174.放埓のマレフィキウム
「当主継承式といい補佐貴族の動きといい……上手くいってよかったわ」
「……当主継承式を開いたのもお姉様の意志だったのですか……!」
玉座に座るグレイシャは笑う。
「ええ、そうよ。何故ミスティの在学中に当主継承式をやるのか疑問に持つ人間はいたにはいたでしょうけど……当主継承式をやる事には誰も疑問を持たなかった。
あなたなら、ミスティならいつ継承してもおかしくないと誰もが思っていたものね。ミスティの在学中にやる理由を探すにしても出来るのは予想まで……当然よね、早めの当主継承式の目的がただ人質を集める事だなんて想像できる人いないもの」
「補佐貴族の誰かが……私を狙っているというのも嘘ですね?」
ミスティはアルム達に心配させないようにと伝えていなかったが、自分でもすでにその情報は得ていた。その心配虚しく、スノラに来る道中にルクスとクオルカが偶然を装って合流してきた時にアルム達も知っているのだと察したが。
「ええ、勿論。そうすれば当主継承式の間、カエシウス家に近付こうなんて思う家はいなくなるでしょう? 下手に動いてこの家が犯人です、なんて言われたら大変だもの……それに補佐貴族達からすれば、黙ってるだけでミスティは狙われるんだから近いうちに犯人はわかる。自分の家は犯人じゃないんだからそれをただ静観していればいい。だから北部にいる補佐貴族にとっては動かないのが正解になるわ。
逆に……ベラルタに通う子供がいる補佐貴族は動く。実行犯を捕まえられるかもしれない立ち位置で他の家を出し抜くチャンスだから周囲の補佐貴族を探る探る。ふふ、まぁ、犯人なんていないのだけど。
念の為に二つほど情報を渡さない家を用意して、その片方にはカエシウス家を狙うそれっぽい理由をプレゼントすれば犯人役も完成するってわけ」
「……プレゼント?」
「補佐貴族から降ろすってお話をしてあげただけよ。ただそれだけ」
くすくすと笑うグレイシャ。
そのあまりの自然さにようやくミスティは自分の姉の邪悪さを実感する。壇上で座る女はもう姉ではなくマナリルの敵であると。
権力を持って他者のいる場所を粗雑にかき回す。上に立つ者がもっともやってはいけない事だ。いくら力を持とうとも正当な理由が無ければ他人の場所に触れる事など許されないというのに。
「お父様もご苦労様」
「っ!」
崩れ落ちているノルドはグレイシャの声で顔を覆った手を外す。
グレイシャを睨みつけるそれは娘に対する者では無かった。
「お父様……」
「あら、睨んじゃって……でも言葉には気を付けたほうがいいわよ? うっかり発動しちゃったら大変だから」
「この……!」
「うふふ、これはお父様が選んだ結果でもあるのよ? この国より、お母様が大切だったのでしょう? 泣かせるわ、両親の夫婦愛って」
「どういう……意味ですか……?」
ミスティは何も言えないノルドに視線を下ろした後、グレイシャのほうを向いた。
グレイシャはそんなミスティの様子を見て満足そうに笑ったまま。
「あらミスティ……あなたみたいないい子でも……どうやってお父様を従わせたかくらい想像がつくでしょう?」
「お母様を……お母様を人質にとったのですか……?」
ミスティは怒りで唇をわなわなと震わせていた。
信じられない。信じたくない。
寝たきりで臥せている母親を、実の母親を! 目の前の女は人質にしたというのか……!
「ええ、お父様を倒した後にね。"呪法"っていう魔法知ってる?」
「常世ノ国の――!」
「あら、やっぱ知ってるのね。お父様が逆らったり私達が何やっているかを喋ったり伝えたら……お母様にその代償がいくようにしてあるの。便利よね、これ」
まるで雑貨屋の新商品の使い心地を褒めるように軽く、グレイシャは自分の母親を人質にした事を語った。
呪法の代償とやらがどんなものかはミスティに実感は無い。しかし、ミレルでその魔法の影響を受けた敵の魔法使いをルクスとエルミラが心配していたのはミスティの記憶には新しい。少なくとも生半可な効力ではないはずだ。
そんなものを寝たきりの人間に使う。目の前の人間は本当に姉なのか? そんな疑問すら頭に浮かんできた。
「それで……お父様を縛ったのですか……? お母様はただでさえ動けないのに……」
「ええ……魔法がかけやすくて好都合だったわ。それに、"敵"の弱っている身内を人質にするなんて戦いでは定石でしょう?」
「あなたは……人間じゃない……!」
姉かどうかどころではない。目の前の女が人間かどうかすらミスティは疑った。
「悲しい? ミスティ?」
「何を……」
「苦しい? ミスティ?」
当たり前だと怒りのまま叫びたかった。
ミスティに問うグレイシャは恍惚とした表情を浮かべていて、ミスティが怒りを表出させればまた喜びのスパイスとなるだろう。
「こうして、あなたの姿を喜んでいるのが人間である何よりの証拠よ。あなたが悲しむほど、苦しむほど……私の悲しみと苦しみは消えていく」
それこそが人間の証であるグレイシャは語る。
自分らしく。美しく。
目の前の女がどんな人間なのか、この短時間で理解できるほどにグレイシャは悪辣だった。
「あら?」
「ひっ……」
今まで気付いていなかったかのように、グレイシャは壇上で腰を抜かしているアスタを一瞥して驚いた。
