるほど納得というものです」
少しの間呟いたかと思うと、マリツィアは唐突に頭を深々と下げる。
「大変失礼致しました。それでしたら私を改めてご挨拶しなければいけません」
「……挨拶?」
改まって挨拶するような縁があるとは思えなかった。
アルムは当然マリツィアと会った事が無い。見た事すらも。
「はい。ミレルの一件に関わっていたのでしたら、うちのナナがお世話になりませんでしたでしょうか?」
「七?」
七と数字を言われても皆目見当がつかなかった。
疑問だけがアルムの中に膨らむが、マリツィアは構わずに続ける。
「はい。不出来な魔法使いゆえに記憶にも残っていないのは無理のないことだと思います。大変申し訳ございません。同じ国の者としてお詫び申し上げます」
「同じ国――」
ようやくアルムは思い出す。
確かにそう呼ばれていた魔法使いがいた。ミレルに行く前の滝の霊脈。そこで出会ったマキビともう一人、ナナと呼ばれていた闇属性の魔法使いの名を。
「お恥ずかしながら我が国は魔法使い不足でして……数字名を持つ者は本来密偵や暗殺、工作が役目なのです。無論、魔法使い相手の戦闘訓練も積ませておりますが、それも複数人で囲んでという数を利用したもの。だというのに……ミレルの一件では愚かにもたった一人で直接戦闘したと聞き及んでおります。さぞ歯応えが無かったことでしょう。
ですが、ご安心くださいませ! 私はそれなりに戦闘を任されている魔法使いでございますので、拍子抜けするような事は無いとお約束できるかと」
「まさか――」
「遅ればせながら、自己紹介をさせて頂きます」
ぞっとするような笑みをマリツィアは浮かべる。
今まで見た笑顔が作り物に見えたのは当然。その貼りついた笑顔こそがマリツィアにとっての仮面。
マリツィアはここで初めて、本当の笑顔を二人に向けていた。
「ダブラマ王家直属組織"ネヴァン"の第四位。王家より『蒐集家』の名を頂いている"マリツィア・リオネッタ"と申します」
それは偶然か。はたまた縁か。
それとも、マナリルで魔法使いを目指すのなら出会いは必然だったのかもしれない。
アルムも初めて出会う。
黒い仮面も、黒い外套も纏っていない――マナリルの敵国ダブラマの魔法使い。
「以後、お見知りおきを」
マリツィアの表情が作り物の笑顔に戻る。
自己紹介とともに拍手するのは止まっていた二つの死体。
丁寧な言葉遣いと所作の中に、本人の悪意を二人は垣間見た。
名前の響きが気に入ってます。