162.父の苦悩
「カンパトーレが動く可能性……なるほど、すでに捕まっている魔法使いにまで魔石に反応があったというのは不可解ですな」
ノルド・トランス・カエシウスは机の上に設置した通信用の魔石に手をあて、王都からの連絡を受け取っていた。
ミレルの事件に関わっていたカンパトーレの魔法使いが持っていた魔石に反応があった事、ミレルで起きた事件と同種の危機が起きる事を警戒するようノルドに伝えられた。
ミレルで起きた事件は広く貴族達に伝えられたものの、大百足について知っているのはアルム達と王族、そして王族付きの宮廷魔法使い数人と上級貴族のみ。国の混乱を避ける為に平民どころか多くの貴族達には大百足と常世ノ国の詳細については伝えられていない。カエシウス家は詳細を伝えられた貴族の一つでもある。
『ノルド様ならばご心配ないと思われますが、ミレルで起きた事件は今までとは違う異質なものです。決して油断されぬよう。北部の補佐貴族と情報を共有できますでしょうか?』
ノルドが手を当てている魔石からは通信相手の男の声が発せられる度に光が点滅していた。
魔石と名前こそ統一されてはいるものの、どの魔石も加工して使い方を自由に選べるわけではない。マナリルでは照明用に使える魔石はそこそこ採掘できる事がわかっており、王都ではすでに全域に街灯の設置が完了しており、魔石について様々な事業を行っているオルリック領の"アムピト"という町にも広く設置されている。最近ではベラルタでも導入され始めており、そこそこ採れるとはいえ魔石はやはり高価で、加工にも時間がかかるのですぐにではないが、このままいけばマナリルの主要な場所には行き渡るのではないかと言われている
反面、通信用にできる魔石はマナリルでは貴重で中々採る事ができず、四大貴族と国境付近の一部の貴族、そして王都にある数個しかマナリルには存在しない。ノルドが手を当てているのはその貴重な魔石の一つである。
「ああ、問題ない。当主継承式に際してスノラにほとんどの補佐貴族が集まっている。私から彼らに伝えよう」
『お願いします。カエシウス家の当主継承式を中止するわけにはいきませんので補佐貴族達と管理地域には当主継承式が終わるまで魔法使いを派遣しておきます。カンパトーレという国の性質上、正面から北部に侵攻してくるような事はないでしょうが、もしそのような事があれば平民の安全を優先して動きますので町や村には被害がでるやもしれません』
「村や町の姿は時間をかければ元に戻せる。派遣する魔法使いには私からも人命を優先するように伝えてくれたまえ」
『わかりました』
「平民だけではない。君達の命も優先するように、とな」
『……流石はノルド様でございます。では派遣する魔法使い達にはそのように。それでは通信を終了いたします』
「ああ、よろしく頼む。通信を終了する」
ノルドはそう言い終わると後ろを気にしながらも手を離す。
魔石に魔力は流れなくなり、通信していた男の声も聞こえなくなった。
「いいのですか? そのカンパトーレと関わりのある人間が後ろにいると言わなくて」
「……っ!」
どの口がとノルドは内心で呪詛を吐く。
北部で着られる使用人の服装を纏い、丁寧な口調で表情を崩さないノルドの背後にいる女性モミジを肩越しで睨みつける。
「ああ、貴様らに脅されていなければすぐにでも報告した所だ」
「人聞きの悪い事を仰りますね。生きられる時間を伸ばして差し上げようという優しさと捉えては?」
「貴様らに優しさと来たか、欠片も持ち合わせていない聞き齧った感情を口にするのはやめろ」
ノルドは言葉を選びながらモミジに反抗的な声を上げるも、モミジは表情も体勢も変えず、ただ直立したままで特に不快感を表情に出すようなこともない。
ただ、ノルドを何者とも思っていないような鮮やかな赤い瞳だけがノルドを刺す。
「安心して下さいませご主人様。私はあなたに何を言われようとも構いません。しかし……人前ではご注意を。その口から出る言葉はいつだって刃になる事を肝に銘じておきますように」
「……言われずともわかっている」
ノルドは険しい表情で肘をついた両手に顔を埋める。
自分は何をしているのか。誇り高きカエシウス家の当主とあろう者が何も出来ない。そう思っていてもどうしようもできない現実がノルドの心を軋ませ、どろどろとしたものが胸に渦巻いていく。
当主として国に尽くし、魔法使いとして敵を退け、貴族として民を潤してきた。そんな自信がここ数か月で一気に砕かれた。
そう、戦争は変わった。時代とともに世界は移り変わる。国同士の対立も例に漏れない。
