172.開幕8
会場では今、ただ一つの一族だけが踊る事を許されていた。
聞き慣れない古典音楽を奏でる楽団。
中央に目を奪われる老若男女の貴族達。
そのどちらもが、彼らの為にいるようだった。
「おぉ……」
「ほう……」
「なんと……」
中央で踊るはノルド・トランス・カエシウスとパートナーになっているグレイシャ・トランス・カエシウス。
恍惚とする少年。
踊りの練度に感心する老人。
この世ならざるものを見出す紳士。
二人の踊りを見て周囲の男性達は言葉にならない声を漏らしている。誰もが二つ目の言を紡ぐのが難しい。このフロアにいる誰よりも優雅なグレイシャが男性の視線を虜にする。
自分達はノルドに招待された客人だとわかっていながらも、彼らの目にノルドの姿は入ってこなかった。それほどに、この場の主役であるグレイシャが目立っていたのだ。
楽団が奏でる静かな古典音楽とは一見合っていないかのようにダイナミックな動きとフロアの使い方をしながらも、曲の解釈を忘れない表現の抑揚。
型にはまらないながらも、そこには伝統的な文化に対する畏敬が残っており、技術と芸術のどちらをも理解しているからこそフロアで踊る彼女は自由だった。
目を逸らす少女からは嫉妬の声が上がるが、そんな負け惜しみを聞いている人間などどこにもいない。聞こえていなかったのはむしろ幸運と言えるだろう。そんな声が誰かの耳に入ってしまえば、理解できない人間としてその評価は地に落ちるに違いない。
「うふふ」
振り撒かれる笑顔はまさに指を咥えて見る事しか出来ない者達への慈悲。
かと思えば、曲の中盤では、それが表現だとわかっていながらもその心情を心配せざるを得ないような悲しみを抱く表情を見せる。
終盤では再び花のような笑顔へ。翻すロングスカートと一体となってクライマックスを演出する。
曲が止まり、ノルドとグレイシャの踊りも終わったその瞬間、周囲からは万雷の拍手が鳴り響いた。
周囲の貴族達に向かって優雅にお辞儀するグレイシャと真顔で手を振るノルド。
会場に響き渡る拍手を背に、グレイシャは壇上へと戻っていく。
舞踏会も中盤。グレイシャの次はミスティが踊りを披露する番だ。
「お、お見事でした……グレイシャお姉様……」
「あら、ありがとうアスタ」
ミスティとアスタも拍手で戻ってきたグレイシャを迎える。
「ミスティお姉様も頑張ってください」
「……ありがとう、アスタ」
しかし、当のミスティの意識は別にあった。
今までノルドが招いた貴族達と談笑していて機会が無かった。踊りに乗じて招待状を送った自分の友人アルムを門前払いした件についてを問い詰めようと息巻いたのである。
父の命令にしてはあまりに横暴。だからこそその真意を確かめるべく、ミスティは椅子から立ち上がるが。
「ミスティ、少し……お父様を気遣ってあげてくれるかしら?」
戻ってきたグレイシャがミスティに告げた。
「え?」
「お父様は他の貴族の前では滅多に表情を出さないから確証はないけれど、何か疲れているような気がするの。私だけ自由に踊っておいてあなたに頼むのもどうかと思うけど……」
「いえ、グレイシャお姉様がそういうのであれば……」
「悪いわねミスティ。数日前にも言っていたけど、本当に歳なのかもしれないわ」
「もう、失礼ですよお姉様……」
「うふふ」
短い会話を終えてグレイシャは椅子に戻る。
ミスティはそのままゆっくりとフロアのほうに歩いていった。
「おお……」
それだけでどこからか感動の声が漏れる。
中央でミスティを迎えるように手を広げているノルドの下まで行き、ミスティはノルドの手をとった。
「……!」
瞬間、楽団の指揮者が指揮棒で合図を送る。
曲が奏でられると同時に完璧なタイミングでまたミスティとノルドも踊り出す。
グレイシャが踊った後だからか、一層静かな立ち上がりに思える。