アスタは視線を向けられて手を必死に動かして後ずさる。
「あなたまだそこにいたの? とっとと死ぬか消えるかしなさいな」
「あ……あ……」
「それとも……お姉ちゃんに殺して欲しい?」
にこにことするグレイシャ。
かちかちと鳴る歯。止まらない。止まらない。
恐怖に振るえるアスタはついに自分の体をかろうじて動かしていた腕すら止めてしまう。
「立ちなさいアスタ!!」
そんなアスタに向けてもう一人の姉が声を上げる。
「恐くてもいいんです! 泣いたっていいんです! それでも、止まってはいけません!!」
「ミスティ……お姉様……」
「自分の足で立って行動しなさい! 出来ますね! アスタ!」
目の前で百人以上を氷漬けにした相手に恐がるなと、誰かが聞けば無茶を言っているようだった。
余裕がなく、突き放すようにも聞こえるその言葉はミスティ自身も奮い立たせていた。
怒りに震えて、恐怖に縛られてその場で立ち止まってはいけない。家族としての感情がぐしゃぐしゃに踏み荒らされる中、私達はそういう存在でなければならないのだと貴族の誇りがミスティにそう叫ばせる。
「は、はい!!」
だからこそ、アスタの恐怖を払う。
幸い、氷漬けと言っても何も無い場所に氷壁が現れるような状態ではない。アスタは立ち上がり、そのまま反転して袖の方へと走っていく。
「……追い掛けないのですか?」
ミスティの目は冷たく、暗い。
家族としての時間はもう終わったとその瞳は告げていた。
「あなたに背を向けるほど、私はあなたを甘く見てないわ。まぁ、でも……放っておくのは面白くないわね。それに、やる事も残っているし、次の段階に進みましょう」
グレイシャはミスティから目を逸らさないまま、胸元のブローチに手をあてた。
「通信用魔石の使用を解禁します。第一段階完了よ。羽虫は全て凍らせました」
「魔石……!」
グレイシャのブローチはマナリルでは手に入りにくい通信用の魔石だった。
予想はしていたが、通信用の魔石を使うという事は仲間がいるという事。問題は……その仲間が一体どこの人間であるか。
「マリツィア。契約金代わりの死体は気に入ってくれたかしら? 二体目はサービスよ」
『はい。ふくよかな方も手足が長い方も気に入りました』
魔石から聞こえてくるのは丁寧で高く、女性の綺麗な声だった。
「それはよかったわ。"身体汚染"は終わったのかしら?」
ミスティとグレイシャの視線が交差する。
二人の利害は今この時一致していた。
情報を出来るだけ喋らせたいミスティと仲間との連絡をとるグレイシャ。
ミスティは不意打ちのタイミングを図っている。すでに、その瞳はグレイシャを姉として見ていない。貴族として、敵の情報を集めている構えだった。
『はい、どちらも。楽しい時間でございました』
「そう……でもごめんなさい、マリツィア。あなたへの成功報酬が今逃げ出してしまったのよ。悪いけれど、自力で捕まえてくれる? ずっと泳がせていたから迷いなくあの地下通路から出てくると思うわ。あの子はきっと自分だけの秘密の通路みたいに思っているでしょうけれど」
『かしこまりました。自力で捕まえるのは構いませんが……大切な事をまだ聞いておりませんでしたので、ここでお聞かせください。殺す前に味見をしてもよろしいですか?』
「……どういう意味?」
『勿論、性的な意味でございます』
魔石から聞こえてくる声に仲間であるはずのグレイシャすら少し顏を顰めた。
「性的ってアスタはまだ……あなたそういう趣味だったのね。構わないわ。報酬なんだから好きにしなさいな」
『ありがとうございます』
「それと、フィチーノ。"ファルバス"」
『はい』
『はいよ姫様ー!』
次に魔石から聞こえてくるのは落ち着いた男の声と荒っぽい男の声。
果たしてグレイシャの仲間は何人いるのか。
「会場から抜け出した貴族がいたわ。オルリック家の長男と他数人」
「え?」
ミスティはグレイシャの言葉で会場を見渡す。
周囲の貴族と同じように氷漬けになってしまった。そう思考を完結させて考えないようにしていた友人達の姿を探す。
――確かにいない。会場に並ぶ氷像の中には見知ったルクス達の顔が無かったのだ。
本来なら、こんな事態になっている中で安心などしていいはずがない。そう思っていても、友人が巻き込まれていない事についミスティは顔が綻んだ。
「あなた達はとりあえず、私がミスティを殺すまで待機で構わないけれど……城に来る事があれば殺しなさいな」
『了解しました』
『かっかっか! 了解!』
グレイシャは当然のように、ルクス達の殺害を命ずる。
「『十三の氷柱』!」
瞬間、人間大の氷柱がミスティの周囲に出現し、グレイシャを襲った。
壇上に放たれた中位の攻撃魔法は壇上に降り注ぎ。
「まぁ……危ないじゃないミスティ」
「ええ、危なくしたつもりなので」
グレイシャは笑う。
不敵に。悪辣のままに。
姉のままの笑顔で。
ミスティは怒る。
寂静に。義憤に駆られて。
貴族の誇りを胸に。
ミスティの放った魔法は、この国で最も強い姉妹喧嘩の始まりの合図となった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第三部もようやく何が起こっていたのかがわかる部分まで書くことが出来ました。
ここから終盤に向かっていきます。是非お付き合いください。