165.開幕
当主継承式一日目。舞踏会当日。
スノラに着いてからすでに四日、アスタと町で遭遇した以上の事はアルム達には起きなかった。ルクスの声で同じホテルに宿泊していた北部の補佐貴族の動きなどを二日目までは見張ったりしたものの、特に怪しい動きは無い。ネロエラとフロリアとも情報を交換したが、他のホテルでも大きな動きは無いようだった。
トランス城のほうは一貴族でも確認しに行くことはできないが、舞踏会が行われるという事は特に何も問題が無い事が窺える。
アルムとルクスは約束していた時間にエルミラの部屋を訪問した。
「どーよ!!」
「おー……!」
アルムは部屋に入ると、得意気な表情で腰に手をあてるエルミラを見て感嘆の声を上げた。
その声に相応しく、エルミラの雰囲気はいつもとはまるで違っていた。
エルミラが着るのは燃えるような赤色をしたオフショルダーのイブニングドレスとイブニンググローブ。手首には黒いリボン、首にはぴったりと巻かれた光沢を見せるネックレス。どうやら普段とは違う黒いアイシャドウもしているようで普段一緒に過ごしている友人とは思えない非日常感にアルムはつい言葉が詰まる。
「……凄いな、こんなに変わるもんか」
「まぁ、私の可愛さあっての出来よね」
「凄いな。うん、凄い」
友人の変わりようにびっくりしたのか、アルムの口からは同じ言葉しか出てこない。
「ちょっと……もうちょっと無いの?」
「すまん、うん、似合ってる」
「ありがと」
エルミラは礼を言いながら笑った。
覗かせる八重歯が間違いなく自分の友人である事を実感させる。
「エルミラ……」
アルムに続いてルクスも部屋に入ってくる。アルムもルクスもすでにタキシードを着ていて普段の制服とは違う雰囲気を醸し出しているが、女性の変化には流石に敵わない。
「お、ルクスもどう? 私のドレス姿は?」
「魔法で着てた時から知ってたけど……エルミラはドレスが似合うね」
「ふふふ、そうでしょうとも」
「普段の女性らしさが強調されているというか……うん、似合ってる。すごく綺麗だ。エルミラらしい」
「そ、そうでしょうとも……」
微笑みながらドレスを褒めるルクスにエルミラは少し頬を赤らめる。
照れ隠しと言わんばかりに陰に隠れているもう一人のドレス姿を引っ張り出そうとする。
「ほらベネッタ! 隠れてないであんたも出てきなさい!」
「だ、だってー……流石に恥ずかしいよー……」
エルミラは手を引っ張っているのか、ベネッタの右手がちらっと見える。ベネッタは抵抗しているのか、それ以上姿は見えない。
アルムとルクスが少し覗き込めば見えるのだが、それは無粋とわかっているのか、アルムもルクスもいつものような二人のやり取りに安心しながら大人しく待っている。
「何言ってんのよ。あんた見た目はそこそこいいんだから照れる必要無いわ」
「せめてそこはしっかり褒めてよー!」
「はいはい、いいから見せる」
「わ、わ!」
エルミラがぐいっとベネッタを引っ張り、二人の前にベネッタが躍り出る。普段とは違い、ベネッタの表情には余裕など無く、浮かべているのはいつもと違う自分を披露する事への恥じらいだった。
瞬間、エルミラとは違う驚きが二人に到来する。
変化という意味ではベネッタの印象のほうが際立っていた。
ベネッタが着ているのは滑らかな色をした黒いハイネックのイブニングドレス。髪は後ろで纏められていて、普段は袖の下に隠れている手首に巻かれたチェーンと十字架も顔を出し、耳に付けたルビーのイヤリングとほんのりとメイクされた赤いアイシャドウも相まってベネッタを大人びさせていた。
エルミラが彼女らしさを際立たせるドレスなら、ベネッタは普段とのギャップと言った所だろうか。
「に、似合わないかなー……?」
恥ずかしそうに目を泳がせながら普段の口調のままのベネッタにアルムは安堵すらした。目の前に現れた美少女が自分の友人である事をしっかりと確認してぽかんと開けた口を一旦閉める。
「ベネッタくんのほうは普段と全然印象が違うね」
「私の見立て通りね……この子は案外こういうのが似合うと思ってたのよ」
ベネッタのほうでも何故か得意気なエルミラ。
それもそのはず、ベネッタのドレスを選んだのはエルミラだ。逆にエルミラのドレスはベネッタが選んだのだが、ベネッタは自分のドレス姿がどう見られているかでそれどころではない。
「ほ、ほんとー? 似合ってるかなあ……?」
「うん、似合ってるよベネッタくん。こういう雰囲気も着こなすんだね、君は」
「ああ、驚いた……まるで別人かと……」
「ほ、褒めてるー?」
「褒めてるよ。だろう? アルム?」
ルクスが横のアルムを見ると二人のドレスを見たことのインパクトが強かったのか少し反応が鈍い。
