170.開幕6
次期当主候補である三人の登場も終わり、舞踏会は再開した。
舞踏会の予定は楽団の奏でている音楽の変化で進行する。しばらくすれば曲が変わり、現当主であるノルドがまず娘であるグレイシャとミスティと踊り、その後ミスティがアスタと踊る予定だ。それが終わった後にようやく、食い入るように壇上を見つめる客人達は三人を自由にダンスに誘えるようになる。
壇上を見つめるパートナーのいない男性のほとんどが早く今流れる演奏が終われと祈っていた。一部の令嬢達も将来有望なアスタを狙っている。
「ミスティ、どうしたの? 視線が忙しいようだけど?」
舞踏会が再開されても広間の客人達を見渡し続けているミスティに気付き、グレイシャが声をかける。
「その、友人が一人いないようでして……」
「お友達? 招待状を送った?」
「はい……他の方はいらっしゃるのですが……」
「もしかしたら……門前払いされたっていう平民かしら?」
「――え?」
ミスティは信じられないといった表情でグレイシャのほうに首を向ける。グレイシャも視線だけをミスティに送っている。
至高の美を持つ姉妹の雑談は客人達には聞こえないが、その様子だけで一枚の絵画になり得る光景だった。
「門前払いされた……ですか?」
「ええ、さっき使用人の子達が噂していたのを聞いたわ。招待状を持っていたのに断らなくちゃいけなくて可哀想だったって。なんでも直前にお父様が招待客のリストを見て弾いたみたい。ほら、ここって元謁見の間じゃない? 平民は入っちゃいけないって事なんじゃないかしら」
「お父……様が……」
「まぁ、可哀想だけど仕方ないわね。お父様からの命令なら断るわけにもいかないし」
現当主であるノルドの命令は北部において絶対だ。
カエシウス家の補佐貴族もそうだが、それは当然トランス城で働く使用人達にもあてはまる。門前払いをした使用人を責めようとは思わない。
しかし、そんな命令を父親が下した事にはショックを隠し切れなかった。
舞踏会の会場が元謁見の間だったという理由であればあまりにひどい。
カエシウス家はとっくの昔に王族ではなく、謁見の間に平民が入れないなどという決まりはもう守られていない。この会場を準備したのも平民である使用人のはずだ。
公式な場では伝統に沿うという意味としても、招待状を送った相手を断る必要があるのかとミスティは少し憤る。
自分の貴族としての形を作ってくれた片割れである父親がそんな時代錯誤な事をするのかと。
「アルム……」
同時に、心の内で謝罪した。
招待したにも関わらず門前払いされるなど、アルムからすれば理不尽すぎる出来事だ。
……傷つけただろうか。
ここにいない友人の心中を思いながら顔を俯かせた。
次会えた時には目一杯謝ろうと心に決めて。
「ミスティ、がっかりしてるー……」
「……やっぱりミスティは知らなかったのかしら」
「みたいだね……」
周囲の貴族が見惚れる中、ミスティの様子を見てルクス達三人はミスティの様子を心配していた。
ミスティはアルムに招待状を送った張本人。ある意味一番責任を感じているに違いない。
「なら……」
ルクスは広間で貼り付けた笑顔のまま談笑するノルドのほうに目をやる。
「え、エルミラ」
「あらネロエラ。警戒はいいの?」
後ろからネロエラが扇で口元を隠しながら、とんとんとエルミラの背中をつついてきた。
きょろきょろと誰かを探している、誰をなんて事はわかりきっていた。
「あ、ああ……それより、あ、アルムは?」
「ああ、あんたら先に会場に入っちゃったもんね。アルムは入れなかったのよ」
「は、入れなかった? しょ、招待状を紛失したのか?」
「違うわ。平民はここに入っちゃいけないみたいな事言われて門前払いよ」
「そ、そんな馬鹿な事が……ノルド様が平民差別をするとは思えないが……」
