166.開幕2
「ありがとうございました、クオルカ様。私達の分の馬車まで用意して頂けて助かりました」
「いやいや、ルクスの友人であれば当然だとも」
トランス城の正門近く。送迎の馬車が並ぶ広場にアルム達は順に馬車から下りた。
頭を下げるエルミラにオルリック家の現当主――ルクスの父親クオルカ・オルリックは我が子を見守るかのように微笑む。
ホテルから出たアルム達を待っていたのはクオルカと二台の馬車だった。ベラルタで使われる馬車も上等なものだが、それよりも見栄えが重視されていて豪華な装飾が施されていた。並んでいた他の家との格を感じさせるその装いに平民のアルムと没落してそういった贅沢からは離れているエルミラは少し物怖じしたほどだ。
「一緒にいたのを見て帰郷期間の時にルクスが話してくれた子らだとすぐにわかったよ。ルクスの表情が普段より柔らかい……そんな我が子の表情を引き出してくれた君達には感謝しか無いさ」
結論から言うと、クオルカは親バカだった。
ルクスほど優秀な子供を持てば多少は仕方ないのかもしれないが、言葉の節々からルクスを溺愛している事が伝わってくる。
「ありがとうございました。その……自分まで乗せて頂いて」
アルムがそう言うと、クオルカは目を見開く。
「何を言う! 君にこそ私は感謝を伝えたかったというのに! こんな馬車でよければいつでも言ってくれたまえ!」
「は、はぁ……」
「入学早々ルクスとぶつかった平民の君の話はルクスがした中でも一際熱いものだった……! ルクスが人間としてまた一つ成長したのだと私は強く感じたものだよ! こんな馬車一台では物足りないくらいだ!」
馬車の陰で熱く語りながらアルムにハグをするクオルカ。こんなところを他の貴族に見られればアルムはまた他の貴族から敵意の視線を向けられるだろうが、そこはしっかりとクオルカも配慮しているようである。
クオルカはアルムが平民である事はどうでもいいかのように接してくる人物だった。
彼の根底にあるのは息子であるルクスのみ。ルクスの友人であれば例えその人物が下水に塗れてどれだけ汚れていようともその手をとって感謝のハグをする。そんな人間だ。
「ごめんね、父上は少し……その、僕の事を大事にしすぎる人なんだ」
エルミラがクオルカと話す少し後ろでルクスは苦笑いを浮かべる。しかし、その表情は満更でもないように見えた。
「うん、わかるー」
「申し訳ないが、凄い魔法使いって感じはしないな……」
「うーん……確かにここ十年くらいは魔法使いと戦うなんて機会も無いし、そういう感じはしないかもね。近隣に下りてくる魔獣を倒すくらいだろうし……そこらの魔獣なら片手間に倒せるくらいには強いから作業みたいなものだろうし」
近年、マナリルでは大きな戦は起きていない為、一部の魔法使いは魔法使い同士の戦いにおいて大きなブランクがある。
だからこそ、今年起きた【原初の巨神】のベラルタ侵攻、それに合わせたダブラマの進軍はマナリルの貴族全体を震撼させた。それもオウグスとヴァンの活躍で防がれた――という事になっている――ので、やはり魔法大国マナリルは崩せないと改めて驕っている貴族達もいるくらいだ。
「それにしても多いな……これが全員貴族か」
貴族達が談笑するトランス城前の広場をアルムは見渡す。
オルリック家の到着に貴族達の視線はクオルカと、話すエルミラに集まっていた。
その半数ほどからエルミラには敵意に塗れた視線が向けられている。
「今度はエルミラが盾になってくれてるのか……」
「なんだい?」
「いや、なんでもない」
アルムの目からは、エルミラがこうしてクオルカと率先して話しているのはホテルの時にアルムが向けられた視線を自分に向けさせるために見えた。考えすぎかもしれないが、友人思いのエルミラならやりかねないとアルムは少し心配になる。
「みんな、ネロエラとフロリアがいたわよ」
そんなエルミラが突如振り返って顎でアルムの視線を向けさせる。
そちらを見ると、ネロエラとフロリアも気付いたのかこちらに駆け寄ってきていた。