「あ、ああ、似合ってる。普段と全く印象が変わって新鮮だ……」
「ありがとー……アルムくんだと嘘じゃないのがわかるから少し安心するや」
「何せ俺はわかりやすいからな」
「それ自分で言う?」
「アルムくんとルクスくんのタキシードも新鮮だねー」
アルムとルクスの反応を見て少し安心して心に余裕が出来たのか、ベネッタは今度はアルムとルクスの服装に注目した。
「ルクスは流石って感じね。似合ってる」
「ありがとう」
「アルムは……」
エルミラはアルムのほうに目を向ける。
アルムはわかっていると言いたげに手を軽く横に振った。
「似合わないのは知ってるから無理しなくていいぞ」
「なんだろう……何か着られてる感が抜けないのよね……」
「そう? シャキっとしててボクはいいと思うよー?」
「ありがとうベネッタ」
「とりあえず下行きましょうか。ルクスのお父さんが馬車呼んでくれてるでしょ?」
言いながら、エルミラはソファに掛けてあったコートと小さめのバッグを手に持つ。まだ秋とはいえここは北部。ドレスで屋外に出るのは寒い。
「ああ、そうだね。待たせるのも悪い」
ルクスは自然にエルミラに右腕を差し出す。
そして当たり前のようにエルミラは差し出してきたルクスの腕に軽く手を乗せる。
「じゃあアルムくん、よろしくね」
「……?」
何を、という疑問が浮かびかけたが、目の前でルクスがエルミラをエスコートしたのを見て流石のアルムも察する。
鈍いアルムが具体的な事を言われずとも気付けたのは、ここ数日舞踏会の為にとダンスを練習した成果だろうか。
ルクスがエルミラをエスコートするならば当然この場でベネッタをエスコートするのはアルムとなる。
「よ、よし!」
ごくりと生唾を飲み込み、見様見真似でベネッタに手を差し出す。
ベネッタはにっこりと笑ってアルムが差し出した手に軽く手を乗せた。
「じゃあ、会場まではよろしくねー。アルムくん」
「ま、任せろ!」
「ガチガチだな」
「まぁ、これから私達で慣れさせましょうよ」
これまでにない緊張を抱えながらアルムはルクスの後に続いて部屋を出る。
学院とは違った雰囲気の漂う貴族の場。
平民でありながらアルムは今日その足を踏み入れようとしていた。
「確認をお願いしますご主人様」
私室にてノルドはモミジから招待客の載ったリストを渡される。
舞踏会の開催時間にあたって招待客がトランス城に大勢訪れる。その際に門では使用人達によって招待状と名前の確認が行われるのだ。ノルドが渡されたのはそのチェックリストである。
ノルドは少し渋りながらもリストを受け取った。ノルドは招待状を送った相手を全て覚えている。確認すべきは自分で招待状を送っていない招待客、つまりは自分の子供達が送った招待客くらいだ。
王族や国境付近に領地を持つ貴族をここに集める事は出来ないが、それでもリストには上級貴族や下級貴族を含めた五十近くの家、百五十人以上の貴族の名前が載っており、その全てがこのスノラに集まっている。
ノルドはリストに載っている名前を確認するように読み上げながら、その人物の顔を思い浮かべて心の中で謝罪する。
「……貴様らの名前は無いようだが」
「ええ、招待状を持つ必要は無いですし……そもそも私以外は会場には入りませんから」
ノルドは忌々しそうに顔を歪める。
アスタは誰も招待していないようだが、グレイシャが呼んだ貴族には見覚えのある家もあった。恐らくは芸術家として活動した時に知り合った客だろう。
そしてミスティの招待客の欄に目がいった瞬間、ノルドはほんの少しだけ心に揺らぎが起きた。
しかし、そこはカエシウス家の当主。普段から会話の中で心の内を悟られないように努めているからか、表にその動揺を出すことは無い。
"ロードピスはあの没落した家だが……こちらは何だ? 家名が無い……? ミスでもあったか……?"
いや違う、とノルドはとある噂を思い出した。
ほんの一時期、貴族界隈で話題に上がっていたベラルタ魔法学院に入学した平民がいたはずだと。
"ミスティはロードピスとこの平民にしか招待状を送っていない……という事は気の置けない友人の内の一人という事か……"
娘の友人。そして貴族ではない平民。
"せめて一人だけでも……!"
ここ数か月、ノルドの心の中に在り続けた罪悪感は一人だけでもここから逃がせる口実を見つけてノルドの背中を容易く押す。
「おい、招待客の中に平民が混じっているぞ?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ようやく半分と言った所でしょうか。最後までお付き合い頂けると幸いです。