少なくとも今はかつて自分がやっていたような魔法使いの指揮官と平民の軍を率いて戦う時代ではないのだとノルドは確信する。マナリルの常識はもう古い。
変わったのだ。いや、変えられたのだ。後ろに立つ女のような存在によって。
「おやおや」
モミジが何かに気付き、ノルドも顏を上げる。
視線はノルドの座る机の正面にある扉。
扉の下の隙間から影のようなものが蠢きながら中へと入ってきた。影はそのままモミジの横にまで進んでくる。部屋には二人しかいないというのに三人目の影だけが床を這っている様子は違和感しか無く、ノルドは気持ち悪さを覚える。
「"フィチーノ"、どうかしましたか?」
"予定外の侵入者が地下通路に入ってきたので報告しにきた"
「ペントラ家の長男でしたら報告は貰ってますよ。ご主人様がドース・ペントラ個人に向けて伝令を出したはずですが?」
"ご主人様、か。皮肉な呼び方だ"
「お似合いでしょう? どっちがとは言いませんが、鎖で繋がれているのですから」
"違いない"
フィチーノとモミジに呼ばれた影はそうは言うものの、ノルドを馬鹿にしたように笑ったりはしなかった。
「それで、どなたですか?」
"コリン・クトラメル"
「補佐貴族ですか?」
"そうだ。カンパトーレに近いところを管理しているクトラメル家だ"
クトラメル家についての情報には興味が無いようで、モミジは説明している途中でノルドをちらっと見ていた。
「意外に勘付いている人間が多いのかもしれません。ベラルタ魔法学院にいた補佐貴族の全員が動いたと言いますし」
"北部にいた補佐貴族は補佐貴族同士で自宅に招く手紙を書いていただけというのに熱心な事です"
「ええ、考えている事が一緒でわかりやすい。北部で管理地域にだけ気を配っている貴族達など私達からすれば都合のいい傀儡ですから」
モミジは少しだけ考えて。
「フィチーノはどう考えますか? 計画を変えたほうがいいと思いますか?」
床を這う影に問い掛ける。
"こちらとしてはどちらでも構わない。元より、前提の時点で我々の勝利は固い。後は早いか遅いかだ"
「ではもう少し様子を見ます。それに、今の私達はあくまで補佐ですから主役の動きに従いましょう」
"いいのか?"
「ええ、あなたもどちらでも構わないのでしょう? それでしたら委ねてみようではありませんか。あなたの言う通り、どちらに転んでも早いか遅いかの違いです」
"わかった。ではコリン・クトラメルは?"
「どちらにしても当主継承式になったらいりませんから、ドース・ペントラと一緒に殺して構いません。ああ、しっかり死体は残しておいておくように」
"……何故だ?"
不思議そうな声色に変わるフィチーノのほうがモミジは不思議だった
「王都の魔法使いに調べさせるかもしれませんので」
"そうか、そういう事か。わかった"
フィチーノのこもったような声が少し揺らいだ。
モミジはその揺らぎの理由がよくわからなかった。
「どうしました?」
"いや……もしかしたら、食うのかと思っただけだ"
聞いて、そういえばフィチーノはあれと対面したことがあったなとモミジは納得する。
「ああ、あの百足のようにと思っているのですね。人食いはあの男……いえ、中身は女でしたね、ややこしい。あの女の嗜好であって我々が共通して好むわけではありません」
まぁ、しないというわけではありませんが、と小声で物騒な言葉をあっさり付け足すモミジにフィチーノはぞっとする。
「あれや"大嶽"は人を害する事を好みますから私もそうだと勘違いするのもわからなくはありません。ですが、私は人間にとっても優しい怪物ですし、あの二人ほど圧倒的な力があるわけでもないか弱い存在です」
そう言って、モミジはノルドの視線の前に立つ。
恐る恐るノルドは顔を上げてモミジの顔を見た。
「ねぇ? ご主人様?」
視線の先では作ったような笑顔を浮かべるモミジ。自身を怪物と自称するも、その姿はどうしようもないほど人間で、こうして疑われること無く紛れ込んでいる。
そう、確かにミレルの町を容易く破壊するようなわかりやすい力は目の前の女には無いのかもしれない。そうであればもしかしたら……わかりやすい化け物の姿で現れてくれたのだろうか。
ノルドは祈る。
いらない。もう自分の命などいらない。
頼むから誰か気付いてくれ。頼むから城に我が物顔で棲みついているこいつらを殺してくれ。
誰か――誰か助けてくれ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
マスクが買えなくて困っています。早く普通に買えるようになってほしいですね……。