同じ曲を踊っているはずが、別の曲を聞かされているのではないかと思うほどにミスティの踊りは静謐だった。
曲の解釈は確かにある。グレイシャが曲全体を表現していたとはまた別の、曲に放り込まれた自分という人間の在り方を踊っているようだった。
「……」
「……」
誰だ生唾を飲み込んだのは。
そんな理由で首を斬られても文句は言えないほどに、ミスティが作る時間は美しかった。
楽団が奏でる音以外の音全てが邪魔だと思うほどに周囲の貴族達を見惚れている。
姉妹でありながらグレイシャとはまた違う。どちらも違う方向性を持った美。
中央で踊る少女は人の世が世ならば女神と崇められていてもおかしくはない。周囲の男性がそう思うほどに、ミスティという少女の在り方は悲しいほどに完璧だった。理解し得る人間はどこにもいなかったが。
「……お父様、何故あんな命令をしたのですか?」
中盤に差し掛かり、ミスティは抱えていた疑問を父に問う。
冷ややかで、小さな声。
奏でられた音楽に遮られて、周囲の貴族達には聞こえていない。
「……」
父――ノルドは無言だった。
ミスティの憤りを加速させる。
「答えてください、お父様」
グレイシャに気遣ってほしいと言われたが、どうしても我慢ができなかった。
普段の父からは考えにくいあまりに横暴な命令。
自分の父がマナリル一の貴族の当主であろうが、この疑問だけは黙ってやり過ごされるのは納得がいかない。
招待状を送ったのはベラルタ魔法学院に通い、心を許せる数少ない友人。その友人をあろう事か門前払いするなどと。
ミスティの首に揺れるはアルムから贈られた魔石の首飾り。ミスティの肌に触れて淡く輝きを見せている。
「……」
尚もノルドは無言のまま。
少し口を開きかけたが、そのまますぐに口を閉じる。
「お父様……お願いです。答えてくださいまし」
「……」
「わからないはずはないでしょう……何故平民だからと追い払ったのですか。私の友人を」
「……っ!」
今までほとんど変わらなかったノルドの表情が悲痛に歪む。
何故そんな表情をするのか、ミスティにはわからなかった。
「お父様」
「……」
ノルドは無言を貫く。
悲痛に歪んだ表情で。
「お父様……! 何故、何故答えて下さらないのです……!」
ミスティは問い掛けを続ける。
悲しみを声に載せて。
魔石の首飾りは光を灯したまま、ミスティの胸元で揺れる。
「何か、何か事情がおありだったのではないですか?」
「……!!」
「お願いです、お父様……私に、私に……お父様を尊敬させたままでいさせてくださいませ……!」
すでにそれは失望からの追及では無く、縋るような願いだった。
歴代に才能が劣ると言われながらも、カエシウス家の権威を落とさず、妻であるセルレアが床に臥せてもなお、決してその名に恥じぬようにと当主を努めた貴族の鑑。
そんな父が平民だからなどという理由で……自分が招待した友人を追い出すような狭量な人間ではないのだと信じたかった。
自分の父は偉大な人。そうで在ってほしいという子の願い。
「ミスティ……」
ついに、ノルドが口を開く。
ようやく口を開いてくれたノルドに期待するように、ミスティは父の顔を見上げた。
演奏も終盤。見惚れる周囲の貴族も、美しい少女が飾るクライマックスを期待している。
「すまない……ミスティ……!」
「……え?」
しかし――父は震える声で謝罪をするだけだった。
次の瞬間、舞踏会場に災厄が響き渡る。
「【白姫降臨】」
それはどんな音、どんな声よりも響き渡る悠久の唄。
重なる声が命を閉ざし、世界の顕現は瞬きすら許さず。
積み重なった千年の歴史が今――現実を蹂躙する。
いつも読んでくださってありがとうございます。
相変わらず長いお話ですが、是非最後までお付き合い頂けると幸いです。
感想も頂く度に嬉しくて仕方ありません。ありがとうございます。
明日で一区切りとなります。
一区切り恒例の短めの幕間も更新しますので明日は二本です。