二人だけでなく、フロリアの後ろにいる男性もこちらに向かってきている。フロリアの父親であろう。
ルクスと同年代の少女が駆け寄ってくるのを見てネロエラとフロリアも友人と判断したのか、クロルカはフロリアの父親のほうを相手するべく微笑んだ。
「見つけた見つけた。ちょっと報告」
駆け寄って早々、フロリアは真面目なトーンで話し始める。
「どうした?」
「ペントラ家のドースが来てないの。クトラメル家のコリンもね」
「ドースという人は知らないが、コリンは時間にルーズなようには見えないが……」
あと十分もすれば開門の時間になる。
この時点で来ていないというのは確かに気になる情報だった。
「だからって今から探すとか無理だけど一応あなた達にはね……やっぱりあの二人のどっちかが怪しいと私は見てるね」
「いや、それは……」
しかし、ルクスはフロリアのその意見にはどうにも納得できない。
補佐貴族である二家の人間がいないのは不自然ではあるが、それが犯人の証拠であるかと言えば微妙なところだ。
「ま、今からミスティ様を狙うのは無理だろうけど、念のために私とネロエラはミスティ様の周囲を警戒するわ」
ネロエラもこくこくと頷く。
会場に入ってからの自分達の動向を伝えると、フロリアはふわっと見せつけるように一回転する。
「ところで、感想はないのかな? お二人とも?」
フロリアが着ているのはピンクのボールガウン。ウエストから下は花が咲いたようにスカートがふんわりと膨らんでおり、ただでさえ細いフロリアのウエストをさらに細く見せ、その豪華なシルエットは一貴族のフロリアをまるで一国の姫のようにさえ見せるものだった。ドレスの豪華さを強調しているのか、ネックレス以外のアクセサリーは付けていない。
「ああ、可愛いと思う」
「可愛らしいね。大人っぽいのが似合うかと思ったらこういう色合いもフロリアには似合う」
アルムとルクスの感想に満足そうな表情を浮かべるフロリア。
無意識にアルムはこんなでかいスカートあるのか、と声に出して驚いているようだが、聞こえてはいないようだった。
「でしょ? 私ってやっぱ美人なのよね……怖いわ……当主が駄目でもモデルでいけるかも……」
自分の見た目の良さで将来設計を立て始めるフロリアの次は自然と隣に立つネロエラとなる。
二人の視線が向くと、ネロエラは恥ずかしそうに手に持った扇で顔を隠した。
ネロエラが着ているのは花の装飾が施されているクリーム色のドレスだった。形が固定されたスカートは下にクリノリンが入っているのだろう。頭には羽飾りの帽子と手には淡い桃色の扇を持っていた。ドレスのスタイルとしては一世代前のものではあるが、ネロエラの真っ白な肌と濃い赤の瞳を強調するようなコーディネートになっていてその美しさは魔的といえる。
「クラシックなスタイルだね。珍しいけど着こなしてると映えるもんだね」
「ああ、俺の貴族のパーティがこんなイメージだな。似合っていて綺麗だ……」
「う、嘘はやめてくれ……わ、私がこんな姿をしていても変なだけだろう……」
流石に舞踏会の場で筆談というわけにはいかないのか、ネロエラは本を持っておらず、喋る前に扇で口を隠す。
扇ってそう使うのか、と実用的な理由にアルムは変な所で感心していた。
「少なくともアルムは嘘つくと滅茶苦茶わかりやすいから嘘じゃないわよ」
「うん、当然僕もお世辞ではないけど……少なくともアルムのほうは保証できるね」
「だってさー」
エルミラ達にそう言われると、ネロエラは口を扇で隠したまま確認するようにアルムに上目遣いで聞く。
「ほ、本当か?」
「ああ、俺の嘘はばればれなんだ。本当に似合ってる」
「そうか……そうか……」
そうしてネロエラは扇で顔全体を隠した。隠し切れていない耳が赤くなっているのが正面からでも見える。
「どうした、ベネッタ?」
「べつにー?」
隣のベネッタがにやにやとするが、アルムはその笑みの意味には気付かない。
「お、開いたね」
ルクスの声に視線がゆっくりと開き始めたトランス城の正門のほうに向く。広場にいた他の貴族達の視線もそちらに向いているようだった。
