169.開幕5
「そ、そそ、それにしても人が多いわね」
「顔赤いままだー」
「大丈夫かい? エルミラ?」
誰のせいだと思ってるのよ、とツッコみたかったが、場が場なだけに流石のエルミラも自分を宥めながら話を続ける。
「いたっ!」
とりあえず、楽しそうにからかってきたベネッタはドレスの上から蹴っておいたが。
「ていうか、あんた今日何でそんな食べてるのよ?」
「……だってアルムくんが楽しんできてーって言ったから」
「うん?」
「ここにある料理全部制覇してアルムくんに教えてあげないと……こんなのがあって、これが美味しかったよーって……それで、次は絶対一緒に食べようねって教えてあげないと可哀想だもん」
「……そう。そうね」
平気そうな顔をしているベネッタも思う所はあるらしく、変な使命感に駆られている。
本当にテーブルに置かれた料理を制覇するつもりなのか、ベネッタは並べられている料理を一口ずつ食べてその料理を舌に覚え込ませるように味わっていた。
遠目からそれに気付いている貴族から卑しいな、などという悪口が聞こえたが、ベネッタがそれに耳を貸すことは無い。
「でも落ち着いてるのは流石ね。私こういうとこ初めてだから正直落ち着かないわ。誰がどの家かもわからないし」
「こんな大きいパーティ、ボクも初めてだからわからないよー」
「エルミラってこういう場に来た事無いのかい?」
「ええ、なにせ没落ですから」
「そうだね、ここがどんな場か簡単に説明すると……」
自嘲気味に笑うエルミラの横でルクスは広間の中央に目を向ける。
開場からすぐにオープニングは終わっており、広間の中央に意図的に作られたスペースでは今回の舞踏会の参加者が静かな音楽に合わせて踊っている。その技量に違いこそあるものの、この場にいる全員がしっかりとダンスを教養として習得している者ばかりだ。練習していたアルムのようにパートナーの足を踏む人間などいるはずもない。
この場に連れ添ったパートナーや、この場で誘ったパートナーとともに踊って主役が現れるまでの一時を楽しんでいた。
「今中央で踊ってる誰かが感知系の魔法を使ってるね。顔は分からないけど、カエシウス家の補佐貴族かな」
だが、ただ楽しむだけとならないのが貴族の社交界。
すでに魔法が行使されている事をルクスは看破する。
「え? わかるの?」
「同じ属性だと少しね。雷属性の感知魔法だ。会場全体の会話を拾うのは流石に無理だろうから特定の人の会話を拾ってるんじゃないかな」
大方、丁度今壇上の方に戻っていったノルドか自分の親クオルカだろうとルクスは推測する。この貴族達の中でも圧倒的にその口から語られる情報の価値が違う。
「雷属性だけで二人くらいはいるかな。一つの属性でこれだから他の属性の感知魔法も使われてると思うよ」
「あ、先輩もいるねー」
「先輩?」
ベネッタが目をやった先には鮮やかな赤い長髪を靡かせながら踊る長身の男性がいた。踊っている姿が他に比べて優雅で、素人目に見てもダンスが得意である事が窺える。パートナーの女性も歳は召しているものの綺麗な女性だった。
「うん、トラスメギア家の"スヴァイン"先輩。学院じゃ一度しか見たこと無いけどー……パートナーの女の人はトラスメギア家の現当主だね」
「へぇ……」
「チンオン家の"ハオ"もいるね」
ルクスは中央でこじんまりとした踊りを見せているペアに目をやる。
男性の方はルクス達の一個上とは思えないほどに威厳ある顔つきで、険しい表情のままフロアの周囲で談笑する貴族達をちらちらと窺っていた。パートナーの女性は少し幼く、慣れていないのかダンスも少したどたどしい。
「他のペアが広間を大きく使ってる中、あのペアだけ頑なに中央を陣取ってる……感知魔法を使ってるのはあの人かな」
「やっぱそういうのが入り乱れるのね……」
「まぁ、そういう場でもあるって事さ。不用意な発言をしなければ楽しい所だよ。本当に」
そうは言ったものの、ルクスは少しだけピリピリとした空気を感じ取っていた。
この会場で魔法を使っているのは情報収集もそうだが、ミスティを狙う魔法使いを特定しようという意味もあると考えるのが自然だ。感知魔法を使っている魔法使いの中に北部の補佐貴族の誰かがいる事は間違いない。
会場で網を張っているという事はどの補佐貴族もミスティの家を狙う家を特定できていないと見ていい。実行しようとした瞬間を捕まえてカエシウス家に恩を売りたいのだろう。
とはいえ、複数の感知魔法がある中、ミスティを暗殺するのは難しい。できるとすれば殺傷力の高い魔法を使って一瞬で命を奪うくらいだが、ミスティ相手にそんな事が出来る使い手が果たしてこの中にいるかと言われると首を傾げる。できるとすればヴァンのような風属性のエキスパートだろうか。
例え出来たとしてもその魔法の使い手と家は間違いなくマナリルに居場所が無くなる。自分の血筋が根絶やしにされてもミスティを暗殺するメリットがあるとは思えない。
"やはり考えすぎか……?"
