168.開幕4
トランス城の元謁見の間ではすでに多くの貴族達が集まっていた。
かつてラフマーヌが誇った芸術的な花の装飾が施される広間は一目垣間見るだけで価値あるものといえよう。広間の奥にはかつて王族だったカエシウス家が鎮座していたであろう壇上があり、そこには四つの椅子が並べられ、そのさらに奥にはもう誰も座ることの無い玉座がそのまま残されている。
壇上の横では招かれた楽団が静かな演奏を奏でており、広間の端ではテーブルの上に見事な料理が並べられている。
四大貴族や王族が主催したものでなければ大勢の貴族が集まる機会は意外に少ない。これは好機と言わんばかりに、華やかな格好をした貴族達は普段関わりの無い貴族とのパイプを作ったり、自分達の事業の敵になり得る家を見つけて表面的な会話に精を出す。
家の歴史や伝統を武器にしてドロドロとした内容の話をしているも、魔法使いとして優れれば優れるほど、そういった小細工からは程遠くなる傾向が強い。マナリルは国同士の争いは表面化していないものの未だ隣国との小競り合いが続く国。魔法の腕前というのはやはり貴族にとってのステータスであり、家の歴史が安定している証明。魔法使いとして優れると言うのはそれだけで支援の理由足り得るのだ。
「トランス城へようこそ。是非楽しんでいってくれたまえ」
必然、人が集まるのはカエシウス家の当主であるノルドと。
「ははは、是非一度拝見したいものですな」
カエシウス家を除けばこの場で圧倒的に格が高いオルリック家の当主であるクオルカに人が集まる。どちらともワイングラスを片手に群がる貴族の波を捌いているのは流石の器と言ったところか。群がる貴族達の一人一人が話す時間を伸ばそうと遠回しな話の運び方をしようとするが、二人によって切りよく話を終わらされ、また次の貴族が同じようにあしらわれるといった繰り返しだ。
「ルクス様……相変わらずお美しいわ……」
「凛々しい横顔……」
「普段の穏やかな表情もいいですけど、今日のようなお顔も素敵……」
息子であるルクス・オルリックも例外ではない。
壁際に並ぶパートナーが決まっていない貴族の令嬢達の視線はルクスのほうへと集まっている。ただでさえルクスは絵にかいたような美男子な上にオルリック家の長男とあれば当然と言える。
しかし、今日彼女達から上がるのは黄色い声ばかりではない。
「それが何で今日に限ってパートナーをお連れなのかしら?」
「何なんでしょうあの女……見かけない顔ですが……」
「死んでほしいですわ」
「むしろ今すぐ死ね」
その隣にはすでにパートナーとなる赤いドレスの少女がいたからだった。
先程ルクスに向けられていた黄色い声と同じ口から出たとは思えないほどに汚らしい言葉が令嬢達から漏れ出す。
そんな声は楽団の演奏と大勢いる貴族達の会話に阻まれてルクスの所にまで届くはずはないのだが、ルクスの隣の少女――今宵ルクスのパートナーとして入場したエルミラ・ロードピスは身震いした。
「……滅茶苦茶に視線が痛いわ」
「どこがー?」
「全身が。今なら刃物投げられても気付かないかも」
「刺さったら治してあげるよー?」
「……そりゃどうも」
エルミラの隣でベネッタはお腹が空いているのか、料理を口に運ぶ。
普段はそんな雰囲気をさせないが、やはりベネッタも貴族。こういう場は慣れているようで落ち着いている。ロードピス家は没落していてエルミラはこういった場は不慣れだ。
だが、自分の隣にいるパートナーの険しい顔を見るとおちおち緊張もしていられなかった。
「いい加減、機嫌治しなさいよルクス……」
「無理かな」
「顔恐いわよ?」
「慣れてくれ」
「もう……」
普段冷静で穏やかな友人は明らかに、先程アルムが門前払いをされた事に対して怒っていて険しい表情のままだった。
初対面の時に聞かされた彼の信条をエルミラは覚えている。
ルクスという人物は、その場に立つに相応しくない人間がその場に立つのを嫌う。逆に、その場に立つに相応しい人物がその場に立っている事に最大限の敬意を払う。それが家柄を持って生まれた貴族として、自分が最もすべき事だと信じているからだ。
だからこそ、アルムが門前払いされた事が許せない。ここに立つに相応しい人間なのだとルクスは知っている。ここにいる有象無象の貴族達の誰もが彼を蔑む権利は無いのだと。
平民が謁見の間に入れないというのはルクスも知っている。王の威光を保つ為にと遥か昔に作られた決まりだ。
しかし、この場にいるのはもう王ではない。言ってしまえば、この場はすでに謁見の間ですらない。カエシウス家という貴族に招待された客人のはずだ。
ならば、アルムがここにいられない理由など一つも無い。無いはずなのに、彼はいない。
ルクスはカエシウス家の当主ノルドに失望すらしていた。
「ねぇ、ルクス。アルムは楽しんでくれって言ったのよ? だったら私達は予定通り楽しまないと……アルムの気遣いが無駄になるわ」
