167.開幕3
「ミスティ、準備は終わったの?」
「ひゃあ!」
ノックも無く、グレイシャはミスティの部屋へと入ってきた。
丁度、ミスティとお付きの使用人であるラナが鏡の前でドレスをチェックしている所だった。
緊張しているのか、着替えた直後に扉が開いて驚いたのか、ミスティは悲鳴を上げる。
「グレイシャお嬢様……あと五分早ければミスティ様の下着姿を廊下に披露してしまう所でしたよ……」
「あら、妹の発育をチェックできなくて残念だわ」
「もう……グレイシャお姉様ったら……」
「……ふむふむ、流石はミスティといったところかしら?」
ミスティが着ているのはシンプルなスカイブルーのドレスだった。ドレス自体の生地こそいいものを使っているが、デザインとしては凡庸なもの。ウェスト部分に付いた白いビジューと胸に付いている花のブローチもただの添え物に過ぎず、数少ない装飾品の中で一番目立っているのは首に付けている魔石の首飾り。ドレスのデザインには色合いも相まって全く主張が無く、着ている人間の美貌が強調されるようなドレスだった。
「グレイシャお姉様は白なんですのね……?」
「ええ、似合うでしょ?」
「それは勿論。グレイシャお姉様にお似合いにならない服の方が珍しいとは思いますが……」
グレイシャが着ているのは純白のイブニングドレスとイブニンググローブ。そして頭にはヘッドドレスとしてティアラが乗るようにして付けられていて、胸元にはミスティとは違う青い宝石のブローチがつけられている。
ミスティの中にあるグレイシャのイメージとは少し遠いものの、姉に似合わないドレスなど存在するわけがない。身内贔屓のようにも聞こえるが、事実グレイシャは当然のように着こなしていた。
似合っているのは本心ではあるものの、ミスティの声はほんの少し歯切れが悪い。
「言いたいことはわかるわ。けどこれを着たかったのよ」
ミスティが何と言おうとしているかはグレイシャもわかっているようだった。
すでにマナリルでは廃止されている決まりではあるが、白のドレスは社交界にデビューする者が着るものとされている。廃止されてはいるものの、未だにその影が残るようにマナリルではこうした舞踏会に初めて参加する女性が着るのが暗黙の了解となっていて、初々しい少女達の衣装と見られる事が多い。
グレイシャはカエシウス家の長女。いくら今は家を離れているとはいえ、社交界などとっくの昔に経験済みだ。ミスティの言葉の歯切れが悪かったのはそのせいだが、グレイシャもそれはわかっていながら着ているようだった。
「そうですか……なら、私から言う事は何もありません。着たいものを着るのが一番だと思いますし、何よりグレイシャお姉様にしっかり似合っておいでです」
「まぁ、当然ね」
何より、この捕らわれない様がグレイシャらしくてミスティは少し羨ましいほどだった。
「ミスティのドレスも悪くはないけど……でも、首飾りがちょっとバランスを悪くしてるかもしれないわね? ドレスがシンプルだから首飾りはいっそ付けない方がいいかも……ラナ、一回外してみてくれない?」
「あ……」
「ん? 何か問題ある?」
「その、これは……」
ラナは気まずそうにミスティのほうを見る。
グレイシャがその視線を追うと、そこには宝物を慈しむように首飾りに触れるミスティがいた。
「グレイシャお姉様、これはこのままでいいのです。どうか……このままにさせてくださいませ」
ミスティは触れていた手でそのまま首飾りに付いている魔石を大切そうにぎゅっと握る。握られて、魔石は少しだけ光が灯った。
「へぇ……? 好きな人からの贈り物とか?」
「す……ち、違いますわ! こ、これは友人からの贈り物であってですね!」
「へぇ……でも大切な人には変わり無いんじゃない? あんた、プレゼント貰ったって今までそんな嬉しそうな顔したの見たこと無いし」
「そ、そうですか?」
言われて鏡を見ると、確かに自分の表情は嬉しそうだった。
ミスティは少し照れて頬が赤くなる。こんなにも自分はわかりやすかっただろうかと。
「ま、私も着たいものを着てるわけだし、あなたも付けたいものを付けて問題ないわね!」
「ありがとうございます」
「でもそれなら……」