驚くネロエラを見てエルミラも眉を顰める。
「……やっぱあなたもそう思うの?」
「と、当然だ。招待状を送った相手を門前払いなど許されるはずがない……いくらカエシウス家でも横暴だ。そ、それに会場は最初からここと決まってるんだ……入れないなら招待状を送る時点で何故弾かない?」
「それもそうよね……ノルド様は普段から平民差別してるわけじゃないのね?」
「あ、ああ……むしろ平民優先のお方だ。スノラの町が経済的に潤っているのは見てわかるだろう? 税だって決して高くない」
「て事は……何か考えがあったのかしらね……」
どんな意図があるのかはわからない。しかし、補佐貴族のネロエラもしておかしいと思うという事は何か意味があったかくらいは想像がついた。
舞踏会自体は滞りなく進行している。平民が混じって何か不都合な事があったのだろうか。
考えている間にルクスが腕に乗っていたエルミラの手を優しく外す。
「……三人とも少し行ってくるね」
「どこ行くのよ?」
「さっき言ったろう? 一言言わなきゃ気が済まないって。一言言ってくるとするよ」
「そう、わかった」
ルクスはそう言い残して貴族に囲まれているクオルカのほうへと向かった。
「ネロエラ、フロリアは?」
「い、今は中央で父親と踊ってる。フロアは人混みも少ないミスティ様を一番観察しやすい場所でもあるからな」
エルミラは中央に目をやる。
確かにフロリアは壇上のほうを注視しながら踊っているようだった。
「ミスティを見ていてくれるなら都合がいいわ。ベネッタ、もう少し食いしん坊の振りしてて。向こうのテーブルに行こうとする振りして移動するわ。今のうちに盗み聞きくらいしておきましょ。私も何でアルムが門前払いされたかくらいは知りたいし」
「それは確かに気になるねー」
エルミラが二人と盗み聞きの準備をする中、ルクスは繋がりを作ろうと必死な貴族に囲まれている父親の元に移動する。
「父上、お願いします」
「わかった。……申し訳ない、息子が他に挨拶したいと言っているのでね。少しばかり失礼するよ」
ルクス一人ではノルドにてきとうにあしらわれてしまうかもしれない。アルムが門前払いされた後、すでにルクスはノルドに話を聞く為に父クオルカに協力を取り付けていた。当然息子の頼みをクオルカが断るはずもない。
オルリック家の当主である父親と一緒に訪れれば嫌でも会話せざるをえまいとルクスはノルドのほうに一直線に歩いていく。
「ノルド殿」
他の貴族との話を遮ってクオルカがノルドに声を掛けた。
オルリック家の当主とあれば今話していた貴族も下がらざるを得ない。クオルカは下がってくれた貴族に謝罪してノルドと向き合う。
「おお、これはクオルカ殿。先程は短い挨拶で申し訳なかった」
「いえいえ、ノルド殿の大忙しさは十分に理解しています。何やらお顔も優れないようですな?」
「今日の日の為に色々と多忙でして……もう若いようにはいかんですな」
「ははは! ノルド殿ともあろう方がご冗談を。先程はうちのルクスを紹介していませんでしたからな、改めてご挨拶に参りました」
父に紹介されてルクスは前に出る。
挨拶とは名ばかりの世間話を振る権利をルクスは父の協力で手に入れる。
「お久しぶりです。ノルド様」
「ああ、久しぶりだなルクスくん。大きくなった」
「お陰様で。以前はノルド様とお話も出来ない小童でしたが、今ではミスティ殿と同じ学院に身を置いて友人としてお付き合いさせて頂いております」
「そ、そうかそうか……ルクスくんのような将来有望な魔法使いと競えるとは娘にとっても……いい環境だろう」
「……?」
ミスティの名前を出した途端に影が落ちたような気がした。
表面上は何も変わっていないように見えるが、子供の頃から貴族達の御機嫌伺を見続けたルクスの経験がノルドの異変を察知する。