「皆様お待たせしました。お時間となりましたので、これより招待状の確認を行います。確認を終えた方から中へどうぞ」
開いた門の中に並んだ二十人ほどの使用人が道を作るようにして一斉に並ぶ。
その所作はそこらの貴族よりも美しく、広場に集まる貴族達を感心させた。
門には招待客のリストを持っているであろう使用人が数人前に出てきた。貴族達は慣れたようにリストを持った使用人の前に並び始める。ここで無秩序なところを見せないのは流石というべきだろうか。
「では私達も並ぶとしよう」
クオルカについてアルム達も列に並ぶ。
流石の手際と言うべきか、リストを持った使用人は招待状とその名前を確認すると、即座にリストにチェックをして貴族達を中へと通していく。
普通の貴族なら馬車ごと中に通してから招待状の有無をチェックする程度だが、トランス城という場所が場所だけに招待状の中身まで使用人が確認してから招き入れている。
使用人に手際がよく、アルム達の順番になるまで時間はかからなかった。
まずはクオルカとルクスが招待状の中身を使用人に確認させる。
「ようこそおいでくださいました。クオルカ・オルリック様。ルクス・オルリック様。中へどうぞ」
「ありがとう」
次にネロエラが、その次にはフロリアとフロリアをエスコートする父親が中へと入っていく。
クオルカとルクスはアルム達を待ってくれているのか、まだ扉の前にいた。
「ようこそおいでくださいました。エルミラ・ロードピス様」
「ありがと」
エルミラも招待状を見せて門を通り、次に並ぶベネッタを待つ。
「ようこそおいでくださいました。ベネッタ・ニードロス様……ベネッタ様。先程お父様がベネッタ様を探していらしたと報告がありましたが、他の者に案内させましょうか?」
「いえ、元々別なので大丈夫ですー。ありがとうございます」
「かしこまりました」
父親に辛辣なベネッタも招待状を見せて門の中に入り、待っていたエルミラに駆け寄る。
「あんた本当に父親嫌いなのね」
「うん、無理ー。お母様は嫌いじゃないんだけどー」
「ベネッタに嫌われるって相当――」
「申し訳ございません。ここをお通しする事はできません」
「……え?」
度々話題に出るベネッタの父親の世間話が始まろうとしていたその瞬間、後ろから聞こえる使用人の声にエルミラとベネッタは振り返る。
そこには招待状を使用人に見せているにも関わらず使用人に入場を断られているアルムがいた。
「えっと……これでは入れないという事だろうか?」
「いえ、それは紛れも無くカエシウス家の招待状でございます。しかし、舞踏会が行われるのはトランス城の元謁見の間……平民の方を立ち入らせるのは禁止するようにご主人様から仰せつかっております。当主継承式の間は私どもも入らないようにと」
大変申し訳ございません、とリストを持った使用人が頭を深々と下げる。
「ああ、なるほど……そういう事情があるのか……」
マナリルには王の威光と貴族の権威を表す為に古来から平民は謁見の間に入ることができないという仕来たりがある。
マナリルの隣国であったラフマーヌにもその仕来たりは存在しており、今回舞踏会に使用されるのはトランス城の元謁見の間。平民が立ち入る事ができない場所だ。
しかし、頭を下げる使用人すらも疑問が残る命令だった。確かにそうした形式は残っているが、トランス城の使用人は掃除の際に元謁見の間に入ったりする。それにいくらトランス城とはいえカエシウス家はとっくに王族ではなく、そもそも謁見の間に平民を入れないのは王族の威光を示す為の決まりなのだから順守する理由も無い。
何より――ミスティ様が招待した人間を入れないように指示するほど自分の主人はそんな古い形式を気にしていただろうかと。
「それなら仕方ないな」
「大変申し訳ございません」
「いや、あなたが謝るような事じゃない。俺が無知だった。そうか……駄目なのか……」
そういえば王都に行った時も入れなかったなと、アルムはミレルの事件の後に王都に行った時の事を思い出しながら肩を落とす。
アルムの後ろからくすくすと笑う声が聞こえてきた。