そもそも補佐貴族がミスティを狙う理由があるとすればカエシウス家の弱体化による相対的な立場の上昇くらいなもの。こんな衆人環視の中でミスティを殺そうとすればその立場どころの話では無くなる。
間違いなく、すでに秘密裏にミスティを殺せるタイミングは無くなった。
やはりトランス城に着いた時点で諦めたと考える方が自然だろうか。道中の襲撃が無かったのもオルリック家が護衛に付いた事で諦めたと考えれば辻褄は合う。
しかし――どうにもあっさりしすぎている結末と、胸に残る不安がルクスに警戒を解かせてくれない。
「あれ? 終わり?」
楽団が奏でていた曲が終わると今広間で踊っていた貴族達が何かを察したのか周囲にはける。
そして少し間を置いたかと思うと、演奏を終えた楽団は再びその音色を奏で始めた。同時に、会場の魔石の照明が壇上を照らす。
「違うよ。さっきノルド様が壇上のほうに行ってただろう? 主役の登場ってことさ」
聞き慣れない古典音楽とともにまずはノルドとグレイシャが壇上に姿を現した。
壇上に向けられる貴族達の拍手の音が広間を埋め尽くす
魔石の照明に照らされるグレイシャの美はまさに魔性だった。清らかさを感じさせる白いドレスを着こなしながらも着ている人間の向ける微笑みは妖艶さが入り混じり、悉く男達に情欲を駆り立てる。
この場にいる貴族のほとんどがグレイシャが当主になる事はないだろうと予測している。グレイシャは悪い言い方をすれば後継に選ばれなかった敗北者だ。蔑むような声が一つや二つ聞こえてきてもいいくらいだが、その優雅な所作と本人の美しさがそんな声も出させないほどに捻じ伏せる。
「白いドレスとは珍しいですな……」
「ええ、ですがよく似合っておいでだ……」
やはりこういった場に慣れている貴族達にはグレイシャが白いドレスを着る事に違和感を持つ者もいた。
しかし、そんな事はどうでもいいと拍手の音は続く。
壁際に立っていた令嬢達の嫉妬の声もその拍手に全てがかき消されていた。例え聞こえていたとしても、その声は負け惜しみとして嘲笑われるだろう。
壇上に用意された椅子に座る際にはドレスの裾から足首がほんの少しだけ見え、誰かがおお、と堪え切れぬ声を漏らしていた。
一挙一動の美しさから見られる育ちの良さとは裏腹に、壇上に注目する客人に軽く手を振る形式だけにとらわれない様がまた心を掴んでいた。
「ふわー……ミスティのお姉さんめっちゃ美人ー……」
「まぁ、ミスティがあれだけ綺麗だから家族も当然美形よね……アスタも美男子だったし」
「次はミスティ殿かな」
再び曲が変わった。
同時に、ミスティとエスコートするアスタの姿が壇上に現れた。アスタはガチガチに緊張しているものの、何とか歩を進めているも誰もそれを見ている者はいない。
拍手の音が少しだけ小さくなった。しかしそれは決して二人の登場を快く思わなかったからではない。
誰かが評した。彼女は完成されている。
グレイシャのように理由付けされた魅力とはまた違う根源的なもの。
体つきで言えばグレイシャのほうが勝る。情欲を駆り立てるのはむしろグレイシャのほうだろう。
しかし、それとは違う――欲とはかけ離れた侵し難い美がそこにはある。
幼さを残す輪郭かと思えば、落ち着いた表情が少女を大人びて見せる。後ろに流れる白銀の髪は少女の純潔さを表しているようだった。
それはいわば理想の少女。
見た者は嫌でも装飾の少ないシンプルなドレスの意味を知る。邪魔なのだ。彼女の完成された美しさを鑑賞するには最低限の衣装でいいのだと。
ミスティもまた壇上に用意された椅子に腰掛ける。その間、広間のほうからは嫉妬の声すら上がらなかった。
「ありがとう、アスタ」
「は、はい……!」
アスタは無事ミスティを壇上の椅子までエスコートすると、ぎこちない動きを見せて自分の座る椅子に歩いていく。
エスコートしていた弟を気遣う様子を壇上で見て、ようやく少女が人間なのだと実感した。
どこからか安心したようなほっとした声が聞こえる。
「……」
当の本人はそんな視線を気にすることはない。気がかりなのは一つだけだった。
ミスティは壇上を見ている客人達を見渡してルクス達を見つける。
友人達が来てくれた事に顔を綻ばせかけるも、すぐに異変に気付いた。
"アルムがいらっしゃらない……?"
不審に思われない程度に改めて会場を見渡してみるものの、アルムらしき人物はどこにも見えない。
「歓迎をありがとう。我が子も揃った……引き続き、今日という日を楽しんでくれたまえ」
ノルドの声と合図で楽団は再び音楽を奏で始める。
ミスティの疑問は拭えぬまま、舞踏会は再び再開した。
もう少しです。