しかし……予想していたような反応とは何処か違う。ルクスはもう少し世間話を挟む予定だったが、他の貴族が待っている事を理由に話を打ち切られる可能性を考えて早々に本題に入る。
「学院といえば……ノルド様は今年入ってきた平民の事をご存知ですか?」
平民と聞いてノルドは目を微かに見開かせる。
心なしか――その表情が明るくなったような気がした。
「平民……ああ、噂には聞いているな」
「ええ、実はというと私とミスティ殿はその噂の平民とも友人関係にありまして……これが素晴らしい友人なのです。彼には幾度も助けられ、今日に至るまでよき関係を築いています」
「何? ルクス、平民と友人関係だというのか?」
その話題に突っかかったのは話題を振られたノルドではなく、後ろで息子を見守るクオルカだった。
勿論、これはルクスとの打ち合わせ通りだった。平民と友人である事に少し難色を示してくれと。
何せ、すでに先程クオルカはアルムと対面している。そんな事は初耳だと言わんばかりのクオルカの演技力は劇団員顔負けだ。
「ふむ、ルクス……友人が増えるのはいい事だが……平民だというのならお前のような貴族が付き合うに相応しいとは……」
「父上は僕に相応しいかを会ってもないのに決められるのですか?」
「む……」
クオルカはわざとらしく髭を撫で、息子に諫められた父親を演出する。
「……そうだな。確かにそうだ。元よりルクスの交友関係に親の私がとやかく言うのもおかしな話。ましてや平民だからという理由などではな。お前を正しく誇り高い貴族の道から外すような輩で無ければ歓迎だ。今度うちにも招待するといい」
「わかってくれて何よりです、お父様」
あまりにわかりやすいクオルカの手の平返し。
ノルドも意図的に話の流れが作られている事はすぐにわかった。
ゆえに、次に放つルクスの言葉もしっかりと意味が伝わる。
「……随分親しい友人のようだな」
「はい、この場で共にミスティ殿を祝えないのが残念でなりません」
「……」
「……」
無言は実際には短い時間だった。
しかし、一瞬流れたひりついた空気が周囲の貴族に生唾を飲み込ませる。
「おー、こわ……」
会話を傍のテーブルで聞いていたエルミラも体を震わせていた。予想以上に熱くなっているルクスにひやひやする。
「何がー?」
「アルムを入れないって決めたのはミスティのお父さんでしょ? だったらあれ明らかに喧嘩売ってるじゃない。娘の友人を門前払いするってお前融通利かないな、って意味でしょあれ」
「なるほどー……ルクスくん意外に言うねー……」
「オルリック家じゃなかったらあんな事言えないわよ……流石四大貴族」
「の、ノルド様相手にすごいな」
エルミラはそんなルクスの言葉を受けたノルドの様子をちらっと窺う。
立場を考えれば怒りのまま声を荒げるなんて事はしないだろうが、プライドを刺激されてどんな言動が飛び出すかと聞き耳を立てる。
しかし――ノルドの声はルクス達の予想を裏切る声色だった。
「その平民の友人は……ここに入れなかったのかな?」
「……? ええ、そうですが……?」
何だその質問は?
どういう意図の質問かわからずルクスは少し困惑する。
「そうか……ならいい……ならいいんだ……」
「……?」
ノルドの反応が予想と違う。
表面を取り繕って言葉で静かにやり返されるか、適当に話を切って無視されるか、アルムを門前払いさせた何らかの理由を語るか、ここが元謁見の間だからと理由を濁すか。
ノルドがどんな返しをしてくるか予想していた数パターンのどれでもない。当然ルクスが求めていたのは門前払いした理由を教えて貰えるパターンだったが、そうでなかったにしてもノルドの様子がどうにも不可解だった。
一体どういう意味なのか?
何故そんなにもほっとしたような顔をしている?
何故平民が――アルムがここに入れなかった事に安心している?