言いながら、グレイシャはミスティに近寄って胸元をじっと見始める。
「ぐ、グレイシャお姉様?」
「これはいらないわね」
そして、ミスティの胸に付いているブローチをとった。とくに珍しいデザインでもないが、グレイシャは興味深そうにそれを近付けたり遠ざけたりして眺めている。
「……これはプレゼントではないでしょう?」
「ええ、ですが、お姉様に紹介してもらったお店のサービスなので一応……」
「馬鹿ね、どうせならその首飾りを目立たせなさい。近くにこんなブローチつけてたら邪魔だわ」
そう言ってグレイシャはラナにとったブローチを放り投げる。
「ラナ、それ捨てちゃって。センスも無いから」
「よいのでしょうか? 高価な物では?」
「あなたにしては見る目ないわね、全然安物よ。私が貰ったのはそこそこの値段するけど、ミスティは初めてだからとりあえずって感じでサービスしたんじゃないかしら。全くあのリコリスってお店……ちょっと私が贔屓にしてると思ったらミスティにまで取り入ろうとするなんて嘗められたものだわ」
「そう、なのでしょうか……?」
ミスティは確かに宝石や服飾などの価値はよくわからない。それでもカエシウス家で育った身だ。それなりの審美眼はある。
先程まで胸についていたブローチは安物には見えなかったが、同じように育ったグレイシャはブローチを粗雑に扱っている。審美眼で言えば芸術家であるグレイシャのほうが上だろう。もしかすれば自分の目を騙すほどに精巧だっただけかもしれない。
「ミスティお嬢様、よろしいでしょうか?」
グレイシャの命とはいえ、ラナは今ミスティ付きの使用人。念のため、ミスティに確認を取るとミスティはうーん、と考え始める。
「せっかくご好意で頂いたのを捨てるのは少し気が引けますね……」
「なら私が貰っておくわ。次行くときにクレーム入れないと」
グレイシャはそう言ってラナが手の平に置いているブローチを奪い取った。
これから姉に何か言われるリコリスの店員を少し不憫に思いながらミスティは苦笑いを浮かべる。
「申し訳ございません、お姉様」
「私はやりたいようにやってるだけよ。やりたいようにやるのが私の美しさだもの」
「ふふ、そうですね」
「じゃああなたも早くしなさい。アスタはもう用意終わってるみたいよ」
「はい」
「エスコートは私がお父様。あなたがアスタね。アスタったらガチガチに緊張してるからあなたがリードしてあげなさい」
やりたいようにやるという言葉通り、ミスティに言いたい事だけを言ってグレイシャは嵐のように部屋から出ていった。グレイシャが出ていった後、しんと部屋が静かになる。
「相変わらず、力強いお方ですね……」
「ええ、少し羨ましいですわ。では私達も行きましょうか」
「はい、途中までお供します」
ラナは扉のほうに小走りで駆け寄り、そのまま扉を開ける。
扉の先は見慣れた廊下だった。すでにグレイシャの姿は無い。
「……お嬢様?」
「はい?」
唐突に、ラナがミスティを呼んだ。
「どうされました?」
「いえ、その……立ったまま動かれないので……」
「え?」
無意識だった。
ラナに言われてようやく、ミスティは自分が足を動かそうとしていなかった事に気付く。
――もしかして、躊躇っている?
ミスティは小さく首を横に振る。
ラナはその様子を不安そうに見つめている。
「いえ、なんでもありません。ごめんなさいラナ」
覚悟は数日前に済ませた。六年前と同じ場所で最後の弱音を吐いたはずだ。
ミスティは笑顔の表情を貼り付けて足を動かす。
廊下に出ると、露出している肌に冷えた空気が刺さる。
「お嬢様、雪が降っていますよ」
一歩後ろに付いているラナの声でミスティは窓の方に目をやる。
外はもう夜で暗いはずなのに、白のヴェールは闇を裂くように降り注いでいた。
「スノラの初雪ですね、お嬢様」
「ええ……そうですね……」
ミスティの体が少しだけ震える。
ああ、ラナが後ろにいてよかった。
雪の降る外を見た今、笑顔を貼り付けたままでいられそうにない。
降ってほしくは無かった。
いつもそうだ。初雪の降る夜はこんなにも冷たくて――寒い。
いつも読んでくれてありがとうございます。
ミスティのドレスはシンプルな解釈です。