「それは……そうなんだが……」
ルクスの表情の険しさは薄れ、少し難しい表情へと変わる。確かにアルムは楽しんでくれと言い残していた。
「気持ちはわかるわ。私だって怒ってる。でもだからこそアルムの気持ちは汲み取らなきゃ。今日はミスティの事を祝う場でもあるんだからアルムに代わって私達が目一杯楽しんで祝福しなきゃいけないでしょ? 違う?」
「……そうだね、君の言う通りだ」
「それでも納得できないって顔ね」
「まぁ、頭では君の言う通りだと思ってはいるんだが……割り切れなくてね」
ルクスはふー、っと自分を落ち着かせるように息を吐く。
「アルムのした事は公表されてない。それどころか、一部の人間にしか知られていない。【原初の巨神】の時も大百足の時も……マナリルにとっても異常な事態が続いたから、混乱を避ける為の情報操作とアルム自身の自由を守る為に学院長とヴァン先生がよかれと思ってやってくれているのも理解している。必要な事だ、僕だってわかってる。それに……国全体に不安をばらまくなんてあってはならない。王族にとっても貴族にとっても国の安定こそ最優先だから納得はしてないけど仕方ないとは思ってる」
「うん」
「まだ彼はこの世界に認められていない。認められてもいいはずなのに……こちらの世界の都合で彼の活躍は日の目を浴びないんだ」
「……うん」
「だからせめて、せめて楽しんで欲しかったんだ……確かにミスティ殿が言っていたようにここは華々しいだけの世界じゃない。この場は貴族達の歪んだ談笑の場という側面はある。けど、音楽に耳を傾けて、ただ踊って、用意された料理に舌鼓を打つ。学院にはいない同年代の人達との出会いだってあって……そんな、そんな華やかな側面だってあるんだ。僕達の世界は決して汚いだけじゃないって……知って欲しかった……」
自己満足だね、とルクスは笑う。
言いたい事を吐き出して少し楽になったのか、先程よりも表情の険しさは薄れていた。
「これからいくらでも知ってもらう機会はあるわよ。あなたの当主継承式の時とかね」
「……流石にここまで豪華な場所は無いよ。この場に比べたら小さなパーティさ」
「あいつは気にしないでしょ。それに……きっとあなたを祝う事を一番に考えるわよ」
「はは、確かにそうだね……ありがとう、エルミラ。少しだけ落ち着いた」
微笑んで、隣に立っているエルミラにルクスは礼を言う。
エルミラは変わらぬ笑顔で笑い返した。
「何言ってんの。こんくらいいつでもやってあげるわよ」
「とはいっても、一言くらいはノルド様に言ってやりたいな」
「ルクスって意外に頑固よね……ま、いいんじゃない?」
これには呆れてエルミラも苦笑い。
しかし、それに関してはエルミラも止める気は無い。エルミラが言いたかったのはアルムの気遣いを汲んでやろうという点だけで、ルクスの生き方を否定したかったわけではない。
「でも……とりあえずお礼がてら今できる反抗を一つだけしようかな」
「反抗? 何言って――」
ルクスはエルミラが何か言う前に、自分の腕に軽く乗っているエルミラの手をとって手の甲にキスをした。
わざと、壁際にいる令嬢たちに見えるような角度で。
「おー!」
「な、ななななな……!」
「さっきから少しやかましかったからね。関係を邪推させたほうが君の事を調べるだろうし、そうすればロードピス家の名前も広まるだろう。広まれば今のを覚えてる人がオルリック家と繋がりがあるって思ってくれるんじゃないかな」
「だ、だからってこんな、こんな……!」
隣にいたベネッタはそれを見て歓喜の声を上げた。食器を持っていなかったら拍手していたかもしれない。
遠くでは鬼のような形相でエルミラを見つめる令嬢達。
突き刺さるような視線の中、エルミラだけが顔を真っ赤にしている。手袋の上からされたというのに、手の甲が熱を帯びているように熱かった。
「へ、へ、変な噂立っても知らないわよ……?」
「学院ではほとんど一緒なんだ。今更さ」
「キザだー! ルクスくんキザだー!」
それはルクスが見せた子供っぽい小さな反抗。
エルミラは熱くなった頬をぱたぱたと手で扇ぎながら心の中でミスティに謝罪する。
ミスティはこの場に来る事をロードピス家の復興に役立ててくれと言って招待してくれた。エルミラはこの場で他の家に名前を知ってもらおうと挨拶回りをしようと考えていたが……どうやらそれは無理そうだと、背中に突き刺さる嫉妬の視線が物語る。今挨拶に行こうものなら見ていた令嬢達に近くの食器で刺されかねない。
「し、仕方ないわね……」
それでも不思議と嫌な気分でない自分に困惑しながら、エルミラは顔の熱を冷ます為にぱたぱたと手で風を送り続けた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
実はエルミラもこういう場は初めてです。