「ああ、すまない。久しぶりにもう少し話していたいが……他の方にも挨拶しなくてはいけないものでね、失礼するよ。引き続き舞踏会を楽しんでくれたまえ」
「……はい」
「ええ、こんな立派な舞踏会ですからな。楽しませて頂きます」
もう周囲の声は聞こえてなかった。
ノルドが去った後もルクスはその場に立ち尽くす。そんなルクスにクオルカは手に持ったワイングラスの中身を空にしながら肩をポンと叩いた。
「ふむ……お前の言いたい事は言えたようだが……思ったような反応では無かったな」
「はい……申し訳ありません父上、自分の子供じみた我が儘に付き合って頂いて」
「構わぬよ。物事に疑問を感じ、正しさを見つけようとするのはよいことだ。息子が真っ直ぐに育ってくれたと感じられた。例え真っ直ぐ育った先にカエシウス家のような力を持った者がいても自分を貫ける事を今お前は示したのだ。私は今日それがわかったのが何より嬉しい」
「ありがとうございます」
「しかし……結局アルムくんを会場に入れなかった理由は聞けなかったな……私もノルド殿がそんな古い形式にこだわる人間ではないと思っていた。何か理由を語るものかと思っていたがだんまりか……」
「そうですね……」
今の引っ掛かる会話は何だったのだろうか。ルクスには意味が無かったとは思えない。
ルクスは私情だけでノルドを挑発したわけではない。同じ四大貴族とはいえ、自分のような学生が分不相応な物言いをすれば何らかの言葉を引き出せると考えたからだ。その反応でノルドの意図を見極めるつもりだった。
それがどうだろうか。ノルドの様子はルクスの失礼とも言える物言いがまるでそれどころではないように、自分で門前払いしたはずのアルムがどうなったかを確認してきた。
会話していたはずなのに、どこか見ている場所がかけ離れた所にあるような反応。
最後の会話は意図が噛み合っていない、互いに何か別の話をしていたようにも思えた。
「待てよ……?」
安心した?
「……っ」
ここにいない事に?
「ま……さか……!」
ルクスは目を見開き、ノルドのほうに首を勢いよく向けた。
「!!」
ルクスは見た。
先程、クオルカが無理矢理話を切り上げさせた貴族と談笑を再開させながら――こちらに一瞬視線を送ったノルドの目を。
「――!!」
瞬間、前提の狂った単純な構図がルクスの脳内で出来上がる。
それは推測の入り混じった歪で考えすぎともいえる今起きている出来事の完成図。
しかし、その歪な推測はノルドとの会話と直後に合った視線が確信へと引き上げた。
「父上、ここを任せてもいいですか……!」
「……よかろう」
「すいません、父上……!」
ルクスの様子が変わった事に気付くクオルカは何かを察して周囲を睨む。
そして壁際にいるパートナーのいない女性を誘うと、中央のフロアに躍り出た。
オルリック家の当主が見ず知らずの令嬢と踊る事で注目を集め――少しでも息子が動きやすくなるように。
「みんな」
「うわ、おかえり」
ルクスはできる限り小声で話す。ルクスはエルミラの手を引っ張り、無理矢理自分の腕に乗せる。
「ちょ、ちょっと……どうしたのよ?」
「エルミラ、ベネッタ。僕と一緒に会場を出てくれ」
「え?」
「いいけどー……何か……」
聞くまでも無く、ルクスの表情が事態の重さを伝えてくる。
エルミラとベネッタは顔を合わせて頷いた。
「ネロエラは今踊ってるフロリアを連れて一緒に外に出てきてくれ。出来るだけ自然にだ」
ネロエラは慌てて扇を広げて口を隠しながら答える。
「ど、どうしたんだ?」
「感知系の魔法が飛び交ってるここで話していい話題かわからない。頼む、急いでくれ……もしかしたら思ったよりまずい状況かもしれない」
「わ、わかった……!」
ネロエラもまたルクスの様子から何か深刻な気配を察知したのか、ゆっくりとルクス達から離れてフロリアの踊ってるフロアのほうへと移動する。
「まさか……! まさか……!」
ルクスの頭の中で組みあがった一つの予想。
これが正しかったとしたら自分は――いや、今日に至るまで全員がとんでもない思い違いをしていたことになる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日は更新できそうにないです。申し訳ありません!