風に乗って平民が、平民が、平民が。ホテルでも聞いた悪意の声。
身分を弁えろと、普段接する貴族の友人と同じとは思えない声がアルムの耳に届いていく。
「ちょっと待ち――」
「馬鹿な事を言うな」
使用人に突っかかろうとするエルミラの声を呑み込むような低い声でそう言ったのはルクスだった。
異変を感じて扉のほうから門のほうまで戻ってきたらしい。
エルミラはその表情にぎょっとして声が引っ込む。普段の穏やかさが消えている険しい表情。共闘していた時ですらこんな表情は見たことが無かった。
「彼はカエシウス家に招待されたんだ。なのにいざ来たら会場に入れられないから帰れ? カエシウス家はいつからそこまで人を舐めるようになった?」
「ルクス」
アルムが声を掛けるも、ルクスは止まらない。
詰め寄られた使用人はその剣幕に生唾を飲み込んだ。
「それとも勘違いしてるのか? カエシウス家はもう王族ではない。いくらトランス城とはいえ、謁見の間は元がつく。そこに平民だから入れない? 馬鹿げた理由だ」
「ルクス」
「招待状を見てみろ。彼を招待したのは――」
「ルクス!!」
アルムが声を荒げてルクスの名前を呼び首を横に振って、ようやくルクスは止まる。
詰め寄った使用人にすまなかった、と一言謝ってルクスは離れる。
自分を招待した人間がミスティだとわかってしまえば、後ろでこそこそと話している貴族達の悪意がミスティに向くかもしれない。そうなればせっかくの当主継承式にもケチがつく。声を荒げてルクスを止めたのはそう考えての事だった。
「アルム、これはおかしい。僕がノルド様に直接……」
「いや、いいさ。ただ追い返されるならともかくそういう事情があるなら仕方ない」
「仕方なくない。君は招待されたんだ。入れないなんてあっていいはずがない」
仕方ないと受け入れているアルム。引き下がらないルクス。
入るのを断られたのはアルムだというのに、辛そうにしているのはルクスのほうだった。
エルミラとベネッタもアルムに駆け寄ってくる。
「アルムくん、入れないの……?」
「ああ、そうみたいだ。悪いなベネッタ。エスコートできそうにない」
「アルム……」
「エルミラも悪い。あんなにダンスができるよう付き合ってもらったのに無駄になってしまった」
「何言ってんのよ……これから、いくらでも使う機会あるわ」
「それなら、それまでにもっと練習できるな」
アルムはそう言いながら招待状を懐にしまって町の方角に目を向ける。
「俺は終わるまで町を色々散策する事にする。みんな楽しんできてくれ。ネロエラとフロリアにもよろしく言っておいてくれ」
「アルム、待ってくれ……」
「悪いな、ルクス。せっかく服を借りたのに無駄になってしまった」
自分が門の前にい続けたらルクス達が入りづらいだろうとアルムは逃げるようにその場を去る。
後ろからルクス達が名前を呼ぶ声がするがアルムは振り返らない。ルクス達ではない声もいくつか聞こえたが、アルムは特に気にならなかった。ルクスが怒って、エルミラとベネッタが悲しんでくれただけでも彼にとっては充分だった。
「何も持ってないとこういう事もあるんだなあ……勉強になった」
平民と貴族の違いなどアルムは重々理解している。入れないとわかった瞬間こそショックではあったが、山を下っている今はそうでもない。
それは決して強がりでは無く、背中に投げかけられた悪意の声もアルムにとっては正直な所なんでもない。今では何を言われたのかも忘れているほどだった。
平民が、平民が。
そんな言葉を何度繰り返されてもアルムの感情は揺らぐことはない。何故ならそれは事実であって、決して自分の悪い点ではないのだから。
「雪……」
山を下っている途中で、ふわっと白いものが目の前に落ちてきた。
それは灰色の雲から降るスノラの初雪。
秋の終わりを告げるように降ってきた白い結晶が前に出した手の平に落ちてくる。白い結晶はアルムの体温で静かに溶けていく。
そんな空を仰ぎながらアルムはスノラの町へと戻っていった。
ブックマーク、感想、評価、誤字報告、いつもありがとうございます。
入れませんでした。